薫が高町家に泊まりに来ていた夜。
「ただいま〜」
「お邪魔するで〜」
翠屋での仕事を終えたフィアッセが、ゆうひを伴なって帰宅した。
「薫〜〜!!良ければお話しない?
私、もっと薫と仲良くなりたいし…」
フィアッセがにこやかにそう言うので、恭也と美由希の鍛練に付いて行く気だった薫だが、フィアッセが淹れてくれた特製のミルクティーを片手に談笑する事にした。
鋼糸や飛針などの装備を用意し、美由希と共にフィアッセやゆうひ、薫に挨拶すべく恭也は居間に向かった。
「あれ?恭也と美由希。今から鍛錬なんだ…。
行ってらっしゃい、怪我には気を付けてね…」
「そっか〜、今から鍛錬に行くんか〜。
大変やな〜、がんばってや!!!」
と、ゆうひとフィアッセの顔に浮かぶお馴染みの表情―その顔は決まって悪戯をするときにするのだが―がひらめいた。
『何か企んでいるな…』
恭也は瞬間的にそれを察した。
薫に「気をつけて…」と言う気遣いの一言と、ゆうひとフィアッセには無言の圧力をかけて、恭也は日課の鍛錬に向かった。
暗い夜道を歩きながら
「フィアッセとゆうひさん…。絶対に何か企んでるよね…」
と、美由希も苦笑していた。
「まあ…圧力をかけておいたからな…大丈夫だろう…」
そう言いながらも、恭也は胸の奥にさざなみのような不安を僅かに覚えた。
「やだな〜、恭也。そんな顔したらかわいい顔が台無しだよ!!!」
「大丈夫やて!!恭也君の『愛しい愛しい』薫ちゃんに変な事するわけないやろ〜」
と、にっこり笑ってそんな言葉を口にした二人は、明らかに胡散臭かった。
日課である鍛錬を終え、日めくりのカレンダーが1枚めくられてから30分ほど経って、ようやく帰宅した恭也は、薫からフィアッセとゆうひと話した内容を聞き、その端正な顔に思わず微苦笑を浮かべた。
「なんかね、フィアッセさんに薦められて明日一日翠屋でアルバイトをする事になってしまって…」
そう報告する薫の顔にも、恭也と同じ表情が浮かんでいた。
あの二人の悪戯にしては、まあ、そう悪質な物でなかったことに驚きと安堵を感じている。
そんな感情を表した表情だった。
「まあ、薫さんさえ良ければ翠屋で働いてくれるのは大いに助かるんじゃないかな。
最近忙しいと、かあさんも良く愚痴っていたし…」
「うん、ウチもまだ学生のころは何度かお世話になってるし、恭也君の家族が困ってるのだから手伝いするのはかまわないから引き受けたんだが…」
どうにも語尾の歯切れが悪いのは、フィアッセやゆうひが真雪には劣るとは言え、桃子や耕介並には悪戯を好む、と言う過去の経験からであった。
――――――――――翌朝
恭也が学校に行こうと玄関で靴を履いていると、フィアッセが現れた。
「恭也〜〜〜!!お弁当作ったから持って行って〜!!」
と、弁当箱の入った包みを渡す。
「……なんかこれ…軽くないか?」
恭也の手にあるフィアッセから受け取った包みはひどく軽かった…
さらに、昨日の事があった後に突然弁当を渡してくる行動など…
「怪しいな…」
思わず恭也の口から疑惑が溢れ出した。
その発言に、一瞬フィアッセは明らかに「ギクリ」と言う反応を示した。
それは1秒にも満たない時間であったが…
1秒にも満たないわずかな時…そんな刹那の一瞬…
…それは一流の剣士同士の闘いにおいては致命的とも言える隙である。
ましてや、ある意味一流の剣士以上に性質の悪いフィアッセなどの陰謀を前に、その重要さは推して知るべき物であった。
じーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ
恭也は疑惑の眼差しをフィアッセに向ける…
しかし、先ほどの一瞬の間は嘘であったかのように、フィアッセは表情を崩さない。
じーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ
更に凝視をする。
すると…
「ひどいよ…恭也。
小さいころはあんなに優しくて素直だったのに…
私の事そんな眼で見てたのね…」
ハンカチを噛んで泣き崩れるフィアッセは、明らかに演技過多であったが
「小さいころ、私をお嫁にもらってくれるって約束は破るし…
それどころか今は私の純粋な好意にそんな眼差しを向けるなんて…
昔の優しくて素直でかわいい恭也君は何処に逝ってしまったの…」
そう言いながらさらに、ヨヨヨ…と泣き真似をする。
「……納得いかないものはあるが…
とりあえず時間もないので学校に行く…」
いぶかしげな物を感じながらも、とりあえず弁当箱を持って恭也は玄関の扉を開けた。
そして、その扉を閉める直前に後ろを振り向かずに
「…フィアッセ…
とりあえず好意を疑った事に関して…詫びよう…
すまなかった…」
とだけ呟いてから恭也は学校に向かった。
恭也の頭上から朝日が降り注ぎ、町をその光りで照らしていた。
秋に入ったと言ってもまだまだ暑い日が続く。
そんな、今だに力強さを誇示する太陽の中を、恭也はやや憮然とした表情で走った。
恭也としてはフィアッセの行動の一部始終に何か怪しげな雰囲気を感じていた。
しかし、いくら泣き真似と言えども、幼いころの赤面と共に脳裏に登録されている思い出まで引っ張り出されては、恭也にできる選択は戦略的撤退と言う名の逃亡しかなかった。
「それにしても…いやに軽いが…中身はなんなんだ?」
そう呟きながらも弁当箱を振ってみる…
音もしない…
「あ…怪しい…」
しかし、まさか爆発はするまい、と思い、そんな事を考える自分に苦笑した。
闘いの天才…そう呼ばれている恭也の本能が、警報を鳴らしている。
『ヤバイ…ヤバイ…』
いくら、警報を鳴らされても、まさか弁当を捨てるわけにも行かずに、覚悟を決めて学校に足を向ける。
そして道中、空っぽ、ビックリ箱など恭也の、豊富とはいえないユーモアーセンスをフル回転させるが、無論謎は解けなかった。
一方、フィアッセの方は…
「フフフフフフ…上手くいったな…」
と、恭也が家を出発してすぐに、柱の陰からゆうひが出てきた。
「ゆうひ…なんか悪の総帥みたいだよ…その登場のしかた…」
フィアッセがややジト眼でそんなゆうひを見やる。
「何言ってんねん!!舌先三寸で恭也君を騙した稀代の悪女には、そんな事言われたないな〜」
と、ゆうひも負けずに応酬する。
「まっ…、とりあえず私はお店に行くね!!薫も待ってるし…」
フィアッセは、にやりと人の悪そうな顔をゆうひに向ける。
「OK!!!ウチも次の準備に移らなな…」
と言って、ゆうひも先ほどのフィアッセのような、あくどい微笑を浮かべる…
一瞬、眼を見合わせ
「あははははははははは!!!!!!」
と二人は爆笑した。
「ゆうひ、悪の総統とかの方が歌手より向いてるんじゃないの…」
と言うフィアッセに
「フィアッセこそ『光りの歌姫』ならぬ『闇の女帝』みたいやで〜」
とゆうひは言い、おたがい今度はいつもの笑顔に、悪戯前の子供のような表情を浮かべていた。
―――――――――――――――――――――昼休み――――――
「高町、今日は学食か?」
勇吾が伸びをしながら、恭也の席に近づいてきた。
「いや…今日は弁当のはずだ……多分…」
「多分?」
そんな恭也の言葉に首を傾げながら、勇吾は視線を恭也の横に座る女性に向けた。
「月村は…またか…」
勇吾の言葉には呆れの感情が溢れていた。
「前の時間は古典だったからな…」
恭也も自分の横でミニ枕まで持参して居眠りをしている忍に、苦笑しながら言葉を返した。
「とりあえず…飯にするか…」
と恭也は鞄から、いやに軽い弁当箱の包みを取り出した。
相変らず本能が告げていた…
『その包みは危険だと…』
ある意味、本能は耕介と対峙していたとき以上に警戒を強めていた。
背中に冷たい汗が流れている…
「よし、じゃあ俺は学食に行くか…」
と言って歩き去った勇吾を尻目に、恭也は弁当箱を慎重に開けた。
空けた弁当箱は爆発もせず、おかしな物も飛び出してこないが、目的も果たしていなかった。
いくつか挙げた予想の通り空っぽだったのだ…
「ふぅ〜〜〜」
恭也は半ば予想通りの事態に、溜息をつくしかなかった。
その溜息には呆れが30%、そして安堵が70%を占めていた。
『これくらいで済めば上出来だ…』
そう思い思わず笑みすらこぼれた。
しかし、あの耕介をして天才と言われた恭也の感性は、やはり恐るべきほどに正確だった。
「・・・・・ん?」
1枚の紙がひらりと風に舞った。
弁当箱は空ではなかったのだ。
底に1枚の紙が入っていた。
その紙には…
―――――――――――翠屋デリバリーサービス!!!!!PART2
と書いてあった。
恭也の記憶に苦い思い出が蘇える…。
あれはまだ四月の事だった。
フィアッセがデリバリーサービスと言う名目で、風高にやってきた事があった。
廊下でざわめきが起こり、恭也のクラスの扉が勢い良く開かれて…
透けるようなブロンドの髪、蒼い瞳の美女がクラスに闖入してきた時、クラスの女子の大半が突然の事にただ驚き、男子の大半がその目を釘付けにしながら見惚れた。
男子の中には、手にしていたパンを落とす者、牛乳を口からたらしている者などが続出した。
そのブロンドの美女が、耳に心地良いソプラノで言った一言に、クラスは新しいざわめきに満ちたものだった…。
「恭也〜!!翠屋デリバリーサービスだよ〜!!」
元気良く、最高の笑顔で、俺の前でそうのたまった美女―フィアッセ―がにっこり笑って、恭也の横に腰を降ろして、そのまま一緒にお昼を取り始めたのだ。
しかも、わざとクラス中に見せつける様に恭也にべたべたとするフィアッセ。
そんな二人を刺す様に睨みつけるクラスの視線。
鈍感な恭也ですら、感じられるほどに異様な雰囲気は、すでに危険な殺気すら孕んでいたようだった。
そんな恭也の心とは裏腹に、一切気にせずに勇吾の分も持ってきていたフィアッセに、感謝の言葉を送ると、嬉しそうに食事をはじめた親友……
さらに、そんな事態にも関わらず全く目を覚まさない月村…
あの後、恭也はクラスの人間に詰め寄られたものだった・・・
「あの人と高町(君)はどんな関係なの!!!?」
と。
男子の大半は血走った目で恭也を睨みながら…
女子の大半は悲しさと寂しさと嫉妬の入り混じったような視線で…
最も恭也には、女子の視線が意味する所を洞察する事は、できるはずもなかったが…
しかし、今にも暴発しそうな殺気に近い怒号は、二度と味わいたくもなかった。
「フィアッセの企みは……これか…」
恭也は苦い記憶の回想を終了して、教室から脱出しようと席から腰を挙げた。
しかし、時すでに遅し…
恭也は自分の行動が兵法に反している事を悟った…
孫子曰く「兵は神速を尊ぶ」と言う事に…
廊下ではざわめきが巻き起こっていた…
男子生徒の「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!」
と言う野生の狼のような咆哮も耳に聞こえていた。
そして、恭也の教室の扉が開かれた。
ただし、この間と違ってかなり遠慮がちに静々とではあったが…
「こ…こんにちは…翠屋デリバリー…サービスです…」
教室中の視線に閉口した様に顔を真っ赤に染めながら、蚊の鳴くような声で闖入者は声を出した。
その声は、ややハスキーな声であったし、容姿も恭也の予測した金髪碧眼ではなかった。
むしろ、美しく艶やかな漆黒のロングヘアーに、黒曜石のような深くしっとりとした美しい瞳は、ピスク・ドール(西洋人形)を思わせるフィアッセとは対照的で日本人形を思わせた。
その両者の共通点は二つしかない。
目にした男子生徒が惚けてしまうほどに、どちらも比類無い美しい容姿をした、妙齢の女性であることが一つ。
そして、クラスの女生徒の大半が許しがたく思う原因となるのは、主にこちらの理由によるのだが、どちらも一人の男子生徒の名を口にしてやってくる事であった。
「薫さん!!!!?」
扉の前に佇む女性は、確かに恭也の最愛の女性(ひと)である神咲薫であった。
「恭也君…」
翠屋のユニフォームに身を包んだ薫は、いつもとはまた違う魅力を持って恭也の視覚を捉えた。
「あの…?恭也君?」
じっと薫を見つめていた恭也を心細そうに薫は見やった。
それは当然だろう、いくら卒業生とは言え、まさかこんな形でもう一度母校の校門をくぐるとは夢にも思わなかったであろう。
「と、とりあえず…どうぞ」
そう言って恭也は学食に行ってしまった勇吾の席を引いて薫に座らせる。
「あ…ありがと…。お弁当もってきたから…食べようか…」
まだ周りの視線が恥ずかしいのか、身を縮める様にして恭也の前にちょこんと座る薫は、あんまりにもかわいかった。
恭也の周りの席の男子は、動かしていた箸をポトリと落し薫の方をポーっと見ている。
いや、薫の前に座っている恭也ですら、魅入られたように薫に釘付けになっていた。
しかし、その見られている薫の方は
『うう…みんなウチを見てる…。
やっぱり浮いてるからだよね…、恥ずかしか…」
と思い思わず頬を掌で包み込んで、顔を隠そうとする。
その仕草が更に、薫のかわいさを強調してクラスの男子の眼を集中させる事になるのだが…
『ゆうひさん、フィアッセ…。恨みますよ…ホントに…』
薫はこんな行動をする原因を作った、主犯の顔を思い浮かべて空中を睨みつけた。
そして恭也は、相変らず薫に見惚れ、クラスの雰囲気は破裂しそうなシリンダーよりも危険な様相を見せていた…
to be continued