非日常の中の日常


 

《別離の刻〜絡み合う心〜》

 

 

 士郎の墓の前で薫と誓いを新たにし、どちらからともなくゆっくりと歩き出す…。

何時の間にか日付が変わり、新しい1日が始まっていた。

 

「恭也君…、お願いがあるんだけど…。いいかな?」

薫が遠慮気味に恭也に訊ねる。

「ええ、何ですか?俺にできることなら引き受けますよ…。

俺のお願いを聞いてもらって、こんな時間に墓参りにも付き合ってもらったんですから…。」

「寮まで…、さざなみ寮まで送ってくれないかな?」

 

『珍しい…』

これが恭也の最初の感想であった。

無論、恭也は頼まれずとも初めから薫を寮まで送る気であった。

むしろ、薫の性格を考えると、恐らく『送らなくてもかまわない』と断るであろうから、どのように理由を付けて送ろうかと思考していたくらいなのだが…。

「もちろん、時間が時間だからお送りしますよ」

と、不安そうにしている薫に微笑みかけて、薫に声を掛ける。

「…ありがとう……」

一瞬、優しい恭也の笑顔にドキッとしたためか薫の反応がワンテンポ遅れた。

 

「では行きましょうか」

そう言って歩き出す恭也の腕に、薫が自分の腕をぎこちなく絡めてきた。

「………………!!!」

 

腕から伝わる暖かい温もり…

ドキドキドキドキドキ…

肘に僅かに当たる柔らかい感触…

ドキドキドキドキドキ…

風に乗って、わずかに馨る、薫の髪の香り…

ドキドキドキドキドキ…

 

恭也は自分の心臓の鼓動が、ものすごい速度で鼓動しているのを感じていた。

自分の鼓動が、すぐ横に居る薫に聞こえてはいないかと、チラリと薫の方に視線を送る。

薫は顔を恭也から逸らして澄ましている。少なくとも恭也にはそう見えた。

「まいったな…、俺だけが異常に緊張してるのか…」

そう、思うと一層鼓動が早く高鳴ってきている気がしてきた。

『絶対に聞こえてるな…薫さんに。だってさっきから肘の辺りがドキドキ鼓動してるし……』

『って、肘が鼓動するわけないな…』

『でも、確かに肘から鼓動が伝わるんだが…』

恭也が、その理由がようやく理解できたのは、雲の合間から月が顔を出したときであった。

 

月の光が、女神(アルテミス)から神秘のヴェールをそっと剥いでいく様に、薫の顔がほのかに月光に曝されている。

その恭也からわずかにそらされた薫の顔は、さくらの花びらと同じ色にほのかに色づいていた。

 

「薫さん…」

「…ん?なに…恭也君…」

「どうしたんです…突然腕を組んだりして…」

「イヤ…だったかな…?」

「そんな事はないです。

少し照れくさいですけど…薫さんとこうして、月夜の散歩をするのは楽しいです。でも…」

「でも…?」

「せっかくですから…顔を逸らさないでこっちを向いて欲しいな…と…」

そう言いながら、恭也は薫の掌を自分の左胸に当てた。

「俺も…緊張して、照れくさいのは同じですよ…。わかるでしょ…?」

「うん…、恭也君の心臓もすごい速度で鼓動してる…」

そう言って、やっと自分の方を向いて微笑んでくれた恋人に、恭也は思わず見惚れてしまう。

しばし、息も止めてじっと見詰め合う二人…。

柔らかな月光の光に照らされて、薄く塗られたリップがきらきら輝いている薫の唇は、まるで月下に咲いた花の様で…

恭也は、蝶が花に引き寄せられように、薫の唇に引き寄せられていった…。

そのまま薫の身体を引き寄せて、包み込む様に恭也は優しく抱きしめた…。

トクントクントクントクン…

恭也の広い胸に顔を埋めてその心音を聞く…。

「クス…」

「どうしたんです?」

「いや…、何時の間にか、こうして恭也君の胸の中で、君の心音を聞いているのが、一番安心できる場所になっている事が驚きで…ね」

「俺だって…想像もできませんでしたよ…。

数日前までは…剣を握ることを悩み続けていたのに…。

今は…もう、迷いは無い。貴女を守るために剣を振るうことに…」

「そうだね、君に再会してからまだ4日しか経ってないのに…。

どうして…どうしてこんなに離れ難く思うんだろう…。

初めからわかっていた事なのに…」

恭也は、思わず薫を抱きしめる自分の腕に力をこめた。

「やっぱり…、薫さんは明日帰ってしまうんですね…」

「…なんで…そう思うの…?」

「突然腕を組んだり…自分から寮まで送って欲しいと言ったり…。

何となくですけど、貴女らしくない気がしたから…。

自惚れさせてもらうなら…、まるで俺と一秒でも長く居たいと言っているような気がしたから…」

『一緒に居たい…、一秒でも長く…』

その言葉は、言った恭也も言われた薫も共に思っている事…。

 

そしてこの後二人は一言も喋らずにゆっくりとさざなみ寮まで歩いていった。

月だけが見守っている中で、ただしっかりと握り合った掌を決して離さずに…。

 

 

 

薫と別れ、恭也は一人ゆっくりと家路を歩く…。

脳裏に響くのは別れ際にたった一言だけ発せられた薫の言葉…。

『出会わなければ…ウチ達はきっと一人でも生きられたのにね…。

出会ってしまったから…、もうきっと離れられない…』

 

一人歩く恭也は温もりを求める様に右手を自分のポケットに突っ込んだ…。

『薫さんと手を繋ぐときは、常に右手だったから…』

この季節にも関わらず、そして自らのポケットに突っ込んでいるにも関わらず

恭也は自分の右手に感じる肌寒さに苦笑しながら、ゆっくりと歩いていく。

空に浮かぶ月を眺めながら…。

 

 

 次の日

 

 恭也は、さざなみ寮へ続く山道を、必死に自転車を漕ぎながら登っていた。

「くっ…、こんな良い鍛錬方法があったとは…」

と、常人ならもうとっくに自転車を投げ出しているほどに、うんざりとするほどの急な上り坂を、まるで平坦な道を走るかのような軽やかなスピードで楽々登って行くとは、恭也恐るべしである。

しばらくして、恭也の視界に見覚えがある建物が映る。

さざなみ寮である…。

「おお〜〜!!本当にあの坂を登ってきたのだ…」

「しかもかなりのスピードやで…、信じられへんな〜」

「あの坂を自転車で登るなんて、人間離れな事できるのは、みなみくらいだと思ってたんだがね…」

「ば〜か、リスティ。あれが愛の力ってやつよ。なぁ〜薫?」

「な…なにを言うとるんですか?仁村さん!!」

『相変わらずの喧騒だが…、何故全員が外に出てるんだ…?』

そう思いながらも恭也は、さざなみ寮の面々に挨拶をする。

 

「おう、薫お迎えが来た見たいじゃね〜か…。じゃあまたな…。

それとゆうひも、またこっちに来いよ…」

と言いながら真雪は寮に歩き出す。

「はい、仁村さんそれでは失礼します…」

「じゃあ、真雪さんも今から締め切りまでがんばって下さいね〜」

その言葉に、背を向けたまま手をひらひらと振って答える真雪。

「はい、じゃあ薫以外の人は全員こっちの車に乗っちゃって」

耕介の言葉に、ゆうひ、美緒、リスティ等などのさざなみ寮の面々は車に乗りこむ。

その様子を見て恭也は耕介に訊ねた。

「なんでみなさん車に乗りこんでるんですか?」

「ああ…今日、薫だけでなくゆうひもまたしばらく、イギリスにレコーディングに行くから、駅まで今寮にいるメンバーで送ってあげようと思ってさ…」

「じゃあ、薫さんも一緒に車で送ってあげればいいんじゃ…」

「そんな野暮な事僕たちがするわけないだろ?恭也」

みんなの言葉をリスティが代弁するとそのまま車は走り出して行ってしまった。

 

寮の前に取り残されてしまった薫と恭也。

「すまんね、恭也君。送らせる形になってしまって…」

「いいえ、気にしないで下さい…。それじゃあ行きましょうか?」

「うん…」

そう言って恭也の自転車の後に薫が座った。

そしておずおずと遠慮気味に恭也の身体に手を回す。

「もっとしっかり捕まらないと危ないですよ…。特にこの山の下りは…」

やや照れながらも恭也の言葉に、ギュッと恭也の身体に捕まる薫。

薫自身顔が紅潮しているのが良くわかった。

そして薫からはもちろん確認する事はできないが、恭也もまた紅くなっていた。

 

「駅に行く前にどこかで話をする時間はありますか?」

駅前の市街地まで下りてくるまで、何となく他愛も無い話をしていた恭也の突然の言葉に薫は少し驚いた。

「ああ、お昼を一緒しようと思っていたから…」

「そうですか、良かった…俺の方も話をしたかったから…」

 

結局、二人は駅の近くにあるハンバーガー屋で食事にする事にした。

翠屋は、一昨日のラブシーンを見ていた桃子に散々恭也がからかわれたために、敢えて選択から外されていた。

「じゃあ、薫さんは席を捜しておいてください。俺が注文してきますから…」

「わかった…」

そう言ってさっさと役割分担して一旦別れた恭也と薫。

空いている席を薫が探すも、昼時のこともあり空いている席が見当たらない。

「困ったな…」

そう言って、回りをキョロキョロとしていると奥の席から

「あれ…、もしかして薫…?」

と、聞きなれた声で自分の名を呼ぶ女性を見つけた。

 

綺麗に手入れされた長い髪。

そして十人の人間が横を通れば、十人とも全員が口をそろえて「美人」と評すであろう整った顔立ち。

そして、何気ない立ち居振舞いからも感じさせる隙の無さ。

 

そう、薫の高校時代の親友であり、護身道界では、『秒殺の女王』の異名を取る千堂瞳である。

「瞳じゃなかね〜、久しぶりだな…」

「まったくよね、席無いんでしょう?良ければ相席しない?」

「いいのか?一人じゃないんだろう?」

瞳の向かいの席に荷物が置いてあることからも、瞳が誰かと一緒に来ている事がわかる。

「確かに連れは居るけど…」

「瞳さ〜〜ん!!」

と、抱えきれないほどのハンバーガーを大量にトレイに載せて歩いてくる長身の女の子。

いや、最早女の子ではなく女性と表現すべき年齢なのだが、ハンバーガーを前にニコニコとしてる様子を見ていると、どうしても女の子にしか見えない…。

しかし、またこの子も相当にかわいい。

これまた世の男性が見たら、まず放っておかないほどの可愛さである。

「鷹城さんか…。久しぶりだね…」

「あれ、神咲先輩!!!お久しぶりです〜」

「…ね、これだから別に相席しても困る事は無いのよ…」

「そっか、じゃあ遠慮無く…」

 

そんな感じで、美女3人が楽しそうに昔話に花を咲かせている。

はっきり言って店内の男性はみんな気も漫ろである。

しかし、並の美女で無い美女が3人も一緒に居ると、却ってナンパをしに行くのも憚られるのか

どの男性も見ているだけで、声をかけようとはしない。

「ところで、薫は誰とここに来たの?一人じゃないわよね。

自分の注文も持ってないし…。もしかして耕ちゃん?」

「違う…」

と言って、薫はちょっとトイレに言ってしまった。

その後に唯子と瞳が話をして居る所に

「あの…ちょっといいですか?」

と、声を掛ける男の声…。

店内の男性の視線が突き刺さるも、男性を含めて3人とも全く意に介さない。

その声に、男に背を向ける形で座っていた唯子が驚いて振り向いた。

「あれ〜、恭也君じゃない…。君もここでお食事?」

「やっぱり鷹城先生ですか…。こんにちは…」

「なに、この子鷹城さんの知り合い?」

と、向かいに座っている瞳が話しかける。

「そうです、私が担任してるレンちゃんって子の……何でしょう?言葉にするのは難しいです〜。

兄弟じゃないけど一緒に暮らしている男の子なんですけど…」

「はい?ちょっと意味が良くわからないんだけど?

鷹城さんは海中の先生だから、同棲はさすがに無いわよね?」

「俺の妹みたいな幼馴染で、今は両親の仕事の関係で家に住んでいるレンの担任をしてくださっているのが鷹城先生です。
俺は高町恭也といいます」

「あ…丁寧にどうも。私は千堂瞳と言います。

鷹城さんとは高校時代の先輩と後輩の関係です」

「あ…あなたが、あの秒殺の女王と呼ばれた千堂さんですか!!」

「恭也君…。あなたも只者では…無いですね…」

「そうなんですよ〜、瞳さん。レンちゃんから聞いたんですけど高町君すごく強いんだって…」

「そのようですね…。雰囲気から察するに剣道…じゃないわね。微妙に違う…」

「凄い…、ほぼ当たりです…。剣術ですね、俺の場合は…。でもよく解りましたね…」

「ええ…、高校の同級生で、君に似た雰囲気を持った剣道選手がいてね…。

その子もただの剣道家じゃなかったから…」

そんな会話をして居る所に薫が戻って来た。

「あ…、薫さん。やっと見つけました…」

「ああ、恭也君。ごめん少し席を外していて…。

席が見つからないんで、旧友に相席させてもらったんだがかまわないよね?」

「はい…」

と言うか、唯子が居たので他に空いている席も無いし、恐らくここに相席させてもらっていると、恭也自身が思ったために唯子に話しかけたのであった。

 

会話をしながら席についた薫と、その向かいに座った恭也を尻目に、唯子と瞳は怪訝な顔をしている。

「神咲先輩と高町君…もしかしなくてもデート…?」

唯子のその言葉に、恭也と薫は御互いの顔を見合わせて…真っ赤になっている。

そして、照れながらも二人はゆっくりと頷いて…。

「きゃ〜〜!!そうなんだ…。

神咲先輩、学生の頃からあれだけモテテたのに恋人作らなかったのに…」

「そんなモテテたなんて…。オーバーな…。

千堂みたいにファンクラブがあったわけでもないし…」

そう言って、苦笑する薫であった。

そんな薫に対して唯子は口を大きく空けて目を見開いて見つめてる。

「あれ、鷹城先生どうしたんですか…その顔…」

「だって…、薫さん知らなかったなんて…」

その言葉に薫は首をかしげながら

「知らなかったって…ウチが?なにを…?」

と、唯子に訊ねる。

「本当に知らなかったんだにゃ〜…。

唯子ビックリしちゃったよ…」

『鷹城先生…喋り方がなんか…おかしいんですけど…』

恭也が知る由も無いが、唯子はビックリしすぎて学生時代の喋りかたに戻ってしまってい

たのである…。

 

ともかく、唯子はコホンと一つ咳払いをして、ゆっくりと当時の風高のことについて語り始めた。

「あのですね…神咲先輩。

当時風高にはファンクラブがありましたが、いくつ有ったか御存じですか?」

「えっと…、ウチが知ってるのは千堂と、相川君の2つだけど…」

唯子は、溜息と共に首を横に振って『わかってないな〜』と言わんばかりの態度を示した。

「あと一つファンクラブが有ったんですよ…。

薫さん…、あなたのファンクラブが…ね…」

まるで、名探偵が「犯人はあなたです」と指摘する時の様にわざわざ唯子は立ち上がって、右斜め45度の角度から薫を指差した…。

「はぁ〜〜…、ウチのファンクラブが有ったの…?」

と、いまいち納得いかなそうにしてる薫に向かって唯子はさらに言葉を続けた。

「さらに、驚くべき真事実があります…」

「真事実…ですか?」

今度は恭也が相槌を打った。

「そうです真事実です。

一番ファンクラブのメンバーの数が多いのは瞳さんのファンクラブです…。

次が真一郎で、薫さんが一番少ないです…。

しかしですよ!!!」

今度は、何故かその人差し指を恭也の鼻先に持って言って話を続ける唯子…。

「なんと、瞳さんのファンクラブのメンバーはほとんどが女の子…。

真一郎は当然女の子…、でも何故か何人か男の子のメンバーも居たと言う噂はありますけど…。

しかし、薫さんのメンバーはほとんど男の子だったんですよ…。

つまり、当時の風高で一番男性の人気が有ったのは瞳さんではなくて薫さんだって事になりますね…」

 

唯子のその言葉に薫はドキッとして恭也の方を見た。

一方の唯子もまた恭也の反応が楽しみだったのか、相変わらず人指し指を恭也の方に向けたまま恭也をじっと見ている。

 

しかし、とうの恭也の反応は…

全く意に介さずハンバーガーを食べていた…。

むしろ自分の方に唯子と薫の反応が向いている事に驚いて怪訝な顔をしている…。

「何ですか…?」

唯子は期待外れな恭也の反応に少しがっかりしている。

薫は、全く焼きもちを焼いていない恭也の態度がむしろ少し不服なのか寂しそうな、怒ったような微妙な反応をしている。

女心は全く複雑である…、そんな物が朴念仁の恭也にわかるはずも無いが…。

 

「恭也君…。全然気にしないんだね〜?」

その唯子の言葉に

「そう見えます…?」

と、口の中だけで呟いたが薫にも唯子にも聞こえなかったらしい…。

 

「ところで鷹城さん…。恭也君は学校ではどんな様子なの…?」

薫の方は日常の恭也の様子に興味があったのか唯子に訊ねた。

その質問に唯子は嬉しそうに

「高町君ですか…?はっきり言って有名人ですよ…。

帰宅部だし…体育や球技大会とかでも明らかに手を抜いていて、活躍とかするわけじゃないんですけど…。

凄く人気がありますよ…女の子に…」

今度は恭也は平静を保っていられなかったらしい。

口にしていた、ハンバーガーが手からボトリと落ちる…。

「な…なに言ってるんです。鷹城先生…。勇吾じゃあるまいし…」

薫は気にしてない振りを装っているつもりだろうが、恭也の顔の横に叩きつけられている、ある種の殺意に近い嫉妬心の篭った視線から来るプレッシャーは、あの薫と本気で戦った夜と同じ位。

…いやむしろ、精神的な圧迫感は、あの夜を凌駕している気さえも恭也はした。

 一方、唯子はそんな二人のやり取りを無邪気な顔で心の底から楽しんでいた。

「そう、その赤星君が凄い女の子に人気があるのは知ってる?」

「ええ…、気が付いてないのは本人だけでしょう。

あいつは剣以外のことに関しては、意外に鈍い所があるんですよね…」

と言う恭也に、唯子は呆れ顔で鏡を恭也に向けている。

「…?何なんです?」

「恭也君…。『人の振り見て我が振り直せ』って言葉は知ってる…?」

「はい?」

「君も勇吾君と同じって事…。

君、海鳴はもとより海中でも人気あるよ…。

勇吾君と並んでファンクラブもあるみたいだし…」

 

唯子のその言葉と、薫から与えられるプレッシャーに恭也は生きた心地がしなかった。

タラリと汗が恭也の鋭角的に引き締まった顎の先端に伝う…。

 

その視線のプレッシャーを前に

『恐るべし…神咲一灯流…』

と、あの夜よりも遥かに強い思いを込めて心の中で呟く恭也の姿をたっぷりと堪能し、さらに悪意の無い無邪気さで、薫と恭也を散々からかって楽しんだ後に唯子は、何故か一度も会話に参加しないでいた瞳を連れて店から出ていった…。

 

「薫さん…」

「ん…?」

「千堂さんて、人見知りなんですか?」

「いや…、そんな事は無いけど…」

「一言も喋らなかったから…」

「そういえば…」

 

 

店外にて…

「瞳さん…瞳さん…帰って来て下さいよ〜〜〜!!!!」

「薫に彼氏薫に彼氏薫に彼氏薫に彼氏薫に彼氏…………」

「大丈夫ですか…瞳さ〜〜〜ん!!」

「私にも居ないのに…あの朴念仁に彼氏が…

しかも年下の美形…私にも彼氏がいないのに…」

「瞳さんてば〜〜〜」

 

「ねえねえ、君たち今暇?」

そんなタイミングでナンパしてきたバカな男が…

一人…

当然……………“秒殺”…………………

 

……………合掌…………

 

 

 一方薫と恭也は

「恭也君…。焼きもちなんか焼いてごめんね…。

君に比べてウチのほうが年上なのに子供っぽくてイカンね…」

「そんなこと無いです…。俺も嫉妬していたんですよ…」

「えっ?」

「正直に言うと、あなたが耕介さんの事を初恋の人だって言った時も、

さっきの話を聞いた時だって…俺は嫉妬していたんですよ…」

「嘘…」

「そんなに貴女に関して俺は無関心に見えますか…?

ただ…、俺は感情表現が苦手だし、そんな事で嫉妬して貴女に幻滅されたらと思うと、それを表現できないでいただけです…」

淡々と、しかし少し恥ずかしそうにすねたような表情で言葉を綴る恭也

年相応の少年に見えた事が…。

そしてなによりも恭也の心の本音を聞けた事が嬉しくて薫は微笑んだ…。

その笑顔が、やっぱり少しだけ眩しく見え恭也であった……。

 

 そして、また自転車に乗って海鳴駅に向かう二人。

「俺も耕介さんの様に免許を取ったほうがいいですかね?」

「なんで…?」

「これから薫さんがこっちに来る度に送り迎えをしてあげたいと思ってるんですけど…」

その言葉は、薫を喜ばせ大いに照れさせるのに十分なのだが、

今は自転車の後ろに乗っているので恭也には確認できない。

しかも、とうの本人には思ったことを口にしただけなので、薫が照れていることにすら気が付いていないのが実情であった。

「自転車じゃ…、移動速度が遅いですから…」

「自転車でよかよ…」

何時の間にか駅に着いたので自転車から降りる二人。

「なんでですか?」

薫はフイと後ろを向いてボソッと

「自転車の方が今日みたいに駅に着くまでに時間がかかるから…

その分一緒に居られるじゃない…」

と、呟いた…。

そんな薫を後ろから抱きしめる恭也。

「一月後には、俺が鹿児島に行きますから…

泣かないでください…」

薫は何時の間にか涙を流していた…。

「でも…、1ヶ月は一人で過ごすには長すぎる…」

「夏休みですから…薫さんさえ迷惑じゃなければ、かなり長くそちらにお邪魔させてもらいますよ…」

「でも…、夏が終われば君はまた帰ってしまうから…ウチは一人ぼっちじゃ…」

 

 女はかつて一人で生きていく事を誓った…

 

 数え切れない、哀しい想いを断ち切る事が自分の仕事なのだからと…

 

 しかし女は出会ってしまったから…

 

 一緒に生きて、哀しみ苦しみそして笑ってくれるであろう男と…

 

 もう一人ではきっと居られなくて…

 

 誰にも寄り掛からずに一人で生きてきたから…

 

 その寂しさを誰よりも強く体験しているから…

 

 今はもう一人ではいられない…

 

 男の腕の温もりを知ってしまったから…

 

 男の胸に寄り掛かってしまったから…

 

 

恭也は、なにも言わず、そしてなにも言えずに、ただ薫が落ち着くまで抱きしめていた。

ここは海鳴駅前、もしかしたら知り合いがそんな様子を見ているかもしれない…。

それでも、恭也は薫を抱きしめ続けた…

寂しく思うのは恭也も同じだから…

そんな万感の思いを込めて、ただずっと抱きしめつづけていた…

薫の涙が止まるまで…

薫がこの一瞬の別れと言う現実に向き合うまで…

そして、恭也自身がその現実を受け入れられるまで…

 

 

 いま、恭也は駅のプラットホームに一人佇んでいる…。

 愛すべき人が乗った電車が去った方向を見つめたまま…

 

 

「寂しいのは…俺も同じですよ…薫さん…」

今ごろになって流れ出る涙を人に気が付かれぬようにそっと拭うと、恭也は一人歩き出した…。

 


 

後書き

 

しかし、恭也にしろ薫にしろかなり別人になってきた気がしないことも無い…

って言うかもう完全に原作のイメージが残ってないかもしれない…

薫は、好きになると、かなり可愛くてそして嫉妬心とかも結構有りそうだな…

と想っていたんですけど…これはやり過ぎかな…

まあ、いいや。

アナザーストーリーってことで違和感覚えた人は納得してください。