志貴とシキの闘いから早1年…。

大切な人を失った痛手は癒える事も無い。

しかし、それでも時はその速度を変えずに流れていく。

遠野邸では、穏やかで平和な時がゆっくりと流れていた。

……煩わしいほどにゆっくりと…。

秋葉は2ヶ月に一度だけ邸に帰ってくる。
ただ志貴が戻っていないかの確認のために。

翡翠も琥珀も、もはや志貴の名を口にしない。

ただ一度だけ琥珀がポツリと洩らした言葉は、3人の心を哀しいほどに見事に表現していた。

「穏やかな時が流れて何もかも少しずつ風化していく、

お顔もお声も少しずつあやふやな記憶になっていくのに

…………消失感だけが反比例して大きくなっていく。

まるで1ピース足りないパズルの様にポッカリと…」

 


月華


 

「それでは秋葉様行ってらっしゃいませ」

「ええ、また二ヶ月くらいしたら帰ってくると思います、それまで邸の管理をお願いね琥珀、翡翠」

「はい、門の所までお送りいたします」

「いいわ、挨拶してから行くから…」

『挨拶』の言葉に翡翠と琥珀がビクッと反応する。しかし、一瞬で平静の振りをする二人。

しかし、秋葉は見逃さなかった、

無表情を装いながら僅かに震える翡翠の掌も、

春の日差しのような笑顔に、少し陰りがさした琥珀の表情にも…。

 

玄関を出て、秋葉は美しい紅葉が舞い散る、思い出の場所にきていた。

ここは、兄と空を見た思い出の残る…………………………………………………哀しい場所。

「兄さん…、あなたがこの邸に帰ってきてくれた日から、1年が過ぎました…」

ポツリと空を見ながら呟いた。

「そして今日はあなたが消えた日から丁度1年後です…」

『消えた?』

ここで、少女の兄は自らを貫いたのに…。彼の最愛の妹を取り戻すために…。

自らの胸をナイフで貫いたのに…。

―――――――――――――――消えた、少女はそう表現した。

『兄さんは生きている…』

それを信じる彼女は、兄を『死んだ』と表現する事は、ただの一度ですらなかった。

一度でも死んだと表現したら、兄はもう帰ってこないのではないか…。そんな気がして…。

「私らしくもない…」

自分の子供っぽい感傷を、一人苦笑する。

「兄さん早く帰ってきて…。さもないと私、他の殿方の所に去ってしまうわよ…」

トクン…トクン…トクン…トクン…

少女の胸の中に確かに兄の存在を感じる…、

かつて命を共有していた頃よりも格段に微かにだが…。

クスッ、

少女は柔らかく微笑んだ。

『兄さん以外の人なんて考えられないくせに…。

この胸に残る僅かな重さが感じられる限り、決して諦められないくせに…』

いつかここで拾った、七夜と彫られたナイフは、今も肌身離さず持っている。

ナイフを拾った時に強く、そして確かに兄の存在を感じられたからこそ、信じて来れた。

ともすれば、不吉な予感や、消失感に負けそうな時にナイフを抱きしめ、兄の存在を噛み締めた。

 

ザアッ――――――――――――――――――――――――――

 

一陣の風が、紅葉を舞散らせ、まるで紅い嵐のよう。

そんな中で秋葉の黒髪は風に踊る。

幻想的な黒と赤のコントラストの中で、秋葉は一言だけ残し館から出ていった。

「兄さん……………」

と。

 


 

ザッザッザッ……

時刻は午後十時

遠野邸のチャイムが不意に来客を告げる。

遠野邸は十時が消灯時間、それは秋葉が居ようと居まいと変わらない。

そんな時間に訪ねてきた無粋な客は、悪びれることなく呟いた。


「悪いね翡翠、琥珀さんも。俺はいつもいつも門限を破ってばかりで…」

 

扉を開けて中に入ってきた男は、確かに門限破りの常習犯だった。

翡翠が涙に濡れた瞳で思わず抱きつく。琥珀が一年ぶりに見せた全く屈託の無い笑顔。

二人にそんな顔をさせる事ができるただ一人の男は、1年前と変わらない…

否、十年前に初めて会った時から変わらない、優しい笑顔で玄関に佇んでいた。

 

一年ぶりに志貴は居間に通された。

相変わらず、高そうな調度品によって飾られた居間は、一年前から変わっていない。

「ふ〜」

「どうなさったんですか志貴様?」

落ち着かない様子の志貴に翡翠が不安げな顔を見せる。

「いや…、居間の様子がさ落ち着かなくて…」

「はっ…?居間でしたら一年前から変わっておりませんが…」

「そう、一年前と変わらずに高そうな調度品ばっかりで、相変わらず緊張しちゃうのさ」

一瞬きょとんとした顔を見せた翡翠だが、クスクスと楽しげに笑い出した。

その笑顔を見て志貴も笑い出し、居間は和やかな雰囲気に包まれた。

 

「秋葉様!!できるだけ早くお帰りください…」

電話の向こうの琥珀はひどく興奮している。

「どうしたの琥珀?」

秋葉はそんな琥珀の様子に驚きながら聞き返した。

そもそもお帰りくださいと言われても、今日、邸に帰ったばっかりだ。

いつもなら帰るのは二ヶ月後、最短で帰れるとしても、次の土日まで帰宅の許可は取れない。

そんな事を知らない琥珀じゃないだろうにと不思議に思う。

その琥珀がこんなに慌てる事態なんて…

『まさか兄さんが…』

自分の着想を否定する様に軽く首を左右に振る。

『そんな都合のいいことなんてありはしない…』

そう思いながらも、何故か受話器を握る秋葉の手は小刻みに震えていた。

「わかってると思うけど、次の土曜まで帰宅許可は出ないのよ…」

冷静さを装った声で琥珀に返答した。

「あ…そうでした、それではせめてお声だけでも…」

トクン…トクン…トクン…トクン…トクン…トクン…トクン…

『マサカ…ニイサンガ…?』

そう思うだけで、秋葉の心臓は悲鳴をあげそうなほどに鼓動していた。

受話器の向こうで琥珀は確かに呟いた…

「志貴さん…秋葉様にもお声を…」

『そこに兄さんが居るんだ…』

 

 

 

「なんです?琥珀さん」

受話器を持って自分を呼ぶ琥珀の所まで、志貴は不思議そうに近づいた。

「秋葉様にも、お声を…」

「秋葉は何処に居るの?」

「ただいま浅上女子の寮にいらっしゃいます」

「どうりで見ないと思ったら…でもあいつ確か特例で自宅通学じゃなかった?」

「………志貴様の思い出が多く残るこの家で、志貴様を待ち続けるのは辛いと…」

その言葉に僅かに顔を曇らせる志貴だが、それは一瞬の事であった。
次の瞬間にはおどける様に

「俺はまた、一年もほおっておいたから、絶縁されたのかと思ったよ…」

と言い、その言葉にクスリと琥珀は笑いながら

「心にもない事を仰るのですね」

と言った、そして少し真面目な顔で

「秋葉様を安心させてあげてくださいね」と言って受話器を渡した。

 

「もしもし…秋葉か?」

僅かに上ずった自分の声に、志貴は苦笑せざるを得なかった。

しかし――――――――――――――――――――返事は無い。

「もしもし、もしもし…」

「………………………………」

 

『………』

ハァ〜…志貴は大きく溜息をしながら、仕方のなく電話を切った。

口ではなんだかんだ言いながらも、一年ぶりの秋葉の声を何よりも聞きたいと思っていただけに、落胆ぶりは大きかった。

それは顔にも出ていたのだろう…翡翠が気遣わしげに声をかけてきた。

「志貴様、どうかなさったのですか?」

「ん…?いや、秋葉がさ、ご機嫌斜めみたいで一言も話をしてくれなかったんだ…」

翡翠の表情を見ると自分の落胆は余程の物なのだろう…人事のように志貴は思った。

そんな時に琥珀が

「お茶が入りました〜」

と、場違いなほどに明るい声で居間に呼んでくれたおかげで、とりあえず、志貴と翡翠のどうしようもない沈黙に終止符が打たれた。

 

居間に入ってきた志貴と翡翠の表情に、琥珀は何か有ったことを察したらしく志貴に訊ねた。

「ああ…、なんでもないよ…秋葉が一年も連絡してこなかった事を怒ってるらしくてさ、口も聞いてくれなかっただけですよ…」

「それで、志貴さんはそんなに落ち込んでるんですか?

ふふふ、よっぽど秋葉様に会いたかった事がわかりましたよ」

少し、意地悪な琥珀の視線にさらされて、やや照れくさそうに志貴は

「いや…別に…そんなわけじゃ…」

と、しどろもどろに言葉を濁した。

そんな志貴を、先ほどの視線に加えて、ますますからかうような声で

「そんなに照れなくてもいいのに…」

と、笑顔で言われて、志貴はカーッと自分の顔が赤くなったのを察した。

「…と、とにかく明日もう一度電話してみます…」

「その必要は恐らくありませんよ…」

と、意味深な表情で楽しそうに微笑む琥珀を、翡翠と志貴は不思議そうに見ていた。

 


 

しかし、琥珀の表情の謎はすぐに―正確には電話のあと1時間後に解けた。

時刻は11時半。志貴が眠れずにいると、遠慮がちに琥珀がノックをしてきた。

「志貴さん…、起きてらっしゃいますか?」

「ああ、起きてるけど…」

「それじゃあ、下に降りて来てください…」

「はあ…」

と良くわからないまま下に降りてくると、突然……

 

ドンッ…と衝撃でそれはぶつかってきた…

「兄さん…」という言葉と共に…。

「あ、秋葉…か?」

「兄さん、兄さん兄さん兄さん…兄さん!!!」

自分の胸で、何度も兄さんと連呼しながら泣いているのは、紛れも無く志貴が最も大切にしている少女であった。

少女のために、己の命すらも投げ出してしまうほどに…。

泣いている可愛い妹――遠野秋葉の頭を優しく撫でる。

さらさらの黒髪を指に絡ませるように、何度も何度も頭を撫でた。

「ヒック…ヒック…」

「落ち着いたかい?秋葉…」

志貴の胸に顔を埋めたまま僅かに頷く秋葉に、理性がくらくらと目眩を起こす。

ともすると何処へか吹っ飛んでしまいそうになる理性を、精神力を総動員してなんとか保つ。

「…居間に移動しないか…秋葉?」

その言葉で秋葉ははじめて気がついた。

自分が階段から降りてくる兄に思いきり飛びついて、そのままその胸にだかれて泣き出した事に、

そして回りには翡翠と琥珀が控えていた事に…。

「…はい、すいません…兄さん。あの会えたのがあんまり嬉しくて…つい…。」

そう言って立ちあがった秋葉の頬には、未だ涙の跡が残っていた。

たどたどしく照れながら喋る秋葉の姿は、日頃のお嬢様ではなく、まるで群れからはぐれた渡り鳥の様に不安気で、志貴の脳裏に子供の頃の大人しい秋葉の姿と重なった。

『日頃の強気の秋葉も好きだけど、こんな風にたまに見せる照れた顔とかがたまらなく可愛いんだよな…』

と、思わず秋葉に見とれる志貴であった。

 

「さあ、お茶も入りましたし、一年ぶりの再会に満足なさったら、こちらにいらしてくださいね…」

と、琥珀の子悪魔的な冷やかしも入った事だし、いつまでも秋葉に見とれてないで、居間に行くかと、立ちあがった志貴は服の裾が引っ張られていることに気がついた。

 

それは――志貴をギュッと掴んで離さない秋葉の姿だった。

視線で志貴の服を掴んでいる理由を訊ねられた気がした秋葉は、志貴から視線を外し、顔を真っ赤に染め上げながら

「だって…捕まえていないと、兄さんが夢か幻みたいに消えてしまうかもしれませんから…」

と、志貴の可聴域限界ぎりぎりの声でぼそぼそ言い訳をした。

その様子は、周りにもし男性が居たら、網膜に焼き付けようと凝視しすぎて網膜を焼き切ってしまい二度と光を見ることができなくなっても誰一人後悔しないくらいにもはや犯罪ギリギリラインで可愛い過ぎる表情であった。

実際、志貴もいつも感じる目眩とは全く別種でありながら、

いつも以上に脳の奥から来るような目眩を感じていた。

しかし、翡翠と琥珀の眼もある事だし、なんとか本能の力で居間のソファに腰を下ろすことに成功した。

ちなみに志貴の横にチョコンと座る秋葉の姿が、さらに志貴を苦しめたのは余談である。

 

「ところで、秋葉様…」

と、翡翠が遠慮がちに声をかけてきた。

「何…翡翠?」

「あの学校の方はどうなさったのですか?」

「え?」

少し困った顔して秋葉は口篭もる。

「それが…琥珀から電話がきたその足で無断で帰ってきてしまって…」

「「「えっ?」」」

と、3人の驚いた声が重なる。

「だって、電話の向こうに兄さんが居ると思ったら、居ても立っても居られなくて…」

「「………………」」

志貴と翡翠は驚きで口をポカーンと開けていた。

「姉さんは…秋葉様が帰ってくると思ってたんですか?」

「うん…。志貴さんが電話に出ないって言うから、たぶん帰ってくるだろうな〜って」

ニコニコと笑いながら琥珀は志貴を見ていた。

『愛されてますね』

と、その眼差しが志貴に語りかけている気がして志貴はおおいに照れた。

「しかし、秋葉…。十一時過ぎに帰ってくるなんて完全に門限破りだな…」

照れ隠しに意地悪な言葉を秋葉に送る。

「あら、兄さんよりマシです…」

と、秋葉は悪びれずに答えた。

「まあ、俺は昔から門限破りの常習犯だったが…」

「そのとうりですよ」

というと、秋葉は寂しそうに哀しそうに俯いて次の言葉を静かに紡いだ。

「……一年も待たせるなんて…ひどい門限破りです…。でも特別に許して差し上げますわ。

もう居なくならないと約束してくれるなら…」

いつのまにか琥珀と翡翠は気を利かしたのだろうか、居間には二人きりになっていた。

志貴は,秋葉をただ強く抱きしめた。

秋葉はその確かな腕の感触に心地よい安心感を覚え

それが自分の言葉に対する兄の無言の肯定と取っていた。

しかしこの時の志貴の表情を見ていたならば、きっと全く反対の答えを導き出していただろう。

志貴は、真直ぐな秋葉の言葉に約束できない自分に対しての苛立ちの表情をしていた。

「さてと、もうこんな時間だ…眠ろうか?」

秋葉は少しだけ名残惜しそうだが、仕方なくと言う感じで頷いた。

「さてと、じゃあ一年越しの野望をかなえようかな…」

「えっ?野望って…?」

「言ったろ…、秋葉のふかふかのベッドで一緒に寝たいって…」

その言葉に秋葉の顔は、それこそボッという擬音がピッタリな感じで真っ赤になってカーッと熱を放ち始めた。

秋葉の脳裏には、一年前の離れの和室での、優しく激しくそして甘い一夜が鮮明に蘇えっていた。

 

 二人して、秋葉の柔らかなベッドに倒れこむ。

ドキンドキンドキンドキンドキンドキンドキンドキンドキンドキンドキンドドキンドキン

ドキンドキンドキンドキンドキンドキンドキンドキンドキンドキンドキンドキンドキンドキンドキン…………………………

秋葉の鼓動は限界に近い。緊張のためか、僅かにこわばった秋葉の頬に志貴が優しく触れる。

「何を期待してるのか知らないけど…、

明日お前は学校だからな、お前が期待してるような事はしないよ…」

「な、な、な、何を言ってるんですか!に、に、に、兄さん!!私は、別に…。

それに明日は学校なんて欠席すれば…」

「だめだ!今日勝手に寮を抜け出して帰ってきたんだから明日学校に行って、

きちんと事情を説明してこないと…」

「わかりました、ついでに、また自宅から通える様に許可も取ってきます。

これからずーっと兄さんといられるんだから慌てる事はないですものね…」

と微笑んだ秋葉に

「さ…、もう寝よう。手をつないでてやるから…」

と、あいまいな態度を取る兄。
そんな志貴の態度に不安を覚えたのか、

二度と離さないという決意を込めたかのように強く握り締める、震える秋葉の手が志貴にはひどく哀しかった。

スースーっと秋葉の静かな寝息が流れ始める。

秋葉に強く握られて動かせない右手の代わりに自由になる左手で優しく秋葉の髪を撫でながら

闇に消え入るような静かな声で

「ごめんな…秋葉。

しばらくしたら『兄』は…遠野志貴は二度とお前の前に姿を現さなくなるんだ…」

と、ポツリと呟いた。
窓の外に浮かぶ三日月が弱々しい銀色の光を注ぎこむ。

その寂しさを湛えた月光が志貴の言葉を闇に散らしていった。

 


 

「兄さん、起きてください」

「zzz…」

「兄さんたら…」

「zzz…」

「相変わらずね…、最後の手段を使うしかないわね」

ギュウッ

「痛〜!!」

「やっとお目覚めですか兄さん」

「痛いじゃないか秋葉…もっと優しく起こしてくれ…」

「前にも言いましたけど、つねりでもしない限り起きない兄さんが悪いんです」

「第一、今何時だよ?」

「え〜と…五時半ですね…」

「…何で起こされたの、俺?」

「兄さんの言うとうり学校に行きますから、今日は兄さんにも付いてきてもらおうと思いまして」

「だって浅上女子は男子禁制だろ?」

「そんなのどうにでもなりますから一緒に来てください」

 

と、言う経緯が朝にあったので、志貴は何故か秋葉と一緒に車の中にいた。

「兄さん♪」

とずっと秋葉は志貴にベッタリくっついている。

一年前に志貴に兄としてでなく、一人の男性として愛している事を志貴に告げ、

その気持ちが受け入れられてからの秋葉は、何て言うか凄く少女をしていると思う。

『きっと、秋葉なりに妹としての態度を保つために、あんな厳しいお嬢様を演じてたんだろうな…。

最も根本の遠野秋葉という人間は変わらなくてもさ…』

そう、志貴が思うほどに秋葉が見せる表情は可愛い。

邸に帰ってきた当初の秋葉は厳しい、しかし綺麗な『女性』、

それはとても高校一年には見えない正に淑女であった。

しかし、今志貴の横にいる秋葉は、無邪気な少女の様に明るくて可愛い。

そのイメージは、ともすれば冷たさすら感じさせる月から、暖かな冬の日溜りの様に変化した。

しかし、もちろん今朝の様にきりっとした秋葉らしい雰囲気もきちんと残している、今の秋葉は眩し過ぎる女の子であった。

そんな秋葉を見て志貴は思わず眉が下がる。

「さあ、兄さん降りてください。着きました」

そう言ってやや強引に志貴を降ろすと、秋葉はおもむろに腕を組んで門をくぐった。

回りの生徒の視線が突き刺さる。

「秋葉さん…、男の人と腕組んで歩いてる…大胆ね〜」

「私の秋葉お姉様が殿方なんかと…不潔よ〜!!」

「秋葉さん、なんか雰囲気変わったわ。可愛い…」

と、いろいろな意見が学校中を駆け巡っていた。

秋葉は、美人で大人っぽくてやや近づき難い雰囲気のせいか、言わば学園の華とも言える存在であった。

その秋葉が学校の誰も見たこともないような、最高の笑顔で、しかも男と手を組んで歩いていく姿は相当にセンセーショナルな物であったのだろう。

理事長室に行くまで志貴は沢山の視線にさらされた。

好奇、興味と言った物から嫉妬…果ては憎悪まで。

正にあらゆる感情の集中砲火に遭ったようなものである。

そのうえ、さらに理事長室では延々とお説教から昨日の無断外泊の言い訳、ずっと腕を組んで歩いている行動への非難、自宅通学の許可の再手続きの申請など目が回るような忙しさであった。

「ふう〜…」

「何だかお疲れみたいね?」

「……誰のせいだよ…」

「えっ?理事長先生の話が長いのはいつもの事なのよ…」

『こ…こいつ、あの視線に気付いてないのか?』

志貴が精も根も尽き果ててるのは、もちろん理事長の話の長さにも原因が有るが、それ以上にあの視線に晒されたからである…。

それにも関わらず秋葉は気にも止めていないようなのだ…。

「さっ…もう帰りましょう兄さん…」

サラッと黒髪を風になびかせて歩く秋葉を見て、志貴は横を歩きながらも見惚れていた。

流れる様な黒髪、大きく整った目許、高く鼻梁の通った鼻筋、

きりりと引き締まっていながら桜貝を思わせる様に色づいた唇。

黙っている秋葉は美しい…冷たいほどに…。

完璧に整った顔立ちは、最高級のピスク・ドール(西洋人形)を思わせる女性であった。

『だから秋葉は視線が気にならないのかな…?』

志貴はそんな事を思っていた。

『いや気にならないと言うか、気付かないのかもな、見られることが日常過ぎて……』


きっと秋葉は生まれながらにして華なのだろう。

華を人間が注目するのは当然なのだが、華自身には何故注目されるのかがわからない…。

それは華自身の持つ美しさのせいなのだが、生まれながらに美しさを持つ華には自分の美しさがわからないのかもしれない。


「あの…兄さん、私の顔に何か付いていますか?」

じっと志貴が見ていたのに気が付いたのか、秋葉が不思議そうに訊ねる。

不意にされた質問のせいで、志貴は思わず本音を吐露してしまった。

「秋葉に見惚れてた…綺麗だなって思って」

言われた秋葉も言った志貴も、一瞬の沈黙の後、思わず顔を赤くする。

ちらりと秋葉の顔を見たが、先ほどの人形のようなある種冷たいまでに完璧な美しさはなく、

そこには確かに存在している可愛い年相応の少女がいた。

先ほどの志貴の言葉には一つだけ誤りがある。

秋葉は確かに生まれながらに華なのであろう、しかし全ての視線に鈍感なわけではない。

世界でたった一人『遠野志貴』の視線にのみ敏感であり、その一人のために華はより美しく可憐に咲こうとするのである。