月華(後編)
夜、志貴にとって一年ぶりにする遠野家での夕食である。
この日は、いつもにもまして豪勢で、本格的なフルコースであった。
恐らく琥珀が志貴の帰還を祝って、腕によりをかけて作ったのであろう。
『きっと美味しかったに違いない』
これが食後の志貴の感想である
なにせ志貴が音を立てるたびに、突き刺さるような秋葉の視線を感じるのである…。
『こ…こういう所はまるで変わらないんだな…』
折角の食事の味もわからないほどに志貴は緊張している…。そして緊張すればするほど…
『アッ…また間違えた』
とますます混乱してしまい
一年前の八年ぶりに館に戻ってきた時よりも、さらにひどい事になってしまっていたのである…。
結局混乱したままで、食事は終わりになってしまった。
食後居間で紅茶を飲んでいる秋葉は、傍らにいる兄に、冷たいを通り越した絶対零度の視線を向けていた。
「どういう事ですか…兄さん?」
微笑んでいるから、なおさら怖い。
それも近頃良く見せる、可愛い感じの微笑みの対極に有る、氷の微笑を向けながら秋葉はお茶を飲む。
「いや、ここでの食事は一年ぶりだから…マナーとかもあやふやに…」
「ほ〜、八年ぶりに帰ってきた時よりもひどいなんて、この一年どんな食生活を送ってらしたのかしら…?」
この一年の食生活…それを思い出しただけで寒気がする志貴であった。
『なんか三分の二以上はカレー料理だった気が…』
そんな事を、思い出して志貴ははじめて気が付いた…。
秋葉は空白の一年について訊ねようとしない、それは琥珀も翡翠も同じであった。
訊ねられた所で、答える事はできない契約だから志貴としてもこの方が多いに助かる。
『気を利かせてくれてるんだな…』
そう思うと何故か嬉しくて顔が微笑んでしまう。
今まで志貴は人に気を使ってばっかりで、あまり気を使わせるような事はなかった。(有彦は別)
自分に自然に気を使ってくれる『家族』…今まであまり縁が無かったものがここにある。
そう思うと微笑まずに入られなかった。
「兄さん…?どうかしましたか?」
自分の冷たい視線に嬉しそうにする兄に、怪訝そうな顔をする秋葉。
「いや…家族っていいな…と」
この発言は厳密に言えばおかしい、
実際この場の4人で、血の繋がりが有るのは翡翠と琥珀だけで、あとは血縁的には『他人』であるからだ。
だからこそこの発言は翡翠にも琥珀にも、そして誰よりも秋葉にとって最高に嬉しい言葉だった。
『兄さんが私を家族と…ここを自分の家だと思ってくれた…』
この一言のおかげで、秋葉の夕食の件での怒りはすっかり沈下してしまった。
そして、また二人して秋葉の部屋に引っ込む。
先ほどから秋葉はずっとご機嫌だ。
「秋葉」
「何ですか兄さん?」
「頼みがあるんだけど…いいかな?」
「ええ?私にできる事なら…」
「たいした事じゃないんだけど…その、膝枕してくれないか?」
「えっ?」
秋葉が軽く頬を染める。
「えっと…兄さんどうぞ…」
と、座りなおして膝を志貴に向ける。
やや照れているのは志貴も同じだろうが
「ありがとう…」
と言いながら、志貴は頭を秋葉の膝に乗せる。
カチコチカチコチ…
時計の音が部屋に響く。
ドキドキドキドキ…。
どちらの鼓動だろうか、時計のリズムに重なるように心音が響く。
「………………」
どちらもただ無言で、時だけがゆっくりと流れる。
無口な天子の白い羽が、二人を中心に包み込む様に、静かで優しい時間が流れていく。
その静寂の詩(うた)にピリオドを打ったのは志貴のほうであった。
「なぁ…秋葉?」
「なんですか兄さん…」
「お前も琥珀さんも翡翠もさ、俺が一年間何処にいて、誰と、何していたのか聞かないんだな?」
「聞けば教えてくれるんですか?」
「いや…教えられないけど…」
「でしょうね…」
秋葉は怒るでも呆れるでもなく、まるであらかじめわかっていたかのようにさらりと頷いた。
「兄さんは、一年前も自分から話す気にならなければ、いくら聞いても話してくれなかったから…」
志貴は何も言えない。
「それに私は、兄さんが帰ってきてくれただけで嬉しかったんです…」
スッと、志貴が秋葉の膝から頭を上げた。
「兄さん?」
「こんな時間だ…部屋に戻って寝るよ…」
志貴の言うとおり、もうすぐ今日が終わりを告げる。
「今日もこちらで眠るんじゃないんですか?」
一瞬志貴が言葉に詰まる。そして、少し無理をして作った笑顔で
「折角翡翠がベッドメイキングしてくれてるんだから、今日は部屋で眠るよ…」
「………」
それに対して秋葉は何も言わず、じっと志貴の眼を見つめている。
空中で二人の視線がぶつかり、しばし無言で見詰め合う。
先に目をそらしたのは志貴であった。
「おやすみ秋葉…」
その言葉にスッと眼を閉じて応じる秋葉
秋葉のあごに志貴の指が当てられる。
少しづつ志貴の唇が近づいてくる気配がする。
やがて秋葉の唇に志貴の吐息がかかるほどの距離まで近づいた。
しかし、何か逡巡するかのようにに志貴の気配は動かない。
そして突然志貴の気配が遠ざかった。
思わず秋葉が瞼を上げると、自分の頬に唇を当てる志貴の姿が目に映った。
「それじゃあ、秋葉おやすみ…」
そう言うと、志貴はそっと部屋から出ていった。
一人になり、ベッドにもぐりこんで秋葉は静かに涙を流した。
「兄さんは私を愛してくれないのかしら…」
ポツリと呟いた、兄と言う言葉に溶けこまれた感情は『兄』への愛か、それとも…。
志貴は自室へ向かい暗い廊下を一人歩く…
『兄さん…か…』
「クソッ…」
荒荒しく自室の扉を開け、ベッドに倒れこむ。
「志貴君…」
「シエル先輩…ここは…?」
「安心してください、私の部屋です」
「そんな事よりも…俺が生きてるって事は秋葉は…?秋葉どうなったんだ!!!?」
シエルの襟を掴まんばかりの勢いで志貴はシエルに疑問をぶつけた。
「安心してくださいって言ったじゃないですか…。
秋葉さんにあなたは借りてた命をきちんと返せましたよ…。」
「そっか…良かった…秋葉…」
志貴が、嬉しそうに秋葉の名を呟いたのを見て、シエルは僅かに顔を曇らせた。
しかし、鈍感な志貴が気付くはずも無かった。
「あれ…じゃあ、なんで俺生きてるんだろう?」
「それは志貴君が自らの死の点を突いて秋葉さんに命を返した様に、
秋葉さんにシキが殺されたために、シキに奪われていたあなたの命…
正確に言えばその半分が返ってきたからですよ…」
「そっか…」
「すぐには動けないと思いますよ、秋葉さんに返すためとは言え死の点を突いたんですから、
2、3日は体が麻痺したままです。
とりあえず、もうしばらく寝てください…体が休息を欲しているはずですから…」
「おやすみ先輩…」
「おやすみなさい…」
「あのさ…先輩がいてくれて良かったよ…二回も命を助けてもらって…ありがとう」
「……早く寝たほうがいいですよ」
「うん…おやすみ…」
薄暗い部屋に居て、意識が朦朧としてる志貴は気が付かなくても当然かもしれない…。
しかし、雲間から射す銀色の月に照らされたシエルの顔は、確かにバラ色に染まっていた。
3日後には志貴の身体は何とか動ける程度には回復していた。
「先輩…ほんとうにありがとうございます、今度家に遊びに来てください。
琥珀さんに頼んで特製カレーを作ってもらいますから…」
そんな明るい志貴に対して、シエルは何処かいつもと違う雰囲気だった。
「遠野君、私は明日、日本を立ちます」
「えっ?突然何を…?」
「あなたも知ってのとおり私は第七司祭としての仕事がありますから…」
その言葉で、志貴はシキと闘っていたり自分にナイフを向けた時のシエルを思い出した。
「あなたも…一緒に来てくれませんか?」
「えっ?」
志貴は絶句して立ち尽していた。それほどに予想だにしない一言だったのである。
シエルはいつかの感情の無い目をしていた。
しかし、鈍感なくせに何故か志貴は気付いてしまっていた。
今のシエルの瞳はいつかの夜と違い、照れくささを隠すために懸命に心を映さないようにしていることに…
「いや…先輩には助けてもらったし…世話にもなってるから…役立ちたいとは思うけど…」
「一緒に来てくれないのは…」
何も映していなかった瞳に少しだけ感情がこもった、
「秋葉さんがいるからですか…?」
志貴はその言葉に対して、沈黙を返した。
しかし、この場合沈黙は千の言葉を紡ぐよりも遥かに雄弁に志貴の心をシエルに伝えた。
「あなたたちは戸籍上は完全に兄弟なんですよ?」
「うん…」
「誰からも祝福されない…、それどころか世間にばれたら白眼視され謂れの無い扱いを受ける事になりますよ…」
「うん…」
シエルの瞳は、今や涙を湛えていた…感情を映さない冷たい瞳に暖かで美しい涙が溜まり、やがて静かに頬に伝って落ちるのを志貴はじっと見ていた。
『私も貴方が好きです…、秋葉さんなんかに負けないほどに…』
心の奥底でシエルは言葉にならないそんな気持ちを、涙に託して発露していた。
「先輩が泣くほどに俺たちの事を心配してくれて嬉しいよ…。先輩はほんとうに優しい人だ…」
この場面に来ても志貴はシエルの気持ちに気付かない…。
いや、気付けないのかもしれない。
気付いてしまったら、今のシエルを振りきって秋葉の許に行ける志貴ではない。
優しすぎるから…残酷な優しさを心に持った志貴だから…。
「先輩が、俺の直死の魔眼や七夜の血の事で、俺を誘ってくれてるんなら俺は役に立たないよ…」
『違う…違う…違うの。私はただあなたに傍に居て欲しいから…』
喉まで出かかった事場を飲みこんで、気持ちとは無関係な言葉を淡々と紡ぐ。
「そんな事はありません…。
埋葬機関最強のこの私と互角に渡り合ったあなたなら、十分に役に立ちます…」
何処か空疎な声で、機械の様にあらかじめ吹き込まれたテープを再生するようにシエルは言葉を続ける。
「一年間…。
一年協力してくれたら、教会の表の権力で七夜の戸籍を手に入れてあげられるかもしれません…」
「今更…、七夜の姓なんていりません…。
秋葉が血が繋がっていないのを承知で俺を『遠野志貴』だと言ってくれたから…」
『そんなにまで…、本当の自分の名前を捨てるほどに…秋葉さんが…秋葉さんが…』
「秋葉さんが大切なんですか…!!!!?」
胸にしまいきれなかった感情が思わず口からこぼれる。
今までの淡々とした言葉ではなく、激情がそのまま言葉になったような感じだった。
「はい、何よりも誰よりも自分よりも…秋葉が大切です…」
この言葉を聞いた瞬間にシエルの眼からは涙が止まった。
もやもやとしたシエルの感情を吹き飛ばしてしまうほどに
志貴の顔は…秋葉の事を語る志貴の顔は神々しかったから…。
もはや、秋葉に対する嫉妬の感情は完全に無い…。
だから次の言葉も優しく慈愛に満ちた心で伝える事ができた。
「なら…七夜の姓を手に入れてください。これがあればあなたたちは兄弟じゃなくなる…」
シエルの声は、いつのまにか学校に居る時ののシエル先輩のような思いやりに満ちた声だった。
「……………」
「志貴君…不安なんですか?兄弟じゃなくなることが…。
秋葉さんが離れていってしまうんじゃないか…と」
志貴は、そんなシエルの言葉も自分の不安も打ち消す様に、何度か左右に首を振り、眼鏡を外して目の前の空間にナイフを滑らせる。
「……何をしたんですか?」
志貴は照れくさそうに頭を掻き、笑わないで下さいよと念押ししながら…
「今…自分の不安や、秋葉を信じられない弱い心の死の点を……突いた振りをしたんです…」
シエルはその言葉を聞いて柔らかく微笑んだ。
その顔は志貴が学校で見てきた『シエル先輩』その物のような顔であった。
「起きてください…志貴様…」
「…ん…あれ、翡翠…おはよう」
「おはようございます志貴様…。
居間で秋葉様がお待ちですので、着替えをなさったらすぐに降りてきてください」
「ああ…わかったよ…」
「兄さん…今から買い物に行きましょう」
居間で、朝の挨拶もそこそこに秋葉が突然そんなことを言い出した。
「何を買うんだ?」
「私、兄さんが居ない時に兄さんの部屋で寝てて、何も無い部屋だなって思ってたから…。
雑貨や家具を買いに生きましょう」
志貴が秋葉の提案に、賛成とも反対とも言わずニヤニヤしている。
「俺が居ない間に俺の部屋で寝てたのか…」
秋葉の頬に朱が注した様に紅くなった。
「そっかそっか、秋葉…。寂しかったのか…」
志貴がからかうような口調で秋葉に訊ねると、秋葉は真顔で
「はい…」
と、俯いてしまう…。
何か良い雰囲気になってしまい、翡翠がやや所在無さげに立っていた。
そんな予想外の反応に志貴が戸惑っていると、外から琥珀さんが走ってきた…。
「志貴さんに…速達ですよ〜。でもこれ変わった封筒ですね…」
琥珀が持ってきた封筒が目に入るや否や志貴、秋葉それぞれの表情がそれまでの和やかな雰囲気から激変する…。
「兄さん、そのドス黒く染め抜かれ、中央に白い十字架の封筒のデザインは…埋葬機関の…」
秋葉は『埋葬機関』の名を、汚らわしい物を口にするかのような嫌悪感で口にした。
「何故…?兄さんに埋葬機関からの書類が届くんです?」
「………」
志貴は何も答えずに、哀しそうな顔をして秋葉から顔を叛ける。
「まさか兄さん…この一年間に埋葬機関と何か関係が…?」
志貴は終止無言で立ち尽くしている
「答えて兄さん!!!!こっちを向いてちゃんと答えて!!!!」
キッと、心まで凍るような冷たささえ伝わってきそうなほど鋭い視線を志貴に向ける。
「…関係も何も、この一年の間に俺は埋葬機関の実行部隊の一人として代行者の一人として闘っていたから…」
「兄さん!!奴らがどんな機関かわかっているの!!?
奴らは神の名の下に、人間以外の生物の存在その物を悪として殺していってるのよ?」
秋葉の質問に答えずに、志貴は感情を押さえた声で
「これが届いたからには…もう遠野志貴は、二度と秋葉達の前に姿を現さない…。
もう『兄』はいない…」
「どうゆうことよ…?それは代行者の一人として、人にあらざりしモノの血を引く私を殺す…って事かしら?」
秋葉は哀しそうに寂しそうに辛そうに、真直ぐ志貴に感情をぶつける。
それに対して志貴は何の感情も示さずに何の言葉もない…。
それでも一言だけ
「お前と戦う気は無いよ、死徒だけだ…俺が戦うのは」
と答えた。
「兄さん…」
秋葉は子供の頃の、はじめて志貴を兄と呼んだ時のような、不安げな声で一縷の望みをかけて『兄』を呼ぶ。
『兄じゃない』と否定される事を恐れて…でもありったけの勇気を込めて…。
そんな秋葉に対し志貴の答えは残酷だった。
「俺は…秋葉の兄さんじゃないよ…」
「何を言ってるのよ…」
「一年前にシキに言われたんだよ、『秋葉は俺だけの妹だ!!貴様なんかとは兄弟じゃない』って…」
「あんな男の言う事なんて関係ない!!!私の…遠野秋葉の兄は遠野志貴、あなただけなのよ!!!」
あの秋葉が冷静さを失うほどに興奮している。
「でも、俺はそのシキの言葉にこう答えたんだ…。
『ああ、そのとうりさ。俺は秋葉の兄じゃない』って…」
その答えは、今までの会話の流れから当然帰結すべき答えだった。
そんな事は秋葉も良くわかってる、理性では100%わかっていた。
でも聞きたくはなかった。今まで信じていた全てを崩壊させる引き金を、愛する兄に引いて欲しくはなかった。
「じゃあ何で帰ってきたのよ!!何で優しく何てするのよ!!!バカ!!!!!」
あまりの感情の高ぶりに、押さえきれなくなった遠野の血がざわめく。
赤く紅く染まっている秋葉の髪と瞳。
血よりも紅く…まるでこの世で最も純粋な鮮血を溶かしたかのように、妖しく美しく紅く染まる秋葉。
「お前が大事だから…どうしても会いたかったから、兄として最後のお別れにきたんだ」
「迷惑よ!!別れる為に会いに来るなんて…。
私一人だけが、もうこれからずっと一緒にいられるなんて喜んでて…
バカみたい!!!これじゃあ、私はただの道化じゃないの!!」
秋葉の感情の暴発によって室内の温度が低下し始める。
「秋葉…、俺はずっとお前と一緒にいるために兄を辞めるんだ…」
意外な言葉に秋葉の頭は真っ白になっていく。それに比例して室内の温度は元に戻っていく。
「ズットイッショニイルタメニ…?」
「俺はシキに答えたんだ。
『ああ、そのとうりさ。俺は秋葉の兄じゃない。秋葉は俺の女だ』ってね」
「ワタシハアナタノオンナ…?」
「だから兄弟では『遠野志貴』では、駄目なんだ。だから俺は今日から『七夜志貴』だ」
「ナナヤ…」
「シエル先輩の手紙に入ってたのはこれだよ」
志貴の手には七夜の戸籍謄本があった。
「先輩の組織の力で圧力をかけてもらって手に入れたんだ」
「兄さん…、あなたは一体…一体何が言いたいの!!!?」
「こう言う事…」
志貴はスッと、秋葉の唇に己の唇を重ねた。
触れるだけのキス…なのにどんなディープキスよりも深く深く…ずっと深く心が繋がった気がした。
思えば志貴が帰ってきて初めての口付けであった。
「兄さん…」
呟きと共に秋葉の瞳から大粒の真珠が零れ落ちる….混乱した感情の発露であろう。
「もう兄さんじゃないよ…」
優しく、秋葉を抱きしめながら志貴は髪を撫でる…
『紅く染まった髪も…美しい…』
等と、考えながら。
「秋葉…俺は帰ってきて、お前に口付けもしなかったし当然それ以上の事もしていない…。
それは兄として接していたからだ…、
例え血の繋がりがなくても、秋葉が俺を『兄さん』と呼ぶ限り俺は兄で居続ける。
けど…俺の本心はシキに答えたとうりだ…」
この言葉に無言のまま秋葉が志貴の胸から顔を上げる、
そして視線の先にはやはり秋葉を見つめる志貴の視線が有った。二人の視線が絡み合う…。
「思えば…」
突然志貴が独り言のように、言葉を紡ぐ
「思えば…俺は奪われたのかもしれない…」
秋葉は何も言わずに紅の瞳で志貴を見つめる…
「『略奪』と言う、秋葉の瞳に見入られた者は何かを奪われる…。
俺もきっと奪われたのだろう…『志貴』と言う人間の全てを…心も体も過去も未来も…」
全てを奪う瞳と、全ての物の死を識る瞳は、瞬きもされることなくお互いの姿を宿している。
「そうきっと奪われたんだ…この美しく、そして儚き瞳に『魅入られた』時に…」
「兄さ…」
秋葉が何か言おうとするのを押し止める様に志貴の唇がふさぐ。
「秋葉にとって俺はやはり兄でしかないのかい?」
「でもなんて呼んだらいいのか…」
「志貴…と。」
一瞬照れたのだろう、瞳や髪に負けないほどに頬を紅く染め上げて秋葉は俯いた。
「私、兄さんが兄としてでもこの館に居てくれるなら…。
そう思って想いを…あなたへの想いをこの胸に封じたのに…。
いいんですか?一度、兄以外の呼び方で呼んでしまえば…
封印を解いてしまえば、もうこの気持ちは後戻りできないんですよ?
あなたの全てを奪い尽くしてしまうかもしれないんですよ…」
「大丈夫…、もう奪い尽くされてるから…。身も心も全てをお前に奪われようとも…構わない」
いつのまにか、秋葉は髪と瞳は元の漆黒に戻っている。
「志貴さん…」
呟きと共に秋葉の瞳がゆっくりと閉じられる…。
そして志貴は優しく秋葉を抱き上げて秋葉の部屋まで運ぶ。
もう一度口付けを交わし、そのまま秋葉のベッドに倒れこむ、
華のようにたおやかな秋葉の身体は、コスモスの様にほんのりと色づいていてひどく…ひどく美しかった。
この夜、新月の創る深遠なる闇の中で、二人は兄弟の楔から解き放たれ、『真実(ほんとう)のカップル』となった。
ちなみに、志貴が再び『遠野志貴』に戻ったのは、これから数年後の事である。
この時には、秋葉のお腹の中には3ヶ月を過ぎる新しい生命が宿っていた。
「俺の華は…今も色褪せることなく美しく咲いているな…」
秋葉の唇に口付けをして、少し目立つようになったお腹にも優しく口付けをする。
この子はどんな宿命を背負って生きていくのか…、
遠野の血と七夜の血をその身に宿すその子は…
混血の少女の生涯、それはまた別の物語である…。しかし志貴としては願わずにはいられない。
「この子にも幸多からん事を…」
FIN
魔術師から一言
この作品、終わりのほうを見てもらえばわかるように、紅の姫君の前身です。
もちろん、落ちその他は違いますけど。
感想よろしく〜
修正
2004/07/17
なんか修正加筆
やっぱり自分は秋葉が好きだったんだと4年以上昔の話を見て再認識する