非日常の中の日常番外編

その1

 

アルバムの中の君へ


 

 ―――9月

 

暦の上では、恭也にとって忘れられない夏が終わりを告げた。

夏の初めに薫と再会し、幼いころからの想いがついに一つの実を結んだ。

そして、薫を訪ねて訪れた鹿児島で、薫と恭也の関係は新たなる局面を迎えた。

今、二人は親公認の婚約者と言う関係であった。


「そこに至るまでの苦労は、並大抵の物じゃなかったけどね…」


死の狭間まで追込まれた鹿児島での一夜を思い起こして、恭也は軽く溜息をついた。


「どうしたの、高町君?」


隣で忍が、恭也の溜息を聞いて、不思議そうな顔で声をかけた。


「いや、なんでも無いよ…」

「じゃあ、もっと嬉しそうな顔をしなさい!!

せっかく薫さんが訪ねてきてくれるんだから!!」

「そうですよ、恭也さん。

薫ちゃん、今回はさざなみ寮じゃなくて、恭也さんの家に泊まりに来るんですから…」


那美も忍の言葉に、同意する。

恭也は、今度はこれ見よがしに溜息をついて言いきった。


「那美さんはわかる。でも、なんで他のやつらまで、わざわざ薫さんを迎えに行くのについてくるんだ!!!!?」

恭也の言うとおり、何故か海鳴駅前には忍、那美、晶、レン、美由希、それにゆうひまで居た。

「え〜!!だって、俺ら薫さんに会うの久しぶりだから…なあレン?」

「そうです〜、特にお師匠と婚約してからは一度もお会いしてませんし〜」

「やだな〜恭ちゃん。薫さんにはきちんと挨拶しなきゃいけないでしょ?

将来のお義姉さんだもん…」

「私にとっては実の姉ですから…」

「何言ってるんや〜。ウチは薫ちゃんの家族も同然やで!!

それに仕事で来れないフィアッセの代役でもあるんやから…」

みんなニヤニヤした顔で、もっともらしい理由を言う。


「お前は?月村」

「私?決まってるじゃない。高町君をからかうためよ!!!!」


最高に人が悪い笑顔で、忍は悪びれる事も無く言いきった。


「ああ〜ダメですよ忍さん」

「そうです〜、ウチラみんなとりあえず…」

「もっともらしい言い訳を作ってるんですから…」

「そうやで、忍ちゃんも適当に何か言っておき!!」

「あやややや!!!みんな恭ちゃんが怒ってるよ〜!!」


慌ててみんなを止めようとする美由希を尻目に、恭也は照れと怒りで赤くなっている。


「お…おまえら…」


帰れ!!!と叫ぼうとしたその矢先だった。


「あ、薫ちゃんや〜!!」


救いの女神が鹿児島からやってきたのは。

薫が手を振りながらみんなが居る方に小走りに走ってくる。


「恭也君…久しぶり…」

「本当に…薫さん」


見つめあって赤くなっている二人に、ゆうひの的確な突っ込みが決まった。


「ウチラも居るんやけどな〜薫ちゃん…」


その言葉にハッとなって薫は慌てて、回りのみんなにも挨拶する…。


「ひどいよ、薫ちゃん〜」

「ごめんごめん那美…」


やっと落ち着いた雰囲気を壊す様に忍が次の矢を放った。


「第一久しぶりも何も、高町君、鹿児島に夏休みギリギリまで居たんだから、まだ一月経ってないじゃん…」


その言葉を聞いて、ゆうひが忍の肩に片手をかけ、嬉しそうに手を握っていった。

「良い突っ込みや!!ウチはそっちも突っ込んでおきたかったんやけど…。

一人で、両方突っ込まないで、敢えて誰かが突っ込むのを待ってたんや。

ありがとう、忍ちゃん。あんたなら、いつさざなみ寮に来てもスターやで…」

「ゆうひさん!!!」

「何いってんねん!!!師匠やろ!!!?」

「すいません。師匠!!!!」


そんな二人の漫才師を置き去りにしたまま、残りの面々は翠屋に向かっていた。

 

 

息子の婚約者を迎えて、翠屋の店主高町桃子は、迷わず店を午後から貸し切りにした。

そして、息子と息子の友人達、更に息子の婚約者とその友人達でパーティーを開催していた。


「ウチのせいでお店をお休みさせる羽目になってしまって…」


と、生真面目な薫は大いに気にしていたが


「かあさんを始め、家の連中はみんなこんな馬鹿騒ぎが好きなだけです…。

むしろかあさんに言わせれば、良い口実ができたって感じですよ…」


と、恭也が薫に声をかける。

その恭也の言葉を肯定する様に、真雪と楽しそうに自分達のテーブルに二人を呼んでいた。

真雪やリスティ、桃子の酒の肴になるのもほどほどに、恭也は薫を家族の中で唯一きちんと紹介していない、フィアッセの許に薫と訪れた。


「おお!!薫ちゃんと恭也君のお揃いやな…」


フィアッセの横に座っていたゆうひが声を上げる。

「ゆうひさん、からかわないでください」


すでに、真雪達に散々玩具にされた後なので、照れと言うよりは、疲れ切ったと言う表情で恭也が言った。


「あははは〜♪よっぽどむこうで玩具にされたんやな?」

「ええ…、それはもう…」


薫は、思い出すのも辛いと言わんばかりの勢いで溜息をついた。

そんな薫の肩を慰める様に叩きながら、ゆうひがフィアッセに向き直った。


「さてと、じゃあ紹介するで…。

こちらに座っているブルネットの美女がウチの友達であり、

更に世紀の歌姫、ティオレ・クリステラの愛娘フィアッセ・クリステラや」


ティオレ・クリステラ――その名は、薫でもよく知っている20世紀を代表する歌手だ。

さらに、フィアッセ・クリステラ―まだ、さざなみに居たころに何度もゆうひからその名を聞いていた。

「イギリスでな〜、ごっつ〜仲良くなった子が居るんやけどな。

ティオレ先生の娘さんで、すご〜〜〜〜くステキな歌を歌うんや!!!

しかも美人さんで、良い子で〜〜〜…」

と……。

ゆうひは今度はフィアッセの方に向き直り、薫の紹介をはじめた。


「フィアッセ、フィアッセ…。

ここにおわす方はな、前の副将軍の…」

「水戸黄門じゃないんですから!!!!」


恭也から的確な突っ込みが入って、ゆうひは満足そうだ。


「ここにおわす方はな…、鹿児島にある退魔の家の若き当代であり、

さざなみに居たころから比類無い美貌と、少し冷たい態度で、当時の風高の男子を軒並み虜にしていった…」

「ゆうひさん!!!!!」


今度は薫が満面の微笑みと、唯一笑ってない眼が印象的な表情で、静かにゆうひを呼び止めた。


「・・・はい」

「真面目に…紹介していただけますよね…」


ゆうひの背中に冷たい汗が一筋流れた。


「・・・・・・・はい」


と言う事で仕切りなおしになった。


「薫ちゃんはな、真面目で朴訥で不器用やけど…優しくて…すてきな女の子さんやで…」


ゆうひは、先ほどとはうってかわって、優しい姉のような微笑を浮かべながら薫を紹介した。

そのゆうひの表情が、フィアッセの脳裏に一つの思い出が蘇える。

 

 

―――――――――――――――――――――数年前



士郎が亡くなり…久しく途絶えていた、恭也のクリステラ家への訪問が数年ぶりに行われた。


「ゆうひゆうひ!!!今日ね…恭也が遊びに来るんだ!!!

恭也…きっとすてきになってるんだから!!!」


その年齢以上に大人びた容姿のフィアッセが、まるで幼子の様に体中で喜びを表現しているのが、ゆうひには印象的だった。


「フィアッセ…なんやえらく嬉しそうやな…」


ゆうひの意地の悪そうな微笑に、フィアッセは警戒して


「うん…まあね…」


と言葉を濁した。

しかし、どうしても押さえきれない喜びが唇に現れていたので、フィアッセの目論見は完全に成功したとは言いがたい。


「好きなんやろ?その恭也君が…」


ゆうひのストレートな表情に、フィアッセの白い頬に紅い花ががほのかに色づいた。


「………うん…」


ゆうひの可聴域にぎりぎり届いたフィアッセの声は、幾千の言葉よりも雄弁に、フィアッセの恭也への想いをゆうひに伝えた。


「フィアッセをそこまで虜にするような男の子か…。

ウチも楽しみや…」

 

そしてその日の夕方に、クリステラ音楽スクールに恭也はあらわれた。

その年頃の他の子に比べて長身のその少年は、顔見知りのスクールの生徒に挨拶を交わしながら、ゆっくりとゆうひと…そしてその横に佇むフィアッセの傍に歩いてきて…


「はじめまして、恭也君!!ウチは椎名ゆうひ!!ちゃきちゃきの関西人や!!

ヨロシクな」


そう言って、手を差し伸べたゆうひに…


「はじめまして、高町恭也と言います。

数日間お世話になりますのでよろしくお願いします…」


と大人びた…と言うよりも、何処か老成した雰囲気すら感じさせる言葉遣いでゆうひの手を握った。

ただ…、ゆうひを見つめる瞳は黒く澄んでいて…

まるで湖の底のような、穏やかな雰囲気がして…ゆうひは吸い込まれそうになった。

『似ている…』

ゆうひは、日本に居る想い人の優しい瞳を思い出した。


槙原耕介…親友であり、そしてまたもう一人の親友である槙原愛の恋人…。


恭也の瞳は彼の瞳に似ていた。

優しさと意思の強さを秘めたものに…

僅かにゆうひの瞳が潤む…


「どうかしたんですか?」


ビックリして…しかし心配そうに、目の前の少年はゆうひの瞳を覗き込んでいた。

今まで誰も気が付かなかったゆうひのほんの僅かな心の弱い一面に、敏感に反応できるくらいの優しさを持った恭也と言う少年。


「あのな・・・」


ゆうひが何か言おうとした時に…


「恭也〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!」


と、フィアッセが恭也に抱きついた。

ギュッと抱きしめ、そして困っている恭也を意に介さずに頬擦りをする。


「フィアッセ…はっきりいってかなり恥ずかしいのだが…」


真っ赤になって照れながら、抗議をするその姿は先ほどまでの大人びた物からは想像もできないほどに…幼い。

結局、この日が終わるまでの間、恭也の右手は常に鎖に繋がれていた。

ブロンドの髪にブルーの瞳を持つ、黒翼の天使の左手と言う名の鎖に…

 

恭也の歓迎パーティが行われたその日の深夜、不意の客が遠慮がちなノックと共にゆうひの部屋に訪ねてきた。


「ゆうひ…入っても良いかな?」

「ああ…フィアッセか。開いてるから入ってきてええで…」


おずおずと、かわいいネグリジェに身を包んだフィアッセが、ゆうひの部屋に入って来た。


「どないしたんや、フィアッセ?

怖い夢でも見たんなら、ウチの部屋や無くて恭也君の部屋に行ったらええのに…」


ゆうひの冗談がどれだけ不出来な物でも、いつものフィアッセは笑ってくれるのに、―それは多分に苦笑の色合いが強かったかもしれないが―今日はニコリともせずに、ポスンとゆうひのベットに腰を下ろすと、じっとその蒼い瞳をゆうひに向けてきた…。


「?、フィアッセ…。何や…?」


常に無いほどに真摯な瞳で、まるでゆうひの心を見抜くように、蒼い瞳を向けるフィアッセにゆうひは怪訝な顔をした。


「ゆうひ…変な事を聞いても良い?」


フィアッセはそのまま真直ぐに瞳をゆうひに向けたまま、真剣な顔で訊ねた。

ゆうひもまた、フィアッセの態度から、真面目な雰囲気に気が付いて、顔から微笑を消して静かに頷いた。


「ゆうひは恭也のこと…どう思ったの?」


ゆうひはフィアッセが言いたいことが理解できずに首を傾げた。

そんなゆうひを見て、フィアッセは決心した様に小さく頷くと次の言葉を紡いだ。


「恭也は…耕介さんだっけ?その人に似てたの…?」


ゆうひはその言葉に、胸をチクリと痛めた。

しかし、自分の気持ちに手が一杯のフィアッセは、ゆうひの顔に僅かに浮かんだ痛みの色に気が付く事はできなかった。


「ゆうひ…恭也を見た時に…同じ眼をしてたもん…。

私や…アイリーンに…耕介さんの事話してくれる時と…」


ゆうひは目の前に居るフィアッセを見て認識を新たにしていた。

今、自分の目の前に居るのはかわいいかわいい『女の子』のフィアッセじゃなくて…

小さくても…真剣に好きな人の事で胸を痛めている『女』である事を…。

そして、フィアッセの中の『女』の勘が、ゆうひが一瞬、恭也の瞳に耕介を重ねた事を気が付かせたと言う事を…。

ゆうひは、フィアッセから眼を逸らすと静かに呟いた。


「そうやな…恭也君はすてきな子やな。

顔も美少年と言うのとはちょいとばっかし違うけど、端正でハンサムやし…」


少しづつ小さくなっていくゆうひの声をきちんと聞くために、フィアッセは体をゆうひの傍まで移動させる必要があった。


「それに…瞳がな…えらく綺麗なんや。

強い意思の閃きと、鈍感で朴訥なのに優しい…

磨き抜かれた黒曜石のような瞳が…」


『耕介君に似ていて…』


最後の部分は言葉にはならなかった…。

 

スゥ――――

ポタ…



ゆうひの手を静かに濡らす雫が、ゆうひの流している涙だと言う事を理解するまでに、フィアッセは数秒ほどの時を必要とした。


「ごめんね…」


フィアッセは、自分のした事がゆうひを哀しませて居る事にようやく気がついた。

フィアッセがした事は、ゆうひの胸のパンドラの箱に沈めた哀しき想いを、開放してしまったと言う事に…


「ごめんね…ゆうひ…」


フィアッセもまた泣き始めていた。

自分のせいで大好きなゆうひを泣かしている事が…

大好きな恭也が原因で、大好きなゆうひを傷付けている自分自身が…

許せなくて…哀しくて…辛くて…

 

蒼い…美しいサファイアから流れ落ちる涙をゆうひは静かに拭ってあげて…

そして、そして……笑ったのだ。

フィアッセには、その微笑みは優しい姉のようにみえた。

そして、優しい姉のような微笑を浮かべてゆうひは言ったのだった。


「恭也君に、もしも海鳴の町で耕介君に会う前に会っとたなら、惚れてたかもしれんな…」

「そっか…」


ゆうひの返答にフィアッセは静かに頷いた。


「安心したか?ウチがライバルにならなくて…?」


その顔はいつもの陽気な笑みを浮かべていた。


「うん…、だってゆうひ美人だから…」

「ありがとな…」


そう言ってゆうひはまた笑ったから…

姉のような優しい微笑で笑ったから…

 

「ゆうひ…、今日ここで寝ても良い?」

「ああ…枕を持っておいで…」


そしてフィアッセは眠りについた…

 


二つの願いをその胸に秘めて…



『ゆうひのような女性になりたい…』



そう願いながら…



例え、想いが実らなくても、誰かに優しくできて…

自分にも…実らなかった想いにも、真直ぐ誠実に生きられる、大人の女性になれる事を…

 

そしてまた…

恭也にいつか想いが届く事を願って…

静かにフィアッセは夢の中に落ちていった…

次の日から恭也とどう遊ぼうか…そんな幸せな夢の中に…

 

 

 

 

そして、今、恭也の横には恭也が選んだ人が居る…

二つ目の願いはかなわなかった…

だから彼女は静かに微笑んだのだ…

恭也に向けて、姉の様に優しい微笑で…




たくさん泣いたから…

アイリーンやゆうひにたくさん慰めてもらったから…

大好きな恭也が幸せそうに笑うから…

 



フィアッセは微笑んで話しかけた…



「はじめまして…フィアッセ・クリステラです。

よろしくね、薫さん」



その微笑みは紛れもなく恭也には姉の様に見えた…



「高町家の長女的な存在なんだ…」

 

 

今はまだ、恭也のその言葉が哀しい…

恭也にとって自分が姉でしかない事が…

それでも彼女は笑うのだろう…

いつかのゆうひのように…

 

 


後書き

 修羅の邂逅、番外編その1です。

作中で書き損ねた…イヤイヤ…明かされなかったフィアッセの心の動きを補完するために書いてみました。

タイトルはフィアッセが恭也と薫の結婚式で歌った歌と同じなんですけど…

誰か気が付きました?

恭也と薫の愛のお弁当大作戦編(笑)の前奏曲でもあります。

そちらも編集しなおして近いうちに必ずUPを…