橋の欄干に瞳を閉じて、背をもたれる様にして男が立っていた。
たまに、瞳を開き、チラリと時計に目を落とし、周囲を見渡す。
それを五分刻みに、すでに5回ほど繰り返していた。
恐らく誰かと待ち合わせなのだろう。
いくら冬木が暖かいとはいえ、2月の、しかも橋の欄干だ、震えるほどに寒いはずだ。
誰を待っているのか知らないが、普通なら怒って帰ってしまうか、せめて風が当らない場所に移動をしてしまっても不思議はない。
それにも関わらず、青年はそこから動かない。
表情も、待ち人が来ないにも拘らず、苛立たしげなものではない。
いや、その表情はむしろ柔らかく、整った口許にはほんの少しだが、楽しげに笑みが浮かんでいるようにも見えた。
それぞれのValentine
☆アーチャー☆
先ほどから、橋を通るほとんどの人が、不思議そうに青年に視線を送っていた。
勿論、この寒い中、橋の欄干に佇む人が珍しいのもある。
しかし、それ以上に耳目を集めさせるのは、青年の特徴的な容姿だった。
180を優に超える長身に、服の上からもわかるほど鍛え抜かれた身体。
どう見ても日本人には見えない、浅黒く焼けた肌、真っ白と評して良いほどに色が抜けた白髪。
そんな不思議な容姿の人間が、人待ち顔で佇めば、嫌でも目を引かれるのも当然のことだ。
加えて、憂いを帯びた端麗な容姿ながら、何故か僅かに笑みを浮かべて瞳を閉じて佇んでいれば、女性ならば尚更目を引かれるのだろう。
何度目になるだろうか。
時計を確認し周囲を見渡す。
目当ての人間が現れたのか、先ほどまでと違い、その表情に、柔らかな微笑がはっきりと浮かぶ。
「お待たせしました、アーチャー」
向うから小走りでかけてくる少女。
金色の髪は日の光を浴びて輝き、可憐な碧の瞳が青年に向けられていた。
青年の容姿も人並み以上の物だが、少女の容姿は群を抜いて美しく、周囲の視線を一身に浴びていた。
「いや、なに、無限の時を生きる我々だ、たかだが30分程度待たされる事など、何の痛苦にもならんさ」
青年の口許には、先ほど少女を見つけた時とは違う歪みが浮かんでいる。
皮肉っぽく歪められた口許には、先ほどの柔らかい微笑の面影はまるで無い。
「う・・・、その、待たせて申し訳ありませんでした」
「まあ、かまわんさ。ところで、君がわざわざ私を呼び出すとはな、一体何があったのかね?」
不思議そうにセイバーを見るアーチャーに対し、セイバーは言い難そうに逡巡し、忙しなく視線を移していた。
そんなセイバーの様子を見て、苦笑を浮かべて頷くアーチャー。
「安心した、その様子だと命の危険はないようだな」
「ええ、そう言う訳では・・・」
ありません、と嫌に歯切れが悪いセイバーに益々首を傾げる。
こと、戦闘や世界の危機以外の理由で、わざわざセイバーが自分を呼び出す理由が思い浮かばない。
「衛宮士郎と喧嘩でもしたのか?」
「いいえ、そのような事はありません」
即座に否定する。
「ふむ、では凛か、桜か?まさか、ライダーか?」
相手がライダーともなれば、自分を呼び出したのも納得できる。
まさか、二人ともそこまで考えなしではないだろうが、英霊同士の本気の喧嘩ともなれば、大袈裟ではなく守護者が召還されかねない。
しかし、その線も目の前で首を振るセイバーに否定される。
他に何が考えられるか、いくら考えても思い浮かばない。
「ああ、もしかして衛宮士郎が寝坊でもして、昼食の用意がされていなかったとか・・・」
「アーチャー、貴方は私をどんな眼で見てるんですか」
白い目で睨みながら、まったく、なんて呟いている。
「では、一体何だというんだね?」
本当に何も思いつかないらしく、目を丸くして、首を傾げている。
そんな少し子供っぽい仕草に、彼女のマスターの面影が過ぎった。
「英霊になっても、心眼を得ても、貴方の鈍さはかわらないのですね」
呆れた口調、しかし、セイバーがアーチャーを見る目は、何処か嬉しそうだ。
「今日は何の日か考えてください」
そんなセイバーの言葉にもアーチャーは思い当たる節がないのか、相変わらず首を傾げている。
「今日は2月の14日ですよ」
今度こそ、口調と同じく呆れたような苦笑を浮かべ、溜息をつく。
「ああ、なるほど。今日は・・・」
「そう、バレンタインです」
そういって、赤い包装紙に包まれた小箱を差し出す。
それを凝視し、「いや、まさか・・・」などとブツブツ言っている。
「あの・・・?」
いつまでも受け取ってもらえないでいる小箱を持つセイバーが不安そうに声を上げる。
その声と表情で我に返る。
まさか、セイバーからチョコレートを貰えると思っていなかった。
嬉しさで緩みそうになる頬を必死で抑える。
これは、義理だ。義理チョコだ。
それでも胸で燻る想いの残滓がズキリと疼きだす。
そう、瞳を閉じれば今も鮮やかに思い出せる、運命の出会いの夜の一幕を。
「凛からです」
「ありがとう、セイバー」、その言葉と、自然に浮かびそうになったアーチャーではない、「エミヤ」の笑顔を飲み込んだ。
もう一度、焦がしそうになった熱い想いに、冷や水が浴びせられたようなショック。
「まったく、セイバーに頼まなくても直接手渡しに来ればいいのに」
自分の勘違いが照れくさくて、未練たらしい自分が情けなくて、いつも以上に皮肉な顔になってしまう。
「ああ、ありがとうセイバー、わざわざ届けてくれてご苦労だったな」
アーチャーは「ではな」と、小箱を受け取り、早々に別れようと踵を返す。
「ちょ、ちょっと待ってください」
急に余所余所しくなったアーチャーにセイバーは面食らってしまっていた。
「まだ何か用かね?」
アーチャーは立ち止まり、面倒くさそうに振り向いた。
先ほどまでとは別人のような対応に、セイバーは、自分は何か怒らせるようなことをしたのか不安になる。
実際は、勝手に勘違いしたアーチャーの照れ隠しと、もうひとつの理由によるのだが、そんなことはセイバーには知る由もない。
「いえ、その・・・」
まだ、歯切れが悪く、逡巡するような態度。
それは、最優のサーヴァントであり、数多の戦場を疾駆した彼女らしくない態度。
「あ・・・」
閃光のように脳髄にフラッシュバックする記憶。
磨耗したはずの生前の記憶の何処かで、こんな弱々しい彼女を見た気がする。
自己に埋没し、かつての自分の記憶を探る。
愛した少女との思い出、鮮烈なる神話の再現たる夜の日々を。
------------わからない。
大切な記憶だったのはわかる。
どんな事象だったのかもわかる。
けれど、その時に何を感じたのか。
そして、彼女がどんな表情を浮かべたのか。
それがわからない。
それは、もはや記憶ではなく記録。
磨耗するとはそういうことだ。
大切な想い出は完全に擦り切れ、事実に堕ちてしまっている。
故に唯一の記憶は原初の一幕。
蒼い夜、月明かりに照らされた出会いの瞬間のみ。
今も容易く再現できる。
凛とした彼女の表情も、瞳奪われた、美しいと思ったその感情も。
憧れたセイバーの、美しいと感じたアーサー王との邂逅。
「アーチャー?」
怪訝そうに見つめるその表情は、威厳と自身に溢れた凛とした戦士の物ではなく。
------------思い出せない。
自分は知っているのに。
この目の前の少女を、アルトリアと言う少女の事を愛したはずなのに・・・。
「その、これは私から・・・です」
漸く踏ん切りがついたのか、背中に隠していた何かをおずおずと差し出す。
白い箱に青いリボンをあしらった小箱が自分に差し出される。
それをただ機械的に受け取る。
胸の中に渦巻く、それはどんな感情だろうか。
嬉しくないわけはない。
しかし、一度冷や水をかけられた想いは、簡単には燃え上がらない。
「セイバー、その指は・・・」
チョコを受け取り、形ばかりのお礼を口にし、気がついた。
彼女の白い、美しい指には不釣合いな、絆創膏が痛々しく張られていた。
「あの、その・・・」
慌てて、指を背中に隠す。
恐らくこれは、そういうことなのだろう。
「やはり、慣れないことをするものではないですね」
恥ずかしそうに頬を赤く染め、舌を出して照れくさそうに微笑む少女。
------------誰だ、君は。
------------思い出せない。
知っている。
アルトリアという、彼女が捨てた夢の名前を。
だが、自分は、それを思い出せない。
変わらない少女と、変わってしまった自分。
美しいままのアルトリアと、磨耗し果てたエミヤシロウ。
かつて、愛した少女への想い。
先ほど、再び火が付きそうになったように、今も消えずに残るその想い。
しかし、それは、美しすぎて、磨耗しきってしまった自分には、手にすることすら憚られる、期待することすら禁忌に触れる、遥か遠き理想郷。
もう、自分には手に入らない物だ。
そう言い聞かせ、自らの迷いを皮肉気に切り捨てた。
チョコを受け取った後の、無表情なアーチャーの表情に、そして、先ほどからの怪訝な態度に、やはり自分は彼を怒らせてしまったのだろうかと、不安が蘇る。
「あの、初めてですし、美味しくないとは思いますが・・・」
「ありがとう、セイバー」
燻る想いが、先ほどと変わらず焦燥となって胸を焼く。
「しかし、義理堅いのだな、君は」
「え?」
セイバーの意外そうな表情にもアーチャーは気がつけない。
「だってそうだろう、わざわざ私に
エミヤではなく、アーチャーとして対応する。
「だが、期待してくれ、セイバーよ。
ホワイトデーは君のために、私も腕を揮おう。
小僧のお返しが霞むほどのプレゼントを用意してみせよう」
「そう・・・ですね、はい。期待しています」
そうすることで、自分自身の未練を断ち切ることで必死の彼には、セイバーの泣き出しそうな表情にすら気がつけないでいた。
チリリと胸が痛む。
未だ胸に燻る想いの残滓か。
はたまた、最後に見せた、夕日の中で何処か寂しそうな微笑を見せるセイバーの姿か。
「クソッ!!」
らしくなく、苛ついている自分自身の無様さに舌打ちをする。
理由は簡単だ。
フラッシュバックのように、先ほどのセイバーの姿と、霞のように朧げな生前の記憶がリフレインする。
しかし、どうしても思い出せない。
それが、磨耗した自分は、アルトリアの横に並ぶ資格がない事を強調するようで、不快感を煽る。
道の向こうから、今一番見たくない男が必死に走ってくる。
「フン、貴様、何を浮かれて走り回っているんだ」
「いや、俺は桜とライダーに今日のお礼を改めて伝えに行く所なんだけど」
「とっとと帰って、わざわざチョコを手作りしてくれたセイバーにも、盛大な夕飯でも振舞ってやったらどうなんだ」
そんな苛立たしい感情のままに吐き捨てた言葉に、いつもなら食って掛かるはずの衛宮士郎が、きょとんとした顔を向ける。
「何だ?」
「いや、確かに今朝セイバーからチョコは貰ったけど、結局間に合わなくて市販の物だって言ってたはずだけどな」
「な・・・」
驚愕、ついで、今頃になって、最後のセイバーの返答を思い出す。
義理だといったときの怪訝そうな表情、そして、哀しそうな微笑を・・・。
何故、今頃になって鮮明に思い出すのか。
唇を噛み切らんばかりに、奥歯を噛み砕かんばかりに、己の迂闊さを詰る。
衛宮士郎には、「間に合わずに市販の物を贈った。
ならば今この手の中にる物は義理ではなくて・・・
「セイバーは貴様の家か!?」
掴み掛からんばかりのアーチャーに、士郎はそっけなく首を振る。
「それが、午後に出かけてから、帰ってきてないみたいなんだ」
その言葉を最後まで聞かずに、すでにアーチャーは走り出していた。
まさか、まだ居るわけがない、そんな理性を捻じ伏せ、その身を弾丸として橋までの道を翔ける。
はたして、彼女はそこに居た。
所在投げに川を見ながら、橋の上に一人佇んでいる。
「すまない、セイバー」
「・・・今度は謝ってくれるのですね」
その一言で、フラッシュバックしていたかつての記憶が鮮明に蘇る。
あの時感じた事、セイバーの仕草や表情、帰り道、繋いだ手の暖かさやドキドキした胸の高鳴りまでも完全に。
堕ちた過去の記録に過ぎない出来事が、想い出として鮮やかに蘇った。
「だから、わざわざ橋の上に呼び出したのか」
口調が衛宮士郎だった当時の物に戻っている。
「はい」
なんて、透き通るような優しい笑顔で頷く。
「今日は俺が君のために腕を揮うよ」
いつかの夜と同じく、堅く手を握り歩く帰り道。
あの時と変わらず、胸を焦がす想いに再び火が灯された。
「私の少女としての夢を、思い出させてくれたあの場所で、もう一度貴方に想いを告げられてよかった」
「そんなこともあったな」
今はもう思い出せる。
自分はセイバーに、王としてではなく、少女としての幸せを望んで欲しくて彼女をデートに連れ出したんだ。
剣は鞘とともに、鞘は剣とともに。
「またギルガメッシュに襲われるかもしれませんね」
「今なら、今の私と君ならば、彼の英雄王でも撃退できるさ」
「貴方は強くなりましたからね」
「剣を・・・」
「え?」
立ち止まり空を仰ぎ見るアーチャー。
つられてセイバーも星を眺める。
「
堅く握った手は決して離れることはなく、二人で歩く星空は、あまりの二人の睦まじさに、恥ずかしそうに瞬いていた。
おまけ
「な、なんだ・・・これは・・・」
自分で淹れた、快心の出来の紅茶を味わうこともなく飲み下す。
口の中は苦味で満ち、まるで件の泥のように舌を犯していた。
「凛からのメッセージです」
クスクス笑いながら紅茶を優雅にたしなむセイバーから手渡されたメッセージカード。
『いつも皮肉ばっかりで、素直じゃないあんたには、思いっきり苦みばしった、ビターなのを用意してやったから感謝しなさい』
「カカオ99.99%だそうですから、さぞかし皮肉な味がするでしょう?」
笑顔なのに、セイバーから不穏な気配を感じる。
「あの、アルトリア・・・?」
ひょっとして、まだ怒ってます?なんて、質問にニコリと微笑んだまま強く頷く。
「貴方のために用意した手作りチョコを、義理扱いされたことなんて、少しも気にしてませんよ」
ああ、また何時かの記憶がリフレインする。
「断食でござる」なんて、一言が死を招いたような・・・。
「さ、早く凛のチョコを全部食べて、私のチョコを味わってくださいね、アーチャー」
魔術師の戯言
ほのぼのとした甘い話にする気だったけど、あれよあれよとシリアスな話に。
橋のシーンと、義理と勘違い、走って戻ってカカオ99%て流れは、予定通りなのに、肉付けしたらシリアスな話になっちゃうんですね。
ということで、最近のマイブーム弓剣物です。
ちなみに、ちゃんと前回の士郎の話と同じ日の話ですから。
ちゃんと、あっちでもセイバーは指を怪我してて、そのうえ士郎には手作りは間に合わなかったと言ってるのだ。
ちなみに、士郎は、作中で凛と別れて、一度家に帰り桜とライダーにお礼を言いに行く途中です。
二人の衛宮士郎が、改めて走ってお礼を言いに行って終わる構成になってたりします。
いや、深い意味はないけどね、こっちのサイドだとあんまり強調されてないし。
今週は仕事が忙しいから更新難しいかも。
ランサー編お蔵入り・・・かな。
バレンタイン物だから、一週間以内には出さないとカッコつかないし。
どうおもいます?