赤く染まった夕暮れの帰り道。
長い影法師だけを供に、セイバーは何か考え事でもしているのか、上の空でゆっくりと歩いていた。


「わっ!!」


突然、衛宮邸の入り口から人が飛び出して来る。


「きゃっ!!」

セイバーの軽い悲鳴と共に、掌から零れた何かがコツンと地面に軽い音をたて転がる。

「リン・・・。何をしているんですか、あなたは」

呆れたように呟くセイバーに、凛は先ほどのセイバーの何倍も驚いたような顔をしていた。

「セイバーこそ、どうしちゃったのよ・・・?」

凛が驚くの無理のないことだった。
セイバーには予知能力染みた直感がある。
それは、通常なら背後から切りかかられても、アサシン並みの気配遮断能力でも使わない限り、あっさりと看過されてしまうほどの鋭さだ。

それが、凛がちょっと息を潜めて物陰から飛び出しただけなのに、ビックリしていたのだから訝しんでも不思議はない。

「いえ・・・その」

「ん?」

口篭るセイバーを横目に、凛は足元に落ちていた、淡い紫色の液体を満たした小瓶を拾い上げる。

「あ、それは・・・」

先ほどセイバーが驚いた拍子に落とした小瓶。
これが、彼女を上の空にさせた原因らしい。

「セイバー、これ何?」

何かを察したのか、凛は興味深そうな顔で、瓶を上から下からと調べていて、応えなければ返してくれそうもない。
それの扱いを持て余していたセイバーは、ややこしくならなければいいがと憂慮しながらも、結局それの扱いを凛に任せることにした。

「実はそれ、ギルガメッシュがくれた魔術薬なんです」


The mask of irony
〜仮面の下の素顔〜


「おお〜い!!またかよ、勘弁してくれよ」

いつも賑やかな衛宮家の居間だが、今日はいつもにもまして賑やかだ。
凛がどっかから調達してきた、人生ゲームで盛り上がっているからだ。

「ランサーさん、またフリーアルバイターですね」

銀行役を務める桜が苦笑している。

「ふむ、こんな所でまでフリーターとは実に君らしい」

「うるせぇ!お前こそ、事故ったり、老人ホームやら平和活動やら難民支援やらにやたらと寄付してばかりで、借金生活じゃねーかよ」

ちなみにランサーも持ち金は、『何とか借金はしていない』程度なので、アーチャーとは五十歩百歩の状況だったりする。

「・・・あんた達、ほんっとうに運が悪いわね」

「あ、今度は油田が出たそうです。サクラ。100万$ください」

「一方の遠坂とセイバーは随分快調に資産が増えていくな」

ちなみに、士郎はスタートから今まで可もなく不可もないサラリーマン生活で、資産もそこそこという状況だった。

「でも遠坂先輩、何で突然人生ゲームなんてはじめたんですか?」

「ん、たまにはこうやって皆でワイワイやるのも良いかなって」

勿論、凛の意図は別にあるが、それを億尾にも出さない。
先ほどセイバーから預かった、ギルガメッシュの魔術薬に関係あるのは言うまでもない。





           〜夕食前〜



「じゃあ、これって『相手を強制的に催眠状態にできる薬』なんだ」

「いえ、ギルガメッシュが言うには、しばらくの間、質問に対して素直な解答をしてしまう薬だそうなんですが」

凛の掌で踊る、例の薬を渡す時のギルガメッシュの様子を思い出す。


「イヤ〜、負けちゃいました。やっぱりセイバーさんが加わると、みんなの実力の何倍も発揮させてきますね」

相変わらず子供らしい邪気のない笑顔で、完敗です、とでも言うように子ギルが笑って手を振っていた。
子ギルチーム対セイバーチームで、今日は3−4の接戦でセイバーチームが勝利を飾ったのだった。

「じゃあ、優勝賞品てことで、これあげますよ」

「これは?」

投げてよこされた、淡い紫色の液体が入った小瓶を不思議そうに見つめる。

「相手を意のままにできる魔術薬です」

赤い瞳が、無邪気なままに、恐ろしいことを口にする。

「返します、そんな物騒な物」

「いいんですか?そんな怪しい物を ギルガメッシュに持たせても」

悪戯っぽい微笑だが、それはさり気ない脅迫みたいな物だった。

「確かにあなたはともかく、あの男に持たせるには危険かもしれませんね」

赤い瞳の向うに、少年が成長した姿を見たのか、苦笑しながら頷く。

「でしょう。でも、まあ大した物じゃないんで、対魔力が、ある程度強い魔術師やサーヴァント相手では、精々嘘が吐けなくなるとか、その程度の効果しか出ませんけどね。
では、その薬は差し上げますけど、危険ですから、その辺に捨てたりとかはしないでくださいね」

「そんなに危険な物なら、わざわざ渡さないで欲しいのですが」

「うん、ちょっとした意地悪ですよ」

ニコっと、笑顔で去っていく子ギルだが、口調とは裏腹に試合に負けたのが結構悔しいみたいだ。

「要するに、嫌がらせですか」

はぁ、と溜息をつく。
負けず嫌いでプライドが高くて我侭。
何だかんだで、ギルガメッシュの片鱗を感じ、苦笑するしかない。

「とはいえ、これをどうすればいいでしょうか」

思案しながら帰途につくセイバーだった。





「あー、それで上の空だったんだ」

「ええ、すっかり扱いに困ってしまっていたのが本音です」

「あ、そうだ。私、これを飲ませたい奴が居るわ」

「誰です?」

半ば解答は予測できたが、律儀にセイバーは問い返した。

「うちの皮肉屋」

やっぱり、セイバーの予測通りの解答に溜息をつく。

「あまり感心はしませんが」

「でも、セイバーだってちょっと興味はあるでしょ?」

衛宮士郎の可能性。
セイバーの憧れた士郎の『強さ』。
ある意味、それの最も研ぎ澄まされた結晶がアーチャーという存在。
興味がないといえば嘘になる。

「しかし、彼の内面を覗く事は・・・」

自らを自らの手で殺そうとした彼。
理想を自ら葬ろうとした彼。
今はもうそんなつもりはない、その言葉に嘘は無くとも。
容姿がかわり、口調が変わり、呼び名がかわり、何もかもが変わってしまうほど深く穿たれた心の傷。
それに触れるのは、正に土足で他者の心を踏みにじるような行為ではないだろうか。

「大丈夫よ、そんなに深いところまではいくらなんでも覗かないから。
ただ、あの皮肉な表情の向こう側で何を考えているのか、それが知りたいだけ」

何か遠く儚い物を見る様な凛の視線。
アーチャーの向うに、シロウを見ているのかもしれない。
無意識な仕草や表情、稀に見せる不器用な優しさ。
あの、皮肉やな仮面の向うに、もしかしたら変わらずに『衛宮士郎』は居るのかもしれない。


そんな、自分と同じ事をリンも感じて居るのかもしれない。

「でも、アーチャーが大人しくそんな物、飲んでくれると思えませんが」

「罰ゲームって事にでもすればいいんじゃないかしら。
あいつ、何だかんだで生真面目だから、嫌々ながらも絶対に断らないわよ」

「・・・どうやって彼を負かすんですか?」

剣を用いての一対一の戦いならともかく、純粋なゲームで彼を負かすのは難しい。
彼は、足りない実力をあの手この手で補って、英雄まで上り詰めた存在だ。
戦略の立案から実行まで、相手の心理状態や行動まで織り込んだ、完璧な運びを見せる。
その気になれば、多少無謀でも強引に突破できるだけのスペックを持った、他の多くの英霊には真似できないスキルだ。
将棋、チェス、オセロのようなモロ戦略が物を言うゲームは勿論、ババ抜きやポーカーも抜群に強い。
実際、今までセイバーはほとんど勝てたことがなく、悔しい思いをしているのだ。

「確かにあいつは戦略上手で戦術家、そのうえ心眼なんて厄介なスキルまで持ってるわね。
だけど、セイバーは忘れてない?
あいつには、致命的な弱点があるのよ」

「致命的な弱点、ですか?」

そんな物があったら、自分は120連敗もせずに、一度くらいはチェスでアーチャーに勝ってる筈だが、と首を傾げる。

「まあ、私に任せておいて」








そう言って、夕食後に凛が持って来たのが、人生ゲームだった。


「そうだな、たまには家族団欒てのも悪くないよな」

「ランサー、あんたいつから家族になったのよ」

凛が半ば本気で呆れてランサーに溜息をつく。

「・・・というか、遠坂だっていつ家族になったんだよ」

もう、月のほとんどを自宅ではなく、ここで過ごす凛に対し、士郎はボソリと呟く。
もちろん、本人には聞こえないようにだ。

「っく、『騙されて宝石を買わされる』だと?」

「アーチャーさんもとうとう借金生活突入ですね」

「リアル過ぎるな、オイ」

「・・・あーあ」

「・・・こんな所でも、ですか?」

「なんで、皆私を見てるのよ!!」

みんなの視線が何故か自分に突き刺さっているのを感じて、ガァーッと吼える凛。
苦笑しながらもセイバーが、取り成すように凛に耳打ちをする。

「凛、わかりました。ゲームに関するアーチャーの弱点」

「そ。こいつはこういうゲームに弱いのよ」

純粋に運だけで進んでいくゲームに関して、アーチャーは酷く弱い。
なんせ、幸運が『E』と、最低ランクだから当然だ。
だからこその、凛の人生ゲームのチョイスだった。

「ですが、誤算がありますね」

「・・・ランサーね」

今日に限って、たまたま遊びに来ていたランサーが居たのだ。
運の悪さならランサーも負けない、問答無用の『E』ランクだ。

今も薄幸英雄の二人組みが、ダントツのビリ争いをしている。
ちなみに同じく『E』ランクのライダーは、食後早々に部屋に引き上げていた。

「・・・あとはもう、祈るしかないわ」

「あ゛ーー!!山で遭難!?捜索費に10万$払うだとぉ!!?
このオレが山で遭難なんかするか、オイ」」

「・・・期待できませんが」

ひたすら借金を増やしていくランサーを横目に、二人はそっと溜息をついた。







「さて、じゃあビリのアーチャーには、約束通りこれを飲んでもらおうかしら」

凛とセイバーの願いが通じたのか、ギリギリのところでケルトの大英雄が、正義の味方を差し切り、ビリ2を確保した。

「いや、凛、ちょっと待て。
これ、明らかに怪しいぞ」

呪詛の香りがプンプンするそれは、士郎から見ても怪しさ爆発な一品だった。

「罰ゲームだから、当然じゃないですか」

ガシっとセイバーがアーチャーの右腕をつかむ。

「む、セイバー」

「往生際が悪いぜ、なあ」

同じくランサーが左腕を極める。

「ランサー、君まで・・・」

「じゃ、アーチャー・・・おやすみなさーーい」

無理やり流し込まれたその薬は、意外にも甘美で、ゆっくりと優しく、アーチャーの意識を深いところまで落とし込んでいった。
























口元に刻まれた歪んだ頬も、人を見下したような視線も今はなく、今の彼はまるで眠っているようだった。

「対魔力を持つアーチャーに、どの程度効き目があるんでしょうね?」

「本当に効果があるのか確かめてみようかしら。
アーチャー、あなたの真名は?」

凛の質問に対し、逡巡するように僅かに間が空き、そして蚊が鳴くほどに小さな呟きが返答として返される。

「・・・私の真名はエミヤ。エミヤシロウだ」

「どうやらそれなりに効果があるみたいね」

凛の言葉にセイバーも頷く。
自らの過去に関して、今でも含むところがあるからだろう。
アーチャーが自分から、かつての自分の名を告げるのを聞いた事は、凛だとて未だにない。

「なあ、遠坂。あの薬って・・・」

「うん、ギルガメッシュからセイバーが貰った自白剤よ」

しれっと言う凛と、わざとらしく明後日の方向を見るセイバーに深く溜息をつく。
相容れない存在だが、同情してしまう。
もっとも、無力な衛宮士郎は他には何もしてやれはしないのだが。

「さてと、じゃあアーチャー答えてもらおうかしら。
ずばり、初めてセイバーと会った時、アンタが何を考えていたかを」

「どういう事ですか、リン?」

「ずっとおかしいと思ってたのよ。
ランサーの神速の槍を相手に、鉄壁の防御を見せたアーチャーが、いくら相手がセイバーだからって、何の抵抗も出来ずに一刀の下に切り伏せられるはずがないって」

「そりゃ、確かにおかしいな。
こいつの腕は、特に防御の腕は、かなりの物なんだぜ。
いくらなんでも一撃ってのは普通じゃないな」

実際、その数分前までランサーはセイバーと斬りあっていたのだから、その言葉に説得力がある。

「確かに、あの時のアーチャーはひどく隙だらけで拍子抜けしました」

セイバーの言葉を受けて凛が我が意を得たりと頷く。

「でもね、コイツの正体が士郎ってなら納得なのよ」

「なるほど、何か訳ありに違いない。
だから『何を考えていたか』って質問か」

合点がいったのか、興味深げにアーチャーの寝顔を覗き込む。
釣られて凛とセイバーも、アーチャーの寝顔を覗き込む。
白い髪が額にかかり、険が取れた安らかな寝顔はかなり幼く見え、否が応でも、桜を連れて別室に引っ込んだ、この家の主の姿を思い起こさせる。



「セイバーと初めて会ったあの夜は・・・・・」

ゆっくりと思い記憶を紐解くように、アーチャーの口から言葉が紡がれていった。




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輝く月明かりの下、塀の上に立ち、対峙したセイバー
見下ろす紺碧の瞳と、銀の甲冑に包まれた彼女の姿を、地面から仰ぎ見ていた。
見えない剣を構え振り下ろす彼女から眼が離せなかった。
双剣を構えるか、距離をとるか、駆け引きを駆使するか。

何でもいい、何か手を打たなければ。

無防備に棒立ちしたままで、どうにかできる相手ではない。
最強の剣士、最優のサーヴァント、セイバー。
その強さは骨身に染みて知っている。
彼女のことは誰よりも良く知っているという自負がある。
彼女の主であるエミヤシロウ以上に。
そして何より、目の前の彼女自身より。



しかし、私の身体は動かない。
魅入られてしまっている。
息をすることすら忘れ、月下に佇む彼女を見ていた。



何もかもがあの日と同じ構図だった。

見上げる自分と見下ろす彼女。
美しい金糸の髪も、涼やかな瞳も、彼女が纏う清廉な空気も。

目を閉じれば鮮明に思い出せる。
どれだけ磨耗しても、どれだけ歪んで捻れても、決して侵すことのできない記憶。
エミヤシロウ が彼女に出会ったあの夜の記憶。


断言できる。


『英霊エミヤ』は、まさしくあの瞬間に誕生したのだと。


正義の味方になりたかった。
曖昧なイメージに、確たる目標が与えられた。

形を持った理想。
あとは、そこに向けて全力で走るだけ。
脇目も振らず走り抜けた。
そもそも、周りなんて眼に入らない。
他には何も目に入らないほどに、焦がれてしまったのだから。

切り捨てた。
敵も自分も、何もかも。
例えそれが、自身にとってとても大切な物だったとしても。

多くの人を救いたい。
一人でも多くの人を救いたかった。
そのために、力をつけた。
今までよりも多くの人を救えた。

でも足りない、まだ手が届かない人が居る。
さらに強く、全ての人を救うためならより強く、例え自分自身を代償にしたとしても・・・



その考え方は歪だと助言をくれた、かつて憧れた少女。
切り捨てた。
二度と道は交わらず、自分自身の記憶からすら切り捨てた。

もう少しだけ自分の身体も大切にしてください、そう言ってくれた妹のようだった少女。
切り捨てた。
俺なんかのために涙を流さないように、行方をくらませ、自分自身の記憶からすら切り捨てた。

そうやって、強さの代償に切り捨てた。
親友、姉、友、仲間・・・・・・何もかも。

そう、自分自身を、世界から切り捨てた。



あの時、あと少しだけ、私の手が長ければ、救える命があった。
でも、エミヤシロウには、もはや切り捨てる物がない。
身体は既に崩れ果て、心は既に壊れ果て、命すらもう燃え尽きるのは、時間の問題だった。
99人は救えたのに、あと、たった一人で全ての人を救えるのに。



切り捨てられる物は、たった一つ。



「我が死後を捧げよう。代償として、あの少女を救えるだけの力を・・・」



とうとう己の死後すら切り捨てた。
何もない。
もう、エミヤシロウには何もない。
これからは、正義の味方として、世界にこの身を捧げるのみ。
それに不満なんかない。
正義の味方になって世界に身を捧げること、それは追い求めてきた目標、あの蒼い少女と並びうるということなのだから。














殺戮殺戮殺戮殺戮殺戮殺戮
殺戮殺戮殺戮殺戮殺戮
殺戮殺戮殺戮殺戮
殺戮殺戮殺戮



ただ、ひたすらの殺戮。
世界を救うための大掃除。




世界の崩壊を防ぐため、この身はひたすら血に濡れる。

正義の味方。

憧れていた物はなんだったのか。
磨耗していく己自身に、必死に問いかける。


正義の味方?


バカな、この身がそんな者であるはずがない。
憧れた英雄、原初の記憶を呼び起こす。
今も鮮明に思い出せるたった一つの情景。


夜の闇を銀の月が照らす。
煌々と輝く月は、まるで彼女のためのスポットライト。
オレを見下ろす紺碧の瞳。
力強く、ただ前だけを見ていた。
あの清廉で凛としたセイバーを目指し、ひたすら走り抜けて辿り着いたのが、こんな場所のはずがない。


そう・・・断じてこんな者のはずがないんだ。


ならば、誤っているのは自分自身。






誤りは正さなければならない。
間違った理想を掲げた男、 かつての自分 衛宮士郎を修正しなければ・・・・・・。







歪んだ憎悪、ただそれだけを糧に、地獄を切り抜けてきた。
そうして、ただ一度だけの奇跡。
気が長くなるような時間と、無限に広がる平行世界の果て、ただ一度きりの機会を得た。

暗い悦びに奮え、全てを欺き、全てを排除してでも目的を果たす。
そう誓い、身を投じた聖杯戦争だった。


それなのに、ああ・・・それなのに。


エミヤシロウが、君を呼び出した夜の一幕。
焦がれ、目指し、憧れ、夢見た、あのころのままの君が居た。

夜の闇を銀の月が照らす劇場。
煌々と輝く月は、まるで君のためのスポットライト。
オレを見下ろす紺碧の瞳。

その見下ろす紺碧の瞳と、見上げるオレの瞳が一瞬、本当に一瞬だけ交わった。

この身が雷に打たれた様に痺れた。
見惚れた。
魅入ってしまった。

無限の果てに得た、儚い奇跡にかけた願いは、
夢幻の果てに得た、出会いの前に霧散してしまった。

「アルトリア」

喉まででかかった言葉は、紡がれることなく、無論、あの日君がくれた言葉を返すこともない。
九死に一生を得た私を待っていたのは、奇妙な同盟関係だった。
かつてと同じ場所で、かつてと同じく君と過ごす。



君の前では私は私を切り捨てよう。
この身は既に人ではなく英霊なのだ。
我が身を、心を切り捨てるなど造作もない。
どのみち、この身体は剣でできているのだから。



皮肉な表情を、嘲弄を、裏切りを、ありとあらゆる仮面をかぶろう。
決して君が、私に言葉を、そして瞳を向けないように。
ただの一度も、興味なんて持たないように。

私は、私の一番大事な記憶をすらも、切り捨てよう。
君を切り捨てることが、自らの心に残された、最後の救いすらも切り捨てることだったしても。









「何故です、何故一言告げてくれなかったのです!
すぐには無理でも、聖杯戦争が終わって、平和な暮らしに戻ってからも、ただの・・・ただの一度も、貴方は私に向き合ってくれなかった」

アーチャーの哀しい独白に、セイバーの悲痛な、悲鳴のような問いかけが続いた。

「言えるわけがない、オレにはそんな資格なんてありはしないんだから・・・」

口調がアーチャーではなく衛宮士郎に戻ってしまっている。
仮面が外れかかっている。

「シロ・・・」

突然、大きな手がセイバーの口を塞いだ。

「何をするんですか、ランサー」

キッと感情に任せて睨みつける瞳は、セイバーという歴戦の英霊というよりは、ただの年端も行かない少女のようにランサーには映った。

「そっちこそ、今何を言おうとしたんだ」

その言葉にハッとする。
アーチャーを今セイバーは何と呼ぼうとしたか。

「コイツ自身が、自分の意思でお前さんに名乗ったわけでもないのに、その名でコイツを呼ぶのは、いくらなんでもルール違反だぜ」

アーチャーが何を思ってそうしているのかは知らない、知る気もないし興味もない。
けれど、きっと訳があるであろう行為を、土足で踏みにじるような行為は見過ごせない。

チャランポランなようで、筋が一本通ったランサーらしい、男らしい思いやりに満ちた行為だった。

「・・・・・・すみません」

「ああ、いいさ。さて、お嬢ちゃん、コイツの罰ゲームはもう終わりでいいよな?
じゃあ、こいつは上手くごまかしといてやるから、二人は席を外してくれや」

成行きに呆然としていた凛の返事も待たず、ランサーはアーチャーの顔の前でルーンを取り出す。
襖を閉じる最後まで二人を、いや正確にはアーチャーを見ていたセイバーが、部屋から出て行く。
それを確認してから、何やら呟き指をパチンと鳴らした。

「・・・ム・・・ん・・・」

「よう、目覚めはどうだ?」

「・・・目覚めて最初に見るのが君の顔だとはな。まあ、寝覚めの気付には最適か」

「は、それだけ嫌味が言えれば上等だ」

「ああ、薬の影響は無さそうだ」

意識を覚醒させるように、首を二三度軽く振りながら、身体の調子を確かめる。

「自分から深く堕ちていって、後遺症が残ったらお笑いだろうが」

アーチャーがビックリしたような顔を見せ、次いでばつが悪そうな表情を見せる。
いつも余裕で皮肉気、そんな鉄面皮なこの男らしくない。
どちらかと言えば、この家の家主がたまに見せる表情に近い物だった。

「・・・気が付いていたか。
みっともない所を見られたな」

「なぁに、酒の力を借りなければ言えない、そんな本音だってあるさ」

伝えたい、けれど、伝えるべきではない気持ち。
こんな機会でもなければ、きっと一生言葉にしなかった気持ち。

仮面の下に隠した純粋な想いは、いつか爆発しそうになっていた。
それすらも鋼の精神力で押さえ込んできた男の、薬に後押しされた、ほんの少しの弱さの発露。
それをどうして攻めることが出来るだろうか。

「君らしい表現だな、どれ、お礼に酒でも奢ろうか」

「お、いいねえ」

切継秘蔵のワインと、アーチャーの作った即席のつまみで、二人の英霊が、縁側で月の下で静かに酒を酌み交わす。

「よお、酒のつまみだとでも思って、一つだけ聞かせろよ。
さっき口を滑らした、資格ってのは何のことだ」

「・・・失言だったとわかっていて聞くんだな、君は」

溜息とともにポツリと語りだす。

先ほど、ランサーが言った通り、薬のせいにしてほんの少し、僅かだけでも胸に燻る気持ちを伝えられればそれで良かった。
ただ、誤算が一つ。
一度零れだした思いは、ほろ酔いの酒がいつの間にか全身を蝕み、泥酔状態になるように、いつしか自らでは歯止めが利かないところまで来てしまっていた。
失言を察して、止めてくれたランサーへの礼のつもりで語り始めた。









「シロウ」

癖のある懐かしい発音も、君の声も、君の言葉も、君の瞳も何もかも、かわらないのに、それは自分に向けられた物ではない。
当然だ、彼女と駆け抜けた衛宮士郎が、掃除屋風情に堕ちているはずがない。
美しく清廉な彼女が『愛している』と笑顔を向けたのは、 英霊エミヤ ではなく、 衛宮士郎 私ではない私なのだから。

理想を違い、道を外れ、捩れ果てた私には、彼女に触れることすら憚れる。

「それに、私は満足なんだ」

例え触れられなくとも、かつてのように喋れなくてもかまわない。
ただ、彼女と同じ空気を吸い、彼女の姿をこの眼に再び焼き付ける事が出来ただけで。

「一瞬の邂逅で切り伏せられたあの夜、凛には申し訳ないが、例え、あれで私の聖杯戦争が終わっていたとしても、後悔はないくらいにな」

「でもよ、あの時、喉まで出掛かっていたんだろう?」

「ああ、そうだな」

夢見るように頷いた。
夜空を眺める。
あの日と同じく、月が世界を銀色に染め上げていた。

「剣を構え飛び降りてきた彼女を、アルトリアと呼び、抱き寄せたいと思った。
あの日彼女がくれた言葉を返したいと願った、私にはそんな資格など有りはしないのに」

「だってよ!!」

「え?」

庭におり、屋根に叫ぶランサーに怪訝そうな顔をし、後を追って庭に下りてみる。


夜の闇を銀の月が照らす。
煌々と輝く月は、まるで彼女のためのスポットライト。
白銀の鎧が月の光を受け、まるで一枚の絵画のようだ。

私を見下ろす紺碧の瞳と、彼女を見上げる私の瞳が交差する。
ただ、違うのは、前を見据えた力強い瞳は、儚げに揺れ、大粒の涙が今にも零れ落ちようとしている所。

「セ、セイバー・・・」

「違います!」

不可視の剣を振り上げ、アーチャーに向かって降りてくるセイバー。
まるで、あの夜のリプレイを見ているようだ。

「シロウ」

決して私に向けられない、向けられてはいけない言葉が私に向けられる。

その瞬間、私の仮面は彼女の不可視の剣に完全に切り捨てられたに違いない。

「アルトリア!!」

降りてくる彼女を、腕を広げ、抱きすくめる。
胸の中でじっとアーチャーを見つめるアルトリア。

「私に、私に返してくれる言葉はないのですか?」

その言葉にはっとさせられる。

「ランサー!!」

セイバーが屋根に居たことも知ってた上で、アーチャーの口から全てを語らせた槍兵を探す。
しかし、さすがは最速にして、生き残ることに関しては屈指の大英雄だ。
馬に蹴られる前にとっくに姿を消したらしい。

「そうですよね、私は貴方のアルトリアではないですから・・・」

「違う、お前はオレのアルトリアだ!!」

だからこそ、瞳を奪われた。
憎しみも復讐も何もかも忘れ、そのまま果ててもいいと思うくらい魅入られた。

「では・・・」

「ダメだ、オレには君に言葉を返す資格はない。
この手は血で穢れ、身体は壊れ果て、心は捩れ狂い、何もかもが変わり果ててしまったオレは・・・」

アーチャーの逞しい首に、その白くたおやかな腕を回す。
いつのまにか、セイバーは甲冑を消していた。

「貴方はシロウです、姿が変わっても、仮面を被ってもシロウです。
結局、自分以外の誰かのために、いつも懸命に駆け回っている、私の好きなシロウだと私は思います」

「アル・・・トリア・・・」

聖母のような微笑と、不安と期待に揺れる少女の瞳。

「また、私から言わせる気ですか?貴方は意地悪な人ですね」

微笑を浮かべ深呼吸を一つ。
首に回された掌が冷たい。
彼女が緊張しているのがわかった。

「シロウ、あなたを愛して・・・」

「ストップ」

唇で唇を塞ぐ。
不意打ちに彼女の瞳が大きく開かれている。

「な、な、何をするんです」

ようやく、顔を真っ赤にして抗議して来る。

「バーサーカーとだって互角に打ち合える君が、たかだか私なんかに緊張するなんてな」

ニヤリと笑う、その表情はセイバーも良く知っている、アーチャーの皮肉な笑みだ。
でも、それも耳まで赤くなっていては、何だか可愛らしく見えてしまう。

「今日の私は、感が鈍りっぱなしみたいです。
でもね、貴方の一度壊れた仮面は、元には戻らないみたいですよ」

その言葉に、ばつが悪そうな顔で苦笑してみせる。

「アルトリア、君を愛している」

「シロウ、私も今の貴方を愛しています」






遠回りをした。
別離もあった。

かつて、ベディヴィエールが湖の精霊に委ねた聖剣は、妖精境を経て、さらなる安息の場所へと帰ってきた。
長い年月を経て、再び聖剣はその鞘に身をゆだねる。
今後、剣が抜かれることはなく、鞘が離れることもない。

二人で過ごすこの世界こそが『 アヴァロン 全て遠き理想郷』。 いつかの日と同じ銀色の月が、優しい光で二人の英霊を見守っていた。


魔術師の後書

最近のマイブームは弓剣です。
前からかなり好きだったけど、純粋な弓剣は初かな?

実は、これは弓剣祭という企画をしている、ステキサイトさんを見つけて思わず書いちゃった作品でした。
なにに、向うの投稿掲示板の字数制限を4〜5倍以上軽くブッチギっちゃった見たいです、テヘ☆

ちなみに今赤丸急上昇中に心の中で上位を占めてるのは鐘嬢だったりします。
誰か可愛い鐘嬢のイラストがあるサイトあったら教えてください。
エチかったら、なおGOODです(笑