適度に灯りが落とされた落ち着いた店内には、静かにジャズが流れていた。
暗い店内には、思い思いの席に座り二人きりの時を過ごす恋人達が多い。

ほのかな灯りに照らされた恋人は、どこか日常と違ってミステリアスな魅力を感じさせてくれる。

ここは、恋人達の憩いの場であるBAR FOLX。
料理も美味しいがそれ以上に酒の美味しさに定評があり、知る人ぞ知る大人の隠れ家である。
そしてその美味しいお酒の作り手である、雇われマスターの国見が、苦笑しながらもカクテルを作り目の前の女性に差し出す。

それを一息にクッと飲み干す女性、暗い室内でも目立つブルネットの髪をした美女だった。
その顔は幽愁、ブルーの瞳も憂いを帯びて、男なら誰もが瞳を奪われてしまうだろう。

「フィアッセ、何も一気に飲まなくても・・・。せっかく国見さんが作ってくれたカクテルやし、もうちょっと味わってやな・・・」

横に座る、栗色のウエーブがかかった髪の関西弁の女性が嗜める。

「いえ、気にしないでください。
もう一杯作りますね」

「さっきから、えらいすいません」

アハハーと、苦笑しながらも明るく親しげに声をかける。
こちらの女性もかなりの美女だ。
会話から察するに、どうやら、何度かこんなやり取りがされていたようだ。


構って!MY DARLING


フィアッセが、母である世紀の歌姫「ティオレ・クリステラ」とのはじめての、そして恐らくは最後の、世界ツアーから戻ってきたのは、つい数日前のことだった。
学生なのだから当然だが、残念ながらコンサートに同行していなかった恭也に会えると、初めて会った数年前よりもさらに幼い少女のように、スキップしながら帰ったフィアッセだったから、今日になって突然さざなみ寮に居るゆうひに、飲みの誘いの電話がかかってきたのにはゆうひも驚いた。
ちなみに、同じくコンサートツアーに出演していたゆうひが、神戸の実家ではなく、さざなみ寮に帰ってきているのはもはやいつものことだったりする。

「で、どうしたんやフィアッセ?」

プロになる前にアルバイトしていたFOLXのカウンターに座りフィアッセに話しかける。
絶品の料理、何よりもマスターの人柄もあってゆうひは有名になってからも、割りと気安く店に通っていた。
というか、酒好きの耕介が常連なので、恋人であるゆうひが常連なのは言うまでもないのだが。

「お二人ともお久しぶり、コンサートお疲れ様です」

フィアッセの前にはフローズンカクテルを、ゆうひの前にはフローズンシャーベットを置きながら国見が笑顔を向ける。

「うん、ちょっとゆうひに相談したいことがあったんだ」

国見は、二人に気を利かせて少し離れたところに引っ込んでくれている。

「なんや、暗い顔やな。恭也君と喧嘩でもしたんか?」

「そんなこと・・・ないけど」

歯切れが悪い呟きとともにカクテルを飲み干す。

「なんや、なんや、歯切れが悪い。
ツアーの間だって恭也君のことばっかり考えてたフィアッセがどういう風の吹き回しや」

「そんなことないよ、ちゃんと歌に集中してたし、ゆうひは大げさだよ」

『おかしい』

明らかに作り笑いで否定しながら杯を空け続けるフィアッセ。
フィアッセと付き合いは長いが、こんなハイペースで飲むフィアッセなんて見たことがない。

「何や、相談したいことがあるんやて?」

逡巡しているフィアッセにゆうひから話の核芯に切り出した。

「・・・うん」

「恭也君のことか?」

「・・・・・・」

「真面目に喧嘩でもしたんか?」

「ううん、喧嘩はしてない」

含みがある返事、寂しそうな表情。
明るいフィアッセがこんな表情を見せるのは、いつだって大好きな恭也が絡んだ時だった。

「恭也君も罪作りな男の子やな、ほんまに」

飛び切りのブルネットの美女の、哀愁の原因となった少年を思い苦笑する。

「恭也は相変わらず優しいよ、恭也が悪いんじゃないんだ。
・・・・・・私なの、私が悪いの」

即座に恭也を庇うフィアッセは健気その物だ。

「そっか、で、うちに何の相談や?」

ようやく一杯目のドリンクを飲み終わったゆうひの前にも、音もなく滑ってくるノン・アルコールのカクテル。
一方、順調に杯を空けているフィアッセの前にも先ほどからカクテルが流れてきていた。

「私ね、欲張りなの」

「欲張り?フィアッセがか?」

「うん、それでね、我侭なの」

ゆうひの記憶の中で、欲張りや我侭なフィアッセなど全く記憶になかった。
むしろ、いつも他人のために気を使っているイメージしかない。

「最初はね、恭也が振り向いてくれただけで嬉しかったの。
でもね、今はね、もっと恭也に私を見てもらいたいの。」

「フィアッセ・・・」

「美由希もね、晶もね、レンもね恭也が大好きなこと知ってるの。
恭也はね私だけの人じゃないって理解してるの。
恭也はね、不器用だけど本当に優しいから、忍にも那美にも桃子にも優しいの。
でもね、私、恭也にもっと私を見て欲しい。私に優しくして欲しい・・・。
私、皆も好きなのに、嫉妬してるの。
私酷いよね、汚いよね・・・でもね・・・」

「汚くなんかない」

ゆうひの手がフィアッセの頭に載せられる。

「フィアッセがどれだけ優しいかはウチが知っとる。
そして、皆も知っとるよ」

優しく頭を撫でながら微笑むゆうひは、初めて会った時から変わらない、お姉さんに見える。

「寂しかったんやな」

コクンと小さく頷く。

「せっかく両想いになれたのにすぐに離れ離れやもんな」

「違うの、離れ離れになったけど、ママとの世界ツアーは夢だったし凄く大切だったの。でもね・・・」

「わかっとるよ、歌には想いが現れる。
ツアー中のフィアッセの歌は喜びで溢れとった。
やっと歌える、やっと、ママと歌える!そんな喜びに満ちたええ歌やったで」

「うん、だから私が我侭なの。
自分は、好きな事をするために、ずっと側を離れてたのに、戻ってきたら恭也を独占したいなんて虫が良すぎるよね。」

「恭也君に言ったらええやん、もっと私を見て、って」

「そんな事言えないよ、これ以上我侭言ったら恭也に嫌われちゃう」

自分は夢を追う、追い続ける。
でも、辛い時、挫けそうな時、そんな寂しい時に振り向けば耕介くんに居て欲しい。
うちを支えて欲しい、応援して欲しい、歌歌いになる夢と愛すべき耕介君、どちらも手放したくない。

耕介君に求めてばかりの自分。
我侭で勝手な自分。

イギリスに留学に行く前、耕介君と別れるべきだと思った。
待っててくれなんて言えない。
でも夢を諦められない。

引き裂かれるような苦悩。
何度も迷い泣き明かした夜。



「ゆうひは凄いね」

フィアッセの呟きではっとして正気に戻る。
キレイな青い瞳の奥で涙が光っている。

目の前に居るのは、愛と夢の板挟みで苦しんでいる過去の自分。

「国見さん、うちにもカクテルを一杯」

「え?ゆうひも飲むの?」

フィアッセの驚きの声と、

「はい」

国見の返事とともに、純白のカクテルが目の前に置かれる。

「これは・・・」

少し照れたような、でも優しい顔で微笑む国見。

「キレイ・・・、これ、なんていうカクテルですか?国見さん」

「ホワイト・ベル」

お酒をほとんど飲まないはずのゆうひが答える。

「え?」

「命名はね、耕介さんなんですよ」


国見の言葉を引鉄に、ゆうひは再び思い出に沈み込む。




耕介か、イギリスか。
耕介と離れたくない、決意したはずの感情。
でも、日毎に思いは千路に乱れて、刻々とタイムリミットだけが近づいていた。

悩むから苦しむんや。
初めからそんな機会はなかったと思えば良い。

そんなふうに自分に言い聞かせていたゆうひ。
その日も、いつも通りFOLXで歌うゆうひを迎えに来た耕介が、カウンターでゆうひの歌に耳を傾けていた。

「耕介君、お待たせ」

最後の歌も歌い終わり、客が退けた後のカウンターに座る耕介のもとに走り寄る。
そんなどこか無理したような明るさで声をかけるゆうひに、耕介は哀しい目を向けた。

最近のすれ違い。

お互いを想うあまりすれ違い、ギクシャクした会話、それが哀しい、あまりにも哀しすぎた。

「無理するなよ、ゆうひ。
本当はイギリスに行きたいんだろう」

「なにいってるや、耕介君。
うちは、イギリスよりも耕介君やって何度も言ってるやんか」

「じゃあさ、何で俺から眼を逸らすんだよ」

「逸らしてなんか、ないて・・・」

「逸らしてるじゃないかよ、俺からも・・・夢からもさ」

「逸らしてへん!!うちには夢よりも耕介君が大事なだけや!!」

ゆうひには珍しい、ヒステリックな怒鳴り声が静かなFOLXに響いた。

「国見さん、前に頼まれたさ、このカクテルの名前、決まったよ」

そんなゆうひに背を向ける耕介。

「ホワイト・ベルなんてどうかな?」

「耕介君、どしたんや急に。
うちのこと嫌いになったんか?困らせたからか?我侭言ったからか?
もう、我侭は言わん、イギリスなんて諦める、歌も辞める、だからうちのこと・・・」

嫌いにならないで。
声にならない声が、涙となって瞳から溢れる。

「俺はさ、歌ってるゆうひが・・・、幸せそうに歌ってるゆうひが好きだ」

「え・・・?」

「だからさ、行って来いよ。
もう見てられないよ、歌ってるのに無理して笑っているような、哀しそうなゆうひなんて・・・」

涙を不器用に拭いながら、照れくさそうに頬をかき、でも、まっすぐゆうひを見つめる視線。

「このカクテルさ、昔真雪さんと飲みに来た時に名前をつけてくれって言われたんだけどさ、なかなかピンと来る名前が思いつかなかったんだ。
一口飲んでみろよ」

コクリと、その純白のカクテルが喉を濡らす。

「真っ白でさ、甘くて、でも深く味わってみると少し酸味があってさ、何だかゆうひみたいだろ」

真っ白な純粋な歌への思いと、甘く切ない恋心。

「だから、ホワイト・ベルだ」

どんと、耕介の胸に飛び込んだ。
優しく頭を撫でる耕介の大きな手が気持ち良い。

「イギリス、行ってもええの?」

「ああ、行って来い」

「待っててくれる?」

「ああ、お前の帰りを待ってるよ」

「浮気せーへん?」

「しないよ」

「ホンマに?愛さんとも、知佳ちゃんとも、薫ちゃんとも・・・」

「ああ、しない」

「うちが何年も帰ってこなくても浮気せんか?」

「誰とも浮気しないよ」

「おばあちゃんになるまで帰ってこなくても?」

「さすがにそれはちょっと・・・」

「あかん!約束して・・・」

最後まで言わせずに、唇を唇で塞ぐ。

「さすがにそれは俺が耐え切れないよ、だからさ、しっかり勉強して、きっちり帰って来い」

「何年かかるかわからんもん」

「大丈夫、俺はゆうひの最初のファンだからさ、実力を信じてる」

「待ってるから、戻ってきたら約束の白い鐘をならそう、ってことですか。
ホワイト・ベル。
うん!良い名前じゃないですか」

国見が優しく二人を見守っている。

恥ずかしそうな耕介だが、国見の着想を否定しないところを見ると、国見の見解はほぼ合っているのだろう。
約束の白い鐘とは、純白の衣装とチャペルを表している。



ということは・・・。




「ふぅ〜、このカクテルにはそんなエピソードがあったんだ」

「そうやね、それからうちはクリステラソングスクールに入学して、フィアッセにも会えたわけや」

「じゃあ、このカクテルがなければ会えなかったかも知れないわけか・・・。国見さん、もう一杯」

「あの、大丈夫ですか、それけっこう強いし・・・」

「恭也も、耕介さんを見習ってくれれば良いのに」

「聞いてませんね、二人とも」

溜息とともに、シェイカーを振る。

「いや、ホント言うとうちもけっこう不安なんよ。
愛さんはもちろん、寮は相変わらずごっつい美人さんばっかしやし・・・」

「あれ、でもゆうひと耕介さんまだ式を挙げてないよね」

「そうなんよ、何だかんだで、まだ結婚式はおろか籍も入れてないし。
最近じゃ、リスティや美緒ちゃんも成長してきたし、気が気じゃないんや」

「私だって、恭也は相変わらず修行修行で美由希に付きっ切りだし、今だって二人だけで山篭りに行っちゃうし・・・」

「美由希ちゃんもかわいいし、年頃の二人やし心配やな」

悪戯っぽく笑うゆうひ、それは二人が兄妹だと知っているからいえる冗談。

「フィアッセ?」

自分の冗談でますます深く沈みこむフィアッセに慌てる。
二人の本当の関係を知らない、そして美由希の恭也に対する気持ちを知らないゆうひにはわからないだろう。

「日中は晶やレンと、夜は美由希と鍛錬ばっかりで、せっかく帰ってきたのに全然私に構ってくれないの。
最近じゃ、久遠ちゃんまで二人きりで居る時まで人型で甘えてくるし、恭也小さい子に甘いし・・・」

「耕介君もな、美緒ちゃんやリスティに甘くてな。
もう、あの二人も子供じゃないんだし、腕組んで歩いてるのを見たりするとうちも正直、気が気じゃなくて・・・」

酔っ払ってか、不安からか、お互いの想い人に対して愚痴るわ、愚痴るわ。

「ねえねえ、二人ともさ。
良ければ俺たちと飲もうよ」

「うん?」

そんな二人に近づいてきた男の二人組み。

「お!」

とりあえず、女二人組みなんで声をかけたが、予想以上に美人の二人組みに俄然勢いづく。

「君達を待たせるような男なんて忘れてさ、いっそ俺たちと飲もうよ。
絶対に退屈させないからさ」

「そうそう、こんな美人を悩ませるなんて最低だよ、男としてさ」

「お客さん、店内でナンパは辞めてもらえますか」

国見がやんわりと釘を刺すも、「うるせー、客に指図すんな」と相手にしない。
柔らかい雰囲気と、優男風の風体の国見を舐めているらしい。

「ね、いいだろ?」

図々しくも二人の横に座り、あまつさえ片方はフィアッセの肩に手を回そうとしている。

「おい」

その手を握り睨み付ける。
ドスの利いた声と、迫力に男が怯む。

「おい、客に対してなんだその態度は!」

「バカか、お前は。客だから、注意で済ましてやってるんだよ。
外であってたら、とっくに病院送りにしてるところだ」

かつて風芽丘の赤い風と呼ばれた男と、チンピラじゃ迫力が違いすぎる。
口々に文句を言いながら出て行く二人を尻目に目を丸くするゆうひとフィアッセ。

「国見さん、さすが真雪さんとコンビ組んでただけありますねー」

「そうなの!?意外・・・」

「まあ、昔のことなんて忘れてください。
あの二人も今頃は店外でボロボロでしょうから」

「「え?」」

「そろそろかな?」

店内のアンティーク時計に目を移す。
測ったようなタイミングで開かれた扉の向こうでは町のネオンが煌いていた。

「ほら、私なんかじゃなくて、両歌姫の本当のナイトがお迎えに上がりましたよ」

「ゆうひ」
「フィアッセ」

振り向いた先には肩で息をしている耕介と恭也が立っていた。

「ったく、ゆうひ。お前、何飲めもしないのにこんなに酔っ払うまで飲んでるんだよ」

「えへへ〜、耕介君や、耕介君」

そう言って耕介の胸に頬ずりするゆうひ。

「まったく、相変わらず子犬みたいな奴だな」

「わん♪」

「ほら、帰るぞ」

「わーい、耕介君のお迎えや〜」

「悪いけど今日は車じゃないぞ」

「いやや、歩けない〜」

「わかったわかった」

ひょい、っとゆうひを背負う。

「じゃあ、国見さん。こいつ連れて帰りますね。
飲み代は真雪さんに付けておいてください」

「冗談じゃないですよ、殺されちゃいます」

「じゃあ、俺に付けておいてください」

「いいですよ、今夜の分は私の奢りにしときます。
ですから、お二人を早く連れ帰ってあげてください」

「あ、私がゆうひの分も払いますから」

そのフィアッセの申し出にも国見は首を横に振った。


恭也とフィアッセと別れ寮への道をゆっくりと歩く二人。

「ゆうひ、大丈夫か?」

「頭がぐるぐるするわ〜」

「まったく、一体何を飲んだんだ、そんなに」

「・・・ホワイト・ベルや」

苦笑気味の耕介から笑顔が消えた。

「ゆうひ・・・」

「気にせんでいいよ、耕介君。
耕介君がうちを待っててくれたように、うちも耕介君を信じて待っ・・・とるか・・・ら」

「・・・・・・・・・」

背中からは安らかな寝息が聞こえる。
ゆうひを起こさないように、そっと背負い直しゆっくりと歩く。

約束を忘れたわけではない。
もちろん、ゆうひを嫌いになるなんてありえない。

ただ、自信がなかっただけ。
ゆうひを信じて送り出した。

春、桜が咲くと、いつかの花見を思い返した。
夏、海を見るたび、二人で行った夜の海を思い返した。
秋、夜になる度、毎晩FOLXまで迎えに行っていた事を思い返した。
冬、聖夜を迎えるたび、あの日のデートを思い返した。


そして帰ってきた。
覚悟していたよりも遥かに短い期間で。
信じていた、知っていた、応援していた。
椎名ゆうひを誰よりも知っているつもりだった。

戻ってきた彼女は、瞬く間にスターの階段を駆け上り、今や世界でも有名な歌姫になった。

思っていたよりも早く、思っていたよりも高い所へ彼女は上っていってしまった。

そんなゆうひに、何ができる。

その問いが常に自分の心に渦巻いていた。

「俺は、恭也君のように共に世界を周って、危険から護るなんてできない。
せいぜいできることといえば、たまに帰ってきたゆうひにご飯を作り、風呂を用意して、布団を干して・・・、そんな何でもない日常の些細なことしかできない俺が・・・」

「バカやな・・・耕介君は相変わらずのわからずやのボケナスや」

知らずに漏れた呟きに対して、寝ていたはずのゆうひからの答えに狼狽した。

「今、SEENAが歌の世界に居るんも全部耕介君と出会ったからなんやで。
耕介君が紹介してくれたFOLXでスカウトさんの目に止まり、耕介君が背中を押してくれたからイギリスに行けたんや。
耕介君が待っててくれたから、励ましてくれたから、耕介君が居たから椎名ゆうひは生きてこれたんやで」

「ゆうひ・・・」

「それにな、うちを笑顔にしてくれるのは、幸せにしてくれるのは耕介君だけや、耕介君が居なかったらうちはそれだけで不幸やし、居てくれればそれだけで幸せや。
ただの歌が好きなだけだった椎名ゆうひをな、『天使のソプラノ』にしてくれる魔法の羽はな、耕介君だけがうちに与えられるんやで」

「ゆうひ、確かに俺はバカでわからずやでボケナスだったな」

その言葉に返事はなく、また静かな寝息だけが規則正しく背中で聞こえる。
少々規則正しすぎる不自然な物だったが、耕介も何も言わず、静かに、でも何かを決意した表情で寮への道を歩いていった。





恭也たちもまたゆうひを背負った耕介を見送ると黙って歩き始めた。
ゆうひと違ってほろ酔いではあるが、だいぶ酔いが覚めているためフィアッセは恭也と並んで歩いていた。

「恭也、どうしたの?今日は美由希と山篭りじゃなかったの?」

「フィアッセ、すまなかった」

フィアッセの質問には答えずに、いきなり頭を下げる恭也にフィアッセも混乱して頭を下げてしまった。

「・・・何故、フィアッセが頭を下げるんだ?」

「何でだろ?」

一瞬の空白の時間のあと、二人揃ってニンマリと視線を合わせて笑ってしまった。

「で、何でいきなり「すまなかった」なの?」

フィアッセはまだ笑いの粒子を残したままの表情だった。

「フィアッセに寂しい思いをさせてしまった」

「え、その、あの、恭也が悪いんじゃなくて、私が悪いの・・・」

「違う、俺はフィアッセの気持ちを気遣うことができなかった」

「違うんだってば、そうじゃなくてね・・・」

「何が違うんだ?」

ここまで言っても全く気が付かないで、ただただ真剣な瞳でフィアッセの言葉を待っている恭也。
まったく、恭也らしいと言ったら恭也らしいのだが、フィアッセとしては『鈍感』と、呟きたくもなってしまう。

だって、説明できるわけないのだ。

自分は、自分の夢を追いかけながら、なおかつ恭也を独占したいなんて言えるわけない。
側を離れる選択肢を選んだのは自分なのに、周りに瞳を奪われるんじゃないかって不安になっているなんて言えるわけない。

「で、恭也なんでここに居るの?山篭りは?」

「耕介さんから連絡をもらった」

「え?それからここまで来たの?」

フィアッセがゆうひと飲み始めた時点ですでに21時を回っていた。
国見が耕介にどの辺りで連絡したか知らないが、恐らくゆうひが飲み始めた辺りだろう。
ということは・・・

「まさか、恭也走って戻って来たの?」

「ああ、もう電車がなかったからな」

「何考えてるのよ!」

自分のためにそこまでしてくれたことに、呆れと嬉しさが混ざり合った複雑な感情になる。

「何って・・・フィアッセのことを考えていた」

思わず頬が熱くなる。

「俺は美由希に御神の剣を継承するため、そしてフィアッセを護るために、フィアッセのような優しい歌を歌う人を護るために剣を振るっていく。
だから、フィアッセのためならどこからだって駆けつけるつもりだよ」

それは、不器用な、本当に恭也らしい不器用な言葉。
でも、剣に一生を捧げた恭也が、自分のために、自分を護るために剣を剣を振るうということは・・・。



それは、都合の良い解釈か、勘違いだろうか。

「それって、恭也が一生私を護ってくれるってこと?」

でも・・・

「・・・無論、フィアッセが嫌でなければ」

確かに・・・

「一番近くで?」

恭也が耳まで・・・

「ああ」

真っ赤っ赤なのは!?

「それって、もしかしてプロポーズ?」

「・・・そう思ってくれてもかまわない」

「恭也〜!!」

抱き寄せて、ギュッと力いっぱい抱き締める。
フィアッセの豊かな胸が顔にあたり恥ずかしいし息苦しい。

「フィアッセ、恥ずかしいので放して欲しいのだが」

「だめ!一番近くで護ってくれるんでしょ?」

ますます、腕に力を込める。
まだ、姉を演じていた時からそうだが、優しい恭也はフィアッセのスキンシップを振りほどいたりはしない。
ただ、されるがままになっている。

昔、これをするのには凄く勇気と覚悟が必要だった。
姉と弟のスキンシップを逸脱していないだろうか?
自分の気持ちを気づかれはしないだろうか?
迷惑がられていないだろうか?


早く高く脈打つ鼓動はショート寸前だった。

でも今は違う。

恭也の温もりから優しさが胸に流れてくる。
自分の恭也への思いも流れて恭也に伝われば良い。

そう思い、ますます腕に力が入る。

「フィアッセ、これでは、護れないのだが」

「ううん、護られてるよ、恭也!!
恭也が側にいてくれれば、私はいつだって不安や悲しみからも護られてるよ」

「フィアッセ、ゴメン」

初めて恭也から、恒例のスキンシップを解いた。

「恭也・・・?」

途端に不安そうな顔になる。
光の歌姫と呼ばれるフィアッセの魅力、輝くような笑顔が曇るの目の当たりにすると、恭也の胸を罪悪感がチクチク刺した。

でも、これははっきりさせないといけないことだ。

「フィアッセ、俺はもうフィアッセの弟じゃないんだ」







姉と弟、その関係を壊すのを恐れていたのは、幸せな日常を壊してしまうのを恐れていたのは恭也も同じだった。
だから、自分がフィアッセを姉以上に意識してるのが、フィアッセにばれるのを恐れて、スキンシップを振りほどけなったのだ。


関係が壊れるのを恐れていたのは、フィアッセとのことだけではなくい。


高町家全体に対してもそうだった。
仲の良い家族、幸せな家庭。
幼少期の恭也にはなかったもの。

実は、今の生活を共にする家族には血のつながりなんてほとんどない現実。
だからこそ、些細な変化で簡単に壊れてしまうのでは、と怖かった。
だから、家族の前では意識的にフィアッセを遠ざけてた。
だから未だに家族には報告していなかった。



そんな自分の臆病がフィアッセを不安にさせたのだ。



「恭ちゃんはさ、そんなに私やレンや晶や・・・高町家の皆が信じられないの?」

耕介から電話をもらってなお、美由希にどう切り出すのか逡巡する恭也を、美由希の一言が胸を貫いた。

「私たちの絆は、今までの暮らしは、そんな薄くて儚い物だって恭ちゃんは思ってたの?」

「美由希・・・」

「行きなよ、恭ちゃん」

美由希の双眸から雫が流れ落ちる。

「御神の剣はさ、大事な人を護るための剣なんでしょ?
泣いてるんだよ、恭ちゃんの大事な人が、私たちのお姉ちゃんが、泣いてるんだよ」

「美由希・・・すまない」

「行っちゃった」

もう、見えない兄の顔を月に思い浮かべる。

「それでもね、私は恭ちゃんのための剣を振るいたかったの・・・」

自分に背を向けて走り出した兄の背に、妹ではない少女の呟きは届かなかった。





「フィアッセ、俺はもうフィアッセの弟はできない」

もう一度、ゆっくりと、強く、自らに言い聞かせるように同じ言葉を繰り返した。

「恭也・・・」

哀しそうな呟きを打ち消すような力強い口付け。
そのまま恭也の胸に、ぐっとフィアッセを抱き寄せる。

「恭也・・・?」

「これからは俺が護るから。
フィアッセの恋人として俺がフィアッセを護るから・・・」

だから、抱き締められるのではなく、抱き締める。

「・・・うん、もう私は恭也のお姉ちゃんじゃないんだね、バイバイ 恭也 おとうと

恭也の広い背中に手を回し、たくましい胸の中で姉弟の関係にさよならを告げる。






後日談




「そっか・・・恭也とフィアッセがね」

家族の前で二人の関係を公表した恭也とフィアッセに他の家族が目を丸くする。

「改めてよろしくね、お姉ちゃん」

「そうか、フィアッセさんがおししょうと結婚すれば・・・」

「名実共に、なのちゃんと美由希ちゃんと姉妹になるのか」

「何言ってるの、レン、晶。二人だって妹じゃない」

「え?」
「あ〜・・・。」

「そういうのって・・・」
「照れますな〜・・・」

そう言いながらも満更でもないレンと晶だった。

「まあ、カメと姉妹になるのはいただけないけどな」

「阿呆、おサルは男なんやから姉妹やなくて兄妹やろ」

「なんだと〜!」

「やるか!?おさる!」

「二人とも喧嘩は辞めなさい!!」






高町家は今日も元気です。




おまけ



「そういえばフィアッセ、あの晩の支払いはどうなったんだ?」

「ゆうひ、本当に真雪さんの付けにしたんじゃないよな?」

「それはね・・・」





FOLXから溢れる人の群れ。
非公開で宣伝も一切していなかったにもかかわらず、歌に導かれて人が集まってくる。
もう、店には入りきらず、店の外でも人でごった返しているほどだ。

世界ツアーにも勝るとも劣らない歌声が店内に流れる。

確かに、世紀の歌姫ティオレ・クリステラは居ない。
アイリーン・ノアも、他のソングスクールの学生も居ない。
伴奏だって演出だって機材だって、比べるべくもない。

それでも、やはり今日のコンサートは素晴らしい物だった。
光の歌姫と天使のソプラノが、大好きな人を、大切な人を、しっかりと結ばれている喜びに溢れていたのだから。

歌には、そのときの素直な気持ちが反映される。

『君は優しい歌になれ』
今宵の二人の歌声はどこまでも優しく、聞くもの全てを幸せにした。



後の時代、多くのティオレの教え子の中で、この二人こそが世紀の歌姫の後継者と目されることになる。


「耕介さん、恭也君、どうぞ」

特等席のカウンターでゆったりと歌姫の声に聞きほれるナイトたち。

「恭也君にはノンアルコールのカクテル、耕介君には・・・ね」

照れくさそうに純白のカクテルに口をつける耕介。

「もちろん奢りだからさ」

ニコリと笑う国見に恭也が苦笑する。

「飲み代の代わりにあの二人に歌ってもらうって・・・あと100回来たって元が取れますよ」

「なあ、世界的な歌手の競演だもんね」

「いえいえ、安い物だと思いますよ」

意味ありげな微笑みを浮かべ静かに目を瞑り音に身を任せる。
優しく甘く、そして切ない歌声、輝くような瞳。
恋を知り愛に身を委ね、騎士の胸で夢を見る、そんな二人の歌姫達。

「国見さん、ありがとう」

そんな彼女達が、今日こうしているのは、国見の機転と気遣いからではなかったか。



やがて、ステージをおり愛しい人の側に翔けて来る二人は、スポットライトなんてなくても幸せそうに輝いて見えた。

「恭也、どうだった?」

「そうだな、俺には良し悪しはわからないけど、いつもよりも優しい感じで俺は好きだよ」

「耕介君はどうやった?」

「こんな感じかな」

指でホワイト・ベルを弾く。
澄んだ音が流れた。

「甘くて切ない・・・でしたっけ?耕介さん」

照れくさそうに頭をかく。

そうして、5人で静かにホワイト・ベルで乾杯をして家路につく二組を送り出した。

「おめでとう、やっぱり姫には騎士がつきものですね」

「ケッ、相変わらず臭いなぁ・・・」

歌姫のキューピットは、照れくさそうに笑うと、静かにシェイカーを振りはじめた。


今日は、さしあたり、自分と愛すべき先輩のために。


魔術師の後書き


うーん、失敗した。
フィアッセゆうひか?

いやいや、一応フィアッセ恭也のつもりです。

でも、耕介ゆうひに比重が行き過ぎたから修正して何とか恭也フィアッセに仕上げてみました。
ということで、恭也フィアッセの第3回人気投票優勝ご褒美SSでした。

耕介ゆうひのやり取りを透かして、恭也フィアッセの今を書きたかったんだけどね。
上手くいったかな・・・。微妙かな。

実はこれ、4回のコメントで書いた、お蔵入りしていたゆうひSSの発展系です。
といっても、タイトルとネタの着想だけで、中身は違いますけど
ネタ段階ではもっと軽い感じのコメディだったんですが、せっかくの一位記念だったんでシリアスにしてみました。
それでいて、甘めに切なく、そうホワイト・ベルのように仕上げてみました、なんちゃって。

でもやっぱとらハにブランクある。
やっぱ駄目ね、ゆうひのしゃべり方とかわからなくなってる。
DVD版やってみたいけどお金が真剣にないしなぁ。

さてさて、久々の完全新作とらハ短編です。
一言いただけたら幸いです。