人の噂も七十五日
月村忍があの噂を聞いたのは、いつものように古典の授業中に教室で睡眠をとっていた時だった。
「やっぱり,高町君と月村さんて、付き合ってるのかしら…。」
「だって,いつも一緒に帰ってるし、『忍』『恭也』って、お互いの事呼んでるし…」
「ちょっと、ショックだな〜。私高町君に密かに憧れてたんだけどな」
「でも、高町君て,確かにカッコイイけどすごく無口だから、話し掛けづらいよね。」
「え〜、でも月村さんだって、ほとんど人と話してるところ見たことないよ」
数人の女の子達がどうやら自分たちの事を話しているらしいことを、半ば寝ぼけた状態で忍は聞いていた。
以前は、自分のことを他人がコソコソ話しているのはたまらなく辛いことだった。
忍は夜の一族という、いわば人とは違う存在だから、それを意識すればするほどに他人との接触を避けるようになった。
当然親しい友人もなくほとんど人と話すこともない。
無口でどこか冷たい人、それがクラスメートの忍に対する印象だった。
しかし今の忍はもう噂などまったく気にならなくなっていた。
そうそう、悪い噂やデマが流されることなどないことが判ったし、それ以上にどんなことがあっても自分の味方でいてくれる存在
自分の“秘密”を受け止めてくれて、そして一緒に生きると誓ってくれた男性(ひと)『高町恭也』がいてくれるし、恭也を通してできた、心許せる友人である、晶たちもいる。
ましてや、それが今回の噂のように自分と恭也についてのものであるのだからむしろ多少のくすぐったさは感じるものの、噂されることは別に嫌でもなんでもなかった。
キーンコーンカンコーン
チャイムが鳴り、噂話をしていた女の子達が一端話題を切り上げてどこかに出ていった。
ちなみに今は2時間目(古典)と3時間目(数学)の間の休み時間。
本来なら忍の横の席にいるはずの恭也は、まだ学校に来ていない。
膝の検診のために今日は午後から来る事になっているのだ。
ボーっと窓の外を眺めていた忍に、クラスメートにして恭也の親友でもある赤星勇吾が話しかけてきた。
ちなみに赤星と忍が親しく会話するようになったのも、恭也に誘われていった花見からであった。
それからは同じクラスであることや、恭也の親友でもあることから忍自身も赤星と親しくしていた。
「月村、高町は今日は何で来てないんだ?」
「膝の検診だってさ。」
休み時間の間、赤星とたわいない話でひとしきり笑った所で授業開始のチャイムが鳴った。
次の数学は忍が比較的好きな教科なので、きちんと起きて聞いていたところ、とんでもない噂が忍の耳に入ってきた。
「月村さんて、赤星君と付き合ってるらしいわよ」
「そう言われて見れば、あの二人最近すごい仲いいよね。」
「なに言ってるのよ、月村さんは高町君と付き合ってるんでしょ?」
「え〜、もしかして、高町君と赤星君と二股かけてるんじゃないの?」
「マジで?うちの学校の二大美形を二股かけてるの?月村さんて大人しそうなのに結構すごいのね〜」
この噂が耳に入った時に忍は授業中にも関わらず立ち上って思わず叫びそうになった。
いくら、他人の噂が気にならないといっても、この噂はとても無視できる物ではなかったのだ。
そこで忍は一計を講ずることにした。
昼休みに恭也が学校に着いて、隣の席の忍に向かっていつものように図書室に行って食事をしようと声をかけた時に
忍が今日は教室で食べようと言い出したので、恭也は不思議に思いながらも忍にしたがって教室で食べることにした。
「恭也〜、食べさせてあげる。ア〜ンして〜(ハート)」
「今度は、私に食べさせて〜」
に始まり、食事が終わったら
「恭也〜、膝枕してあげるね〜」
と、言ってやや強引に恭也の頭を自分の膝に乗せる忍に、恭也は『何か、あったかな』と感づきながらもされるがままになっていた。
そして、忍の柔らかな太ももの感触と、女子の好奇の視線と男子の殺意と怨念と悪意と嫉妬の入り混じった視線を感じながらも、いつしか浅い眠りについた。
そう、忍がおかしな噂の解消のために考えた策は
『恭也とメチャメチャLOVE×∞っぷりをアピールする』
だったのだ。
放課後。
「恭也〜、今日、ウチに泊まりに来るでしょ〜?」
わざわざ、確認を取らなくても毎週月、金、土、日は、恭也が忍の家で過ごすのは、もはや暗黙の了解なので、
どうやら自分意外の人間に聞かせるためにわざと言っているのを理解すると同時に、恭也はまたもクラスの男子生徒(赤星除く)から殺意と怨念と悪意と嫉妬の入り混じった視線の集中砲火を受けた。
実は、忍本人は気付いていないが、恭也が近づき難いながらも女子に人気があるように、忍もまたクラスの男子の憧れの的であった。
抜群のスタイルとギリシア彫刻の様に完全に整っている美しい容貌。
その均整のとれた美しさはやや冷たい雰囲気さえも醸し出すほどだ。
それに加えて、最近時々見せる(限られた人間のみにだが)冷たさのかけらも感じさせない、それどころか春風のように優しく暖かい笑顔。
ただ、そんな忍に男子が誰もちょっかいを出さないのはいつも一緒にいる恭也(や赤星)に男としてとても敵わないからであった。
そんな男子の視線の色々な負の怨念のこもった視線の中を、いつも以上にベッタリと恭也にくっついて歩く忍と供に教室から出た。
ノエルさんに送ってもらう車の中でも忍はずっと、ベタベタ甘えどうしだった。
「今日は、一体どうしたんだよ。いつも人前でベタベタすんのは、恥ずかしいから嫌がるのに。今日は学校でもずっとベタベタしてるし」
「…えっ。別になんでもないよ。」
「嘘つけ。何にもないのにどうしてあんなことするんだよ?」
「恭也は、私と人前でイチャつくのは…イヤ?」
「……うっ!」
実は、恭也はイヤどころかかなり喜んでいた。
それも当然だろう、最愛の女性、しかもクラスの隠れアイドル的な忍に人前で甘えられる…。
照れ屋の恭也にしてもそんな女性が自分の恋人なのはやはり気分のいい物であった。
だからこそ、学校でも、何かあると思いながらも結局忍の言いなりになったのだ。
「イヤじゃないけど…原因は気になる」
「…あのね」
忍は原因について話始めた。
自分と恭也の噂のこと。
赤星と自分の噂のこと。
自分が二股かけていると噂されてること。
「そんな、噂ほっとけばいいじゃないか。気にすることないよ」
「私もね、他の噂なら気にもしないよ…。けどね、恭也の事だけは譲れないの。この噂は、私の恭也に対する気持ちを冒涜してるから…絶対に許せないの!!」
忍の気持ちが、痛いほどに伝わって何故だか恭也はひどく嬉しかった。
「よし!そう言うことなら俺も協力するよ。明日から、学校でもっともっとベタベタするぞ!!!!」
「・・・・・・・・・・言ってて、照れない?恭也」
忍は耳まで真っ赤になっている。
「・・・・・・・・少し・・・・な」
恭也も耳まで赤くなっていた。
次の日から二人は、人目も気にせず(人に見せつけるためにやってるんだから当然と言えば当然だが)
思う存分イチャつきだした。
例えば昼休みに、忍は恭也の膝の上に座って恭也の首に手を回してお互いの唇がほとんど触れ合うほどの距離で瞳を潤ませながら愛を囁きあう。
そんな状態で、お互いに
「恭也、あ〜ん」
パクッと、差し出された卵焼きを恭也は、美味しそうに食べながら
「じゃあ、お返しに…。忍はい、ア〜ンして…」
「恭也〜そんなに大きいの入りきらないよ〜。」
「ごめん、ごめん。食べるの手伝うよ。」
そう言うと、恭也は忍の口に入っているのとは反対の方から食べ進み始めた。
やがて恭也の唇が忍の唇まで到達し、二人はそのままゆっくりと唇を合わせた。
「忍…、この料理に塩と間違って砂糖を入れたんじゃないか?」
「え、そんなはずないけど…」
「じゃあ、甘く感じたのは忍の唇かな?」
そう言って、悪戯っぽく笑う恭也にクラス中の女子の視線が釘付けだった。
中には箸を落とすほどにビックリしている子もいる。
それは当然の事だろう。
本来、寡黙で照れ屋で口下手の恭也が、公衆の面前でめったに見せない笑顔まで浮かべながら、忍と甘〜い時を過ごしているのだから。
前もって見せつけるためにあえてベタベタする事を知っていた忍でさえ、そして二人だけで過ごす夜の恭也の優しさを知っている忍でさえもビックリするような恭也の変わりように、日頃の寡黙な恭也の様子しか知らないクラスの人間が驚くのも無理のないことだった。
更に昨日からずっとクラスの男子の視線も集めていたので、昼休みはクラスの全員の視線が釘付けになっていたと言っても過言ではないだろう。
そんな、クラス中の注目を、尻目にさらにヒートアップする二人、まるで世界にはもう二人しか存在しないかのようである。
「恭也、デザートも用意してあるんだ…。食べたい?」
「デザート?ああ、食べたいけど…」
「…じゃあ、眼を瞑って…」
「……?」
恭也はとりあえず眼を閉じた。その刹那、恭也の唇に柔らかい感触がした。
「えへへ、デザートのつもりなんだけど…」
と、さすがに照れながら、上目遣いに恭也を見る忍のほんのりと紅く染まった横顔に恭也は、クラクラとめまいを感じた。
おそらく、学校に居るという状況でなければ恭也は忍の華奢な体をおもいっきり抱きしめていただろうと思われる。
その証拠に忍の照れた横顔にクラスの男子の半数はKOされていた、
ただ、鼻血を吹いて倒れていただけだが…。
こんな感じでわざと人前でイチャイチャしている二人のおかげで(人の目がないところでは無意識のうちにイチャイチャしているのではっきり言うと1日中なのだが)、いつのまにか、忍が恭也と赤星との間で二股かけて居るという噂は完全に消滅した。
それに変わって今校内で流れている噂は
「高町君と月村さんて、婚約するらしいよ〜」
「えっ、親公認の同棲生活を送ってるんでしょ?」
と、いう物だった。
この噂は二人があえて、人前でイチャイチャし始めたころから流れ始めて、もう二ヶ月は過ぎていた。
「そろそろ、私達が婚約したって噂も消えるわね…。」
「なんで?」
「だって、昔から言うじゃない。『人の噂も75日』って、こっちの噂は少し消えちゃうのが残念だな」
と、忍が寂しそうに呟くと、
「まあ、仕方ないんじゃないか。噂なんてそんなものだし…。そんな事よりもちょっと渡
したいものがあるんだが…」
「なによ〜」
自分たちの婚約の噂を、そんなことと言われて少しだけ、むっとしていた忍だが、恭也が懐から取り出したものを見た瞬間、驚きと喜びと期待をそれぞれ1:1:1で、ブレンドしたような複雑な表情を忍はうかべた。
今、恭也に手渡された綺麗にラッピングされたやや小さな箱が忍の手の中に…。
箱の中身はきっと予想道理の物に違いない、そう思いながらも忍は、照れくさくて赤くなってる恭也に中身を尋ねずにはいられなかった。
「ね、ね、恭也。中身はなんなの?」
「……さあね、腐ってなければいいがな」
照れくささで、いつも以上にむすっとした顔で、答える恭也の言葉とは裏腹に箱の中に入っていたのは………。
「腐ってなんかいないよ…。ありがと、恭也。」
こうして、75日目に恭也と忍の婚約の噂は消滅した。それはもはや『噂』ではなく、
一つの真実になったのだから…。