がやがやとした喧騒の中で、遠野志貴はチラリと、これで何度目になるのかわからないが、時間を確認した。
先ほど確認してから、まだ一、二分しかたっていない。

回りを見渡せば、志貴と同じく何かを待ちきれないかのように、そわそわとした人が他にも見える。
あの人も、誰か大切な人を迎えに来たのだろうか?
一方でこれからハネムーンにでも旅立つのだろうか、幸せそうな笑顔で腕を組んで歩く男女の姿が見られた。
その姿を見て志貴はそっと自分の懐を撫でた。
確かな感触を感じて、志貴は小さくうなづいた。

ここ、飛行場のホールには、変わらず、がやがやとした喧騒とともに、多くの人間が動き回っていた。

「あれ?」

そんな中に、志貴は不可思議な人影を見た。
小さな子供だ。
別に飛行場には他にも子供はいくらでも居たが、なぜかその子からは不可思議な印象を受けたのだった。
しかし、人込の中で一瞬だけ視界に入ったその子は、次の瞬間にはもう見失っていた。
何か引っかかるものを感じたが、次の瞬間にはもう忘れていた。
何故なら、今日は志貴にとって最も大切な人が帰ってくる日だったからだ。

再び腕時計を確認して、やや、イライラとした面持ちで滑走路を眺め、次いでその視線を空に転じた。


志貴の視界には、雲ひとつ無い、青い蒼い空が広がっていた。




箱儚(はこにわ)

あれは、3年ほど前の事だった。

日は短く、吐く息は白い。
そんな、冬のある日の帰り道。
他愛ないおしゃべりをしながら、いつもどおり、3人で歩く。
そんな、ありきたりの日常が、彼女の一言で突如遠く感じたのを志貴はよく覚えていた。

「乾君、志貴君、あの話、正式に決まりました」

彼女は、いつもの優しい笑顔を浮かべながら、まるでさっきまでの笑い話の続きのような自然さで呟いた。

それは前々から聞いていたこと。
当然覚悟していた真実。
頭ではそう理解していた、いや、理解したつもりで居た。

「やったじゃん、先輩」

「ありがとう乾君」

そんな、真横の二人の会話を、志貴はひどく遠く感じていた。
有彦や、先輩の言葉にただ、「うん」とだけ生返事を返しながら、志貴の耳は何も聞いては居なかった。


「志貴君、志貴君。聞いてますか?私の話」

強く体を揺さぶられて、志貴の頭はようやく現実に戻ってきた。

「あれ、先輩。有彦のやつは?」

そんな志貴に先輩は肩を竦めて溜息をついた。

「何言ってるんです?とぉぉぉぉっくの昔に乾君とはさよならをしましたけど。
まったく志貴君は歩きながらでも眠ってしまうんですか?」

プンプンと、擬音が見えそうなくらいの怒りっぷりだ。

「その様子だと私の話もぜんぜん聞いてませんでしたね?」

「すいません」

二人の間に沈黙の楽の音が流れた。

「やっぱり、反対ですか?」

夜の闇に消え去りそうなくらい、小さな声で呟いたその声に志貴は慌てて首を振った。

「パン屋になる。それが先輩の夢だって知ってる。
そのために今回の留学の話がどれだけ重要なのかも理解してるよ。
反対だなんて・・・」

言葉を濁そうとする志貴を、彼女はまっすぐに見つめた。
いつでもまっすぐで、他人のために一生懸命な先輩。

志貴にとって彼女は日常生活の象徴のような人だった。
その彼女が海外に行ってしまう。
自分の日常から居なくなってしまう。
それが志貴にとっては何よりもつらく哀しいことだった。

「待っていてくれますか?」

彼女はいつもの優しい笑顔で志貴を見つめながら、はっきりと言葉にした。

「私が向こうから日本に戻ってくるまで、私のことを待っていてくれますか?」

いつの間にか彼女の顔は真っ赤になっていた。
恐らくそれは、寒さのためではない。

「・・・待ってるよ」

はじめは小さく呟くように

「俺、ずっと先輩が帰ってくるまで待ってるから」

自分と彼女、双方に言い聞かせるようにはっきりと頷いた。

「・・・ありがとう、志貴君。
私はね、ずるいの。
自分は自分のために遠くに行くのに、いつまでもあなたを縛るような約束をさせて」

泣いている少女を志貴は自分の胸に抱いた。
思った以上に華奢で、折れてしまいそうな細い体を優しく抱きしめた。

「先輩はね、いつも他の人のために一生懸命じゃないか。
だからさ、俺にくらいは我侭言ってよ」

そう言って、胸の中で泣き続ける彼女をいつまでも抱きしめていた。




「志貴君、これを受け取ってください」

未だに、少しだけ眼を赤く腫らした先輩が志貴に懐から何かを渡した。


カチカチカチカチ


それは金色の懐中時計

「それを私だと思って大切にしてください」

「ありがとう、でも俺、何も返せるものが無いんだ」

「良いんです、たくさんの気持ち(もの)をあなたからもらいましたから」

「あれ、先輩、この時計狂ってるんですけど」


カチカチカチカチ


律儀に一定の間隔で時を刻むその針たちは、確かに見当違いの時間を刻んでいた。
志貴の言葉に軽く首を横に振りながら

「これで良いんですよ。
この時計は向こうの時間に合わせてあるんです。
これを見るたびに、私が今何をしてるのかと、私のことを考えてください」

「ありがとう、これ大切にするよ。
肌身離さず持ち歩いて、先輩を思い出すから」

志貴はそっと抱き寄せて肩を抱いた。
街頭に照らされた二人の影の距離が少しずつ近づいて、そして二人のシルエットが重なり合った。




「あれ?」

「どうしました?」

「なんか向こうのほうに人影が見えたんだけど・・・消えちゃった」


少し離れた街頭の下に浮かぶ不可思議な影。

白い着物を着た少年
その胸には大きな痕がひとつ。

闇に混ざるようにその姿はすぐに消えてしまった。





「志貴君!志貴君!!目を覚まして!!!」

そんな悲痛な叫び声が耳を叩く。
愛しい人の声を忘れるはずが無い。

「どうしたんだい、シエル」

涙を拭いてあげたいと思ったが、何故か自分の体はぴくりとも動かなかった。





志貴の肩が軽く叩かれた。

「こんなところでお昼寝ですか?
相変わらず志貴君は立ったままでも寝てしまうんですね」

夢にまで見た人が目の前に立っていた。

「おかえり、先輩」

そういって、抱きしめようとする志貴をヒラリとかわし、もう先輩じゃないですよ、と呟いた。

「お帰り、シエル」

志貴がそういうと、自分から志貴の胸に飛び込んできた。

「ただいま、志貴君。
私が居ない間、イイコでお留守番してましたか?」

軽い言葉と裏腹にその双眸は涙に濡れていた。

「シエル、この時計のお礼に渡したいものがあるんだ」

懐から、大事そうに包みを取り出してシエルに渡した。



−−−−−−−−−−−−それは、シエルの瞳と同じ色をした宝石。

「ありがとう、ありがとう」

まるでそれ以外の言葉を失ったかのように彼女はそう繰り返していた




そんな二人の幸せなやり取りをじっと見つめる着物の少年
その瞳は心なしか冷ややかな色をしていた。














青い蒼い空の下で二人の華燭の式が挙げられた。

鳴り響く教会のチャペル。

バージンロードを歩く美しい花嫁。

自分たちを祝ってくれる友人たち。

式の間、シエルは泣いていた。

「幸せすぎて怖いくらいだ」

そう志貴が呟くほどに、まさに幸せを絵に描いたような状態だった。


指輪の交換がなされ誓いの接吻の時がきた。

美しい、シエル自身の手によるヴェールをまくり花嫁を見る。

彼女は泣いていた。いや、哭いていた。
悲痛な表情で、必死に呼びかけていた。
その瞳は、

『志貴君、目を醒まして!!』

そう言っているように見えた。



我が目を疑い、一瞬、瞬きをした。

彼女は泣いていた。
元のとおり、幸せの涙を流していた。

先ほどのシエルはなんだったんだろう?

そう思いながらも志貴は、目の前の大切な人の唇にそっと己の唇を重ねた。

式場は最大限の盛り上がりを見せた。






そんな喧騒をよそに、胸に痕を持つ少年が空を見ている。

「蒼い青い空だな、まるで泣き出しそうだ」

みんなに揉みくちゃにされている遠野志貴が遠くに見える。

「所詮は儚い夢の世界でも、このまま目覚めないほうが幸せだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だって現実の君は」





暗い病室に悲痛な声が響く

「目を醒まして、ずっと私と居てくれるって・・・私を幸せにしてくれるって言ってくれたじゃない」

青い瞳から3年間、枯れる事の無い涙が流れる。

そんな彼女の言葉に反応することも無く、少年は相変わらずただ眠っているかのように安らかな表情のままだった。

彼女は声をかけ続けた。
いつ目覚めるとも知れない少年に。
・・・・・・・・・・・・二度と目覚めないかもしれない少年に



魔術師の戯言


えーと、わかりづらかったらすいません。
シエルルート、志貴が夢の世界から目覚めなかったら・・・
という話です。

ところどころ出てくる少年は七夜志貴です。

最後のほうになるまで例の夢の世界だと気づかれないように書いていこうと思ったんですが成功したかは結構疑問

実は久々の完全新作シリアス読みきりなのでイメージどおりにかけなかったなぁ、と思ってます。

これから、徐々にリハビリしないと文章力etcがやばいのを痛感しました。
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