橋を巡る攻防は、ここに最終局面を迎えた。
赤光は奈落へと直下し、青光は天上へ駆け上っていった。
一度放たれた矢は標的を変えられない。
そんな道理すら凌駕した赤い英霊は、道理を超えた一撃をさらに凌駕した最強の英霊の前に敗れ去った。
青と赤の交わりはほんの一瞬。
瞬きにも満たない刹那の邂逅。
長い人生の中で、刹那の時間のみを共に共有した少女が居た。
その刹那の出会いが、彼の全ての人生を超越した。
未練など無かった。
未練など無かったはずだった。
―――けれど。
「君とは本当に・・・縁がない」
時を経て、世界を超えて、ようやく廻り逢ったこの時すらも、二人の邂逅は刹那で閉じる。
そんな皮肉に、片頬を僅かに吊り上げて静かに眼を閉じた。
「アーチャーの名に恥じぬ一投でした。
貴方にマスターがいたのなら、この結末にはならなかったでしょう」
「―――は、馬鹿を言うなセイバー。
アレがいたのなら、そもそもおまえたちとは戦えん」
礼賛に笑いで返す。
口元に浮かんだそれは蔑むものではなく、親愛を帯びた吐露《とろ》だった。
「チ―――いかんな、もう保たん。他に言う事はないかセイバー。勝者の責務だ、疑問があるのなら問いただせ」
ざらりと、砂の散る音がする。
血液を流す不手際はない。
サーヴァントとて、まだ存命している内は血を流そう。
だが確実に命を断たれた後は、もはや灰に還るのみである。
「いいえ、私からは何も。
貴方が弓をとったのなら、それは然るべき理由があってのこと。私は命を奪った。これ以上のものを、貴方から取り上げる事はできない」
く、とアーチャーから笑いが漏れる。
セイバーの礼を優しさと取るか冷酷と取るか。
戦いにおいて、この騎士はその二つを内包している。
……その矛盾、人間ならば破綻する心の在り方を、美しいと感じた事もあったのだ。
否。その記憶は、こうした今も忘れ得ない。
昔、ある出会いがあった。
おそらくは一秒すらなかった光景。
されど。
その姿ならば、たとえ地獄に落ちようとも、鮮明に思い返す事ができるだろう。
月の光に濡れた髪。
……あの光景は、目を閉じれば今でも遠く胸に残る。
「今回はオレの負けか―――先に行くぞセイバー。
せいぜい、このオレに騙されていろ」
潔く散る事などせず、敗者の恨みを残してアーチャーは消滅する。
時が二人を別つまで
崩れ落ちそうになる四肢に力を込める。
目の前には唇を噛み、月を見上げる騎士の王。
否、唇を噛む、そんな仕草は、騎士の王には似合わない。
アーサーと呼ばれたブリテンの王は、いつだって後悔することも無く、その切っ先同様に前だけを見据えてきたのだから。
ならば、目の前に立ち、何かに耐えるように天を見上げる彼女は何だ。
騎士王ではなく、セイバーでもない、決戦の夜に心を、そして身体を重ねた、いつかの少女の残滓かもしれない。
それを、ほんの少しでも長くこの眼に焼き付けようと、崩れ落ちそうな身体に活を入れる。
そんな消滅する身体に触れる暖かい感触。
気がつけば目の前には彼女が居た。
「もう少しだけ、私を騙してください」
抱き締めた身体を、そのまま優しく大地に寝せる。
「騙す?」
不可解な彼女の言葉に首を傾げる。
「貴方が消えるまでのこの僅かな時間だけでかまいません。
私を騙してください」
微笑み、アーチャーの頭を自らの膝の上に乗せる。
「セイバー・・・?」
その感触に、心臓が跳ね上がる。
夜の戦争を駆け抜けた二人、そして無間の時を経て敵として再び見えたけれど、彼女のこんな表情は記憶に無い。
こんな優しい時間はあの夜以来だ。
いや、あの夜ですら、その後の英雄王との戦いが後に控えていたことを思えば、今こうしている時間は千金の価値があるのかもしれない。
「セイバー」
「なんですか、シロウ」
たったこれだけのやり取りが、何て愛おしく、そしてなんと残酷なのか。
されど、限界は近い。
砂時計の中の砂金は、こうしている間にもさらさらと貴重な時間を減らしていく。
「なあ、セイバー。
・・・俺は、強くなれたのかな」
容姿は違えども、その口調はその眼差しは、その心の在り様は少年のままの呟き。
あの懐かしい道場での、稽古を二人して思い出していたのかもしれない。
鍛え続けた。
あらゆる苦しみから周りの人を救うために。
心の中心に居座った少女を、彼は守ることが出来なかったから。
彼女と共に戦うには、彼は弱すぎたし、敵は強大すぎたから。
悔しかった。
どれだけセイバーが強くても、やっぱり女の子を守るのはいつだって男の役目だと思ったから。
「はい、貴方は強くなりました。
見違えるほどに強く、まるで鋼のように」
嬉しそうな、ほんの少し切なそうな表情は、少女というよりは、師としてのものかもしれない。
「あっさりと、セイバーに切れ伏せられてるんだけどな」
く、と笑いが漏れる。
それだけでも、もはや弓兵にとっては激痛を伴う苦行だが、それは億尾にも出さない。
今だけは、彼女を騙しきりたいから。
「何を言っているのです、今回はマスターの奇策が無ければ、きっと私達主従はあの橋で討たれていたでしょう」
そうかもしれない、いや、それは確かだろう。
記録には無いが、そんな結末があった記憶がある。
けれど、それは結局・・・
「ククク、それとて
「それは違います」
強くも激しくも無いが、それはきっぱりとした強い口調だった。
「私一人、などという選択肢はありえません」
小さな柔らかい掌が、アーチャーの掌を握り締めた。
聡明な碧眼が、強い意志で彼を見つめていた。
「あの時も思ったが、小さな掌だな」
彼女の掌を握り返した。
それは、小さくて柔らかくて、アーチャーが本気で握り締めれば、潰れてしまうのではないかと不安になるほどだった。
「貴方が大きくなったのですよ、シロウ」
小さいと言われたことが騎士王様には不満だったのだろうか。
頬を膨らませて抗議してくる様は、未だ少女の面影を強く残す子供染みた表情だった。
思わず漏れたアーチャーの微笑みに、セイバーも照れ臭そうな表情を返した。
「セイバー、お前に食べさせてあげたくて、いろいろ料理も覚えたんだ。
君の国の料理も覚えた」
「いえ、ブリテンの料理は・・・」
くだらない会話、けれどそれこそが二人にとっては至高の時間だった。
けれど、別れは訪れる。
砂時計は、もうすぐ全て流れてしまうだろう。
「セイバー、君にあの時の言葉を返すよ」
朝靄の中で貰った言葉。
「俺も、君を、・・・愛してた」
僅かな逡巡は、文字通り迷いだった。
愛している、それは揺ぎ無い事実。
けれど、自分は変わってしまったから。
次があるのなら、再び彼女の剣には弓もって応えるべき立場の自分。
告げていいものではない。
今も、彼女を愛しているなどと言う世迷言は。
しかし、予想に反して彼女の表情は、笑っていた。
「シロウは本当に嘘が下手ですね」
その言葉にも、揶揄するような愉快そうな感情が込められていた。
きょとんとした顔を返すアーチャーに、猶も笑いかける。
「さあ、最後まで責任を持って私を騙してください」
何もかもお見通しだった。
彼の逡巡も、不器用な生き方も、本当の気持ちまで何もかも。
「セイバー、俺も君を愛してる」
灰色の瞳が碧眼を貫く。
先程の、セイバーが視線で訴えた言葉への返答だった。
どちらからとも無く瞳を閉じた。
重ねた唇の温もりが少しずつ薄くなっていく。
ザーッと一陣の風が吹いた。
それでおしまい。
瞳を開いた時、赤い弓兵の姿は無い。
彼女に残ったのは身体に残った彼の重みと、唇の濡れた感触、そして最後の眼差しのみ。
「本当に、貴方らしい・・・」
あまりにも潔い散り様は、しかし、その実彼と言う人間らしい別れだと感じられた。
空を見上げる。
頭上には黒い月。
もうしばらくここで彼への思いに浸ろう。
きっと、自分を心配して、ここに向かってきているマスターには申し訳ないけれど。
杯のような輪郭から、ゆっくりと、勝者を蝕む毒が滴ってくるようだった。
魔術師の後書き
はい、ホームページ更新止まってて申し訳ありません。
今回は友人宅から更新です。
新居には相変わらずネット環境ナッシングです。
いくら連絡しても、もうちょっとお待ちください言うんだもんな、KD○I。
諦めてADSLにしようかしら。
と言うことで、hollowで数少ないアーチャーとセイバーの絡みのシーンからSSを書いてみました。
作中でも、アーチャーと別れてから士郎が来るまでの約一時間、屋上で立ち尽くすセイバーの心情とか、
いろいろ考えちゃいますよね。
短いですが、久々にSS更新できてよかったです。
返事もなかなか送れない環境ですが、それでも感想いただけたら幸いです。