ザワザワザワ…
ザワザワザワザワザワ…
耕介の居る場所は、ものすごい喧騒に包まれていた
「はぁ〜。本当にすごいな…」
耕介が、溜息ながらに、視線を黒山の集団に移す。
「これは私のよ!」
「ちょっと、引っ張んないでよ、破れちゃうじゃない!」
女性たちの甲高い声が、あちこちで阿鼻叫喚の不協和音を奏でていた。
そう、彼女たちは今戦場に立っているのだ。
女性にとっての戦場…『バーゲン』という、聖戦の舞台に。
耕介が周りを見回すと、すでに辺りは、たくさんの屍が、あちらこちらに腰を下ろしていた。
耕介と同じ境遇の男たちだ。
耕介の横に座り、同じような年恰好の男と目が合った。
『あんたも荷物持ちとしての出陣かい?』
『ああ……、もう数時間はこうしているのさ』
『俺なんてこれで朝から4軒目さ』
『戦友(とも)よ…』
目と目で会話をする二人。
すでに二人の間には、同じ辛い戦いを戦っているという、戦友のような仲間意識が芽生えていた。
そんな調子で、目と目だけで多くを語り合っている二人の許へ闖入者が現れた。
そして、戦友の瞳が、耕介からその闖入者に釘付けになる。
闖入者の正体は、今回耕介に出陣を申し付ける、赤紙を送りつけた3人の非情なる司令官の一人だった。
「耕介君、この白いフレアスカートとペパーミントグリーンのサマードレス、どっちがウチに似合ってると思う?」
「どっちと言われてもな…」
「う〜ん、ウチとしては、この白いフレアのゆったりとした作りはほんまに好きなんよ。ただな、ちょ〜とばっかしデザインが単純すぎる気がするんよ。でなでな、こっちのほうは…」
「ゆうひ、一度にまくし立てられてもわかんないぞ、俺にはファッションのことなんて…」
「ちゃうちゃう、ウチは耕介君にはこの服がウチに似合うかどうかの判定をしてほしいだけなんよ〜」
「そんなの着てみてくんないとわかんないだろ」
「あ…そやね。着て見せれば良かったんやね。んじゃ、ちょう、試着してくるからここで待っててや〜」
ゆうひが去った後に、先ほどまでの戦友が耕介を見る目が、先ほどよりも少し遠く冷たく感じられた。
「どしたんだよ?」
アイコンタクトでなく、声に出して聞いてみた。
「んだよ…すげー美人な彼女連れてさ…ブツブツ…」
「いや、あの子は別に彼女ってわけじゃ…」
と、耕介が言おうとしたところに
「おにーちゃん、どうかな、かわいい?」
と、知佳が赤いワンピースの裾を際どくひらめかせて、ファッションモデルのようにクルリと、ターンを踏む。
そんな知佳に、目を点のようにしている耕介の横の男。
「うん、かわいいかわいい。でもちょっと赤一色だと寂しい感じもするな」
知佳の頭をなでながら、耕介が言うと
「そっか、お兄ちゃんがそう言うなら、これ止めよっと」
「いや、知佳。別に止めることないんじゃないかな。俺、ファッションのこと良くわかんないし、なんとなく思いつきで言っただけだしさ」
そんな耕介の言葉に、フルフルと首を振りながら知佳は言った
「お兄ちゃんが気に入らないんだったら、他の誰がかわいいって言ってくれても意味がないもん♪」
ダンッ!
戦友が突然立ち上がった
耕介も知佳もびっくりしてそっちを見る。
「ちくしょ〜!!かわいい子と美人と、二人も侍らせやがって!!お前なんて仲間じゃな〜い!!」
と、泣きながら走り去ってしまった。
しばし呆然とする知佳と耕介
「えっと、お兄ちゃんあの人・・・誰?」
「え?え〜と…知らない人」
「そ、そうなんだ、とりあえず違う服もって来るね」
そう言って、耕介の前から去っていく知佳の背中を見ながら心の中でため息をついた
『とほほほ…まだまだ、かかりそうだなぁ〜』
心なし肩を落とす耕介に、背後からそっと忍び寄る小柄な影
「だーれだ?」
と、小さく柔らかい手が耕介の両目を塞いだ
多少は声色を変えたりしているが、耕介がこの少女の声を聞き違えるはずがない。
「リスティだろ?」
「何でわかっちゃうかな〜」
プ〜ッと、頬を膨らませて、リスティが耕介の視界の前に躍り出た。
そんな仕草に耕介は笑いを堪えながら、リスティの頭をなでる。
さざなみ寮にリスティが来てからもうすぐ一年。
来たばかりのころからは、想像もつかないような仕草や表情を見せてくれるようになっていた。
日ごと月ごとに明るくなっていくリスティを見れることが、耕介にはたまらなく幸せだった。
「ん…?」
リスティが耕介をじっと見つめていた
そして、自分の服のあたりをしきりに強調してみせる
「あっ…」
いくら鈍い耕介でもやっと気がついたらしい。
リスティの服装が来たときと変わっている。
いつもの黒のボディースーツの上に、灰色っぽいツーピースの洋服を着ている。
そして、足元は黒いルーズソックスに、黒の皮のローファーを履いていた。
リスティのすらっとした白い足が、短いスカートから惜しげもなく晒され、耕介は思わずドキリとさせられた。
「どうかな?耕介。似合うかい?」
リスティが照れくさそうに耕介に尋ねた。
耕介のほめ言葉への期待に、白い頬をバラ色に染めている。
いつもの小悪魔な仕草とのギャップとあいまって、耕介はあまりのかわいらしさに言葉を失っていた。
「すごくかわいいよ」
そう、耕介の唇から発せられようとしたときに、知佳とゆうひが戻ってきた。
「どやどや、耕介君?ちゃんと美人さんに見えるかな〜?」
ゆうひは、トップに子犬をあしらったクリーム色のセーター、下は先ほど持ってきていた白いフレアのロングスカート。それにワンポイントで黒いベルトをルーズに締めていた。
「おお、なんだかモデルさんみたいだぞ、ゆうひ」
「そっか〜?いや〜、ウチもごっつい美人さんがいる!って鏡を見て、さっきびっくりしてたところや〜」
「そりゃ言い過ぎだって!!」
ビシッと、耕介に突っ込まれて「あははは〜」と笑ってはいるが、ゆうひは耕介に褒められてひどく満足そうだった。
「お兄ちゃん、私も見てよ〜」
そう言って、またしてもクルリとモデルのようにターンをして見せた。
知佳は、中央に白いハイビスカスがプリントされた赤いキャミソールに、ワンポイントとして胸元に同じくハイビスカスを模った、ペンダントをしていた。
「うん、かわいいんじゃないかな。まるでどっかの旅行会社の、キャンギャルみたいだぞ」
「え〜〜。それは褒めすぎだよ、お兄ちゃん」
照れながらも満更ではないのか、嬉しそうな顔で耕介を見つめていた。
ヒラヒラとして鮮やかな服を纏う二人は、まるで熱帯魚のようにきれいだった
そんなゆうひと知佳の仕草や服装を見て、にこにことしている恋人を、リスティはムッとした瞳で睨んでいた。
「じゃあ、私とゆうひちゃんお会計してくるね〜、お兄ちゃん」
そう言って、知佳とゆうひはレジに歩いていった。
「リスティもすごく似合って……って、あれ居ない?」
先ほどまで、確かに居た位置にリスティはいなくなっていた。
褒め損なって、ご機嫌斜めになってしまったかと耕介は軽く苦笑の表情を浮かべた。
以前と違い心を開いてくれたせいか、最近のリスティは、たまに子供っぽい態度を取ったりするのである。
「って、子供なんだけどね……。」
兎にも角にも、そんなリスティのしぐさの一つ一つが、かわいくて仕方がない耕介ではあった。
「初めのころはな〜、すねるどころか感情すら表してくれなかったし……」
「耕介」
突然、今思い浮かべていたリスティに声をかけられて、何故か照れくさい気がして耕介は振り返った、そして軽い困惑をその表情は浮かべていた
「あれ?珍しいな……」
「何、耕介?僕の服は似合わないわけ?」
似合わないか?と、問われたら、決してそんなことはない。
ただ見慣れていないだけで、客観的に見れば十分かわいい。
と言うか、これは知佳やゆうひにも言えることだが、何を着たって彼女らは、標準以上にかわいい。
当然だ、もともとの素材が、平均を軽くぶっちぎっているんだから。
最高級食材を使えば、素人でもそれなり以上に美味しい料理を作れるのと同じだ。
…………………ある人を除いて。
「クシュン……クシュン……」
「どうした、愛?風邪か?」
「そんなこと……クシュン、ないと思うんですけどね」
「じゃあ、誰かが噂してるのかもな」
珍しくリスティが原色系の服を着ていることに耕介が驚いただけで、淡いブルーのワンピースは、リスティのプラチナブロンドによく映えた。
デザインも、リスティにしては珍しいことに、軽く白いレースであちこちが飾られていた。
「で、耕介。僕の服は似合ってるの?」
「ああ、似合ってると思うよ。
リスティの好きな服と趣味が違ったから戸惑ったけど、たまにはそういう服を着たリスティも新鮮で良いなと思うよ。
なんだかお人形さんみたいだしな」
そう、イメージは違うがよく似合っている。
しかし、褒める耕介にも、褒められるリスティにも、なんだかどこか違和感に似た空気が流れていた。
「おー!何かリスティ雰囲気違うな……。
でもよう似合ってるで〜」
「ね〜、なんかリスティかわいいよ〜」
会計を終えた知佳やゆうひがかける声に、リスティが笑顔で答えている。
しかし、その顔にわずかにさす影は、ただ一人を除いて誰も気がつかなかった。
今回のリスティの服装は、さざなみ寮でも当然話題になった
「めずらしいわね、リスティ。いつもそうゆう服は、照れくさいって嫌がるのに」
「ちょっとした心境の変化さ……。似合わないかな、愛?」
「ううん、よく似合ってるわよ♪」
「私もそう思うよ、愛おねえちゃん」
知佳が今日買ってきた荷物を整理しながら、愛の言葉にうなづいた。
「あれ?」
知佳が不思議そうに目の前の服の箱を見ていた。
「どうしたん、知佳ちゃん?」
「ん……、あのね、なんだか一個荷物が多いみたいなの」
「開けてみればわかるんやない」
そういって荷物にゆうひが手を伸ばすと、耕介が台所から戻ってきて、箱を押さえた。
なぜか、息を切らしている。
「なんやの、耕介君。そんな慌てて……」
耕介の勢いに、ゆうひも知佳も、目を点にして驚いている。
耕介はなんでもないと言っているが、『何でもない』反応ではない。
「耕介君、何か隠してへん?」
「ないない、何にも隠してないぜ。これは、俺の荷物だよ」
そういって、そそくさと部屋に荷物を持ち帰ってしまった。
「変なおにいちゃん」
「ほんまや」
一方、廊下では真雪がリスティをからかっていた。
「ぼうず、クククッ、ずいぶんかわいい服着ちゃってまあ……」
「ただの気分の変化さ」
そういって、二階に上がろうとするリスティの背中に、真雪の真剣な瞳が注がれていた。
「なんかあったのか?」
一瞬、ピクッと反応したように見えたが、何も言わず上に上がろうとする。
そんなリスティに、真雪はかまわず言葉を続けた。
「おまえは、その年で生意気にも、自分のスタイルってやつを確立してる。
そんなお前が、らしくない服を買ったんだ。『ただの』気分の変化だとは思えねぇがな」
ぴたっと、階段の途中でリスティの歩みが止まる。
「…………真雪の考えすぎじゃないか?」
「そうか?そうかもな。
まあ、似合ってるぜ、その服もよ。みんなが褒めてるときに、もうちょっとうれしそうな顔してれば、の話だがな」
何も言わずに、リスティは部屋まで行ってしまった。
フ〜と、煙を吐き出して真雪は苦笑した。
「まあ、難しい年頃だしな……」と、誰にも聞こえない呟きを、また煙と一緒に吐き出しながら。
コンコン。
遠慮がちなノックがリスティの耳を叩いた。
チラッと時計に目をやると、深夜2時を回っていた。
コンコン、コンコン、
再度、遠慮がちなノックがドアを叩く。
ノックしている人物が、困っている姿が一枚のドア越しに、リスティの目にははっきり映っていた。
キシキシ
寝てると判断したのか、他の住人を起こさないように細心の注意を払って廊下を進む、大男の姿はそれなりに滑稽でもあり、かわいくもあった。
「何のようさ、耕介」
ドアを開け、背中に向かってリスティも小さな声で声をかけた。
耕介を部屋に招きいれても、リスティの様子はどこか拗ねているように見える。
いつもは、耕介と二人っきりになると、子猫のようにじゃれ付いてくるのに。
大人びたリスティの、子供のような甘えた仕草。
これが見れるのは耕介だけに与えられたささやかな特権だった。
「やれやれ、お姫様はご機嫌斜めかな?」
そうつぶやく耕介に浮かぶ苦笑の表情に、リスティは頬を朱に染めた。
自分が拗ねている理由が、実に子供っぽいものだ、と言う自覚があるからだ。
「こんな時間にレディの部屋に尋ねてくるなんてね。夜這いなら間に合ってるよ」
だから、できるだけ大人っぽく耕介に対応しようとするリスティ。
その心理の流れが手に取るようにわかる耕介は、自然に優しい笑顔を浮かべた。
「お姫様、この貢物で機嫌を直していただけますか」
先ほど知佳やゆうひの手から奪還された、例の荷物が恭しく差し出された。
箱の中にはリスティ好みの服が入っていた。
リスティ好みなのも当然だった。
その服は、今日の買い物でリスティが最初に買おうとした服、その物だったのだから。
リスティが何か言おうとするよりも早く、耕介が一言、言葉を残し部屋を出て行った。
「これで満足したかい?耕介」
その日はきれいな満月だった。
周りを自然に囲まれたさざなみ寮では、月も星も町に較べて格段にはっきりと見える。
「よく似合ってるよ」
リスティの瞳に、にっこりと極上の笑顔を浮かべる恋人の顔が映る。
思わず顔全体がポッと火照るのがわかる。
欲しかった服を贈られたこと
耕介が褒めてくれたこと
大好きな耕介の笑顔が見れたこと
うれしくて仕方がない、リスティ。
「僕には、ああいった服は似合わないかな?」
リスティの心に引っ掛かていたもの
それは知佳やゆうひの、ヒラヒラとして、キラキラしていた熱帯魚のような姿だった。
嬉しさと嫉妬と拗ねていた自分に対する気恥ずかしさと……
「どうせ僕は、知佳やゆうひみたいに、ヒラヒラした熱帯魚見たくはなれないよ」
「せっかくきれいな月夜なんだしさ、少しでも夜空に近いところで空を見上げたいな」
耕介は、リスティに何も言わずに笑顔を向けた。
「耕介!僕はね!!」
「洋服の御礼だと思ってさ、頼むよリスティ」
リスティはハァ〜とため息をひとつついて、キィィィィンと、独特の音とともに3対のフィンを展開した。
そんなリスティの姿を、耕介は眩しそうに見つめている。
ふわりと二人の体が宙に浮く。
「リスティはやっぱり綺麗だな」
耕介を先に屋根に座らせた瞬間に、耕介が呟いた言葉にリスティはびっくりした。
もし、二人が宙にある状態でこの言葉を聞いたら、思わず耕介を落としてしまったかもしれない。
「こうして夜空をバックにしているリスティはさ。熱帯魚なんかよりずっと綺麗だよ」
金色の月から、銀色の光が降り注いでいる。
美しいプラチナブロンドと、黄金の輝きを発する3対の羽。
そして、月光の一本一本が、まるで銀糸のようにリスティの体を取り巻き、その体を包み込んでいる。
灰色の服が、夜の黒と銀色の世界に美しく調和していた。
屋根から、耕介は宙にある恋人を見つめていた。
幻想的な夜空の絵画の真ん中で、星や月さえも圧して光り輝く少女。
その少女に向かって耕介は笑いかけながらもう一度つぶやいた
「熱帯魚なんかよりずっと綺麗だよ、だから笑って。俺の大好きな笑顔を見せてくれないか?」
少女の瞳が潤んだ。
今までの子供っぽい嫉妬心ややきもちが、耕介の一言一言を聞くたびに洗い流されていく。
流れてきそうになる涙をこらえて少女は笑った。
その姿はまるで……
「綺麗だよ、俺のSilver Moon Fairy」
妖精は飛び込んでいった自分が一番大好きな居場所。
恋人の胸の中に、はじけるようなかわいらしい微笑のままで。
FIN
「耕介」
「なんだい?」
「気障だね」
「フン、どうせ、似合いませんよ」
揶揄する口調に、拗ねた返答
「・・・ありがとう、耕介」
妖精の小さな小さな呟きは、美しい闇夜に溶けて流れていった。