俺と、いづみは、仲の良い友達だった。
少なくとも俺はそう思っていた。
仲が良い?
お笑い種だ、俺はいづみの何を知っていたというのだろう?
明るくて
きさくで
真摯で
冗談のわかる
そんな男友達のようなつもりで接していたんだ。
そう、友達・・・
そう思っていた、はずだったんだ・・・
隣で聞こえる安らかな吐息
腕に感じる確かな重み
密着した肌から感じる暖かな温もり
俺はそれに大きな幸せと、ほんの少しの、そう、ごくごく僅かな戸惑いを感じていた。
いづみをこうして抱きしめるようになったあの夜から、一週間の時が経った。
いづみは、忍者の道を諦めるといった。
これからは普通の女の子になるといった。
これは、愛のなのだろか?
そもそも『愛』とは何か?
これは、恋なのだろうか?
そもそも『恋』とは何か?
何も俺は、好きでこんな哲学染みたことを考えているんじゃない・・・
何故ならこれが、愛なのか、恋なのか、それとも他の何かの感情なのか?
俺自身には、そんな事はどうでも良いからだ。
これが愛じゃないのなら、俺は愛など知ることはない
これが恋じゃないのなら、俺は恋など必要としない
例えどういう感情であろうと、俺の気持ちのベクトルは、完全にいづみに向いているのだから。
そう、いづみだけに。
「う〜〜ん、むにゃむにゃ、真一郎様〜」
俺の胸の中でいづみの寝言が聞こえる。
「相川」
少し前のいづみは俺をそう呼んでいた。
毎日アルバイトに勤しむいづみの姿。
認めたくはなかったが、恐らく俺は尊敬していたんだ。
自分には出来ないこと、生活費を自分の手で稼いで手に入れている『自由』。
俺のように人から与えられた自由ではなく、自らの力で自由を得ていたその姿に。
だから、ほおっておけなかったんだ。
毎日修行に勤しむいづみの姿。
認めたくはなかったが恐らく俺は憧れていたんだ。
自分にはないもの、一途に自分の手だけで掴もうとしている『夢』。
俺のように無目的に毎日を過ごすのではなく、目標に向かって邁進していたその姿に。
だから、ほおっておけなかったんだ。
あんなふうに自暴自棄になるほどボロボロに疵付き、誰かに寄りかからなければ崩れてしまうほどに弱ってしまった、『御剣いづみ』を。
そう、彼女は『誰か』に寄りかかりたかっただけなんだ。
『真一郎様』
壊れそうな彼女を抱き止めたあの夜を境に、彼女は変わった。
彼女は「落ちて」来てしまったんだ。
俺なんかのところに・・・・・・
俺は卑怯者だ
いづみをはじめて抱いた夜、決めたのに
傷ついた彼女が立ち直った時、できるだけ明るく「さよなら」を告げようと・・・
強くて綺麗なこの子を、こんなドサクサ紛れの一晩で縛っちゃいけないと決めていたくせに。
心の何処かで願ってしまったんだ
この子が落ちたままで居ることを
俺を必要としてくれることを
そして、それは現実となった
いづみは落ちてきた
強くて綺麗だった羽を自分で捨てて、こんな俺のところなんかに
俺の腕の中のいづみは、相変わらず綺麗な顔立ちで寝息を立てている。
今も胸に感じる違和感
それの正体も知っている
彼女が必要としているのは・・・
いや、今は考えるのは辞めよう
俺は笑っていなければいけない、いづみを不安にさせてはいけない。
卑怯者の俺にだってそれくらいならできる
卑怯者の俺にはそれくらいしかできない
―――――泡沫(うたかた)の夢を見た
「相川、勝負をしよう」
強くまっすぐな瞳で俺に笑いかける『御剣』
ああ、これはテストの順位を競った時の夢か・・・
「相川、どうした?苦笑なんて浮かべて」
いづみが訝しげに俺を見ている。
それは、苦笑もするさ。
こんな、ほんの一月くらい前の、実際あった出来事ですら、あっさりと夢と気がついてしまうのだから。
今の俺は夢の中ですら、胸に刺さる棘から解放されない。
後悔なんてしていない
いづみがそばに居てくれる現実、それは幸せ以外の何者でもない
でも、胸に刺さった棘が抜けないんだ
いづみの瞳から消えてしまった輝きの残滓
あの、真剣に前だけを見ていた、力強い輝きが失われてしまったから
―――――う様?真一郎様?
薄く開けた視界の向こうに、心配そうないづみが居た
「どうした?」
「私の台詞ですよ」
俺の頬にほっそりとしたいづみの指先が触れる。
その指先に濡れた感触
「哀しい夢でも見たのですか?」
―――――ああ、いづみは夢でも、現(うつつ)でも、幻でも・・・・・・・・・・・・・・なんて、優しい
「ああ、少しだけ愛(かな)しい夢を見たんだ」
いづみが俺の頭に腕を回し、そっと胸に抱いた。
その温もりが俺の心を癒してくれる。
「ありがとう、いづみ」
「もう、落ち着きましたか?真一郎様」
「うん、ありがとう、みっともないところを見せちゃったね」
胸に抱かれた頭に、より強い力を感じた。
「みっともないだなんて・・・そんな事ない。
真一郎様は優しい人です。
それに、私にはどんな姿も見せてください。
最初に言ったじゃないですか、
『偽りのない自分をお互いにだけ見せられると良いですね
嘘も弱さも許しあえる二人で居られたら』
って」
その言葉は嘘
だっていづみも気がついているんだろう?
愛しているって、もう諦めるって・・・
自分の心に、そうやって嘘をついている事を・・・・・・
「そうだね、そんな二人で居られたら・・・・・・きっと幸せだろうね」
ありえない幻想を夢見るような呟きは誰にも届くことはなかった
-------------ああ、とうとう来たんだ
だから、俺はそう思ったんだ。
優しい嘘と、哀と、愛で彩られた砂の城のように
そんな儚い日々が終わりを告げる瞬間が来た事を
「真一郎様、私、やっぱり兄様を放ってはおけないし・・・
友達放って逃げたり出来ない・・・」
いづみは、ただじっと俺をみつめていた。
堕ちた羽が、一度は俺のところなんかに堕ちて来た綺麗な羽が、再び空に舞い上がっていこうとしているのがわかった。
いづみの瞳は再び強く真摯な輝きを放っていたから。
何を哀しむ?
わかっていた事じゃないか・・・
あの時から・・・
『ただ、優しい人に慰めて、甘やかしてほしかったんだ』
彼女が立ち直ったら、もう、俺の仕事は終わりだって。
強く綺麗なこの女の子を笑って見送ろうって決めていたじゃないか
「・・・・・・・・・・・・・・・わかってるよ、いづみが友達やお兄さんを放っておけるはずがないもんな」
そうだ、最後の機会かもしれない
だから、伝えなきゃ
あんなドサクサ紛れじゃなくて・・・
彼女のまっすぐな瞳に面と向かって
思いのたけをすべて伝えなきゃ!!
「それに、俺は・・・俺は・・・いづみのそういうところが・・・・・・・・」
ただ一言だけ
万感の思いを乗せて
これだけは、はっきり伝えなきゃ
「とても、好きなんだ・・・」
そう、掛け値なしの優しさ、これが本当のいづみの魅力なんだ。
ここで、いづみが無理して逃げ出してしまったら、彼女はきっと後悔する
いつしか、俺の胸に刺さった棘は抜けていた。
「真一郎様はどこか安全な所へ」
いづみの言葉に、首を横に振り共に弓華を探す。
弓華をさがし、そして襲われた時、俺ははっきりとわかったんだ
俺を「相川」と呼ぶ彼女を見て、完全に理解したんだ。
傷ついた羽は完全に輝きを取り戻した事を。
急速の時を終え、俺の所から、飛び去ってしまった事を。
隣で聞こえる安らかな吐息
腕に感じる確かな重み
密着した肌から感じる暖かな温もり
俺の横で微笑むいづみの姿
もう、胸の棘は痛まない
綺麗な羽は、再び俺の所に帰ってきた。
でも、今度は堕ちて来たんじゃない。
『偽りのない自分をお互いにだけ見せられると良いですね
嘘も弱さも許しあえる二人で居られたら』
そんな二人に、やっとなれたんだ。
弓華がいて、弓巳がいて、火影義兄さんがいて・・・
俺にもたれ、幸せそうに微笑むいづみ
隣で聞こえる安らかな吐息
腕に感じる確かな重み
密着した肌から感じる暖かな温もり
強く優しく綺麗で真剣な、ありのままのいづみ。
隣にいづみが居る幸せを今日も感謝しよう。
このまま、二人、時を過ごそう
「真一郎様、大好きです」
「俺もだよ」
今もこれからもずっと変わらない想いを胸に抱いて・・・・・・・・・・・・・・・・・
FIN