夏の妖精

 

『夏』といえば一体何を最初に思い浮かべるだろうか?

 夏休み。夏祭り。お盆。花火大会。浴衣。

 そして海。

 海といえば海水浴で、海水浴といえばもちろん水着である。

 

 もしかしたら、彼女もそれを連想したのだろうか?

 

 目の前に引かれたアイボリーホワイトのカーテンがさっと横に開かれた。そこから姿を見せるのは、トップモデル並みの抜群のプロポーションを誇る、一人の女性だった。

 鋭く、しかし愛嬌を感じさせる猫のような瞳。美しく輝く銀髪のショートヘアー。そして起伏に富んだ大人の色香を漂わす肢体を包むのは、ピンクのビキニ。

「どう恭也? これもいい感じじゃない?」

 リスティ・槙原はその眩い肢体を惜しげもなく晒して恭也に問うた。しかも雑誌か何かで見たのを真似したのか、両手を頭の後ろで組んで僅かに上体を反らせ、胸を強調するようなポーズまでとる。

「そ、そう、です、ね」

 ぎこちなく答えて恭也がリスティから視線を逸らした途端、リスティが不満そうに頬を膨らませた。

「そんなこと言って、ちゃんと見てないじゃないか。そんないい加減なことじゃ困るよ。ちゃんと見て意見してくれないと」

 うっ、と声を詰まらせて恭也はゆっくりと視線を戻した。男にとっては充分に凶器ともいえるリスティの水着の前では、いかに彼とて意識をせざる得ない。顔は赤く火照り、鼓動はやけに高く早く波打っている。

(落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け)

 まるで念仏でも唱えるかのように心の中で自分に何度も言い聞かせながら、恭也はリスティの水着姿を直視した。

「す、少し大胆過ぎませんか?」

「そうかな? 今はこれぐらい普通だと思うけど……まあいいや。それじゃあ次のヤツ着てみるか」

 そう言うとリスティはカーテンをさっと閉めた。視界から彼女の姿が消え、恭也はゆっくりと息を深く吐き出した。カーテンに背中を向け、辺りにそれとなく視線を向ける。

 水着。水着。水着。どこも水着だらけである。

 それもその筈。何故ならここは、駅前デパートの水着売り場コーナーだからだ。

 突然リスティに呼び出され、「買い物に付き合ってくれ」と頼まれて(?)やって来たのだが……

 

『今度シェリーがこっちに帰って来るんだよ。もう夏だし、折角だから妹たちと海にでも行こうかなと思ってね』

『そうですか。それはいいですね』

『だろ? だからさ、恭也も是非協力してくれ』

『協力、ですか? まあ俺に出来ることでしたら……』

『ああ、その点なら全然大丈夫。誰にだって出来ることさ』

 

 確かに誰にだって出来る。それは認めよう。しかし――

(しかし――まさかこんなことだったとは……)

 恭也は思わず額を押さえて頭を垂れた。

 別に買い物に付き合うこと自体それは構わない。いつも彼女には世話になっているし、荷物運びくらいなら手伝ってもいいと思っていた。だが――――こんなのは完全な予想外だ。

 恭也の溜息の色が濃くなる。場所が場所だけに周りは女性客と女性店員ばかりで……時折向けられる視線がどことなく痛々しく感じる。

 出来れば早く終わって欲しいのだが……しかしそれは結局リスティ次第でしかない。――尤も、恭也がちゃんと彼女にどんな水着が似合うかを伝えれば、すぐにでも買い物は終了するのだろうが……そのことに本人が気付く様子も無い。

 さっとカーテンが横に開かれた。本日何度目になるだろうか判らないが、そこが開かれる度に、新たな彼女≠ニ出会っている。

「う〜ん、こんな感じかな恭也?」

 自信が無いというよりも、着てみたそれが正しい着方なのかどうか今一つ判らない、といった感じにリスティは呟いた。

 今度のリスティの水着は、グリーンイエローのビキニとパレオであった。先ほどのビキニと比べると多少水着の面積は大きくなっているが、それも微々たるもので、逆にパレオから覗く脚が妙に艶かしく見える。

「いい……んじゃないです、か?」

 思わず裏返ってしまいそうな声を何とか抑えつつ恭也は答えた。いくら、何度見ようと、そうそう慣れるものではない――――というか、ここに来てから胸の鼓動はずっと早いままである。

「そう? でもこういうのって僕よりもシェリーの方が似合いそうな気がするんだよな。僕にはもっとこう……大人っぽい感じのが――――」

 はたとリスティは言葉を止め、恭也の、彼の隣に置かれたラックに注目した。そちらに目を向けたまま、

「確か恭也って黒が好きなんだよね?」

 それは尋ねると言うよりも、自分の知る情報が正しいのだと自分に確かめるような呟きだった。その為恭也はその質問が把握できず――尤も、言葉が少々足りていないのだから仕方が無いが――「は?」と瞬きする。

 それが『自分の好きな色』のことなのだと恭也が気付いたときには、リスティはラックの前に、そこから一着の水着を選び、再び試着室に戻っていた。

 

 楽しみにしてろよ。

 

 とでも言うような笑みを残し、リスティはさっとカーテンを引いた。恭也ははっと180℃回転、試着室に背を向けた。別に透視が出来るわけでは無いし、ちゃんと見えないようにカーテンを引いているのだから、見ていたところで何も問題無いのだが……何と無く、そのまま見ているのが憚れた。

(いや――)

 そうではない。何と無く、などではない。そう、それは……。

ん……

 カーテン越しにリスティの微かな声と、小さな衣擦れの音が聞こえ、今、彼女が違う水着に着替えているのだということを、恭也は強く認識させられた。自分の意思とは無関係に、彼女の、今の、着替えの様子が、頭の中に浮かんでくる。

 美しくしなやかな肢体。透き通るような肌。なまじ彼女の水着姿を目にしてしまっている分、変に想像がリアルになる。

(我、生涯剣と共にありて剣と共に道を行くもの。我、生涯剣と共にありて剣と共に道を行くもの。我――)

 恭也は頭の中の邪念を振り払うように、余計なことを考えないようにと、祝詞のように己の信念とも言える言葉を頭の中で反芻させた。もしもここがデパートの中でなく、鍛錬で使っている山中などであれば、彼はきっと頭を冷やす為に巨木に額を何度もぶつけていたであろう。

「――恭也?」

 己の邪なる思いと壮絶な戦いを繰り広げていた恭也の背に、リスティの訝しげな声が掛けられた。恭也はびくっと肩を一瞬震えさせ、「は、はい!」とやけに甲高い返事を返してばっと背後を振り返り――

「…………」

 

 ――思考が、停止した。

 

 クロスタイプの黒のワンピースの水着だった。

 プロッポーションにも恵まれ、普段から大人の女性の雰囲気を漂わせている彼女の魅力を引き出すにはうってつけの、まさに彼女の為にこそその水着はあるような、そんな気さえ思えさせるほどに、似合っていた。流石、自信満々に言うだけのことは充分にある。

「どうだい? やっぱり僕にはこういう大人っぽい方が似合うだろ?」

「…………」

「……恭也?」

 もう一度声を掛けると、恭也ははっとなって「すみません!」と慌てて顔を背けた。一体何に対しての謝罪なのかはこの際置いておくとして、彼の反応に、リスティは満足そうな笑みを浮かべた。

「決まり、だね」

 

◇◆◇

 

 水着の会計を済ませ、水着売り場を後にし、婦人服売り場横のエスカレーターへと向かう途中のこと。

「あ……」

 リスティがふと足を止めた。

 彼女の見つめる先にあるのは、白いレースのサマードレスで着飾られたマネキン人形。頭には、そのドレスに似合う赤いリボンの付いた、白い帽子が被せられている。

「綺麗ですね」

 ぼうとドレスを見つめていたリスティの横から、声が掛けられた。視線を向けると、恭也が同じようにドレスを見つめたまま、

「リスティさんによく似合いそうですね」

 ごく自然と、それが当たり前のように、言った。

 

 自然と脳裏に、思い浮かぶ――

 真夏の蒼い空の下。照り付ける日差しの中。白い帽子と白いサマードレスに身を包んだ彼女の姿。

 それは、一枚の美しい絵画のようであり――

 それは、本の中から出てきた、夏の妖精のようでもあり――

 美しく。

 とても美しく――

 

「きっと似合うと思いますよ」

 それが――微笑みと共に言われたその言葉が、彼のお世辞などではない――大体彼はそういったものが元々苦手なのだ――ことは、リスティにも解った。しかし、リスティは「いや」と小さく首を横に振った。

「こういったのは僕なんかよりフィリスやシェリーの方が似合うさ。ほら、これってどちらかと言えば、可愛い子′けだろ?」

 それは『雰囲気として』とか『感じとして』という、曖昧な、一種のインスピレーションのようなものなのであろう。

 確かにフィリスやシェリーと比較すると、リスティはどちらかといえば可愛い少女≠ニいう魅力より、美しい大人の女性≠ニいう魅力が強い。――だが、だからといってそれが、この服がリスティに似合わないなどということに繋がるかというと、そんなことは無い。それに彼女は――

「リスティさんだって、とても可愛いですよ」

「え……」

 リスティはきょとんと瞳をパチクリさせ、恭也を見つめた。

「恭也、それって……」リスティが彼に何か尋ねようとしたそのとき、彼女の携帯電話が呼び出し音を鳴り響かせた。

「……っ」

 なんてタイミングの悪い。そんな思いを顔に滲ませてリスティは電話を取った。ディスプレイに表示されている名前を見て、渋面を濃くする。

「……はい。……ああ、うん……分ったよ」

 早々に話を済ませて電話を切ると、リスティはあからさまに盛大な溜息をついた。

「仕事ですか?」

「ああ。急ぎでね、すぐに来てくれってさ。……ったく、よりにもよってこんなときに呼び出さなくてもいいのにさ」

 ぶつぶつと文句を言うリスティに、恭也も苦笑を返した。

「まあこればかりは仕方ないですよ」

「そうだけどさ」

 頭では解っていても納得出来ない、そんなことは世界には溢れている。まして――

(折角の恭也とのデートなのに)

 それが彼女にとって大切なひと時であるならば、尚のことだ。

「俺はどうしましょうか?」

 普段からリスティの仕事の手伝いをしている恭也は当然のように尋ねた。必要とあれば無論、協力は惜しまないつもりである。

 しかし、リスティはこれにも首を横に振った。

「いや、今回はわざわざ恭也に手伝って貰うほどのことじゃないから気持ちだけ受け取っておくよ。それより……悪かったね。わざわざ付き合わせたのに、急にこんなことになっちゃって」

「いえ、俺なんかで良ければいつでも」

「そう……」とリスティは恭也から顔を背け、表情を見られないように少しだけ俯いた。彼の優しさが自分だけのものではなく、皆に平等に与えられているものだと解ってはいても、口許が、緩む。

 

「じゃあ、また今度」

 デパートを出て、彼女と別れ、その背中を見送った後、

「…………」

 恭也はたった今出てきたばかりのデパートを見上げた。何か難しい顔をして暫くそのまま見上げ続けていたかと思うと、彼はデパートの入り口へと歩き出した。

 

◇◆◇

 

「ただいまー」

 玄関から聞こえてきた帰宅を告げる声には、疲れの色が含まれていた。寮生たちの夕食作りの手を一旦止め、槙原耕介はエプロン姿のまま廊下に出て娘を出迎えた。

「お帰りリスティ。お勤めご苦労様」

「……その台詞は男の口から聞くものじゃないね」

 ついでにその格好も、と行き成りのダブルのツッコミに耕介は顔を引き攣らせてうっと言葉を詰まらせた。小さく咳払いをして気を取り直し、

「それにしても残念だったなー? 折角の恭也くんとのデートが駄目になっちゃってさ」

 仕返しとばかりに発せられた言葉に、リスティがぴくと反応した。元々良くなかった機嫌を更に悪くさせ、「どうしてそんなこと知ってるのさ?」と問い詰めるような鋭い視線を養父に向ける。

 表情からそれを察した耕介はどこか得意げな顔で言った。

「いやなに、少し前に恭也くんが来てね。ちょっと話を聞いたんだよ。仕事とはいえ、本当タイミング悪かったね」

「ふーん」

 その瞬間リスティの瞳から――いや、瞳だけでなく全身から冷たい殺気のようなものが放たれ、耕介は一瞬で身の危険を――さながら頚動脈によく切れるナイフの刃を押し当てられたかのようなものを――感じ、背筋を冷たくさせた。

「あっ! そ、そうそう! 恭也くんから預かっているものがあったんだ!」

「……恭也から?」

 リスティの気配が少しだけ和らぐのを感じて耕介は、「そう! 恭也くんから! 今もって来るな!」と誤魔化すように言ってリビングへと一旦引っ込むと、大きめの紙袋を手に持って戻って来た。

「普段お世話になっているお礼だって」そう差し出された紙袋をリスティは「ふーん」と何の気無しに受け取った。一度だけちらりと紙袋を見遣り、

「それじゃ僕は部屋で休んでるから。夕飯が出来たら呼んでくれ」

 淡々とつまらなそうに告げ、リスティは紙袋を片手に二階へと上がって行った。その後姿を見上げながら、耕介は不思議そうに首を傾げた。

「あれ? もう少し嬉しそうな顔するかと思ったんだけどな」

 最近の彼女の行動や話題から、てっきり恭也に対してその気があるように思っていたのだが……。

「気のせい、だったのかな?」

 おかしいなあ、とは思いつつも、耕介はしかし同時にどこか安堵し、皆の夕飯作りへと戻っていった。

 

 リスティが自分の部屋に戻って最初にしたことは、きょろきょろと何度も辺りを見回して部屋に誰もいないことを散々に確認することだった。もちろんそんなことをしなくても部屋には鍵を掛けてあったので誰もいないのは明白なのだが、それでも確認せずにはいられなかった。

「……ふう」

 部屋に誰もいないことを確認し、安堵の吐息をする。忘れずにドアにしっかりと鍵を掛け、早足でベッドに向かい、そこに腰掛けた。 両手でいかにも大事そうに抱えた紙袋を膝の上に置き、目を落とす。それは今日、恭也と共に水着を買いに行ったデパートのものだった。

 片手を紙袋の中へ、そこからリボンを巻かれ綺麗に包装された箱を取り出す。紙袋を脇に置き、緊張で震えそうになる両手を叱咤してリボンを解き、丁寧に包みを剥がしていくと、包装紙の下から真っ白い箱が姿を現した。

 両手で蓋を掴み、ゆっくりと持ち上げると――

「あ……」

 真っ白い、夏の蒼い空に浮かぶ雲のように白い帽子と、その下に、同じく白い服が、丁寧に畳まれ、箱に収まっていた。

 リスティは驚きの表情のまま、誘われるようにして帽子と服を手に取り、立ち上がった。白いサマードレスを広げ、自分の体に合わせて、鏡の前に立つ。

「ははっ」

 鏡に映った自分の姿を見て、思わず笑みが零れた。

 鏡の前で何度も体を右に向けたり、左に向けたり。今度は帽子を被って、右を向いたり、左に向いたり。その姿は夏を迎えた妖精が、嬉しくて踊っているようにも見えた。

 少しして妖精は唐突に踊りを止めると、白い服をぎゅっと抱き締めた。

「恭也……」

 そうすることで、そこに籠められた彼の想いを、彼の自分に対する気持ちを、感じられるような……そんな気がした。

 

 ベッドの上に腰を下ろし、右手に持った携帯電話のディスプレイに表示された名前を眺める。ちらりと隣に目を向けると、真っ白いサマードレスと帽子が目に映った。

 恭也はこれが普段世話になっているお礼だと言って、渡してくれたらしい。

 まあ確かに僕は普段から彼の為に色々と労を担っている。手伝い≠ニ称して彼に仕事を紹介するのだって、その一つだ。だからお礼をされるのも、当然といえば当然なのだ。

 だけど――

(まさかこれだけでチャラに出来るなんて、思ってないよな?)

 僕はそんなに安くはない。これまで世話になったお礼というならば、これだけでは全然足りない。もっと、もっといっぱい返してもらわなくては。

 

 これからも色々なことに付き合ってもらう。フィリスやシェリーたちと海に行くときにも付き合わせるし、仕事だってまだまだもっと手伝ってもらう。

 それから……その後もずっと――ずっと付き合ってもらう。

 そう決めた。

 僕が決めた。

 だから――

 

 早速とばかりに携帯電話のボタンを押し、彼を呼び出す。コール音が鳴り響く中、それとは別に胸の鼓動がトクトクと熱く、鳴っていた。

 

「あ、恭也?」

 

 まずは、今日のデートのやり直し。二人で色々見て回る。

 あの白い帽子を被り、あの白いサマードレスを着て。

 

〈了〉

 

 

 

 

 

■□あとがき■□

 

 初めての方初めまして。

 そして何らかの形で知ってらっしゃいます方(なんじゃそりゃ)どうもです。

 天田ひでおです。

 

「恭也×リスティ」カップリング応援SS如何でしたでしょうか?

 今「恭也×リスティ」を応援してくださっている皆様の活力に、

 そしてこれから投票しようと思っている皆様の候補に挙げて頂ければ幸いです。

 

 中には「あれ? 恭也×フィアッセじゃねえのかよ!? どうなってんだYO!?」

 って思っている方もいらっしゃるかも知れませんが、僕はこっちのカップリングも好きなんです。

 ごめんなさい。

 

 でも投票はちゃんと両方にやってるので、

「こぉんの裏切りもんがぁああああっ!」って怒らないで下さいね、「恭也×フィアッセ」陣の皆様(ぉ


魔術師のお礼状

LMP全開!!!
はい、このサイトではない、ちゃんとしたほうの人気投票で、リスティファンクラブ『妖精狂』の王様をやってる魔術師です。
LMPとは、L(リスティ)M(モエ)P(パワー)の略語で、妖精狂の合言葉です。

つまり、リスティかわいい〜〜〜〜〜。
素晴らしいSSをありがとう、天田さん。
さっさと、裏切ってこっちにおいでよ(笑

もう、言葉はいりません。

悶えた人は感想&リスティに清き一票を!!



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