儚げに差し込む月明かりは、理解の及ばぬ力で彼女をより美しく、さらに妖しく照らし出していた。
まるで銀糸のような髪の毛がその光に透けて薄く輝く。
彼女がゆらり揺れる度、乱れて頬に、そして赤いルージュの上に色を落とす。
どんな王冠も髪飾りも、たとえ幾千の宝石を散らそうとも、この光景に足りるとは思えない。
恐らくそれこそは、彼女を飾るこの世に一つきりの極上のヴェールなのだろう。

髪の隙間で長い睫毛に縁取られ、まるで猫科の獣か何かのように妖しい光が揺らめいている。
まっさらなシーツ一枚を体に巻きつけて、やや伏せがちの瞳でこちらを覗く。
彼女は微かに笑みを浮かべながら、細く長い指で胸元のシーツを摘まんだ。
指先のさらに伸びた爪の先が、柔らかな肉を押し影を作る。
純白の奥、見え隠れする肌もまた白く、滑らかで、艶やかで――
闇に薄らと浮かび上がる輪郭はほっそりとしていながら、しかし驚くほど豊かに女性を称えていた。




自分はどこにいるのだろう――
自分は何をしているのだろう――
感覚は心許なく、意識は心許なく、胸の奥の方だけが燃えるように熱い




彼女は膝を折り、這うようににじり寄る。
ゆっくりと、ゆっくりと、この曖昧で頼りない境界を侵していく。
シーツの擦れる音と自分の心臓の音とが、後から後から耳に響く。
近いのか遠いのか――それすらも曖昧なのに彼女の吐息を頬に感じた。
熱く、溶けるような温度に、身体が震えた。




これは夢だ――
そう思いながらも、目を逸らせない




彼女の唇が動き、一瞬覗く舌に心臓が跳ねる。
まるで寝起き後のように、ほんの少し掠れた声。
甘い、吐息交じりの声。
それが自分の名であることに、また心臓が跳ねる。




これは夢だ――
そう思いながらも、彼女へと伸びる手を止められない
一歩、また一歩と進み、なのにその距離は少しも縮まらない
まるで近づけない
それでも吸い寄せられるように伸ばす手を止められない





これは夢だ――
何度目かにそう思った瞬間、世界が灰色に溶けて消える
自分の布団の中で、やはりそれが夢だったことに気づいた
















窓の外は薄明かり
太陽は地平の少し下
夜の終わりは一駅向こう

朝なのか夜なのか
白と黒が交じり合う

おぼろげな意識はすでに
何が夢だったのか
夢が何だったのかを失い始めている

しかし背中の汗と早鐘のような心臓の鼓動とが
確かにそれを思い出させる





誰かに会いたいような会いたくないような、そんな気分で……

何故だか天井の染みを数えたりなんかしていた
















<Triangle Heart the third Another Story>
 ドリームキャッチャー
















「――恭ちゃん、もしかして風邪?」

朝食の席、ふと箸を休めた美由希がそう切り出した。
食卓のおよそ全ての視線が一点に集中する。
話題の人物はほんの少しだけ居心地悪そうに、ぼそりと一言呟いた。

「また藪から棒に……」
「だって恭ちゃん、今日は何だかぼーっとしてるよ?」

今日は、と言われてもまだ一日は始まったばかりである。
まあ、この兄妹に限って言えば、すでに一仕事終えたあとのような感覚なのかもしれない。
早朝トレーニングで身体のキレがどうだったとか集中力がああだったとか、ここぞとばかりに根拠を挙げていく美由希。
普段こんなことを言った日には、それこそ神速で恐怖のアイアンクローが唸りをあげながら飛んでくるところだ。
しかし今日ばかりは恭也にも心当たりがあるのか、むぅ、と軽く唸るに留まった。

「そうですなぁ、そう言えばお師匠、今日はまだ一回しかおかわりしてへんですし」
「確かにそれは変ねぇ……熱でもあるのかしら?」
「いや、レンも桃子も感覚おかしくなってるよ。普通――」

フィアッセが言いながら、恭也の手元を指差す。

「――このお茶碗でおかわりしたら食べすぎだと思うよ」

確かにそれは、茶碗と言うよりはむしろ丼だった。
サイズで言うなら”XXL”だ。
しかし返ってくるのは――

「だって恭也だし」「お師匠やし」「師匠だし」「お兄ちゃんだし」

……チームワーク溢れる回答だった。
フィアッセも”まぁそうかも”などと言っているあたり、もはや鉄の絆である。
いや、一人美由希だけは恭也と同じサイズの自分の茶碗を見ながら、そんなに大きいかなぁ、と首を捻っている。

「別に何でもない、ただちょっと夢見がな……」

溜息を吐きながら、どこか疲れた様子で呟く恭也。
で、その呟きに過敏に反応するいと若き乙女たち。

「師匠っ、オレは? オレは夢に出てきましたか?」
「アホか! 何でわざわざおさるの夢なんて見なあかんねん!」
「へん、カメが出てこないことだけは確実だけどなー!」
「なんやとー!」
「もー、二人とも朝からケンカしないのー!!」

相変わらずお約束の喧嘩を繰り広げるレンと晶。
要するに理由は何でもいいのだろう。
もしかしたら一日の調子が出ないのかもしれない。
そしていつもどおりにそれを仲裁するなのはは、すでに高町家ヒエラルキーの上層部である。

「――で、結局どんな夢を見たの?」

騒がしい若年グループを脇目に、言い出しの美由希がついに核心へ触れる。
とたん、恭也の脳裏に生々しく蘇る記憶たち。
その記憶が伴う妖しい熱量に、恭也は弾かれるようにして立ち上がった。

「いや、何でもないっ、何でもないんだ! 俺は夢なんて何も見てない!」

ガシャ、と食器とテーブルのぶつかる音に、再び食卓全ての視線が集中した。

「え……どうしたの恭ちゃん?」
「やっぱり熱でもあるのかしら?」
「大丈夫、恭也? ちょっと計ってみよっか?」

フィアッセが心配そうな様子でそばに来て額を寄せる。
そう、額と額をあわせて体温を測ろうと言うのだ。
すっかり溶け込んではいても、やはりこういうところは外国人である。
日本人と違って肌をあわせるスキンシップにまったく無理がない。

恭也の視界の中、千分の一秒の世界で近づくフィアッセの顔と、その白い肌。
思い出すのは夢に現れた女性。
彼女の肌もまた雪のように白く、滑らかで、艶やかで――

普段ならおとなしく熱を計られているのだろうが、今日に限ってはそうもいかない。
恭也の心臓がその活動を主張し始める。
ドクン、ドクン――早鐘のように、激しく、熱く。

そうこうしているうちにもフィアッセの顔は迫る。
息遣いすら聞こえる距離。
心音すら聞こえる距離。
駆け巡る血潮。
駆け巡る記憶。

そう、夢に見た、美しい女性の記憶――
そう、確かに彼女を、彼女の身体を、欲しいと思った――


「ち、違うっ、違うんだ……俺はそんなんじゃないんだぁーーーっ!!」


……高町恭也は逃げ出した。
ザッザッザッザ。






     ◇ ◇ ◇






「あはははははははっっ!! それで逃げてきたのか高町!!」
「……そう笑ってくれるな」
「あはは、だって……くくっ……あの堅物のお前が……ふっ……あはははははははっっ!!」

腹を抱えながら豪快に笑うのは赤星。
普段からわりと無表情な恭也でなくとも、なかなか珍しい光景だ。
まあ、それだけ面白かったと言うことだろう。

「はぁ、これでも結構落ち込んでるんだぞ? まったく、俺もまだまだ修行が足りん」

そう言う恭也はほとんどいつもと同じような表情である。
だが、やや落とした肩といい声色といい、親しい者であればどことなく本当に落ち込んでいることがわかるだろう。
冷静でタフな恭也にしては珍しいことだ。
そんな様子に気付きながらも笑いが収まらない赤星を見て、当然の如く忍が割って入ってくる。
一見物静かなお嬢様に見えて、面白いこと好きにかけては定評のある少女なのだ。

「なになにー? 高町くんがどーしたのー?」
「あははっ、聞いてくれよ月村、高町の奴が何と――ハッ、殺気!?」

ゴゴゴ……と聞こえる筈のない音がした。
背後に恐ろしいまでの気配を感じ、赤星は振り返ろうとする。
しかし、首から上は万力で閉められたようにピクリとも動かない。

「あーかーぼーしぃー……」
「ヒィィィッ!!」

高町恭也の四十八の必殺技の一つ、アイアンクローだ。
解説すると、地味だけど痛い。
とても痛い。
めっさ痛い。

「恥を忍んで話したと言うのに、貴様と言う奴は……っ!!」
「あいたっ、あだだだだっ!! 割れるっ!! たかまっ、おまっ、握力確か八十キロって――」
「大丈夫だ、俺は人間の可能性を信じている」
「そ、それは人間は脳がちょっぴりはみ出ても生きていられるとかそう言う感じか!? 俺はその説は信じてない!! て言うかその前に俺の可能性が失われる!! た、助けてくれっ、月村!!」

赤星が助けを求め忍の方を見る。
それを受けてか、忍の視線が赤星を通り過ぎ、後ろの恭也へと注がれる。
赤星の頭上でぶつかり合う瞳と瞳。

……………
………


笑顔でニッコリ。
白い歯ってイイね。

「ちょっ待てっ、今のアイコンタクトは何だ!? お前らいったい何を――」

赤星の耳元で低い声が囁く。

「 ダ   マ   レ 」

それは地獄の果てから届くメッセージ。

「 ブ   チ   マ   ケ   ロ 」
「ノォーーーっっ!!」
「ウフフ……ステキよ高町くん」

ギリギリと締まっていく五本の指。
無慈悲な鉄の爪が対象を圧殺しようと頭皮に食い込んでいく。
死に掛けたカラスのような声を漏らしながら必死にもがく赤星。
しかしそれは無駄な足掻きでしかなく、そして――

グシャ――それが赤星の耳にした、最後の音だった。


「いや潰れてないし死んでないし!! イジメかっこ悪い、かっこ悪いイジメ!!」






     ◇ ◇ ◇






何ら悩みは解消されることなく、しかしそれは悲しき男の青い春なわけで――
存分に悩め若者よ、と恭也が唸っているうちにいつの間にか放課後になっていた。
結論としては、若者らしく身体を動かして発散しよう、と言うことでトレーニングメニューを考えながら帰る準備をする。
教室を出て下駄箱で靴を履き、校庭を横手に歩き校門へと差し掛かったその時だ。

「やぁ、恭也」

時は止まる。

「……ん? おーい、恭也?」

そして、時は動き出す。

「リ、リリ……リスティさん!!」

風に揺れる銀糸のような髪の毛。
太陽を受けて輝く白い肌。
淡い桃色の艶やかな唇。
そう、月光の中で見たあの夢の女性――真打登場である。

リスティは校門の柱に寄りかかり、コートのポケットに手を突っ込みながら立っていた。
カテゴライズすればカッコいい系の彼女がすると、その姿がまたやたらと様になる。
すぐ横にはどこかアンティークを思わせるような車が止めてあって、まるでドラマの女探偵みたいだった。
現実にも似たような仕事をしているのだから、もしかしたら天職だったりするのかもしれない。

いつもなら少し驚く程度で済むのだが、流石の恭也も今日ばかりは平静ではいられなかった。
できるだけ内心の動揺を悟られないように、尋ねる。

「きょ、今日は、どうしてここに?」
「キミに一目会いたくて……なんて言ったら、笑うかい?」

体勢が整わないうちにファーストアタック。
少し伏せた瞳はどこか寂しげに、視線は少し反らしてやや斜め下に――
恭也は一瞬気が遠くなるのを感じた。

だがそれもほんの数秒のことで、リスティの雰囲気がパッと変わる。
慣れた手つきでタバコに火をつけ一吸い……人を食ったような表情でニヒルな笑み。

「ハハ、ジョークだよ。ほんのお茶目さ。――先月手伝ってもらった事件のその後を報告しておこうと思ってね。電話でもよかったんだけど、たまには母校を見るのも悪くない」
「そ、そうですか……いや、そうですね」

恭也は心の中でほっと胸を撫で下ろす。
心の中でも読まれたのかと思ったが、そうでもないらしい。
本当に心の中が読めるだけに油断はできないが、それでも一応は安心し一息つく。
しかし――

「――と言うのは建前で、やっぱりホントはキミに会いたかったのかも」

隙を突いてセカンドアタック。
今度は真直ぐに瞳を覗き込みながら。
深い青色の宝石のような瞳が、じっと恭也を見つめる。

「えっ…あ……」

油断できないのに、油断していた。
恭也の全身に衝撃が走る。
胸を殴られたかのように息苦しい。
頭もぐわんぐわんと揺れている。
麻痺しかけた思考の片隅で、レンに吹き飛ばされる晶はこんな感じだろうかなどと考えたりしている。

リスティは恭也のそんな様子を満足そうに眺めながら、やはりニヒルに口元を吊り上げた。

「どっちだったらキミは喜んでくれるかな?」

ふふふ、と笑うリスティの前に、もはや風前の灯の如く敗北必死の恭也だった。
何が負けで何を失うのかもわからなかったが、とにかく危険だった。
頭の中で非常警報がけたたましく鳴り響いている。
会って数分しか経っていないのに、すでに心臓の鼓動は爆発しそうに速い。

何が悪いかと言えば、まずばつが悪い。
絶望的に悪すぎる。
まともに目が合うともう最悪である。

何故あんな夢を見たのだろう――
何故夢に出てきたのがリスティなのだろう――
恭也の頭の中でそんが疑問がグルグルと回る。
色々と問題も多い人間だが、仕事の先輩として尊敬もしていた筈なのに。
そんな風に欲望の対象として見ていたのかと自己嫌悪まで沸いてくる。

だがまずは、何よりもこの場を何とかしなければならない。
恭也は何とかこの状況を打開できる方法はないものかと必死で頭を働かせる。
するとそこに、校舎方面からかかる声。

「おーい……」

しめた、と恭也は思った。
まずい、とその一瞬後に思った。

「――どうしたんだ高町?」

手を振りながら歩いてくるのは、よりによって一番来て欲しくない人間だった。

「バカっ、こっちに来るな! 部活はどうした赤星!」
「んー、まあ俺たちはもう引退してるからな、わりと自由にやらせてもらってるさ」

見ると袴姿で部活中であることがわかる。
しかし、周囲に同じような格好の者はいない。
自分でも言うように、OBとして自主的に部に顔を出しているのだろう。

まあ、恭也にとってそんな赤星の事情はこの際どうでもよかった。
とにかく赤星はまずい、まずすぎる。

「――それよりも校門なんかで何やってんだ……って、んん?」

恭也の静止の声も聞かず近くまでやってくる赤星。
案の定、その隣にいるリスティの存在に気づいた。
ピカーン、と赤星の頭上で不可視の豆電球が輝く。
とたん、赤星はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた。

「ははーん、そうかそうか、いや、邪魔して悪かった!」
「何を勘違いしている! 俺は別にっ――」
「いやいやいやいや、言うな、言ってくれるな、言わなくてもわかってるさ友よ。……ふっ、任せておけ。この赤星勇吾、お前の心の叫びはしかと受け止めた!!」
「だから何を――」

言いかけた恭也の頭を引き寄せ、朝のお返しとばかりにヘッドロックを決める赤星。
技を解こうとする恭也の耳元に顔を寄せ、小さく囁く。

「いいか、どこかの国では、夢に誰かが出てきたら、自分じゃなくその相手の方が会いたがっているんだそうだ……」
「な、何を――」
「だからこの際あちらさんが誘ってることにしておいて、遠慮なく男にしてもらえ!」

突き立てた親指は幸運の祈り。

「グッド・ラック!」
「バ、ババ……バカを言うな!!」

いいかげんに拳が飛んでくるのを感じ、赤星はさっと技を解き離れる。
そして視線をリスティの方に向ける。
恭也を横にぶつかり合う瞳と瞳。

……………
………


笑顔でニッコリ。
だから白い歯ってイイね。

「ちょっ待てっ、今のアイコンタクトは何だ!? と言うか何かデジャヴが!?」
「えぇと、リスティさんでしたか? この通り唐変木で頑固者の化石のような奴ですが、どうかコイツを男にしてやってください」
「赤星っ!?」

恭也と赤星のやり取りを黙って見ていたリスティが、ここでついにサードアタック。

「うふん、おねいさんに任しておきたまえ」
「リスティさん!!」
「はっはっは、明日会うのが楽しみだな! 気まずそうにはにかむお前の顔が今から目に見えるようだ!」
「赤星っ!!」

かつてないシチュエーションとかつてないピンチに、ただただ相手の名前を叫ぶことしかできない恭也。
何故こんなことに、などと世の不条理を心の中で嘆いてみたりする。

「無表情を装いつつもお前は頬を赤く染めるんだな……。ああっ、新しい世界にナイス・トゥー・ミィー・チュー!!」


……とりあえず赤星にはアイアンクローを力の限りに決めておく恭也だった。


「イジメかっこ悪い、かっこ悪いイジメ!!」






     ◇ ◇ ◇






「――と言うわけで、今回の仕事はこれでほぼ決着がついたと見ていいだろう」

車に揺られながら、恭也はリスティの報告書に目を通していた。
守秘義務など色々考えると、車の中と言うのはなかなか都合のいい空間なのだ。

リスティは先程の学校でのやり取りなどなかったかのような様子で、巧みなハンドル捌きを見せている。
きっと自分をからかって遊んでいたのだろう、と恭也もそのことには一切触れようとはしない。
と言うか、むしろこのままなかったことにしてもらいたいくらいだ。

「久しぶりにすっきりした仕事だったね。……うん、ご苦労様、恭也」

まだまだ駆け出しとは言え、恭也がリスティの仕事を手伝うようになって数ヶ月が経つ。
護衛だったりまるっきり襲撃だったりと、剣の腕を買われていくつかの仕事をこなしてきた。
もちろん恭也は戦闘力だけ見れば達人級ではあるが、それだけで何でもできるわけではない。
特殊な世界だけに圧倒的に経験が足りないし、たとえ成功してもその評価はピンからキリまである。
確かにリスティの言うように、今回ほど上手くいったのは初めてだった。
恭也は達成感と安心感と言ったような、確かな手応えを感じた。
その一方で、ご苦労様、と言われて素直に喜んでいる自分が、少しだけ照れ臭い。

「……いえ、リスティさんこそ。それに、俺の力が少しでも役に立ってよかったです」
「ふふん、謙遜はジャパニーズの美徳らしいけどね、キミはもう少し主張すべきだよ、自分の成果を。そして報酬を。そう――」

信号が赤になって車が止まる。
それまで運転のために前を向いていたリスティが、助手席の恭也の方を見る。
自然、目が合った。

「――欲しいものは欲しいと、ね」

頭の中にどこからか声が響く。

(欲しいんだろう?)

「な……!?」

ドクン――収まっていた筈の鼓動が、再び走り始めた。
それに呼応するかのように、エンジンが唸りを上げ再び車も走り始める。

恭也はわけがわからず、何故だか妙に恥ずかしくなって視線を下に反らした。
しかし次の瞬間、視界にミニのタイトスカートからすらりと伸びた足が飛び込んでくる。
しかも座っている状態なので、柔らかそうな太ももまでハッキリと見える。
アクセルを踏む度に微かに動いて、それが何故か無性に目を引かれる。
シフトチェンジの仕草もやたらとカッコいい。
一つ気づくともう止め処がない。
密室、二人きり、外人美女……
何か怪しい電波でも受けてるのではないかと思うほど、次々と頭の中に怪しい単語が浮かんでくる。

「ん? どうしたんだい、恭也?」

恭也の様子の変化に、リスティが前を向いたまま声をかける。
しかし、それを幻聴がかき消す。

(欲しいんだろう……ボクが)

「う、うあぁぁぁーーーっっ!!」

いきなり叫び出した恭也は、勢いよくドアを開け車から飛び出した。
一歩間違えば死と言う暴挙も、持ち前の驚異的な運動能力でハリウッド並みのアクションを決める。

「ち、違うっ、違うんだ……俺はそんなんじゃないんだぁーーーっ!!」

慌てて車を道路脇に止めてリスティが降りた頃には、もはや恭也の姿はどこにも見当たらない。


「……ち、逃がしたか」


その舌打ちは、もちろん恭也には聞こえる筈もなかった。






     ◇ ◇ ◇






「美由希ーっ、いるがーーーっ!!」
「きゃっ……て、あれ? 恭ちゃん?」

ノックもせずに部屋に飛び込む恭也。
制服のままベッドに寝転がって本を読んでいた美由希は、慌てて身体を起こしスカートを閉じる。
やや赤面しながら恭也を見やると、どこか様子がおかしい。
……と言うかもうむしろ別人に近いくらいの変わりようである。

「な、ななな、何!? 何なの!? 何かもう目が獣なんですけど!?」
「ハァハァ……」
「何か息がものすごい荒いしぃー!!」

恭也は美由希の姿を見つけるや否や、獲物を狩る肉食獣よろしく飛び掛った。

「え、ちょっと、もしかしてついに私の魅力が恭ちゃんをノックアウトしちゃったとか!? そんな恭ちゃんダメだよ私たち兄妹なんだよいやでももっと優しく――」

美由希を捕まえ肩に担ぐと、来たときと同じ勢いで部屋を飛び出す恭也。
混乱しているのか美由希はわけのわからない言葉を口からだだもらす。
当然の如く恭也の耳には入っていない。

「え、ちょっと、もしかして初めてなのにいきなり外でなんてマニアックなプレイなの!? そんな恭ちゃんダメだよ私たち兄妹なんだよいやでももっと優しく――」

恭也は一人担いでいるとは思えないほどのすさまじい勢いで廊下を走りきり、家の外へと飛び出す。
やはり混乱しているのか美由希はわけのわからない言葉を口からだだもらす。
やはり当然の如く恭也の耳には入っていない。

そして、辿り着いたのは離れの道場。

「美由希っ、剣をとれぇぇい!!」
「……へ?」

ドサッ、と美由希を床に降ろすと、恭也はその目に前に木刀を二本投げて渡す。
何を想像していたのかは定かでないが、とにかく展開についていけずに呆然とする美由希。
だがそんなことはお構いなしに、有無を言わせず木刀で切りかかる恭也。

「ウオオォォォッン!!」
「ひぃぃーーーっ!?」

慌てて美由希も木刀を拾いガードする。

「せいせいせいせいせいぃぃ!!」
「えっ、何!? 何なの!? ひーん、何か恭ちゃんが怖いよぉーーーっ!!」

次々と攻撃を繰り出す恭也。
その顔は悪鬼か羅刹か、はたまた修羅か。
その荒ぶる剣はまさに獣そのもの。

「くそっ、体力が余っているからあんな夢を見るんだ! 今日は死ぬ寸前までやるぞ!!」
「よ、よくわかんないけどそれって私は関係ないよねぇ? 関係ない? 私も死ぬ寸前なの??」
「うるるらぁぁぁーーーっっ!!」
「いぃやあぁぁぁーーーっっ!!」


叫び声と悲鳴は夜遅くまで続いた。

……………
………


そして朝――


「ハッ……お、俺はまた何と言う夢を……」


夢はバージョンアップしていた。






     ◇ ◇ ◇






早朝トレーニングにて――

「ふんふんふんふんっ!!」
「恭ちゃんそれスクワットって言うかフンフンディフェンス!? まるでカベのようだよ!!」



学校にて――

「おはよう高町、月村――」
「赤星くんっ、大変! 高町くんが洗脳されちゃった!!」
「……修行するぞ修行するぞ修行するぞ!!」



授業中にて――

「先生、高町君が授業中に座禅を組んでます! 今にも空中浮遊しそうな勢いです!」
「はいそこ、刺激してはいけません。ポアされますよ」






そして放課後――

「途中で帰るなんて酷いじゃないか恭也」
「リ、リリ……リスティさん!!」

昨日と同じ時間、同じ場所で、恭也は目の前が真っ暗になるのを感じていた。
精神を鍛えるため、更なる荒行を己に(ついでに美由希に)課そうとしていた矢先であった。

リスティが恭也のネクタイを掴み、ググイと引き寄せる。

「な、ちょ、ちょっと待っ……近すぎっ――」

お互いの顔は目と鼻の先だ。
少し下の方から見上げるように覗き込むリスティ。
怒っているような拗ねているような……そんな顔。

「くぉらっ」
「っ……!?」

トン――と軽い衝撃を額に受け、恭也は思わず仰け反った。
むしろ心に受けた衝撃の方が甚大だった。

「ボクを置き去りなんて、ど・う・い・う・つ・も・り――」

人差し指で恭也の額を弾くリスティ。
トントントン――リズムに乗せるように突いていく。
トントントン――その度に恭也の胸の鼓動はスピードを増していく。
どれだけ剣術に明け暮れ心と身体を鍛えようと、こんな時には全くの無力だ。

「――かなっ!」

最後に思いきりデコピン。
フォームといい当たり所といい、なかなかどうして、見事なデコピンだ。
しどろもどろにスミマセンデシタと謝る恭也も、流石に額をさする。
その様子を見て幾分気が済んだのかむしろ気を良くしたのか、リスティはネクタイを手離した。
そしてそれに換えて、今度はジャケットの内ポケットから茶色の封筒を取り出す。

「まあ、資料はどうでもいいって言えばいいんだけどさ――ほら」
「何ですか、それ?」
「バカ、いつも渡してるだろ? キミの分の報酬、ちゃんと貰ってくれなきゃボクが怒られるんだからな」
「え、ああ……」
「ふふん、今回はよく働いてくれたご褒美に色つけてあげたんだから。感謝しろよ?」

封筒を差し出しながら微笑むリスティ。
目配せするようにパチリと飛ばしたウインクは、意外にもどこか子供っぽくて、かえって魅力的だった。

最大級に高まる胸の鼓動。
その瞬間、恭也の頭の奥で再び幻聴が暴れだした。

(ご褒美をあげる……)

「う、うう……」
「ん? どうしたんだい、恭也?」

もはや幻聴は止まらない。

(ご褒美に……ボクを……あ・げ・る)

「う、ううぅっっ……」
「恭也……?」

どうにもこうにも止まらない。

(もうボクはキミのモノだゾ)

その一瞬、恭也はリスティの胸の上に大きなラッピングのリボンを幻視した。

「うおぉぉぉーーーっっ! 俺はっ、俺はっ、俺はぁぁぁーーーっっ!!」

叫びながら走り去る恭也。
陸上の日本新を超え世界新も超え、恭也はその瞬間風になったのである。


「……ちっ、あともう一押しか」


その舌打ちは、やはり恭也には聞こえる筈もなかった。






     ◇ ◇ ◇






ある夕方、高町家――

「おかしいわねぇ……恭也ったら、晩御飯の時間なのにどこ行ったのかしら?」
「かーさんかーさんっ、大変大変大変大変っ……」
「へんたい?」
「ボケてる場合じゃないんだよ! 大変だよ! 事件だよ! 恭ちゃんの机の上にこんな書置きが!!」


――旅に出ます、探さないでください。   高町 恭也






ある夜、海鳴のどこか――

「ああ、星がキレイだな……だが、所詮今の俺には眩し過ぎる光だ。……皆もこの星を見ているのだろうか? 美由希、なのは、不甲斐ない兄ですまん。俺は汚れてしまった。いつか己の欲望に打ち勝つことができたなら、その時は再び兄と呼んでくれるだろうか? ……ふっ、女々しいことを。認めたくないものだな、若さゆえの過ちと言うものは……」






さらにある夜、高町家……の屋根の上――

「うん、今日も星がキレイだ。まるでボクらのステキな未来を暗示しているかのようだよ。――あ、流れ星! お星様お星様、早く恭也が欲求不満でボクを押し倒してくれますように、っと。……さて、今日もキミに届け愛のテレパシー! んんっ――











ちちしりふとももちちしりふともも……」
















―オワレ―





















■あとがき

ただ最後の一文が書きたかったと言う噂(笑
きっと少し前に読んだ極楽大○戦とかが電波の大元かと。
だいたいね、冒頭のようなお話を素直に私が書く筈ないんですよ。
正直、書いてて良いのか悪いのか自分で判断がつかなくなってきたので、この辺で。
多分もう二度とこんな頭の悪いお話は書けないんじゃないかと思います、むしろ書くな?

一応、リスティ×恭也ですよね?






魔術師のお礼状

読後に楽しかったとか、凄かったとか、趣味じゃなかったとか色んな事を思いますが、初めての経験です。
どうしよう!?
と、思ったのは。

いやぁ、書き手のノリノリ感がすっごい勢いで突き抜けていくというか、一言で表すなら『黄金体験(ゴールドエクスペリエンス)』な感じです。

安心してください、間違いなく恭也×リスティです、それ以外にはどう曲解しても赤星×恭也くらいにしか見えません。

しいかし、序盤はドキドキしました。

リスティさんのストレートのようで物凄い変化球のアプローチは、恭也の現実逃避と現実逃避につながるんですか(爆
小悪魔というより悪魔ですね。

これからも、こんな衝撃のおバカ作品を期待してます。

最後に一言

さいこうだぁぁぁぁ!!!!
ありがとぉぉぉぉ!!



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