広い庭に、まだ小さい女の子が一人。

その横に、その子より僅かに年上と思われる男の子が一人。

二人は仲良く、その広い庭でじゃれあっていた。

二人は何処か似た雰囲気を持っていた。

決して似た面立ちであったのでは無い。

ただ、その瞳は良く似ていた。

その意思の強い、真直ぐな瞳だけは…


 

剣鬼の哭く夜


 

「美沙斗〜!静馬〜!転ぶなよ!」

そんな二人をやや離れたところから見ていた男の子、と言うよりも、もはや少年と言うべき年齢であろうか?

ともかくその少年が、仲の良い二人に微笑みながら声をかけた。

「大丈夫だよ〜!美沙斗は強い子だから転んでも泣かないもん!!」

「僕だって、泣かないよ〜!!」

そう言いながら、二人は益々はしゃぎながら庭の奥の方へ走っていた。

「まったく…美沙斗も静馬も…」

そう言いながらも、少年も二人を見失わない様に後を追った。

女の子の名は不破美沙斗。

男の子は御神静馬

そして二人の後を苦笑しながら追いかけて行ったのは、不破士郎であった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

カカカカカカカカッ!!


激しく打ちつけられる小太刀の音が広い庭に木霊する。

「良し!!良い感じだ、静馬!」

士郎が、静馬の小太刀の凄まじい連続攻撃を捌きながら、感嘆の声を上げた。

「せりゃ―――!」

一際、力を込めて静馬が右の小太刀を思い切り打ち降ろした。

「良し、打ちこみ1000本終わり」

 

その声に、静馬が「ぷぅ〜」と、溜息を吐き出した。

「どんどん剣筋が良くなっていくな…」

その士郎の言葉に静馬は顔をほころばした。

「まだまだ、士郎兄さんには敵わないよ」

そう言いながらも、やはり士郎に誉められたのが嬉しいのだろう。

もはや、少年とも言える年齢にも関わらず、こうして顔をほころばすと、まだまだ幼子の様にも見えた。

 

「はい、静お兄ちゃん。これで汗を拭いて…」

静馬にタオルを差し出す美沙斗も、今年の4月には小学生になる。

とは言っても、静馬と美沙斗は相変らず本当の兄妹のように仲が良かった。

「おい、美沙斗。兄ちゃんにはタオルはくれないのか?」

「何言ってるの!お兄ちゃんは、汗なんか掻いてないじゃない…」

美沙斗のその扱いの差に士郎は少し苦笑した。

 

「ねえ、お兄ちゃん。私にも剣を教えてくれないかな…」

突然、美沙斗が夕涼みがてら、三人で縁側でスイカを食べている時にぽつりと言った。

「どうしたんだ?突然」

士郎が訝しげに美沙斗に話しかける。

「…だって、私だけ仲間外れなんて、つまんないんだもん」

美沙斗は少しだけ拗ねた様に頬を膨らませて答えた。

「美沙ちゃん。別に剣なんてしなくても、僕も士郎兄さんも仲間外れに何てしないよ」

静馬が優しく微笑みながら美沙斗の髪を撫でる。

美沙斗の黒く豊かな黒髪は、さらさらとしていて、とても触り心地が良い。

一方、静馬に撫でられている美沙斗も何処か嬉しそうだった。

「…でも、剣の練習の時は、私やっぱり一人だもん」

撫でられながらも、静馬にやんわりと反論する。

「美沙斗。別に剣なんか学ばなくても静馬はずっと一緒に居てくれるぞ。

大きくなったらお前の事をお嫁さんにして、一生、一緒に居てくれるよ。

静馬は強くなるからお前が剣を使えなくても守ってくれるし…」

 

「士、士郎兄さん!!!」

士郎の言葉に静馬は紅くなって慌てる。

小学生にもなれば、多少は思春期に片足突っ込んでいるせいだろう。

「本当に美沙斗をお嫁さんにしてくれる?」

それに対して、まだ幼稚園児の美沙斗は良く意味がわかっていないのだろう。

お嫁さんと言う言葉と、静馬が一緒に居てくれる事が嬉しいのか、眼を輝かせて静馬の服の裾を掴む。

「え?・・・あの・・・その・・・」

静馬は照れているのか、固まってしまっている。

「おいおい、静馬。お前、俺のかわいい美沙斗がお嫁さんじゃ不服か?」

士郎が意地悪そうに微笑んで、真面目な静馬を困らせる。

「美沙斗の事嫌いなの?静お兄ちゃん…」

美沙斗の哀しそうな顔が見ていられなくて静馬は頷いた。

 

「僕がずっと一緒に居てあげる。

今も、美沙斗ちゃんが大きくなってからもずっとずっと…。

一番近くでどんな時でも守ってあげるよ」

そう言って、胸を張った静馬は美沙斗はもとより士郎にも十分頼もしく見えた。

 

「もう晩御飯だから、静馬も士郎君も美沙斗ちゃんも台所にいらっしゃい」

そんな話をしているところに、食事が出来た事を知らせに琴絵が縁側に出てきた。

御神琴絵、つまり、静馬の姉がやってきた。

いつもの様に、静馬の服の裾を握って傍にくっついている美沙斗を見ながら

「相変らず仲が良いわね。美沙斗ちゃん、静馬の所にお嫁に来ない?

美沙斗ちゃんみたいなかわいい子が妹になったら、私も嬉しいんだけど…」

と微笑む、琴絵に

「うん!!美沙斗、大きくなったら静お兄ちゃんのお嫁さんになるんだよ〜」

と、元気一杯に答える美沙斗が居た。

そんな様子をクスクス笑いながら見守る士郎と琴絵。

一人紅くなっている静馬が印象的だった。

 

そして美沙斗は

「美沙斗ね〜。今日から剣を勉強して強くなるの!

士郎お兄ちゃんも静お兄ちゃんも守れるくらい強くなるの!!」

「ええ〜!!僕が守ってあげるから美沙斗ちゃんは剣はしなくても平気だよ」

そう言う静馬の声を聞きながら

「美沙斗は、一度こうと決めたらてこでも譲らないからな…」

そう独り言を吐く士郎が居た。

 

そしてその言葉道理に、次の日から剣を握る美沙斗の姿がこの庭に見られた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「あううう〜〜」

エプロン姿で台所に立つ美沙斗が、情けない声を上げる。

「今度はどうしたの美沙斗ちゃん?」

その横で琴絵が優しく微笑みながら美沙斗に声をかける。

「それが・・・焦げちゃったんです・・・」

美沙斗が情けない声を出した。

「だめよ、美沙斗ちゃん。チョコは焦げやすいから湯煎のお湯の温度もきちんと考えないとね」

姉の様に優しい微笑を美沙斗に向けながら、美沙斗を励ましてくれる琴絵は、手際良く湯煎をすると、チョコを型に流し込んだ。

「私にはお料理の才能ないのかな・・・。さっきから失敗ばっかり・・・」

美沙斗は、あまりの琴絵との手際の差を目にしてそんな弱音を吐いた。

「そんな事ないわよ。美沙斗ちゃんは筋は良いわ。

ただ、今までほとんどお料理をしていなかったから、コツが掴めないでいるだけよ」

そう言って、美沙斗を励ます琴絵の視界には、何十回と失敗したチョコの残骸が山になっていた。

 

 結局、あの後更に数回の失敗を経て、ようやく美沙斗のチョコも形になった。

「凄いよね、琴絵姉さんはさ・・・」

琴絵が淹れてくれた、紅茶を飲みながら美沙斗はぽつりと言った。

「ん?何が凄いの?美沙斗ちゃん・・・」

そう言って、クリッとした瞳を向けて首を傾げている琴絵は、女の美沙斗が見ても凄く綺麗だった。

「琴絵姉さんは、いつ見ても美人で良いな〜と思って・・・」

「そんな事ないわよ。美沙斗ちゃんは凄くかわいいわ」

「そうかな〜?」

「そうよ、来年には中学生になるんだもん。

中学生になったら男の子の憧れの的よ・・・きっと・・・」

そんな話をしているところに、鍛錬から戻った静馬が入ってきた。

「あれ?美沙斗ちゃん来てたんだ・・・。

どうしたの?来てたんだったら道場に顔出してくれれば良かったのに・・・」

そう言いながら、汗を拭って美沙斗に微笑みかける。

「あの、今日は琴絵姉さんに用があったから・・・」

真っ赤になりながら、静馬に答える美沙斗を琴絵は嬉しそうに眺めていた。

 


そして、翌日


学校から帰宅した静馬に、美沙斗が門の所で声をかけた。

「あの・・・静兄さん。ちょっとこっちに来てもらえませんか?」

「うん?どうかしたの?まあ、いいや。わかった」

そう言って美沙斗と並んで御神本家の広い庭を歩く。

「そんでね、その時士郎がさ・・・」

「うん・・・」

静馬が何かを話し掛けても、美沙斗はてんで上の空で『うん・・・』としか答えない。

そんな美沙斗が急に立ち止まって

「静兄さん!!」

と、キュッと唇を結び静馬をじっと見つめる。

「うん?」

「あのこれ・・・受けとって欲しくて・・・」

そう言って、震える手で静馬に向かってラッピングされた包みを手渡す。

「これって、バレンタインのチョコ?」

静馬が少し困った顔で美沙斗に訊ねる。

「うん・・・」

美沙斗は、静馬の顔を見ないで頷いた。

「ありがとう、凄く嬉しいよ。

それに今日の美沙斗ちゃんはかわいいね」

静馬が言うように、今日の美沙斗は肩よりも少しだけ長めの髪を真っ白いリボンでまとめていた。

そして、真っ白いセーターは僅かにサイズが大きいのか、美沙斗の掌をすっぽりと隠していた。

「あの・・・この格好は琴絵さんがやってくれたんです」

いつもと違う着慣れない服のせいか、美沙斗は誉められたのに何処か気恥ずかしそうにもじもじしている。

「ところで静兄さん・・・。そっちの紙袋は何です?」

「え?こ・・・これ・・・・。」

静馬が困ったようにしているその紙袋を、美沙斗がひょっいと覗いて見ると、中身は、ぎっしり詰まったチョコレートであった。

しかも明かに手作りのチョコや高そうなチョコばっかりだった…。

間違っても義理チョコには見えない。

自分のチョコと見比べて、美沙斗はあまりの差に泣きたくなった。

『こんなに綺麗なチョコが有るなら私のチョコなんて…』

「こんなに沢山もらっているなら、私のへたくそなチョコなんて要りませんね」

そう言って、寂しそうにして眼を潤ませている美沙斗に

「こっちはあげる。俺は美沙斗ちゃんがくれたチョコで十分だからさ」

そう言って、美沙斗に紙袋を手渡すと静馬はにっこり笑った・・・。

その笑顔は、昔から変わらない妹への微笑みに美沙斗には見えた。

でもそれでも構わなかった…

『今は妹でも良いの…。静兄さんの傍に居られれば…』

静馬と別れて、うきうきとした足取りで家に戻った美沙斗は、受け取ったチョコの山をどうするか困った。

 

そこへ――

「ただいま〜!!あ〜疲れたな・・・」

士郎が帰ってきた。

「そうだ!!」

美沙斗は、うんうんと何か納得したかのように頷いた。

 

その後、その大量のチョコの山を処理する羽目になった士郎は虫歯に悩まされたとか・・・。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「あの…良かったら僕と付き合ってください…」

美沙斗の前で緊張した面持ちで立っている男子生徒がいた。

野球部のキャプテンでなかなかの美形でありながら、ずっと恋人を作らないでいた男だった。

 

「入学した時から美沙斗さんだけを見ていました。

そして…甲子園に出れたら告白しようと決めていたんです!」

その言葉通りに、彼の逆転満塁ホームランで今年野球部は甲子園行きを決めた。

そんな全校のアイドルに対しても美沙斗の答えは決まっていた。

「ごめんなさい…。他に好きな人がいますから」

「ガガ〜ン!!!!」

その言葉にトボトボと歩き去る男子生徒を美沙斗は済まなそうに見送った。

 

「また告白されたの美沙斗?」

美沙斗の傍らに立っている、ツインテールの少女は半ば呆れた様に呟いた。

その少女が言うように、美沙斗は今や中学三年生。

その三年の間に、もう二桁の男子生徒の告白を受けていた。

 

それもそのはず…

美しく豊かな黒髪は腰まで伸びていた。

その髪を後でまとめている白いリボンが、美沙斗の動きに合わせてフワリフワリと風に舞っている。

やや控えめで穏やかな雰囲気。

でも、明るくて誰にでも優しい。

少しはにかんだ様に笑うと、白い歯がチラリとだけこぼれる。

運動神経も抜群で、料理も上手。

ややハスキーな声がまた魅力的であった。

かつて、琴絵が予想した通りに、美沙斗は学園のアイドルと化していた。

 

そして…

「はっ!!」

ビュン!

「せい!!」

ガッガッ…

 

「良し、美沙斗。刺突だ!」

「はい!」

ガガーン…

 

一際大きな衝撃音が響いた。

 

「良し、今日の訓練終了」

「ありがとうございました」

汗を拭きながら、兄にお礼を言う。

「だいぶ鋭くて良い刺突が出きるようになってきたな」

美沙斗の成長が嬉しいのか、士郎は僅かに顔をほころばせながらいった。

「ありがとう、兄さん」

「でもな、まだ刺突の後の体重移動が遅い。

何度も言うが御神の剣の、刺突技の最終形の一つである『射抜』は、刺突から切り下ろしへの移動が要。

もっと精進する事だ」

「はい!兄さん」

敢えて、厳しい事を言いながらも士郎は美沙斗の成長に目を細めた。

 

腕力が無いために、刺突技を中心とした訓練を父に施されただけあって、刺突の鋭さなら士郎に並ぶかもしれない。

目の前で黙々と素振りをする美沙斗は、兄である士郎の目から見てもかなりの器量良しに見える。

流れる汗が陽光に輝き真剣な瞳がその美しさをより高めていた。

長い髪が美沙斗の激しい動きを追うかのように流れる。

その動きはもはや一族の剣士の中でも、かなりの位置にあるだろう。


そんな事にはお構い無く、美沙斗の美しくさらさらの髪が風に舞いあがっている。

 

『お前が剣を学ぶと言い出した時には、これほどの剣士になるとは思わなかったよ…』

士郎は感慨深げにその日の事を回想した。

 

『美沙斗静お兄ちゃんのお嫁さんになるんだよ〜!!』

 

そんな美沙斗の言葉が頭に響く。

一瞬、美沙斗に知らせるべきかどうか士郎は迷った。

しかし結局美沙斗に伝える事にしたのだ…

あのころから、妹の気持が変わっていない事を知っていたから。



この残酷な現実を…

 


「美沙斗…。落ち着いて聞けよ…。

明日…静馬はお見合いする…」

「え?」

突然の士郎の言葉は、美沙斗の耳には届いたが、頭には入っていかなかった。

しかし士郎はそんな事には構わずに言葉を進めた。

「あいつは、御神の宗家の嫡男だからな」

「だって・・静馬兄さんまだ若いじゃない…」

呆然と問い返す美沙斗が痛々しくて、士郎は見ていられなかった。

「あいつは、俺と違ってクソ真面目だからな。

あの年になっても浮いた噂一つ立たない…。

御神の長老達が不安になったとしても仕方ないのかもしれん…」

「・・・・・」

あまりのショックに美沙斗は言葉を無くしていた。

「お前はそれで良いのか?」

「え?」

そんな美沙斗に士郎は静かに語りかけた。

「静馬がお見合いをする…そしてその人と結ばれる。

もちろんすぐにってわけじゃないだろうがな…」

「うん・・・」

美沙斗の瞳にはいつもの意思が強そうな光は無い。

あまりのショックに色をなくしたその瞳は、漆黒の闇のようにも見えた。

 

「美沙斗…お前はそれで良いのか?」

士郎はもう一度、今度は静かに美沙斗に問い掛けた。

「それで良いって…?」

「お前はお前らしくしろよ・・・。

いつものようにさ…。昔からこうと決めた事は絶対に譲らない奴だったじゃないか…」

それだけ言うと士郎は静かに道場を出ていった。

 

食事もせずに一人自室にて泣き続ける美沙斗。

「静馬兄さんが・・静馬兄さんが…」

涙は流しても流しても後から後から溢れてきた。

『ずっとこのままで居られると思ってたのに…

ずっと一緒に居たいと思っていたのに…』



どれくらい泣いたんだろうか?

泣きつかれて…

それでもまだ哀しくて…

そんな美沙斗の脳裏に最後に残した士郎の言葉が蘇えった。

 

「『お前は…それで良いのか?』か。『私らしく…』か」

 

そう呟いた美沙斗の瞳には強い意思の輝きが戻っていた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

空には満点の星空が輝いていた。

「まるで降ってきそう…」

空を見上げて美沙斗が呟いた。

 

風が涼しい夜だった。

そらには三日月が浮かんでいた。

 

「美沙斗ちゃん…」

後からかけられた声に、美沙斗は満面の笑みで振り向いた。

その声だけですぐに誰かわかった。

「なに?静馬兄さん」

振り向いた拍子に長い髪が揺れた…。

 

何も答えずに静馬は美沙斗の傍まで歩み寄ると、コツンと美沙斗のおでこを弾いた。

「静馬兄さんじゃないだろ?」

静馬は優しい笑みで美沙斗にそう囁いた。

「あ…ごめんなさい、静馬さん。でも・・・」

美沙斗は僅かに頬を膨らませて上目遣いに少し静馬を睨んだ。

「でも・・・?」

「でこピンする事無いじゃない…。

痛いよ…」

上目遣いに睨んで見せる美沙斗は、はっとするほどにかわいかった。

少しだけ子供っぽい表情が、静馬の決心を僅かに鈍らせた。

「でもじゃないだろ?

あの時から俺の事を兄さんと呼ばないと言ったのは、美沙斗ちゃんなんだから」

 


 

静馬の見合いの当日に美沙斗は静馬の前に突然現れた。

余程急いできたのだろう。

制服姿のままだった。

「静馬兄さん…今日これからお見合いするの?」

そう問いかける美沙斗の眼は真っ赤だった。

「…うん。長老達がうるさくてね…。

父さんが亡くなったら俺が御神の当主だからね。

『早く結婚しろ』、『子を生せ』ってしつこいからな・・・」

「…じゃあ…やっぱり…」

美沙斗が、見るからに哀しそうに俯いた。

そんな美沙斗から眼を逸らして、静馬はそっぽを向いたまま話た。

「でも…、お見合いは断りきれなかったけどさ。

俺はまだ結婚する気は無いんだ」

「え!!」

美沙斗がパッと顔を上げる。

「それに、美沙斗ちゃんが俺のお嫁さんになってくれるんだろ?」

「え?」

美沙斗は顔から火を吹きそうなほどに真っ赤になった。

「な、何を…何を言ってるんですか?し、静…静馬兄さんったら…」

見ている静馬が苦笑してしまうほどに狼狽した答えが、美沙斗から帰ってきた。

「ちっちゃいころ言ったじゃないか…」

静馬はますます美沙斗をからかうように言葉を続けた。

プ〜ッと頬を膨らませて顔を真っ赤にした美沙斗が

「もう、静馬兄さん!!子供扱いして!!」

と、声を上げる。

「俺は美沙斗ちゃんの兄さんだからね…」

顔に浮かぶ笑いを噛み殺しながら静馬は答えた。

「もう!良いよ!」

美沙斗はひらりとスカートをはためかした。

 

「じゃあね!静馬さん」

 

そう言うと、美沙斗は顔を照れのために紅く染めながら走り去った。

「静馬さん…か…」

静馬も照れくさそうに頬をぽりぽりと掻いて真っ赤の顔でそう呟いた。

 

すらりと伸びた手足。

 

良く手入れされた髪。

 

形の良い唇。

 

「子供扱いしないで…か…」

静馬はお見合いの会場に足を運んだ。

無論、真っ赤な顔をしたまま…。

 


 

 

あれからも、何度か見合いの話は進められたが、静馬はその全てを断っていた。

涼しい風が美沙斗の髪とスカートをはためかせている。

高校に入った美沙斗は、ますます綺麗になっていた。

もう何処から見ても子供っぽい雰囲気はしない。

 

「別に二度と静兄さんって呼ばないって宣言した訳じゃないもん!!」

ただし静馬の前以外でだが…。

その子供のような仕草に、静馬が苦笑しながら懐のポケットを撫でた。

「美沙斗ちゃん…あと2分で誕生日だね…」

静馬が耳もとで優しく囁いた。

「静馬さん?」

そんな静馬の行動にどきどきしながら、美沙斗が静馬を見つめた。

その瞳はまだ二人が子供の頃から少しも変わらない。

「子供のころここで約束したよね?美沙斗ちゃんが大人になってもずっと一緒に居るって…」

「静馬さ…」

またからかっているのかと思って抗議の声を上げようとしたが、美沙斗は声を上げる事はできなかった。

 

その瞳は…真剣だったから…

 

時計の長針も短針も12の数字の下に到達した。

「誕生日おめでとう…美沙斗」

『美沙斗』

静馬は確かにそう口にした。

今まではずっと美沙斗ちゃんだったのに…。

「静馬さん…?」

驚きの表情のまま、静馬を見上げる美沙斗の瞳に、静馬の顔が少しづつ近づいてきて…

――――――――――――――――――――――やがて二人の距離は0になった。

ゆっくりと静馬の顔が美沙斗から離れる。

「今…?」

呆然としている美沙斗は、今なにが起こったのかはすぐには理解できなかった。

 

――――でも確かに…美沙斗のその唇は僅かに濡れていた…

「静馬さん…今私に…」

何かを言いかけた美沙斗を遮って静馬が喋り始めた。

「今日で美沙斗は16歳だろ?」

美沙斗はコクンと頷いた。

「ずっと待ってたんだ…。美沙斗が16になるのを…」

静馬は真っ赤な顔で途切れ途切れに言葉を呟いた。

「子供のころからずっと傍に居た女の子が好きだった…。

子供扱いして…距離を置いておかないと、自分自身も抑えられないほどに、いつの間にか好きになっていた…」

『静馬さんは…静馬さんは…何を言っているんだろう?』

驚きで呆然となっている美沙斗には静馬が何を言いたいか理解できなかった。

いや、理解は出来ているのかもしれない…。

でも認識できなかった…。

ずっと望んでいた未来が突然与えられている事が、妙に現実感を稀薄にさせていた。

 

そんな美沙斗の目の前に一つの小箱が現れた。

「美沙斗…俺の所に、来ないか」

箱の中には指輪が収まっていた。

「好きだ…美沙斗。誕生日プレゼントも兼ねている、受けとって欲しい。」

 

『好きだ』

その一言で美沙斗はようやく、今この瞬間が現実だと受け入れられた。

「馬鹿馬鹿馬鹿!!順番が逆じゃないの!!

『好きだ』の前に指輪を出されたって!!

キスをされたって!!

ずっと待ってた言葉がなければ…信じられないでしょ!!」

そう言って美沙斗は静馬に泣きついた。

 

「ごめん…。俺も緊張してたからさ…」

そう言って、いつまでも静馬は美沙斗の髪を撫で続けた。

胸の中で泣く美沙斗のために…。

 

――――――――――――――――――――――――――――そしてそれから数年後

 

「待ってよ〜!恭也お兄ちゃん」

庭には元気な声が響き渡っていた。

 

「ほら、美由希。あんまり慌てて走ると転ぶぞ」

と、心配そうに静馬が声をかけた矢先に

 

コケッ

 

美由希は転んだ。

そして…

「エ〜〜ンエ〜〜ン」

泣き出した。

そんな美由希の頭を無言で撫でているのは、士郎の息子、恭也だった。

やがて、泣き止んだ美由希に

「えらいぞ」

と、言ってニコリと笑った恭也を美由希は頼もしげに見ていた。

 

「ねえ、静馬さん」

「うん?」

恭也と美由希を見て目を細めていた静馬が、美沙斗の方に向き直った。

「やっぱり美由希は強い剣士よりも、幸せなお嫁さんに向いてるんじゃないかしら」

「う〜〜ん…。そうかもな・・・」

静馬が残念そうに頷いた。

そんな静馬を見て美沙斗は幸せそうに微笑んだ。

 

「おい!見ろよ静馬、美沙斗」

士郎が楽しそうに恭也と美由希を指差した。

「何かを思い出さないか?」

美由希が恭也の服の裾を掴んで後からテテ〜と後を追いかけていた。

「え?何だろう?」

静馬も美沙ともすぐには思い浮かばないで首を傾げていた。

「昔の静馬と美沙斗ちゃんみたいね…」

首を傾げている二人の後ろから、琴絵が懐かしそうに答えた。

「丁度二人が今の恭也君と美由希くらいのころは、あんな感じで静馬の裾を掴んで、美沙斗ちゃんと静馬はいつも一緒に居たもんね…」

相変らず綺麗でかわいくて…

少女のような雰囲気である琴絵が愉快そうにコロコロと笑っていた。

 



大好きだった人が傍に居て…

その人との娘が居て…

兄さんとその子供が居て…

美沙斗は幸せそうに笑った。



それは見ているだけで幸せな気持がするくらいに…

自然にこぼれてくる幸せな笑顔だった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「イヤ〜〜〜!!!!!!」

美由希を病院に送った美沙斗の目の前で紅蓮の炎が空を焦していた。

幸せな数多の想い出が、憎しみより出でし炎の中で、煙となって空に昇って行く。

 



気が狂った様に泣き叫ぶ美沙斗…




そして幸せな微笑を無くした女は剣鬼になった。




瞳には、触れたものを焼き尽すような、冷たい炎が燃え上がっている。

 

これは一人の女が死に…

哀しき復讐のために人を斬る、剣鬼が生まれた夜の話…

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――

―――――――――――



「何で今頃になってこんな夢を…?」

廃屋の固い床に、横たえた体を静かに起こす。

 

「静馬さん…明日で全てが終わります…。

明日の仕事が終わったら「奴等」の情報が全て揃う…」

 


「私の邪魔をするものは全て斬る…



願わくば歌姫が考えを改めることを…



そしてあの子達が諦めてくれることを…」




それはただの願望で有る事を彼女は良く知っていた。

歌姫もまた死を覚悟した目をしていたから…

そしてその傍に立っている男女の瞳は、かつての自分と同じ色をしていたから…



『強い意思を秘めた瞳』

 

剣鬼の頬に雫が流れる。

「こ、これは…?」

かつて捨てたはずの涙が一滴…

それこそが彼女が人であったことの証明であるのかもしれない…

 

優しい剣鬼が一人涙を流し……

 

運命の女神は再び御神の血を欲する…

 

その果てに待ちうける未来を…

 

彼女は未だ知らない…

 

Fin

 


後書き

どうでしょう?

魔術師的な美沙斗さん半補完SSのつもりです。

半としたのは補完SSと言うにはやや私個人の考えが色濃く出すぎたためです。

本当は美沙斗さんの結婚を理由に学校を辞めるエピソードや妊娠中の様子も書きたかったんですが

すでに予定の2.5倍の長さになっていたので無くなくカットしました。


感想お待ちしています