ここは小高い丘の上に聳え立つ白亜の教会。
眼下には何処までも続く黒衣の列。

それはまるで砂糖に群がる蟻の列を思わせた。

口々にお悔やみの言葉を向ける蟻達に、外見上は非の打ち所の無い丁寧な返事を返しながらも、
此度の喪主である遠坂凛は、そんな皮肉な視線を向けるのだった。

「ミス遠坂、なんと申し上げたらいいかわかりかねますが、どうかお気を落とさずに。
何かございましたら遠慮なくご相談ください。
何しろお父様には生前大変お世話になりましたからな」

そんなオリジナリティの無い老紳士に、これまでと全く変わらない
丁重な挨拶と遠回しの拒絶の意を示し見送った後、ようやく途切れた長い列の合間に、遠坂凛は小さくため息をついた。

「誰が、貴方達なんかに頼るもんですか」

そう、彼女が皮肉った通り彼らは文字通り砂糖に群がる蟻だった。
魔術協会でも一目置かれた遠坂時臣亡き後、名門遠坂の魔術の秘蹟の一端でもと狙い、未だ幼い遠坂凛という砂糖菓子に群がる蟻たち。
彼女はそんな奴らに負けないようにと、魔術師として完璧な対応で彼らに相対してみせた。

「ふん、父に続いて母まで亡くしてもあの冷静さ、流石に名門の息女は違う」

例えそんな賞賛に名を借りた侮蔑の言葉が耳に聞こえても、彼女は自分に言い聞かせた。
『負けるもんですか』と。

「ご苦労だったな、凛」

教会の礼拝道で静かに祈りを終えた言峰綺礼は、淡々と教え子に声をかけた。

「ふん、疲れてなんかないわ」

蟻ともハイエナともつかない、あんな三下との対応なんて何てことない。
半分は虚勢だろうが、年端も行かない少女とは思えない精神力だ。
数年前の父の葬儀の時も、儀式の間は終ぞ涙を見せることはなく、胸を張って移譲された刻印の痛みすら見せなかった少女だ。
当時小学生の低学年だったこと、そして母の置かれた状況を鑑みれば、それだけでも驚異的な矜持と言える。

「あんたには随分世話になったわね、綺礼」

葬儀も全て滞りなく終わり、兄弟子に素直ではない謝意を示す。

「あれだけ深く愛した夫と同じ土に眠れたのだ。
お母上もきっと満足されているはずだ」

綺礼の言葉に、凛はその流麗な眉を顰めた。

「・・・それって皮肉かしら、綺礼」

凛の中に、綺礼からの思いやりという選択肢は存在しないらしい。
その鉄面皮に、ほんの僅かな微笑が浮かぶ。

「皮肉と言うのはこのような物を言うんだろうな」

「電報?」

綺礼が投げてよこしたそれは間桐からのお悔やみの電報だった。
なるほど、これ程皮肉に満ちた物もないだろう。

数年前の父時臣の葬儀も、此度の母の葬儀も間桐からは参列はなく、現当主鶴野からの電報があるだけだった。

期待していたわけではない、もう向こうの人間なのだから期待してはいけないことくらい理解している。
しかし・・・

「せめて母の葬儀くらい、間桐の代理と言う名目ででも参加させてやれば良いものを」

自分の弱い胸の内を切開するような言葉に、鋭い視線を向ける。

「すまん、失言だった。
生来の魔術師ではない者の不甲斐なさだ、許せ凛」

許せ、という割には露程も詫びていない唇は、容赦なく彼女の弱さを、罪を、切開していく。

「それで、これからどうするのだ、凛?」

「これからって?」

「お父上に引き続きお母上も亡くなったが、これからどうすると聞いている」

「・・・今まで通りよ」

そう、何も変わらない。
何故なら、母は、遠坂葵は既に彼女の中では、とっくの昔に死んでいたのだから。


夜と夜の幕間


高台に建つ瀟洒な洋館の前に逡巡するように立ち尽くす少女。
逡巡するというよりは、何か覚悟を決めるように館を睨みつけている。
やがて、覚悟がついたのか、少女は家の扉を開いた、ただいま。と呟いて。

「お帰りなさい、凛」

娘の帰宅を温かい笑顔で迎える母親。
少女に危害を加えるような物など何もない、温かい家庭が彼女の帰宅を迎える。

だからこそ異常だった。

何故彼女はこの家の扉を開くのにあれ程逡巡したのか。

「凛、どうしたの?
居間におやつが用意してあるわ、貴女が好きな蒸しケーキよ」

その言葉に笑顔を返し居間に向かう。
居間にはバニラエッセンスの香る出来立ての蒸しパンと、香気が立ち上る紅茶が二杯テーブルに並んでいた。
凛はナニも言わず、二人分のオヤツを平らげると、彼女は自分の部屋に逃げ込んだ。

やがて、夕食を告げる母の声に返事を返し、鏡の前で一度笑顔を作り、チェックする。
自分はうまく笑えているだろうかと。

食卓に並ぶ温かな食事は、どれもとても美味しそうで、事実、彼女の母親の料理は、味にうるさい父すらも唸らせるものだった。

「さあ、冷めないうちに召し上がれ」

「美味しい・・・」

「でしょ、今日は新鮮な鶏肉が手に入ったから」

促されて口をつけたクリームシチューは、思わず声が出るほど美味しい。
食卓に並ぶ4つの器から温かな湯気が昇る。

「どうです?時臣さん」

父がいつも座っていた席。
御丁寧にも、いつも口にしていた食前酒が用意されている席に、母が話しかける。

「そうですか、気に入っていただけて嬉しいです」

花の咲いたような、見ている方まで幸せになるような微笑を虚空に向ける。
母がどれだけ父を愛していたか知っている。
その父がこの世を去った時、母もまたその心がこの世を去ってしまった。

それは悲しく、寂しいことだが仕方がない。
あの聖杯戦争に巻き込まれたのだ、命があっただけでも幸いじゃないか。
無論本心は違う、違うが、凛は無理やりそう納得していた。

だから、耐えられないのはその事じゃない。

この家に暮らすのは今は二人。
けれど、食卓に並ぶシチューは4皿。
一皿は自分に、一皿は母に、一皿は父に。
ならば、残る一皿は・・・。

「桜、美味しい?」

これが、この一言だけが許せなかった。
必死に笑顔を作る、先程鏡の前で一生懸命練習した笑顔。
今、自分はきちんと笑えているだろうか。

「そう、桜、逆上がりできるようになったんだ」

母が見えない食卓の下で必死に掌を握り締める。
本当は、唇を噛みしめたいが母の前でそれはできない。
いや、本音を言えば今すぐこの場を逃げ出したいが、それはできない。

『桜』

忘れたことなんてない。
一つ年下の、いつも自分の後ろを着いてきた可愛い妹。

けれど口にしてはいけない。
『遠坂桜』なる人物はもう居ない。
それは、夭折した父とは意味合いが違う。

遠坂桜と言う存在は、遠坂家からは完全に抹消されてしまった存在だから。

父を悼むのは構わない。
現実に居ない父を幻視するのなら、咎めまい。

けれど、その名前を口にするのは許せない。

桜、桜、桜。

今日、久々にあの子を見かけた。
わずかに重なった視線、けれど何も居わずにあの子は私から視線を外した。
髪も、瞳も違ってしまったけれど、確かにあの子だった。
悲しみに曇った瞳をしていた。
あの子は人一倍寂しがり屋だったから、今でもまだ遠坂を懐かしんでいるのかもしれない。

けれど、もう『遠坂桜』はいない。
あの子もきっと間桐でがんばっている、必死で遠坂を忘れようと努力している。
だから、私もがんばってる。
喉まででかかった言葉を飲み込んだ。
あの子に掛けたかった一言

「頑張れ!!」

それすらも飲み込んだ。
何故ならあの子は間桐だから。
遠坂の私が気安く話しかけることができないから。

夢でも現でも幻でも、私の可愛い遠坂桜はもう居ない。
私たちが必死に忘れる努力をしているのに。

なのに、貴女は気安くあの子の名前を口にする。
なのに、貴女は気安くあの子の姿を幻視する。

それが私には許せない。

耐えられずにキッと母を見つめる。
今も幻の父と二人の娘に変わらない愛情を注ぐ母。
そう、変わらないのだ。
あの人の目には今の遠坂凛すらも映っていないだろう。
それが悲しく、そして寂しかった。

あと幾度この耐え難い夜を過ごすのか。
父を失い、母を喪失し、妹を抹消したのは、魔術と言う深い深い業のためだ。

ならば、いっそ全てを捨て去ろうか。

「ご馳走様」

それだけを告げて部屋に戻る。
袖を捲り鏡にうつる自分を見つめる。

スラリと伸びた手足、僅かに膨らみを主張している胸、長く伸びた髪。
そして左腕で燐光を放つ魔術刻印。
鏡の向こうで遠坂凛が自嘲気味に笑う。

捨てられるわけがない。

最後の瞬間、父は父であるより魔術師であることを選んだ。
ならば、自分は遠坂の魔術師でなければならない。
それに、あの子も間桐で頑張っているはず。
ならば、自分だけがこの業から逃げて良いわけがない。

胸に抱いたアゾット剣に魔力を込める。
それが遠坂凛にとっての毎日の儀式。
父がいて、母が健在で、妹が存在した、あの在りし日を夢見る大切な儀式だった。

儀式を終えて、寝室で眠る母に就寝の挨拶くちづけをし、寝台に横になる。
凛にとって母は、唯一の肉親として慈しみ見守りながらも、最早心の拠り所とは思っていない、そんな存在。

きっと自分は冷徹な人間なんだろう。
そう思う。
唯一の肉親である母すらも精神的に切り捨てている。


けれど、魔術師とは、本来冷徹冷酷で自身と自らの魔術の研鑽以外、全てを切り捨てる存在であるはずだ。






そうして彼女は眠りに落ちる。
そんな毎日の繰り返し、それが遠坂凛の日常だった。







◆◆◆

「凛、今まで通りとは?」

「昨日までと変わらない。
遠坂の人間として生きていくってことよ」

綺礼の呼び掛けに胸を張って応える。
その姿を他者の悲嘆と悲しみだけを是とする、異端の神父はつまらなそうに見送った。
数年前、師の葬儀で危惧した通り、彼女は歪みや罅とは無縁な、ヒトとして均整の取れた人格を形成しつつある。

「あれが時臣の娘か」

綺礼の私室へと続く扉から、金の髪と紅の双眸を持つ青年が値踏みするように呟いた。

「その姿を取るとは珍しいな、かつてのマスターへの餞か?」

「なに、単なる気紛れよ。
しかし、長年貴様が仕込んだ酒にしては期待はずれではないか?」

「確かにあれは、師と異なり正常よ。
しかしな、魔術と言う異常を正常のまま乗り切ろうと言うのだ。
行く末の懊悩や痛苦は、むしろより大きな孔を穿つだろうよ」

「我には理解できんな」

「あれは知らないからな、間桐に居る妹の境遇を」

つまらなそうに私室に戻る青年には聞こえない声で神父は呟いた。

「師よ、感謝します。
貴方のお陰で私の悦楽は尽きることはないのだから」








新都から歩く道すがら凛はもう一度気持ちの整理をしていた。

聖杯戦争は六〇年に一度、それは父が残した書籍に記されていた。
ならば、自分はその舞台に立つ日は来ないかもしれない。
けれど、それがどうしたと言うのか。
遠坂の悲願は『聖杯の獲得』ではない、それはあくまで手段に過ぎない。

そんな物に頼らなくても悲願は達成できる。
独力で自分は第二に達して見せる。
何故なら自分は魔術師であり、なにより遠坂の当主なのだから。

そう結論づけて、自宅の扉を開き呟いた。

「ただいま」

当然だが、誰からも返事はない。


「えっ!?」


思わず漏れた驚愕。
玄関の鏡に映る自分の瞳からは雫が零れ落ちていた。





やがて、神秘の夜にその身を投じる、ある少女の記憶。
そして、聖杯を巡る英雄たちの叙事詩の狭間。
幕間の夜の物語。


魔術師のあとがき


大変ご無沙汰しております。
魔術師です。
約一年ブリでしょうか。
詳細はトップページに譲りますが、最近のTYPE MOONに物凄いモチベーションを
無くしてまして、仕事が忙しいのも相まって放置プレイしておりました。

サイト締めようかなと思って久々にWEB拍手画面見たら、まったく更新してない
間も意外に書き込みがあって嬉しかったのと、月曜にFATEの映画見てきた勢いで
久々に更新してしまいました。

話として、ZEROの後本編が始まる前の空白の時期を埋めてみようと試みてみました。
本当はエルメロイの更新しようと思ったんですが、細部忘れたんでZERO読み返してたら
以前書こうと思ったこの話を思い出しまして。