Fate/stay night

 ……其は報われえぬ物語

 一人の少年と一人の少女

 時と場所とを超えた邂逅

 そして訪れる二人の別離






 Fate/dawn comes

 ……此は報われうる物語

 赤衣の青年と青衣の少女

 奇跡に似たるが故の選択

 そして迎える二人の再会












『二度目の出逢いがくれた夜明け』












 木漏れ日の差し込む森の中。

 彼は己が称えた王を見つめていた。

 終わりを迎え、初めて人として安らぎをえた王の……。

 否。

 少女の姿に胸がつまる。

 だから、気付けなかった。

『……王の御身を我らに』

 背後に、三人もの女性が現れた事に。

「っ!?」

 咄嗟に振り返り、剣の柄に手をかける。

 赤のドレスと青のドレスと白のドレスを、それぞれ纏う三人の貴婦人がそこにいた。

 それが何者であろうと、貴婦人の姿をしている以上は騎士たる彼に手を出す事など出来ない。

 故に、剣の柄から手を放し、静かに貴婦人達を見つめる。

 白きドレスを纏う一際美しい貴婦人が、優雅な礼をして見せる。

 作法を完璧に守っての動作に、その貴婦人こそが主人なのだと気付かせた。

『王の御身をお預かり致します』

 主人は、そう告げてゆるりと彼の傍らを通ろうとする。

 だが、彼は静かに動き貴婦人達の前に立ちはだかった。

「あなた方は何者です。それを聞かねば王の眠りを妨げる事など許せません」

 剣を抜く事は出来なくても、王の身は守る。

 その強い意志を見て取ったのか、主人が彼に向かって告げてくる。

『王は永き眠りに身を任せる定めにあります。遠き世に再び御身を顕すために』

 彼には理解出来ない言葉を。

「何を……?」

 少女は既に眠りについた。

 もう目覚める事のない眠りに。

 なのに、それがもう一度身を顕すというのは、どういう意味なのか。

『貴方にも、祝福を与えましょう。いつか終わる命の遠き果て。また王の元へ参られるように』

 貴婦人達は、少女を持ち上げて軽やかに歩いていく。

 彼が先ほど剣を返した泉へと。

 彼もつられてその後に続く。

 そして、泉の間近に来た時。

 主人が振り返った。

『遠き妖精郷にて彼の王は眠り、いずれ御身を顕にす。違えることなくお伝えあれ』

 それだけを告げて貴婦人達は泉へと入り、少女の姿は水面に浮いた。

 否、彼女の身体に沿うように船が浮かんでいる。

 それは大の大人が五人は乗れそうな、そんな大きさの船。

 なのに、なぜその存在に気付かなかったのか。

 それに意を向けた瞬間、

『では、良き騎士よ。最後の騎士よ。御身に何時かの想いが残りますように』

 優雅な礼を捧げてきた貴婦人達は、既に船に乗っていた。

 確かに泉へと入り、なのに今は船に乗る。

 その矛盾で確信を抱いた。

 貴婦人達が妖精である事に。

 だから、彼は何も言わず。

 ただ己が剣を捧げた。

 崇敬する王との別れのために。






 星は巡り、月は進み、日は回る。

 幾年も幾年も。



 ――――少女が守りし島国は、遠き大国の軍門に下る。

     その時にも、彼女の帰還は熱望された。

 ――――大国が消え、三国に別れ戦っていた。

     負けている側は変わらず彼女の再来を予言した。

 ――――数世代に渡る争いで、敵に聖女が現れた。

     それでも、彼女の顕現の噂は志気を高めた。

 それは、仕方のない事で。

 だけど、報われない形で。



 星は巡り、月は進み、日は回り、

 長き時が過ぎゆきて。












 約束の時に、彼女は辿り着いた。












(御目を覚まされよ)

 どこからか聞こえる声。

 それはあまりにも清浄で、だからこそ、人の耳には耐え難い音。

 だけど、彼女は受け入れる。

 彼女も一度は、人を超えた位置に身を置いたのだから。

 そう、長い長い夢の中。

 聖杯を求め人ではない位置に立っていたのだから。

(王よ、アルトリアよ)

 名前を呼ばれ、アルトリアはゆっくりと目を覚ました。

「……ここは」

 そして、上半身を起こしながら周囲に視線を這わせる。



 白。



 それだけが視界を染め上げていた。

 己が横たえられていたのは、丈の短き草が茂る湖岸の傍。

 少し離れた場所には森林があり、静謐な空気を感じさせた。

 だが、背後の湖面も森林に連なる草木も僅かにむき出しになった地面も。

 全ての物が、淡い白光を纏っていた。

 空を見上げて立ち上がる。

 そして、淡く白い色に染められた空を見つめ、アルトリアは小さくため息を吐く。

 思い出したから、眠る寸前の全てを。

「ここが死後に訪れる場所、と言う事ですか」

 納得しながら呟く。

 叶うなら、彼ともう一度出会いたかった。

「……死後の世界、こんなに美しいとは思わなかった」

 呟きながら思わず苦笑を浮かべ。

(いいえ、王よ。此地は死後の世界などでは在りませぬ)

 不意に、正面から声が聞こえた。

 それは先ほどの目覚めを促す声。

 一瞬胸がざわりとうごめく。

 その意味も考えず、アルトリアは視線を正面に向けた。

「……貴方は」

 豪奢な作りで白一色に染まるドレスを纏う貴婦人が、すぐ目の前に立っていた。

 貴婦人は、人の目では直視する事すら能わぬほどの美しさを放つ。

(此地は妖精郷。王の御身の癒し、その終わりまで王の眠りを護る場所)

 淡々と言葉を投げかけられて、一瞬、呼吸が止まった。

 それはあり得ない事だったから。

 自分は死んだはずなのだから。

「何故……、何故私が生きている」

 思わず漏らした声に、苛立ちが混じるのを押さえられない。

 だから、貴婦人を見つめる視線が鋭くなるのを、アルトリアは止められなかった。

(御身は何時か還る王故に)

 貴婦人は優しげな微笑みを浮かべる。

(御身の御話を知りうるもの、全てが御身の帰還を待つ故に)

「それは、……人の想いを掠めとったと言う事か」

 貴婦人が微笑みを浮かべたまま静かに頷く。



 それは許されない事。

 彼女が死した後からこの時に至るまでの数多の想い。

 アーサー王の伝説を知り帰還を願った人々の思いを糧に、アルトリアは生かされたのだ。

 その想いは、本当なら各々が抱いた希望に使われるべきものだったのに。



「私は、私の終わりに得心を抱けた。なのに、なぜ」

 貴婦人の行為は、彼によって抱けた思いを否定するもの。

 だから、怒りが押さえきれない。

 それが激情となってほとばしる、寸前。

(彼の大魔術師は、己が身を彼の者に明け渡す時、ただ一つ条件をお付けなされた)

 貴婦人は淡々とした声で言葉を放ってきた。

 だから激憤を押さえる。いや、今は押さえなければならない。

 彼女にとって大魔術師と言えば、マリーンのみ。

 だが、あの老人は愚かにも愛した女性に全ての秘事を打ち明け、閉じこめられたはず。

 なのになぜ、彼の事が話題となるのか。

(王を、王の御心を救いたまえと、ただそれだけを願われた)

 貴婦人が微笑を浮かべたまま告げてきた言葉が、胸に深く突き刺さった。

 成すべき義務を忘れ、色恋に全てを捧げた老人。

 そんな風に、軽蔑していたのに。

 なのに、あの老人は。

 結局最後まで自分の事を心配していたのだ。

 それが辛かった。痛かった。

 でも、その思いを表には出さない。

 アルトリアにとって、その行為は裏切りでしかないから。

 自身の全てに胸を張って欲しいと言った、彼の抱いた願いを裏切りたくないから。

「……私の心は、救われている。なら、後は終わ」

(いいえ、王はただ得心されたのみ)

 言葉を遮られ、心が揺れる。それは確かに事実だったから。

(王の御心を救う者の時まで、御身を護る事。それこそが妖精郷の願い)

 どきんっと、胸が高鳴る。

 また、出会えると言うのだろうか。

(なれど、彼の青年は、今窮地に立たされております。終わりを救うために、その身を……)

 どくんっと、胸が痛む。

 純粋にまっすぐに道を進む彼に、あの地獄を見せたくない。

「……認めよう。私は救われていない。彼の傍らを私の在所と成さない限り、救われない」

 何処までも白い空を見上げて、アルトリアは認める。

 アーサー王の願いではなく、アルトリアの願い。

 それは、想いを向けるべき人の傍らにある事。

(……王よ。御身は既に鞘を持ち、なれど剣はございませぬ)

 言われるまでもなく分かっていた。

 彼に、返してもらったのだから。

 湖に、返してしまったのだから。

(故に、御身に一振りの剣を賜りましょう。最後の騎士が携えし、力持たず銘も無き長剣)

「それは……」

(そう、我らに御身の剣を返しに来られた、彼の騎士の持ち得た剣)

 その言葉と同時に、彼女の目の前に一本の長剣が凝結する。

 中空に浮かぶ長剣は、飾り気などなく何の力も持たない。

 けれど、それはアーサーにとって最も信頼を置けたもの。

 故にアルトリアは、ゆっくりとその剣の柄へと手を伸ばす。

(王よ。赤衣の青年は今選択を迫られておりまする)

 長剣を掴むのと同時に、貴婦人がすっと視線を湖面へと向ける。

 釣られて湖へと目を向けて、懐かしい人の姿が見えた。



 湖面に、一つの光景が浮かび上がっていた。

 あの頃に比べれば、遙かに高くなった身長。

 赤ではなく銀となりし髪は、魔力を最大限凝縮しているが為。

 数多の剣を作り出し、迫り来る死に立ち向かうその姿は大きく変わって。

 でも、アルトリアには解った。

 彼の心根が変わっていない事を。



「これは……」

(彼は今、戦いに身を置いております)

 言われるまでもない事。

 数多の剣を作り上げ迫り来るナニカを破壊し続ける姿は、それ以外の何者でもない。

 そして、彼が右手を高々と差し上げて、

「あれは……」

 アヴァロンを作り上げるのが見えた。

(彼は選択しました。さぁ、世界が重なります。王よ、御身が露わになる時が来ました)

 その言葉と同時に、湖面が揺らぐ。

 慌てて顔を上げたアルトリアは、一瞬たじろぐ。

 貴婦人が強烈な光を発していたから。

(王よ。御身に幸在らん事を)

 同時に世界全てが光に染め上げられる。

「ま、待て、貴殿は一体!?」



 アルトリアの叫びには答えなどなく。

 意識さえも光に塗りつぶされていく。

 幾度となく感じた覚えのある感覚は。

 顕世しようとする、その証左だった。






 思考の遅滞は一瞬だった。

 赤衣の青年・衛宮士郎の傍らへと、アルトリアは降り立つ。

 手を伸ばせばふれあうほどの近さ。なのに、士郎は未だ気付いていない。

 それだけ、深く集中しているのだと知り、周囲の光景を素早く見定めるアルトリアは。



 刹那の間、息を呑んだ。



 懐かしい場所。

 衛宮切嗣と共に戦い聖杯を破壊した場所。

 士郎と共に訪れた事のある場所。

 そこは、あの公園で。

 殆どの物が彼の闇に……。

 アルトリア自身が破壊した、聖杯の抱いていた闇に包まれていたから。

 そして、その中心に立つ彼女が。

 婉然として、なお、毒々しく禍々しい微笑みを浮かべていたから。



 アルトリアの記憶にある彼女よりも大人びていて。

 長い紫髪は銀色に変わって、身体は闇色の文様に覆われていて。

 たとえ、知らない姿になっていたとしても、その女性のことが理解出来た。

 彼女が、間桐桜なのだと。

 そして、士郎の作ったアヴァロンが音を立てて砕け散り、

 『全て遠き理想郷』がキャンセルされる。

 その瞬間、アルトリアは前に向かって飛び出した。



 手には彼の長剣を、身には白銀の鎧を。

 瞬時に編み上げて、そのまま前に向かって走る。

 地面を覆う闇は、足から放つ魔力で祓い散らした。

 真正面から、サッカーボール大の、闇の弾丸が迫ってくる。

「はぁっ!」

 ぶら下げるように持っていた長剣を、一気に振り上げる。

 ブンッと、魔力をまき散らしながら放った一撃は。

 ギンッッ!! と、全てを飲み込むはずの闇を、切り裂いた。



 力も銘もないただの長剣であるそれには、一つの特性があった。

 彼の騎士が、己の人生をかけて埋め込んだ特性。

 それは、最も強固な忠誠の念の具現化。

『折れず曲がらず破壊されず』と言う信念。

 それ故に、彼の騎士がアーサーを裏切らぬ限り、破壊出来えぬ剣となったのだ。

 その特性は、全てを食らいつくす筈の、闇の特性さえをも上回っていた。



 間髪入れず、二條の闇の弾丸が迫ってくるのを感じた。

 ヒュンッ、と一息に振り下ろし、

 ビュオッ、と瞬間的に振り上げる。

 異音を立てて闇の弾丸が消滅し、アルトリアはその場で動きを止めた。



「……何で」

 そして、正面にたつ桜を見据える。

「なんで今頃……」

 桜の纏う空気は闇そのもので、その表情は憎悪と憤怒が彩っていて。

 だから、恐かった。だから、辛かった。

 彼女の抱いていた闇が、自らを蝕む闇が、これほどに濃く深かった事が。

「貴方がいなくなったから、士郎さんは辛かったのに」

 その言葉は、アルトリアの心に突き刺さる。

「私が、私だけがずっと士郎さんの味方だったのに」

 士郎も自分も納得していた、だけど、それでも……

「今更、出てこないでっ! 士郎さんは私のものなんだから! 貴方には渡さないんだから」

 それは、怒声でも、絶叫でもなく、紛れもない悲鳴だった。

 桜の両肩と両手の辺りに闇色の弾丸が浮かび上がる。

 それは、一発でもサーヴァントを確実に破壊出来るだけの力を持っていて。

 ひゅんっ、と闇色の軌跡を残して、四発の弾丸が一斉にこちらに向かって飛び出してきた。



 真正面から一発、左右から二発、頭上から一発、刹那の時間差で迫ってくる闇の弾丸。

 アルトリアは動かずに待つ。

 下手に動けば、闇の弾丸の到達するタイミングが変わってくるから。

 殆ど一瞬で、闇の弾丸が間合いに入ってくる。

 剣を左に突き出し、闇の弾丸を貫く。

 間髪入れず、くるりと時計回りに剣を振るう。

 その軌跡を持って正面と右から迫る弾丸を破壊し、アルトリアは走り出す。

 頭上からの一撃は端から無視していた。

 それに危険がない事は解っていたから。

 そして、走り出すアルトリアの頭上にあった闇の弾丸に。

 背後から奔ってきた『ノーブルファンタズム』が命中した。

 爆裂する幻想と喰らい尽くす闇は、お互いの特性を持って相克し消滅する。






 必死に駆けるアルトリアは、ただ桜を見据えていた。

 ただ一つ。

 ただ一つだけの違和感を頼りに、アルトリアはその場所を狙う。

 それは、アルトリアの魔力と剣技を持ってすれば可能なこと。

 だが、それは邪魔がなければの話しだ。

 だから、集中する。僅かのずれも許されない一点を貫くために。

 桜の右肩の辺りに、また闇色の弾丸が浮かび上がる。



 あと五歩。



 それがアルトリア自身を飲み込む大きさへと瞬時に成長する。

 その砲弾は、時折紫電を表面に奔らせ細かく振動していた。



 あと、四歩。



 その砲弾はアルトリアならば、切り裂く事が出来るだろう。

 だが、確実に身体を防げる余裕はない。

 そして、そのまま全てを食い尽くされる。



 あと、三歩。



 このままでは間に合わない。

 否、どうやっても間に合うはずがない。

 だけど、アルトリアは諦めない。何があっても、二度と諦めないと決めたから。



 あと、二歩。



 闇の砲弾が放たれようとしたまさにその瞬間。

 アルトリアの左肩すれすれを暴風が駆け抜けた。

 『ノーブルファンタズム』は、桜の右頬を掠め去る。

 そして、制御を失った闇の砲弾は虚空へと消えた。



 あと、一歩。



 ほんの一瞬、呆然と立ちつくす桜。その顔に浮かぶ驚きと絶望を終わらせるため。

 その一点、桜の左の乳房の付け根、心臓への最短距離を表す位置へ狙いを定め、

 ずぐしゅっ……と、桜の胸を己が剣で貫いた。






『ばがなぁぁぁ!!!』

 ……それは。

 桜の悲鳴では決してなかった。

 桜の身体を貫いた長剣。

 その切っ先に突き刺さるのは、醜悪な形状の虫だった。

 男の陽物を模した肉色のその虫は、剣先で必死にもがく。

『あ゛ぁぁぁあ゛あ゛あ゛』

 びちびちとはね回るそれに。

「消えなさい。貴方の存在は不要です」

 剣を媒介にして魔力を注ぎ込み、焼き尽くした。

 これで、桜の心を蝕む物は消えた。

 だが、桜の身体が未だ蝕まれている事を、アルトリアは理解していた。

「なんで……」

 呆然と呟く桜。

 あと一ミリ、剣尖を上げていれば、桜の心臓は貫けた。

 アルトリアは無言で長剣を引き抜く。

 ずるりと抜けた長剣には血がまとわりつき、だが傷跡は即座に再生した。

「どうして……」

 今の状況を忘れたその表情に、アルトリアは微笑みを浮かべる。

「……あなたは、士郎にとって妹だから」

 そして言葉を告げた瞬間、桜の頬が紅潮した。

 まなじりを上げたその表情は、純粋な怒り。

「何を……」

「そして、士郎の妹なら私にとっても妹だと、そう願いたいから」

 更に言葉を重ねて、桜の胴に貫手を叩き込んだ。

「え?」

 痛さを感じさせない、呆然とした呟きを残す桜。

 ぞぶりと、手首までを胴体に突き入れたあと。

「だから、妹の悪さには、オシオキをします」

 そう告げて……アヴァロンを、桜の体の中に移し入れる。

 それは正直、不可能に近い事。

 だけど、アルトリアの全魔力を持ってすれば、僅かな光明がえられる事

「だから、痛くても辛くても、耐えなさい。桜、貴方なら出来ます」

 そして、『全て遠き理想郷』を展開した。



 桜の足下から拡がっていた闇が外に向かって一斉に流れ出し、僅かな間に消え去った。

「ひぐっっっ!?」

 桜の身体が、不規則な痙攣を始める。

 アルトリアには理解出来ていた。

 それが、桜の身体を蝕むナニカのせいだと。

「くぁぁあああっっっ!!!!!」

 桜の身体を蝕むモノは、

 闇と血により長らえるモノは、

 妖精郷の清浄さには耐えられない。

「ひぎぃっっっ、ぐぁっっっ」

 故に、ソレが桜の体の中を暴れ回っているのだ。

 だが、アヴァロンが、暴れられて傷ついた身体をすぐに癒し始める。

「きぅっっ!!!」

 壊れた傍から無理矢理治されるその苦痛。

 アルトリアもソレを知っている。

 あの苦痛は、並の精神では耐える事など出来ない。

 それでも、アルトリアの知る桜ならば耐えきれる。

 そう信じた。



「くぅっ……」

 桜の中に在るアヴァロンの力を維持する魔力は、普段のソレとは比べモノにならない。

 人の身体は、異物を排除するものだから。

 ソレを維持する為に、アルトリアは全身に汗を滲ませる。

 既に鎧も消え、長剣も失せた。

 ただ青い衣服のみを纏い、必死で維持し続ける。

 まだ、倒れる訳にはいかない。

 桜の中にあるモノを破壊するまで。

「大丈夫だ」

 懐かしい声が響き、

 それでもアルトリアは振り向かない。

 嬉しさも喜びも、今は押し殺す。

 傍らの士郎も今は感情を出していない。

 ただ、アルトリアの肩に手を置いて、魔力を流し込んできた。

 本来なら、他人から受けた魔力そのものには何の効果もない。

 人の意志を介した魔力は、純粋なソレとは食い違っているものだから。

 ただ、士郎はアルトリアの鞘だったから。

 だから、士郎の力はアルトリアのチカラになる。



 桜の身体が弛緩し、『全て遠き理想郷』がキャンセルされた。

 同時。

 パキンッとガラスが割れるような音が響き、青い粉が桜の身体から吹き出す。

 それは、桜が癒された証。

 そして、アヴァロンが完全に壊れた結果。

 ゆっくりとくずおれる桜の身体をアルトリアはそっと抱き留め、そのまま抱え上げた。

「……士郎、桜は大丈夫です。誰か人を」

 今はまだ振り向こうとせず言葉をかけて、

「士郎! どうなったの!?」

 背後から大きな声が聞こえた。

「って、セイバー!? え!? 今回は貴方じゃなかったのに!?」

 それはアルトリアにとって、懐かしい女性。

 一度は敵対した凛が、驚いた表情を浮かべて立っていた。

 青いローブを纏った凛が、その手に持っていた宝石で出来た剣に違和感を覚える。

 ソレを押さえて、アルトリアは凛に話しかけた。

「凛……、貴方もいたのですか」

 士郎を視界に入れないよう気をつけて、アルトリアは凛へと振り向く。

「って、本物? 一体何でどうして、って、桜!」

 そして、慌ててアルトリアに向かって駆けよってくる。

「桜は無事です。巣喰っていたモノは、全て破壊しました」

 そう言葉を投げかけるのと同時、凛が桜を受け取る。

「ちょ、ちょっと、詳しい話しはあとで聞かせなさいよ!」

 そして、桜を抱き上げた凛は、そのまま踵を返す。

 ただ、その慌てた様子が凛なりに気を遣った結果だと。

 それをアルトリアに伝えていた。



 静寂がその場を支配していた。

 背後にある懐かしい気配。

 手を伸ばせばすぐそこにある気配。

 なのに、アルトリアは動かなかった。

 否、動けなかったのだ。

 あの時の出逢いと別れ。

 変わらない自分、変わった士郎。

 違う思いを抱いていたら。

 そんな事を考えたから、動けなくなったのだ。

「十二年か」

 逡巡するアルトリアに、優しい声がかけられる。

「十二年間、ずっとこんな日が来てくれればいいと願っていた」

 その声は、アルトリアの記憶にあるものよりもずっと深みを増していて。

 それでも、優しさは変わっていなかった。

「未練ではなく、ほんの少しの願望。だから叶う必要などなく、『私』は戦い続けてきた」

 その呼称の変化に敏感に気付く。

 その言い方は、『彼』そのものだったから。

「……そうですか」

 ゆっくりと、アルトリアは振り返る。

 そこに立っている士郎の姿に、胸が痛くなった。

 彼の赤衣の英霊、一度はこの手で滅ぼそうとしたアーチャーそのものだったから。

「だが……、どうやらその願望は相当大きかったらしい」

 そう言って、士郎が一歩近づいてくる。

 引き寄せられるようにアルトリアも一歩を踏み出した。

「私も、私の望みを今更理解しました」

 お互いに一歩を重ね、近づく。

「私は、どうやら貴方の傍らで時を終えたいようです」

 そして、最後の一歩を詰めて、アルトリアは士郎に抱きついた。

「士郎、愛しています。誰よりも何よりも」

 きゅっと士郎の背中へ手を伸ばしながら、アルトリアは言葉を繋ぐ。

「私は貴方の剣にはなれない。騎士王ではなく、一介の少女である私は」

 その言葉に思いを載せて、見上げる。

「士郎。私を貴方の傍らに置いて下さいますか」

 その言葉を口にする。

 それだけの事に費やした、勇気の大きさに我ながら驚いていた。

 だからこそ、アルトリアは怯えを隠して士郎を見つめる。

「……私は、これからも死地に赴く。これまで、人を救うために死地に赴いてきたように」

 じっと見下ろしてくる士郎に、その顔に浮かぶ優しい微笑みに、アルトリアの胸が熱くなる。

「それでも、そんな『オレ』でも、アルトリアは傍にいてくれるか?」

 アルトリアは、ただ小さく頷く。

 遠き古、最後まで忠実だったかの騎士と、同じ思いを告げてきた士郎。

 『誰かのために』ではなく『自分のために』、そう言ってくれた士郎。

 アルトリアが自分のために願うのはただ一つだけ。

「私は……、命尽き果てるその時まで、貴方の傍らをその在所と成します」

 誓い。

 己の全てを籠めた誓いを載せて、アルトリアは緩く目を閉じた。

 そっとつま先立ちになる。



 ……影が重なる。

 長い間分かたれてきた、二つの影が。

 そして、二人は一つへと戻ったのだ。



 〜FIN〜




魔術師の戯言


古羽刀也さんからいただいたFateSSです。
構成と文の書き方がかっこいいですね、私も見習わないと。
というかっ、私の場合まず文章書け!!ってはないですが。

個人的には、サーベディヴィエールの剣の件が大好きです。
変わることのない永久の忠誠が、宝具となるのがかっこいいです。

セイバーファンなら誰もが想像せずに入られないセイバーエンド後の期間ですが、綺麗なまとまり方でセイバーラブの私としてもうれしいです。

さてさて、日ごろはFateものは書いてない古羽さんですからこれからもFate物が読みたい人は感想を書きましょう。
いつもどおり、WEB拍手で感想書く場合、『古羽さんへ』と明記して下さい。私から転送させていただきます。