空を泳ぐ鯉のぼり
薄い雲が遠くにあるだけの綺麗な青空。春の匂いを感じさせる風が吹く度、金色の矢車がカラカラと音を立てて、鯉たちが雄大な泳ぎを見せる。
子供たちはその姿に喜びはしゃいで、大人たちはその子供たちの喜びように満足する。
「おっきー!」
「すごーい」
庭に立った一本のポールの下。幼い女の子と男の子が空を見上げて笑顔を輝かせていた。二人の見上げる先には大きな影――鯉のぼりの鯉たちが、気持ち良さそうに風になびいている。
そんな我が子たちの様子を、高町恭也は縁側に腰掛けて満足そうに眺めていた。
「私たちの小さいときにそっくりだね」
不意に掛かった声は恭也の幼馴染みであり今は愛すべき妻、フィアッセ・クリステラだった。彼女はお気に入りのティーセットを抱え、恭也の隣へと膝を着いた。
白磁のカップが四つ。その一つに丁寧にポットの中身を注ぎながらフィアッセは続けた。
「私も美由希と一緒になってあの子達みたいにはしゃいでたっけ。恭也も覚えてるでしょ?」
注ぎ終えたカップを差し出しながら尋ねる。湯気と共にほんのり甘い香りの立つカップの中身は、温かいミルクティーだ。
「ああ」と恭也は受け取ったカップに口を付けた。甘さ控えたフィアッセ特製のミルクティーは恭也のお気に入りだ。一口飲んで彼は口許を緩めた。
「懐かしいな」
そんな彼の隣でフィアッセも庭の子供たちを、そして鯉のぼりを、懐かしそうに、嬉しそうに眺めた。
本当によく似ている。
昔の私たち、
あの頃の私たちと――。
あの日も、
今日のように五匹の鯉が空を泳いでいた。
◇◆◇
それは私が今の私の子供たちと同じ年の頃の話。
高町家に遊びに来ていた私は、そのとき初めて鯉のぼり≠ニいうものを目にした。
青い空の海を雄大に泳ぐ鯉の姿に暫し眼を奪われ、それからすぐに美由希と二人して鯉の下ではしゃいだ。遥か遠く――高くにいる鯉たちに向かって無意味に手を振り、ポールの周りを子犬のようにぐるぐると回る。
子供のときの話とはいえ今にして思えばとても恥ずかしい。
だけど――それがとても楽しかった。
美由希と一緒に鯉のぼりの下ではしゃいで、その内に恭也も加わって、その日私たちはいつまでもそこで遊び、お昼も縁側で鯉のぼりを眺めながら食べた。
お昼の後は恭也と美由希のお父さん、士郎から鯉のぼりの由来について話を聞いたりもした。
その内に美由希が、
「あのおっきいのはおとーさんなんだね。それでその下のあかいのはおかーさん」
無邪気にそんなことを言って鯉のぼりを指差した。士郎と桃子は顔を見合わせて小さく笑み、そうだね、と美由希に微笑んだ。
「おかーさんの下のはおにーちゃん。その下はわたしで」
楽しそうに続けていた美由希が「あれ?」と首を傾げて桃子を振り返った。
「ねえねえおかーさん。あのコイたりないよ?」
「え?」
言われた桃子だけでなく隣の士郎も、そして恭也と私も、皆が不思議そうに庭の鯉のぼりを見上げる。
庭に上がっている鯉のぼりの鯉は四匹。
上から――一番大きな黒い鯉。次に大きな赤い鯉。小さな青い鯉。同じく小さな桜色の鯉。
他の家が上げている鯉のぼりを見ても大半が同じような数で――もちろん中には多く飾っているところもあるが――別に少ないとは思えない。
「足りないの?」
恭也に訊いてみるが彼にも分からないようで首を横に振っていた。
「どうしたの美由希? 鯉さんはちゃんと皆いるわよ」
桃子が優しく言い聞かせるが美由希は「たりないよー」とぶんぶん首を横に振る。そして彼女は真面目な顔で訴えた。
「だって、ふやっせのがないよー」
――えっ、私?
思わぬ言葉に私は目を丸くさせた。まさか私のことを考えてくれていたなんて……。
「そっか。そうだった――そうだったな、うん。確かに美由希の言う通り足りないな」
士郎が納得とばかりにうんうんと頷いた。そうね、と桃子も同意する。
「けど……ごめんな美由希、今家にある鯉はあれで全部なんだよ。フィアッセもごめんな」
「えっ、そんな、士郎は悪くないよー」
美由希に続いて私にまで謝る士郎に私は慌てた。
私は別に高町家の子というわけではない。ただ遊びに来ているだけのお友達だ。だから私の分の鯉が無いのは当たり前のことで、士郎が悪く思うことは何もない。
「いやでも、気付いてやれなかったしさ……」
がっくりと士郎は肩を落とした。何もそこまで落ち込まなくてもいいのに。
「私も気付かなかったわ。ごめんねフィアッセ」
「だ、だから――」
その内桃子まで私に謝りだして私はまた慌てた。別に誰が悪いわけでもないし、私は本当に気にしていない。だから謝ることなど何も無いのだ。
――でも、そんな皆の気遣いがとても嬉しい。
ふと横に視線を向けると、恭也が何か考えるような顔付きで鯉のぼりを見上げていた。
彼がこのとき何を考えていたのか、私がそれを知ったのはもう少し後のことになる。
それは次の日のことだった。
昨日と同じく縁側から庭の鯉のぼりを見上げた私は、驚いて大きく目を見開いた。
庭に上げられていた鯉のぼり。昨日まで四匹だった鯉が、なんと五匹に変わっていたのだ。
一番小さな桜色の鯉。その下にもう一匹、同じく桜色の小さな鯉が泳いでいた。
「ふやっせー。ふやっせのコイだよー」
庭では美由希が新たに加わった鯉を見上げ、自分のことのようにはしゃいでいた。恭也も庭に出ていて、彼は鯉と私を交互に見ていた。
「あの後ご近所さんに聞いてな、古くなったのを貰ってきたんだ。で、それを桃子が縫い直したのさ」
不思議そうな顔をしていた私に士郎がそう教えてくれた。確かによく見れば一番下の鯉は所々直した跡があって、上の鯉と比べるとちょっと古い感じがした。
「本当は新しいのを買ってくれば良かったんだろうけど――まあ、今回はあれでかんべんな」
「ううん」私は思いっ切り首を横に振った。そして士郎と桃子を見上げ、
「ありがとう……士郎、桃子!」
感謝の気持ちを込めて、二人に抱き付いた。
それから少しして、鯉のぼりを見上げていた私に桃子がこっそりと言った。
「本当は内緒だったんだけどね、あの鯉、恭也が見つけて来てくれたのよ。士郎さんと一緒にご近所さんを駆け回ってね」
「えっ」
私は庭にいる恭也を振り返った。彼は私たちの話が気になっていたのか、こちらに顔を向けていて、私と眼が合うとすぐに鯉のぼりを見上げた。
「恭也には内緒ね。あの子から『言わなくていい』って言われてるから」
桃子が人差し指を唇に当ててウィンクした。私は「うん」と笑って頷き、また鯉のぼりを見上げた。
カラカラと回る金色の矢車。
五匹の鯉が空を気持ち良さそうに泳いでいる。
その日私はいつまでもいつまでも、
その仲の良さそうな鯉たちの泳ぎを見上げていた。
◇◆◇
「本当、懐かしいね」
緩やかな風に揺れる髪を掻き揚げ、フィアッセは呟いた。
一番下を泳ぐつぎはぎだらけの鯉。
あれからもう随分と経つが、今もまだ元気な泳ぎを見せてくれている。
「恭也。ありがとうね」
「何だ? 突然」
「なんでも」
フィアッセは一人くすくすと笑った。あのときの話は恭也にはまだ内緒のままにしてある。きっと、これからも桃子と自分だけの秘密になるだろう。
鯉のぼりの下では子供たちがまだはしゃいでいた。あの日の私たちのように、今日はずっとあんな感じに違いない。
フィアッセはその光景を見つめながら唄うように言った。
「一番上が恭也でその下が私。それから士郎にティオ――」
それが鯉のぼりと自分たちを重ねているということは、恭也にだって説明されなくても分かった。まるで子供みたいだな、と彼が内心自分の妻に苦笑していると、
「あっ、でもこれじゃあ一つ鯉が余っちゃうなー」
わざとらしい、惚けた口調で言い。
唐突に恭也を振り返って、
「ねえ恭也? もう一人子供作ろっか?」
「――っ!」
恭也は飲んでいたミルクティーを噴き零しそうになった。
「なっ、ふぃ、フィアッセ――」
フィアッセは動揺している恭也の口に軽いキスをし、くすくすと笑った。
さっきの言葉が冗談なのか本気なのか判断出来ず、恭也はただただ顔を真っ赤にする。
「おとうさーん、おかあさーん」
子供たちの声が聞こえる。
笑顔で大きく手を振る彼らの上では、鯉たちが変わらず、気持ち良さそうに空を泳いでいる。
〈了〉
――というわけで、恭也×フィアッセ応援SS第二弾如何でしたでしょうか? どうも天田ひでおです。
今回は僕と同じく恭也×フィアッセを応援する方々からお題を頂いて、それに沿って書いてみました。
まあ、リクエストSSみたいなものです。
ちなみにそのときのお題は、
「縁側の二人」「恭也とフィアッセの子供」「子供の日」
一応三つとも出してみたのですが……「恭也とフィアッセの子供」はあまり目立たせることが出来ませんでした。反省。
はてさて、投票期限も残りあと僅かですね。
皆さん最後まで頑張って応援していきまっしょい!
魔術師のお礼状
こどもの日にいただいたのに、こんな日になっちゃってすいませんでした(土下座
さて、恭也×フィアッセSSとは、天田さんのお家芸ですねw
美由希の優しさと可愛さにノックダウンされた私は、駄目なSSの読み手ですw
最後の「子供作ろっか」に、しっかりお姉さんの中に、悪戯っ子なフィアッセの茶目っ気を見ました。
そして、子供の頃から、フィアッセや美由希と一緒に、鯉幟にはしゃがない恭也にもニヤリとしちゃいました。
きっと、はしゃいでても一緒に走り回る恭也ってちょっと想像しにくいもんなぁ。
その年から、士郎と一緒に桃子さん特性の柏餅と緑茶を飲みながらはしゃぐ二人を見守る姿が目に浮かぶよ。
さてさて、残すところはあと僅か。
このSSで、恭×フィアに魂を揺さぶれた人は、残りの期間で懸命に投票しちゃってください!!