遠ざかる足音
それが完全に聞こえなくなってから、ランサーは火のルーンの魔力を開放した。

それが正真正銘最後の力
瞬く間に朽ち果てた石室が火神の抱擁に包まれていく

ゲイ・ボルグに貫かれたその身は、もはや呼吸すらままならなかった



蒼い春風(中編)



息も絶え絶えなその姿、僅かに額に脂汗がにじむ、それでも彼の表情は変わらなかった
遠坂凛の前では情けないところは見せられない


「ハ、オレも意地っ張りだな」


かつては一人で千の敵を葬むり、万の敵にすら打ち勝った男
それが現在では、一片の言葉を紡ぐにも死力を尽くして、なお余りある程の痛苦を伴った

それでも、遠坂凛が見ている間は、必死で飄々とした彼らしさを貫いた

いくら、生き残ると言うことに賭けては、全サーヴァント中随一の能力を誇るランサーのサーヴァントでも、自らの槍で心臓を貫き、主からの魔力供給も耐えた今、未だ現界していることが奇跡であるにも拘らず、だ。


それでも、あの少女の前で情けない姿を見せるのは、英雄としての、それ以上に男として、彼の矜持が許さなかった


「英雄としてのプライドなど狗にでも喰わせてしまえ」


そう罵ったのは、少女のサーヴァントだった紅い騎士

笑わば笑え、そう思った




すでに仮初の主であったあの男の身体は、炎に包まれ天に召された。



何の感慨も湧かないが、それでもやつはマスターだった。

「まったくつまらない相棒だったぜ」

もはやその呟きは声にならない、声帯を震わせる力さえもその身体には残されていない。


全ての気力も魔力も能力も、持てる全てを遠坂凛を救うために使ってしまった。




「いい・・・女・・・になれよな、お嬢ちゃん」



最後まで変わらない、からかう様な笑いをその顔に刻んだまま、蒼い騎士はその目を閉じた。
あとは、自らの炎に捲かれるだけ。


紅蓮の炎が天井を焦がし、荒ぶる炎の神がランサーを抱く直前、ランサーの頬に暖かい何かが触れた。


「良かった、まだ息がある」


閉じた瞼を開くことすら、今のランサーには、体中の力を総動員してようやく可能となる難事。
そうして開けた霞む視界の向こうに少女が立っていた。


両頬に暖かい感触


それが、少女の添えた掌である事にすら、気がつかないほどに消耗していた。


「このまま静かに眠りますか?それとも・・・・・・私に力を貸してくれますか?」


命じるでもなく諭すでもない、哀願に似た響き。

霞む視界
力を失った瞳には、もはや至近距離の少女の顔すら映らない

しかし、脳裏に浮かんだのはある少女。
それは死の間際に見た幻想かもしれない





目の前に立つ少女が・・・・・・・・・ひどく遠坂凛に似て見えた。





もはや指一本ですら動かす力はなかった。
当然だ、喋るどころか呼吸すらも既に停止している。

いくらランサーのクラスといえども、他の英霊ならば既に消滅している

彼だからこそ、ケルトの英雄、クーフーリンだからこそ、こうして辛うじてとはいえ現界にとどまっているのだ。
そのことが既に奇跡



―――――そのはずなのに・・・


頬に当てられた少女の掌に、自らの手を重ねる。

少女が驚きに満ちた瞳を向ける
コクリと、頷く蒼い騎士
実際は、弱々しくほんの僅かに首が上下しただけだった
しかし彼の表情を見て少女は悟った。




紅蓮の炎に彩られ、吐血したのか口元には血糊がこびり付いている。
添えられた無骨な掌は、今にも崩れ落ちそうなほどに弱々しい。
自分に向けられる紅い瞳は、既に焦点すらも合っていない、恐らくその瞳には何も映していない。






―――――しかし、その表情はあくまで不敵。




「ありがとう・・・」


少女の呟きすらも恐らくその耳には届いていない。
虫の息よりなお酷い、その状況で彼は笑ったのだ。
まさに、その表情は不敵にして不遜






「−−−−−−−−−−−−−」



少女が契約の言葉を紡ぐ。


消えかけた身体に満ちる魔力
朽ちかけた四肢に満ちる活力



クリアな思考と視界の中で、初めて新たに自らのマスターとなった少女を観察する。


髪の色も瞳の色も遠坂凛には似ても似つかない。
常に自信に満ちた表情の凛とは対極といってもいいような儚げな少女。


「よろしくなマスター」


添えられた手を強く握り返した。



「ごめんなさい・・・・・・ありがとう」



その言葉を最後に少女はランサーの胸に倒れこんだ。

朦朧としていた時は気がつかなかったが、少女は体のあちこちに火傷を負っていた。

当然だ、石室には未だにランサー自身が放った炎が渦巻いている。
その炎の海を渡って自分の下に現れた少女。
一見、虫も殺さないような少女だが、なかなか侮れない強い意志。
魔力の方も申し分ない、あの瀕死の重傷だった身体を、完治とは言わないまでも一瞬で回復させてみせた。

何よりも少女からは、自分達に似た力を感じる



「まあ、悩むのは後でいいか。
とりあえずせっかく助かったのに、焼け死ぬのはゴメンだからな」



ブーンと、唸りを上げて彼の右手に現れるは、ゲイ・ボルグ。
裂帛の気合を込めて、それを炎に向かい振り上げる。
神速の槍の風圧、モーゼのように炎の海を切り裂くと、悠々と窓から飛び降りた。









背後から響くは剣戟の楽の音




一瞬、紅い騎士と少年の闘いの結末を見守りたい衝動に駆られた。

しかし、それは束の間の逡巡


「縁があったらまた会おうや」


紅い騎士の正体は何となく予想がついていた
あの少年に興味を引かれたのもまた事実


しかし、それらは全て瑣末事
例え明日殺しあうことになろうとも、気があった相手とは楽しく過ごすのがランサーの流儀

それはまた、逆も真なり

今日仲間であったとしても、明日敵として対すれば全力を持って殺しあう
それは、彼の中では少しも矛盾しない




強者だけが真理、勝者こそが正義であり友情




彼にとって優先すべきは、互いが死力を尽くした闘いのみ




そして、差当たりは自らの新しいマスターの安全を確保することだった。

そうしてランサーは二度と振り返ることもなく、アインツベルンの城を後にした















瞼を開けると、見慣れない天井が視界に入った。

ゆくっりと体を起こし周囲を見回す。

揺らめく燭台の炎
重厚にして荘厳な石造りの部屋



「ココは何処かしら?」


この薄暗いが清潔感のある部屋の空気は、間桐の家ではなく
荘厳な石造りの部屋は、先輩の住む衛宮の家でもない


では、ここはどこか?

彼女の狭い、ごく限られた生活範囲の何処にもこのような一室はなかった。




「よう、目が覚めたみたいだな」


闇の向こうから、聞き覚えのない男の声が響く。

蒼い髪、紅い瞳、長身の青年は気軽に気安く話しかけながら、彼女の眠るベッドサイドまで歩み寄った。
蝋燭の炎によって浮かび上がる青年の姿は、どこか現実感の薄い感じがする。


「まだ、どこか傷むか?」


呆けた様で、返事のない桜の反応を、体調の不調と取ったのか、僅かに声色が優しくなる。


「いえ、傷は問題は有りません」


そう、この程度の火傷の痛みなど、彼女にとっては日常的な痛苦に過ぎない。
魔術修行に名を借りた、あらゆる肉体的な痛苦に苛まれた生活を送る中で、いつか彼女の心は、痛みに対してひどく愚鈍になっていた。
それは、もはや磨耗といってもいい。そして、あらゆる痛苦は肉体以上に彼女の精神すらも削り取っていた。


「そうか、一応、応急処置はしたつもりだが慣れないからな、少し心配だったんだが・・・」


迂闊にもランサーの言葉でようやく気がついた、腕や足には真っ白い包帯が不器用に捲かれている事を。


「貴方は、やはり優しいのですね」


「おい、一つ聞いていいか?」


僅かに桜から視線をはずし、頬を掻きながらわざとぶっきらぼうな言葉遣いになる。


そんなランサーに柔らかく微笑む少女
誰にも心配されなかった人生
物として扱われて、精神も肉体も感情すらも奪われて壊された哀れな人形。

そんな自分に優しい言葉をかけてくれたのは、片手で数えられるほどに僅かな人間。





「オレは今回、全てのサーヴァントと遭遇している。
アーチャー、セイバー、バーサーカー、キャスター、アサシン、ライダー、全てのサーヴァントのマスターにも出会っている。故にあんたがマスターって事態はありえないはずなんだがな」


顔は笑っている、まったく変わらず飄々とした表情、口調も気安く気軽な物のまま。
にも関わらず、息苦しいような圧迫を感じる程の威圧感。

―――――あくまで、常人ならばの話だが。


「これは、偽物だと?」


右腕の令呪を掲げる。


「いや、それはないな。現にオレとあんたはレイラインを通して繁がっているからな。
だからこそ疑問なんだ、8人目のサーヴァントに8人目のマスター、聞いていた話とは今回の戦いは違いすぎる、あんた何か知っていそうだからな」

「・・・・・・・・・私はライダーのマスターでした」

「・・・・・・・・・ライダーのマスターだと?
それはあのクズだろ?どういうことだ、キチッと説明してくれるんだろうな?」


初めて、その表情が真剣な物に変わる。
凶々しい、そう表していいほどの鋭い眼光、それは並みの人間なら金縛りになってしまうほどの威圧感。
それはもはや魔眼の領域かもしれない


魔眼、彼女の最初のサーヴァント、ライダーの切り札だった最強の宝具。


令呪の力で、兄である慎二の命で働いたサーヴァント。
自分の代わりに、兄の理不尽な怒りや哀れなコンプレックスのはけ口となった彼女。

謝る自分に優しく「主である桜の身代わりになるのは当然です」と微笑んだ英霊。


彼女のためにも、こんな馬鹿げた聖杯戦争は終わりにしなければならない。
彼女のような、自分のような・・・・・・全てを奪われ人生を変えられた先輩のような、哀しい犠牲者をもう出さないために。


そのためには、目の前のサーヴァントの協力は必要不可欠だった。
因果を逆転させる呪の魔槍ゲイ・ボルグ、あれがあれば弱者の血によって満たされる、歪んだ聖杯を破壊できるかもしれない。



ライダーと自分の事を掻い摘みランサーに伝える。


「なるほどな、でもな、お嬢ちゃん、あんたまだいろいろ隠してるな」


心まで見透かすかのような、槍のような真直ぐな視線。
それにコクリと小さく頷く

しかしそれだけ、何を隠しているのか、それを話す様子はない。

弱々しいくせに、儚いくせに、その瞳は強い決意に彩られていた。


『やっぱり、もう一人のお嬢ちゃんに似てるな』


「OK、わかったぜ。最後の質問だ」


桜が驚きの表情でランサーを見つめる


「いいさ、あんたが何を隠していようとかまわない。
最後の質問だ、あんた、倒れる直前に俺に言ったよな?
『ありがとう』と『ごめんなさい』、それの真意が聞きたい」


「ごめんなさいは、せっかくゆっくり休めるところを、再び無理矢理闘わせることになってしまったからです。
ありがとうは・・・貴方は兄さんを殺さないでくれたから」


「は、あのクズを殺さなかったのはただ狙いが逸れただけさ」


「それは嘘です」


「・・・・・・そっちこそ嘘だな、それだけじゃないだろ?
とぼけんなよ、これだけははぐらかす事は許さないぜ」


「・・・・・・・・・・・・知ってるんですか?」


「言峰、前の主だがあいつは聖杯戦争の管理者でもあったからな、推理の種くらいはな」


「兄だけでなく、姉も助けてもらいました。そして、先輩も・・・」




姉、そう言った瞬間桜の瞳に浮かんだ複雑な感情をランサーは見逃さなかった。


尊敬、愛情、嫉妬、憎悪、敬愛・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

相反する感情の鬩ぎ合う螺旋模様



「オレはランサーのサーヴァント、真名をクーフーリンという、まあどうやら知ってるみたいだけどな
新しいマスター、よろしく頼むぜ」


令呪が輝く右腕を強引に握るランサー


「今宵、この時この身をもって、あんたの願いを叶えるために力を尽くす、それがオレの誓約(ゲッシュ)だ」




頼もしい言葉、それが嬉しくてこぼれ落ちた素直な微笑み

衛宮士郎以外の人間の前で初めて笑った少女の笑顔は、やはり彼女の姉である少女に酷似していた



後書き


おかしい・・・
二部構成、オキラクな話にするはずだったのに
桜とランサーを組ませる説明ややり取りに時間かけすぎた

つーか、凛がほとんど出てこない・・・


びば!!兄貴!!

次の後編で凛と少々いちゃついて話し終わる予定です
シリアスになりがちなのは悪い癖、これがほのぼのだなんて詐欺だ何だといわないで。
全体を通してはほのぼの、ただ中編がたまたまシリアスっぽいだけだから・・・

ゴメンなさい