『男子厨房に入るべからず』

そんな言葉が世界で最も当てはまらない衛宮家の家長、衛宮士郎。
そもそも日常の彼は、家長という言葉がイメージさせる姿、古き良き日本の亭主関白という存在とは、真逆の人間なのだからそれも当然であろう。
掃除洗濯から細かなあらゆる家事まで、本人は否定するが、もはやそれは趣味を通り越して、生きがいにまで昇華された彼の愛すべき仕事であった。
その中でも最も愛すべき仕事が料理。
しかし、ここ数日間だけは、本人が望まないにも拘らず『厨房に入るべからず』を徹底させられていた。

今日も今日とて夕飯の調理番は強制的に交代させられ、居間でお茶を飲みながらライダーと並んでテレビを見ていた。

「そんなに面白いか、この番組?」

テレビからは、最近受けているらしいお笑い芸人がガヤガヤと何かまくし立てている。
クスクスと笑うライダーに不思議そうに声をかける。

「違います、ただ、士郎の様子があんまりにも落ち着かないので・・・」

厨房から聞こえてくるカチャカチャと言う調理音に、ソワソワと落ちつかなそうにしている自分に気がつき、照れ隠しに目の前のお茶を飲もうと手を伸ばす。

「ム・・・」

湯飲みはどうやらとっくに空になっているらしい、ライダーが耐えられないかのようにクスクスとさらに笑い声をあげるのを半ば無視して、台所に向かう。

「あ、士郎は、立ち入り厳禁だってば!」

「はい、お茶ならこれを持って行ってください!!」

目ざとく凛と桜に発見され、妙に手際よく、お茶のお代わりとお茶請けのタイヤキまで手渡されては、士郎も撤退するしかない。

「セイバー、タイヤキ食べないのか?」

「・・・・・・・・・・・・いえ、今は忙しいので結構です」

たっぷり、十秒ほど苦悩した後、苦渋に満ちた声で、しかし、はっきりとタイヤキの誘惑に打ち勝った騎士王の声までも台所から返ってくる。

「そんなに、邪険にしなくてもいいのにな」

ライダーにもタイヤキを勧め、ブツクサ言いながらドカリと居間にまた席を戻す。

「気になりますか?」

「・・・まあ、気にならないといえば嘘になるな」

凛や桜だけでなく、セイバーまでも一緒になって台所に籠もっているともなれば尚更だ。

「まあ、あと数日の辛抱ですから」

そう言って微笑むライダーに不思議そうに目を向ける士郎だった。


それぞれのValentine

☆ 衛宮士郎編 ☆


そうえいば今日だったか。

「シロウ、良ければこれを受け取って欲しいのですが・・・」

思わず、カレンダーを確認して、今日が何の日か思い出した。
恥ずかしそうにやや俯きながら、セイバーが士郎に、可愛くラッピングされているチョコレートをプレゼントしてくれて初めて気がついたのだ。

それでようやく、ここ最近セイバーが台所に入り浸っていた理由も、自分が厨房から追い出されていた理由にも合点がいった。

「あれ、じゃあこれもしかして手作り?」

「それが、その、私はあまりこういうことには向いていなくて・・・その・・・」

セイバーの白く細い、可愛らしい指先に絆創膏が何枚か巻かれている。
それだけでセイバーの悪戦苦闘ぶりが窺えた。

「間に合わなくて・・・その・・・」

「サンキュ!ホワイトデーは期待してくれ」

ゴニョゴニョと罰が悪そうに言い募るセイバーに、士郎は会心の笑みを向ける。

「きっと、遠坂辺りは『魔術の基本は等価交換、でもね、ホワイトデーは三倍返しが基本なんだから』って言いかねないしな。
セイバーにも腕によりをかけて美味い物を贈るからさ、期待してくれると嬉しい」

「ほわいとでー・・・とはなんですか?」

「ん?そうだな。
今の俺みたいにさ、ステキなプレゼントを貰った男が、その相手に感謝のお返しをする日・・・かな」

アハハハと、少々照れくさくなったか、「とにかく、来月を楽しみになぁー」なんて言いながら学校に向かった。




「相変わらず凄いな」

いつものように生徒会室昼食を取りながら、友人達の戦果に舌を巻く。

「なに、これも日頃の托鉢の修行の成果よ」

紙袋一杯のチョコを小脇に抱えて、何処かずれたコメントを残す友人に苦笑する。

「それに間桐には適わんよ」

「まあ、確かにな」

「まあね、昨年は柳洞には負けたけど、今年は僕の勝ちみたいだね」

毎年のことだからね。と、紙袋を3枚も持参してきていた慎二がにやりと笑う。
で、そのうち一成に一枚渡して、自分の分も紙袋と鞄に満杯になっているのだから、友人ながら驚きの色男ぶりだ。

「それよりも意外なのが衛宮だよ」

「ああ、近年稀に見る豊作だな」

三枝さん、氷室さん、意外なところで蒔寺など計6個ほど貰っている。
勿論二人には負けるが、ここ数年桜と美綴くらいしか貰っていなかったことを考えれば、一年で随分交友関係が広がったものだと自分で少し感心した。
一年間と交友関係といえば、今こうして生徒会室で、一成と慎二と3人で昼食を食う、なんてこともとても、ほんの一年前までは考えられなかった。

「なんだよ、衛宮、人を見て急にニヤニヤするなんて気持ち悪いな」

「いや、こうして慎二を加えた3人で飯を食ってるのが、嬉しくてさ」

「確かに。こうして、間桐と笑いながら昼食を取る日が来るなど、考えられないことではあったな」

「くだらない事言ってないで教室に戻るよ。
次は藤村の授業だからね、遅刻すると何を言われるかわからないからな」

照れ臭そうに生徒会室を後にする慎二を見て、一成とニヤニヤして後を追う。
時計は未だ、30分以上昼休みが残っていることを告げている。

「さっきからホント何ニヤニヤしてるのさ。
珍しくチョコをたくさん貰ったからって浮かれすぎなんじゃないの?」

「なに、間桐のその照れ隠しの皮肉も、寛大な心で許せるようになった我が成長を噛み締めているまでよ」

苦笑する慎二を、一成と二人で笑う。
慎二と笑いあえる日々と、親友とも呼べる友が2人も居ること。

「なんて得難い、奇跡みたいな一年間だったんだろうな」

そんな夢見るような呟きに、「相変わらず爺むさいな」なんて、慎二が皮肉で混ぜ返す。
あの一年前の、神話の時代の再現たる夜の宴で、どこかで何か一つでも歯車が狂ったなら、きっと有り得なかった『今』という日常に、もう一度感謝を捧げよう。













ざわつく教室。
廊下までそのどよめきと言うか、不穏なざわめきが漏れてきている。

「おかしいな、まだチャイム鳴ってないぜ」

それはつまり、

「慎二・・・。藤ねえが居たら、うちの教室は昼休みよりも煩いってことか」

然もありなん、と苦笑させられるのが、藤ねえの凄いところだが。

「しかし、確かに随分と賑やか過ぎるようだが」

一成も不思議に首を傾げる中、士郎が扉を開く。


「待っていました、衛宮士郎」


バタン!!なんて音を発てて、脊髄反射で思わず扉を閉じる。

「・・・まさかな」

ハハハ・・・なんて乾いた笑みを浮かべ深呼吸をする。

『幻覚だよな?』

だって、そうだろう。
ここは学校で、今は愛おしい程に平穏で、狂おしいほどに日常の世界だ。
「どうしたんだよ?」なんて不思議そうな慎二と一成を見て、それを再確認する。

もう一度深呼吸して、慎重に扉を開き、中を窺う。
思わず安堵の溜息が漏れる。

「・・・見間違いだったんだな。
心臓に悪い物を見たな」

「当然でしょう」

視界の端から、先ほどまでと全く変わらないままの、迷い子を迎え入れるような慈愛の微笑で士郎を迎えるカレンが立っていた。

自分を見るクラスメイトの視線に、何ともいえない好奇心が混ざっているのが感じられる。
先ほどまでの教室のざわめきは収まり、固唾を呑んで事の成り行きを見守る何ともいえない緊張感が教室を包んでいた。

「丘の上の教会のシスターさんだよね?」

「衛宮とどんな関係なんだろうな?」

そんなクラスメイトの小声の囁きまで何故かはっきりと聞こえてしまうくらいの静寂。

「・・・・・・なんでここに居るんだ?」

その声は、困惑と疲労をベースに羞恥というスパイスを効かせたカクテルのような感情の発露だった。

「もちろん、貴方に用があるからに決まっているじゃないですか」

クスリと微笑む。
紫陽花のように、しっとりとした、女性らしい艶やかな情感を感じさせる微笑。
その微笑みは少女の名前どおり可憐で、クラスメイトの視線を釘付けにするに余りある物だった。

「はい、これ」

群青の包みに白いリボンをあしらった箱を渡される。

「もしかして、チョコか?」

「そんなに意外ですか、私からチョコを贈られるのは?」

一瞬だけきょとんとした後、慌てて首を振り否定する。

「貴方は本当に嘘が下手ですね」

そんな士郎を見て、楽しそうに微笑を浮かべる。
こんなにも愛らしい微笑なのに、何故か背中は冷や汗が滝のように濡らしている。
それは、周りの視線が原因なのか。
とにかく、これ以上クラスメイトの視線を浴びるのはたくさんなのは間違いない。

「いや、気持ちはありがたいけど、何も学校に持ってこなくても・・・」

カレンの笑みが華やかさを増す。
まるで、獲物が罠にかかったのを喜ぶ子供のような、無邪気な微笑みに士郎には見えた。

「私も、できれば朝の内に渡したかったのですが、私が目を覚ました時には既に貴方は出てしまっていましたから」

一瞬、教室がざわめく。
おかしくないか、今の発言はどこかおかしくないか。

『まるで聞きようによってはシスターが衛宮の家で目を覚ましたような・・・』

「そうそう、寝坊した私のために、朝食まで用意しておいてくれてありがとうございます」

『やっぱり、やっぱりなのか!!』

『え、衛宮君、意外と女癖悪いって噂は聞いてたけど、人は見かけによらないって言うか・・・』

男性からは、刺す様な嫉妬の、女性からは何処か冷たい、そんな複雑な視線がチクチクと刺さっている。

「おい、カレン皆が誤解するようなことを言うのは・・・」

「でも、貴方だって悪いんですよ。あんなに夜遅くまで激しくするから、なかなか眠れなかったんですから」

キャ☆、なんてわざとらしく恥ずかしがり、頬を染めて目を反らすカレンは、どう見ても清純なシスターにしか見えない。

「○$@¥%&%!!?」

教室で言語にならない叫び声が木霊する。

「誤解するような言い方するな!!
昨晩は、ちょっと無理して剣以外の物を投影して、激痛にのたうち回っただけだ!!」

と、言えない士郎は口をパクパクさせるしかない。
魔術が秘する物である事が、こんなにも恨めしく思ったのは初めてだった。

「じゃあ、目的は果たせましたから帰りますね」

なんて、言葉を残しカレンが去った後、士郎は針の筵に座り続けた。






帰り道、知らず知らずの内に溜息が漏れる。
結局あの後、何故か学校に居たライダーと、桜からもチョコを受け取り、もはやクラスでは完全に『女誑し』の称号を不動の物としてしまった。
挙句、下校途中には、校門の前で待ち構えていたイリヤ、セラ、リズからもそれぞれチョコレートをゲット。
カレンのように中まで入ってこなかったとはいえ、外国人の幼女、メイド×2という組み合わせだ。
クラスどころか学校中の生徒から注目を集めたのは言うまでもない。

「明日から学校に行くのが辛い」

頭を抱えてしまう。

「道に蹲って、どうしたのよ、士郎」

「と、遠坂か」

「あ、もしかして、もて過ぎて困ってるとか?」

人が悪い笑顔を浮かべる凛に、止めを刺され、目から滝のような涙が流れる。

「ちょっと、士郎、本当にどうしたのよ」

いじめっ子の癖に、本当に困って泣かれると何かと面倒見てしまうという難儀な性格の凛だった。








商店街を抜けたところにある、人の居ない公園のベンチに凛と二人で座っていた。
士郎が今日の出来事を凛に相談する。
いつもならからかわれそうな内容のはずだが、今日の凛は黙って最後まで聞いてくれた。
そして、最後に「バカじゃないの、衛宮君」なんて、極上の笑顔と供に向けられた言葉が、士郎の胸にグサリと突き刺さった。

「俺か、俺が悪いのか!?」

喉まで出掛かった言葉は、凛の放つ威圧感に呑まれ、ゴクリと飲み込んでしまった。

「そんなに嫌なら、受け取らないで断れば良いじゃない」

「いや、せっかく好意でくれた物を無碍には出来ないだろう」

「なら、今のアンタの態度だって十分失礼だと思うわ」

ドクン、と心臓が跳ね上がる。

「日頃の士郎に対する感謝の気持ちを、皆はチョコレートとして贈って渡したのよ。
それを受け取るだけ受け取って、少しも嬉しそうじゃない。
相手は、アンタに喜んで欲しくて贈ったのに、それは好意を無碍にしてることにはならないのかしら」

凛の言葉は正論で、余りにも正論過ぎて、ぐうの音も吐けなくなる。

「それとも、士郎は嬉しくなかったっていうの?」

「そんなはずは無い」

そう、嬉しかった。
毎年くれる桜は言うに及ばず、セイバーの好意も、ライダーの謝意も、イリヤの親愛も、他の皆からの気持ちだって嬉しかった。
カレンからだって、悪ふざけに苦笑はするけれど、あれが彼女なりの行為の表し方なのは分かっていたではないか。

それなのに、自分はどんな対応をしたのだろうか。
一番最初、セイバーにしたように、好意に対し、素直に心の底からお礼を返しただろうか。

「俺、もう一度、桜やライダーやイリヤ達にお礼を言いに行って来るよ」

「八方美人はマイナスよ。
そもそも、あんたがきちんと特定の相手を定めれば、そんな風評だって起こらないんだから」

その言葉は、口には出さない。
彼が誰かを選ぶ日が来ることが怖いのかもしれない。

――――――ク、ククク

人知れず苦笑する。
何が怖いのか?

自分が選ばれないことが怖いのか。
それとも、今の居心地が良い日常が変わってしまうのが怖いのか。





冬の日は短い。
いつのまにか、二人が座るベンチは仄かな街灯に照らされていた。

「クション!!」

しばらく呆けていた凛の思考が、士郎のクシャミで現実に覚醒した。
凛も肌寒さを感じ、北風の攻撃に対し、コートのボタンをしっかり留めて応戦する。
いくら比較的暖かい冬木の町でも、日が暮れてしまえばやはり冷え込むのだ。

「良ければ使って」

凛が紙袋から何かを取り出し、フワリと士郎の首に巻きつける。
それは赤い毛糸のマフラーで、市販の品には無い、一編みごとに込められた、暖かな気持ちが包み込んでくれる。

「これ、遠坂の手編みか?」

「いらなければ捨ててかまわないわよ、私のは」

照れ臭いのか、フンとそっぽを向いている凛だが、寒さのためか何処か頬が赤い。

「ありがとう、遠坂。
・・・・・・似合ってるかな?」

赤いマフラーは長く、風にはためく様は、まるであの弓兵の纏う外套のよう。
凛は、ハッと息を呑む。
何故、士郎にマフラーを編もうと決めた時から、その色が似合うのを確信していたのか、ようやく気がついた。

「馬子にも衣装、かしらね」

なんだよ、それ。と口を尖らせる士郎は、今はあの弓兵の面影はほとんど見出せない。

「ほら、皆にお礼を言いに行くんでしょ」

士郎を彼にしたくないはずなのに、何処か二人を重ねてしまった。
そんな感傷を振り払うかのように、彼に別れを告げたのに。

「ああ、でも先に遠坂を送ってからにする」

そう言って、自分のマフラーを凛にも巻きつける。

「ちょ、ちょっと、士郎・・・」

長いマフラーとはいえ、どうしても二人で巻くと、必然的に寄り添って歩かざるを得ない。

「うん、やっぱり赤は遠坂の色だよな」

いつもの不意打ちの言葉に、そしてその行動に、悔しいけれどドキドキして何もいえなくなってしまう。
満足そうに笑う赤毛の少年の顔を正視できない。

真っ赤になって俯き歩く帰り道、せっかくだから士郎の腕をキュッと抱く。

「と、遠坂・・・」

「何よ・・・」

やられっぱなしは悔しいじゃない。
それに、自分ばっかりドキドキしてるのはフェアじゃない。

「寒いから、こうしてれば、少しでも暖かくなるじゃない」

なんて、自分に言い訳をしてしまう。

「じゃあね、士郎。送ってくれてありがとう」


本当は、ずっとこのままで・・・。
他の誰かのところになんか行かせない。
素直な気持ちが言える日が来ればいいのに。


そんな願いを込めたチョコレートを大切そうに抱えた少年が、赤いマフラーを翻して闇の中へ駆けて行くのを、凛はそっと見送っていた。



魔術師の後書き


・・・一応、バレンタインに書きあがったよ。
うん、なんか支離滅裂だね。
当初の予定では、これを12日、アーチャー編を13日、兄貴編を14日に出すつもりだったのに、士郎編が一番難産だった。
せっかくのイベントSSだし、全ヒロインを絡ませたかったんだけど、弓と槍は相手がほぼ固定なんで、士郎は特定の誰かを決まってないように書こうとしたんだけど、まとまりきらず、こんかいのような形に。ごめん、桜、出番が少なくて。
それでもまだ支離滅裂だけど、本当は、カレンや凛みたいに、ライダーや桜やイリヤにもエピソードを入れたかったんだけど、余りにもまとまらないんで、ワラキア張りに思いっきり『カットカットカット!!』
落ち担当の凛と、一番書いてて満足したカレンだけ残しました。

さて、当初の予定とずれちゃったけど、今週中にはアーチャーと兄貴編も書きたいと思います。
短めにまとめたいなぁ。

今月のノルマ、兄貴と弓編、ギルと三枝さんの話の後編、とらハSS(多分短編)。
・・・・・・・・・これだけでも、昨年書上げたSSよりも多いよ(汗。

できるだけがんばりますね。