翠屋の店長、高町桃子は我が耳を疑わずには居られなかった。
自分の息子、高町恭也が言った一言はそれくらい衝撃的だったのだ

「恭也〜。母さん疲れてるみたいで聞き違いしちゃったみたいなの、もう一回言ってくれる?」

年の割には大人びている、というよりも中学生にしてすでに老成している感のある、息子の恭也は呆然としたままもう一度正確に呟いた。


「浜辺で・・・天使を見た・・・んだ・・・」



ぼ〜い み〜つ えんじぇる



先ほどと一言一句違わぬ言葉を呟く息子を桃子はマジマジと見つめた。
先ほど耳に入った言葉もどうやら聴き違いでも幻聴でも難聴でも、年のせいで耳が遠くなったわけでもなかったらしい

「誰が年よ!!」

何もない空間に怒鳴る母、桃子を冷ややかな目で見つめながらも恭也は困惑していた。

「どう考えても天使・・・だよな?あれは」


「しっかし、恭也もやっと女の子に興味を持つようになってくれたか」

困惑してる恭也の横で桃子は感慨深げにウンウンと頷いている

「で、どんな可愛い女の子だったのよ〜?
朴念仁だと思ってた恭也が女の子を天使に例えるなんて、よっぽど可憐な子だったんでしょうね〜」

「は?」

「照れるな照れるな。
恭也は顔立ちは整っているし、本当はすごく優しい子なんだから、本人がその気になればすぐに彼女なんて出来そうなのに、全然そんな素振も見せずに毎日修行三昧でしょ?
お母さんは、恭也が情緒面に関して深刻な問題を抱えているか、まさかまさかとは思うけど、親友だと思ってた赤星君と道ならぬ関係になっているんじゃないか?なんて怖いことまで考えてたんだから」

「ひ?」

「もうとぼけなくても良いのに〜♪
で、どんな子なの?恭也の心を盗んでいった浜辺の天使は?」

「ふ?」

「まさか美由希や晶ちゃんやレンちゃんじゃないわよね?
ダメよ、恭也。いくらあの子達が可愛くても、年齢にいくらなんでも問題があるわ・・・」

「へ?」

「まあ気持ちはわからなくないけどね、あの子たち可愛いものね〜。それこそ周りの女の子が霞むくらい。
まぁ、この桃子さん自慢の娘達なんだから当然といえば当然だけど」

「ほ?」

「そんな子が水着に着替えたんだもん、いくら爺臭い・・・いえいえ、大人ぶってても、純情思春期直球ど真ん中の、われらが恭也君がメロメロドキュンになっても不思議はないわよね〜。
イヤン♪桃子さんドキドキ〜〜!!」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ほっとくか」

妄想が暴走する母親を尻目に、恭也は軽くため息を一つついた

「天使なんて居るわけない・・・けど、あれは天使そのものだった」




ザワザワと浜辺にどよめきが聞こえる
嬌声や喧騒とは違う、緊迫したどよめき、何か事故でも遭ったのかもしれない

そう考え、騒ぎの中心と思しき場所に走りながら、人々の会話から、情報を断片的ながらも拾い集める

はたして、恭也の予想通り、子供がかなり深いところで溺れているらしい。

間が悪く、ライフセイバーも居ないようだ、このままでは最悪の事態も起こりうるかもしれない

「くそ!間に合うか?」

海に飛び込み、猛烈な速度で溺れている少年のところまで泳ぐ恭也。
常日頃の鍛錬の成果か、そのスピードはかなりのものだった。
しかし、哀しいかな、泳ぎに関しては素人に過ぎない恭也は、身体能力だけで相当の速度で泳ぐも、気ばかりが焦ってなかなか子供まで到達できない。

「もう少しだ、がんばってくれ!」

子供まで、あともう少しのところまで恭也が何とか泳ぎ切った所で、子供は力尽きたのか、海に沈んでしまった。

「く!!」

今まで以上に必死で泳ぐも、とても間に合わないのは恭也にもわかった。
無力感と絶望に苛まれそうになる恭也の目の前に、フワリと白い羽が一枚舞い降りた

フワリフワリ・・・

何もない空間に、白い羽が雪のように舞い散り、彼女は突然、ほんの一瞬前には確かに居なかったはずの恭也の目の前に現れた

陽光に透けた金色の髪を靡かせて、その白い肢体を黄色いかわいらしい水着で被っている綺麗な少女。
少女の腕の中には、間に合わなかったはずの少年が抱きかかえられていた。
少年を見守る少女の瞳はどこまでも澄んでいて優しい
そして、驚くべきことに少女の背には純白の翼が広がっていた

それは、まさに天使そのものに見えた

無力な自分の代わりに天使がおこした奇跡

その時の自分は一体どんな表情をしていたのだろうか?

一瞬目があった天使は、自分に向けられる視線に対し、寂しそうに哀しそうに・・・でも、儚く微笑んで・・・消えた

瞬きをする間に、目の前から天使は姿を消したのだ。
波間に漂う純白の羽を拾うとするも、恭也の指が触れた瞬間に、粉雪のように消えてしまった。


「俺は・・・夢でも見ているのか?」

天使なんて馬鹿げてる、そう思い自らの頬を抓って見る

「・・・痛い」

そうして、恭也は呆然としたままに浜辺をあとにした




「あの少女、どこかで見たことがある気がするんだがな・・・」

そう思いながら、数日を過ごしていた。
あれは夢ではなかった、そう確信してはいてもやはり白昼夢でも見たのだろうかと不安に思い始めたそのときだった。

ドアベルが来客を告げる。
扉をくぐるのに、頭をぶつけないように身をかがめて入ってくる長身の男。
何度か見たことがある、翠屋のお得意様だ。
2メートルに届きそうな長身と、良く笑う温和な表情で、他人に強い印象を与える人だ。

「お兄ちゃん、やっぱりシュークリームがいいなぁ〜」

その長身とは対照的に小柄な少女が、男の背中から顔を出した。
仲良く腕を組んでいるその様子は、巨木につかまるコアラのようにも見えた。

「そっか、じゃあ今日のおやつはシュークリームにするか」

見た目通り妹に甘いのか、ニコニコとそんなことを言っている。

「耕介、あまり知佳を甘やかすもんじゃない」

二人のやり取りを苦笑しながら窘めるメガネの女性。
ワイワイ話しながらも空いている席に座って話していた。



「恭也、注文とってきて・・・って、どうしたの、あんた?」

桃子の声も聞こえないほど、じっと三人を見ている、いや、正確に言うなら三人の中の一人に視線は集中していた

「あの浜辺の・・・」

思わず口に出ていた言葉を桃子がしっかりチェックしていた

「ああ、あんたの浜辺の天使って知佳ちゃんだったんだ
確かにあの子は可愛いわよね〜、性格も明るくて優しそうな子だし、見た目も天使そのものって感じだし・・・」

そんな桃子の言葉も耳に入らず恭也は三人のところへ、いや、知佳のところへフラフラと熱病に浮かされたように歩いていった。


「やあ、こんにちは」

常連の耕介は、良く手伝いをしている恭也を見知っているのか、さわやかな笑顔で挨拶をしてくる

「今、注文を・・・って、君どうかしたのかい?」

日ごろの恭也のキビキビした無駄のない動きを知っている耕介は、どこか夢遊病者のような恭也の仕草に違和感を感じた。

そんな耕介も目に入らないのか、恭也は知佳の前までゆっくりと歩いてきた。

「なにかようなのかな?」、そう知佳が言う前に恭也は

「この間・・・浜辺に居ましたよね」

と、呟いた。その問いに当の知佳が答える前に、横に座っていた真雪が派手に音を立てて立ち上がった。

「お兄ちゃん、ちょっと外で話をしようか?」

鋭い視線と、激しい殺意にも似た怒気を孕んだ雰囲気で恭也を外に連れ出す真雪。
普通の人ならば、その場で腰を抜かしてしまうほどの迫力があった。
実際同席していた耕介は、息を呑んで成り行きを見守っていた。

「私も行く!!」

知佳が叫ぶように言って、立ち上がる。
真雪が何とか留めようとするが聞き入れない、最後には真雪が諦めたのか3人で外に出ることになった。





外に出るなり、真雪は掴みかからんばかりの勢いで恭也を問い詰めた。

「あんた、何が聞きたい?何が目的なんだ?」

知佳が間に入らなければ実際殴っていたかもしれない、それぐらいすでに平常心を失っている。

「私に話があるんだよね?」

対照的に知佳は穏やかな声で、恭也に話しかけた。

「あの時、浜辺にいた人ですよね」

「違う!!何のことだ!!?」

真雪の必死の叫びが却って恭也に、あの時のことは現実だったことを印象付けた。

「あの時の浜辺って言われてもね、ちょっとわからないな」

「・・・子供をあなたが助けたときのことです」

知佳は何も言わない

「あの時、必死で泳いでいた俺の目の前にあなたは突然現れた」

「・・・あの時の人か」

諦めたような知佳の口調

「知佳!!!」

咎めるような真雪の声に耳を貸さずに知佳は言葉を続けた

「みんながただ手をこまねいていた時に、誰よりも早く海に飛び込んで、誰よりも速く泳いでいたの・・・君だったんだ」

恭也の疑問に対する間接的な肯定の言葉

「では、あの時突然現れたのは貴女だったんですね」

「テレポーテーション・・・って言うんだ、あれ」

「あの背中の羽は・・・」

「私ね、HGSって言われる病気なの。
簡単に言ったら超能力者みたいなもの・・・かな」

おどけた様な口調、知佳の表情は笑っていた。
それは無理矢理作った痛々しい笑顔。
海辺で目があった時に見せた儚い笑顔がそこにはあった。


一瞬、恭也の頭に、しばらくあっていない年上の幼馴染の顔がフラッシュバックのように思い出された。
今、何故、彼女を思い出したのか?理由はわからないけれど、確かに恭也はイギリスにいる少女を思い起こした。


「ありがとう」

ポツリと呟く様に恭也は口にした。

「・・・え?」

その言葉に知佳が意外そうな顔をする

「俺は助けられなかったから・・・
あの子の事助けられなかったから」

落ち込む恭也の頭を知佳が優しく撫でた

「私ね、この翼が嫌いだったの・・・」

「なんで、そんなに綺麗な翼なのに?」

「ずっとずっと、この翼のせいで辛い目にあってきたからかな
でもね、こんな私でも受け入れてくれる人が出来たの、耕介お兄ちゃんや愛お姉ちゃん、そしてさざなみ寮に居るみんな、何よりも真雪お姉ちゃんが居てくれるから」

もう、知佳の言葉に真雪は何も言わない
浜辺のことから何度も何度も二人で話し合って決めたことだから

喧嘩もした、涙も流した、けれど最後には知佳の意見を尊重することにしたから

「私ね、君も知っての通り普通じゃない力を持っているよ。
ずっと私が私を嫌いな原因だったこの翼の力でもね、この間みたいに誰かを助けることが出来るかもしれないってわかったの
だから、もう他の誰かに例え嫌われたとしても私は私の力を有効に使って生きていこうと決めたんだ」

その両目には不安が見える
けれど、知佳の表情からは誇り高い覚悟が見えた。
恭也の憧れた父「高町士郎」が持っていた、人を護ろうと生きる、誇り高く気高い覚悟の決意が確かにそこにはあった。



「どうして・・・そんな大事なことまで初対面の俺に聞かせてくれたんです?」

その後店に戻り、3人の帰り際に恭也は知佳をますっぐ見つめて疑問を投げかけた

「どうしてかな?君が私に似ているような感じがしたの」

不思議そうに首をかしげる恭也

「自分の持っている力の意味がわからない、無力な自分が嫌い」

知佳の言葉にピクッと恭也が反応した。

「それにね、君の眼差しからは不器用だけど優しい心が伝わってきたからかな」

『いつも私を見守ってくれた、真雪お姉ちゃんと同じ不器用な優しさがね』

ニコリと微笑む知佳は、背中に羽などなくても、恭也の目には確かに天使に映った。

いつか見た儚げな天使ではなく、可憐で優しく底抜けに明るい天使の笑顔と言葉を胸に深く刻んだ


恭也が一年間の修行の旅を決意したのはこの直後のことだった。




恭也が再び天使に出会うには数年のときが必要だった





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そしてそれはすでに別のお話



艦長の戯言

お待たせしました、実はこれ2千か3千HIT記念のリクエストSSです
遅い(滝汗)遅すぎる(血汗)
あははん、軽く半年以上お待たせしてスイマセンでした
これにこりて、もう記念SSはなるべく受け付けない方向で行こうかなと・・・
いや、俺は一年くらいなら待てるぜ!
という、ツワモノの方なら良いんですけど

ちょっと、正確には恭也×知佳SSとはいいがたいですが
いや、だって恭也×知佳SSは私の尊敬するM2様がすでに傑作を書かれているんですもん

実は復帰してから、純然たる新作短編を自分のホームページで復活させたのは初めてなんですよ
ですから皆様の評価が気になるところ

ドキドキです♪

ぜひぜひ感想お聞かせくださいませ