薫ちゃんの翠屋体験記後編


 

 

―――――――数時間前、翠屋―――――――

 翠屋のユニフォームに身を包んだ薫に、フィアッセは笑顔を向けた。

「Hi!!薫。良く似合ってるわね…」

フィアッセの輝くような笑顔に、薫は苦笑に近い顔で答えた。

「なんかこうゆう格好は…恥ずかしい物が…」

 

カラ――――ン

ドアベルと共に、フィアッセも薫も良く知っているソプラノボイスが店内に響いた。

「やっほ〜〜!!!」

椎名ゆうひであった。

「薫ちゃん、よう似合ってるやないか!!」

満面の笑みで褒めちぎるゆうひに、薫は困ったような顔を向けた。

「さてと…薫。ちょうど言いからゆうひからオーダーを取ってみようか」

フィアッセが薫の背中を軽く押して、バイトの実習をはじめた。

 

「いらっしゃいませ…。本日はこちらでお召し上がりでしょうか?」

フィアッセに習ったマニュアルどおりの、完璧な接客を見せた薫。

しかし、相手は『あの』椎名ゆうひである。

「そうやな、ここで食べていくわ。

注文は抹茶ミルクと宇治金時で…」

「そんな商品はありません!!!お客様!!」

薫が冷ややかに言い放つ。

それを見て、フィアッセが笑いを噛み殺したような顔で、二人の傍にやってくる。

「駄目だよ〜、薫。

お客様がメニューに無い物を注文された時は、にっこり笑って

『申し訳ありません、当店ではそのようなメニューを用意していませんので…』

って、丁重に断らないと…」

「そうやで〜、薫ちゃん。お客様は神様や!!

こんな事されてもにっこり笑って我慢せんと…」

そう言いながら薫のお尻をゆうひは撫でた。

「むっ!!!学生時代よりもふっくらしとるな…

恭也君に揉んでもらってるうちに成長したんか?」

「きゃ!!!!

ゆ・・・ゆ・・・ゆうひさん!!!!!!!!

真雪さんみたいなことしないで下さい!!!」

薫が顔を紅くしながら言った一言は、ゆうひの精神にかなりダメージを与えた様だ。

「ガ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン!!

真…真雪さんみたいやて…」

しかし、自分でガ〜〜〜ンとか言ってる時点で、相変らず余裕を感じさせなくも無い。

「まったく、ゆうひも薫をからかっちゃ駄目だよ〜。

後で恭也に怒られるよ〜!!」

と、フィアッセも更に薫の赤面を誘うような言葉を続ける。

「フィアッセ!!ゆうひさん!!」

薫の抗議の声に笑いながら謝る二人であった。

 

しばらく、普通に接客して居た薫に、フィアッセが声を掛ける。

「薫〜、デリバリーサービス頼んでも良いかな?」

「ウチが?それは別にかまいませんが…」

「そう?じゃあよろしくね〜。

そこのデリバリー用のケースの上に、マニュアルと配達先のメモがあるから…」

「わかりました…」

そう言って店を出ようとする薫に、フィアッセが意味深な顔で

「きちんとマニュアルは守ってね!!!!」

と、笑いを噛み殺した顔で念を押してきたことが、薫の警戒心を煽った。

 

 

 

「どうかしました?薫さん」

ずっと、中空を睨みつけている薫を、心配そうに恭也が声をかけた。

「…うん、大丈夫…」

微妙に噛み合っていない会話は、この時薫の緊張を顕著に表現していた。

相変らずクラス中の視線を一身に集めている薫と恭也であったが、それぞれがそれぞれの理由でそのことを意識の奥に押しやっていた。

薫は、フィアッセに渡されたマニュアルのことで頭が一杯であったため。

恭也は、目の前の最愛の女性に目を奪われていたためであった。

白いブラウスに、黒いエプロンドレスに身を包んだ薫は、恭也の瞳に新鮮に映った。

さらに、風高に居ると言う居心地の悪さのためであろうか?

いつもの毅然とした態度に陰りが見え、多少頼りなげに身を縮めている薫は、恭也の心を魅了するに十分過ぎた。

恭也がボーッと薫を見つめている間に、薫は机に二人分の食事を並べていた。

その料理の見事さに

「良いなあ…高町は…。

『また』美女と翠屋のスペシャルメニューか…」

近くの男子生徒の感嘆の声が漏れたほどであった。

その声が薫の耳にも届いた。

「恭也君?またって…前にもあったの?」

薫の眼は、今までの羞恥の色から違う色に変わっていたが、恭也は目の前の薫に魅了されているためであろうか?気が付きもしない。

「ああ…、一度フィアッセが…」

その言葉に薫がピクリと反応した。

じゃあ、食べようか、と恭也がフォークに伸ばした手よりも早く、、薫の白い手がそのフォークに伸びていた。

一瞬二人の手が重なる。

「アッ…」

短く発されたその感嘆詞はどちらの物であったのだろう?

恭也が慌てて手を離し、薫の方を赤くなった顔でちらりと見た。

薫はやや頬を染めてはいるものの、やわらかく微笑んでいた。

思わずその笑顔に恭也も引きこまれて、端正な顔に微笑を浮べた。

 

「恭也君の笑顔!!!!!!!?」

「高町でも笑うのか?」

恭也のその笑顔に魅了されて倒れる女生徒や、恭也が笑ったことに驚いて食事を喉に詰まらせる生徒が出て、喧騒の嵐がクラスに巻き起こるが、すでに二人の世界を築きあげている二人の耳には全く届かなかった。

 

薫がフォークにスパゲティーを絡ませ、それを無言で恭也の口元に持っていく。

初め恭也は薫の行動に首を傾げていた。

しかし、何かを訴える様に恭也を上目遣いに見つめる薫の視線から、彼女が自分に食べさせてくれようとしている事を理解した。

いつもの恭也なら、やや頬を赤らめながらも、素直に口を開いてそのフォークを導き入れたであろうが、今日の薫の少し心細そうな雰囲気が、恭也の乏しいユーモアーと悪戯心を擽った…。

「薫さん、どうしたらいいか良くわかりませんよ…?」

薫は恭也の表情から自分の意図を理解して、敢えて薫が照れて言い出せない一言を言わせようとしている事に気がついた。

「恭也君…、いぢわるしないで…。恥ずかしかよ…」

そう言って頬を染める薫のかわいさは、もはや犯罪であった。

現に薫に魅了されたクラスの男子の3分の1は、鼻血を滝の様に流していた。

恭也も思わず、もう口をあけてあげようかな…と思ってしまうほどであった。

しかし、恭也はここで精神力を総動員して、薫に男のロマンたる言葉を言わせるべく努力をした。

そして、その努力は報われた。

「恭也君…お口をア〜〜ンして…」

恭也は思わず涙が出そうになるほどに感動していた。

薫にお口をア〜〜ンして…などと言われるとは何て幸福なんだろうと…

そんなペースで、二人のいちゃつきバカップルぶりはヒートアップしていった。

例えばクラムチャウダーを恭也の口に運ぶ時、薫はフ〜フ〜とその桜貝の様に美しい唇で、敢えて恭也に吐息が届くくらいの至近距離で熱を冷ましてから

「はい、あ〜〜〜ン…」

と、かいがいしく恭也の口に運んでいるほどだ。

また、

「あ…恭也君…食べカス…」

と、恭也の唇についた食べカスを、ペロリと舌で舐めとって見せる。

「か、薫さん…」

むしろ後になればなるだけ、恭也の方がクラスの視線に赤面していくほどだ…。

 

結局、デザートを除き全ての料理をお腹一杯食べ終わった恭也であった。

そして、恭也の周りにいるクラスの人間は、それ以上に二人ののろっけっぷりに

お腹一杯で、むしろ胃にもたれていた…。

「でも、薫さん…なんだか、らしく無かったですね…」

今日の薫の様子を冷静になって顧みて、恭也は疑問を口にした。

「……フィアッセの方が良かった?」

薫の反撃は、恭也の全く予想し得ない方向からもたらされたので、恭也は口をポカーンと開けて、しばし呆然としてしまった。

「なんでフィアッセが出てくるんです?」

と聞き返した恭也に、薫は憮然とした表情に、幾分かの嫉妬の色を混ぜたような表情で答えた。

「だって…昔フィアッセもこのデリバリーサービスをしたんでしょう…」

少し拗ねた様に眼を逸らす薫。

そんな表情さえも、薫のかわいさを際立たせて見えるのは、恭也の薫に対する十年以上にも及ぶ恋慕の賜物であったかもしれない。

「それは私達が出会う前の事かもしれないけど…

フィアッセは美人だし・・私と違って明るいし…優しいし…」

「薫…、何か勘違いしてない?」

「……え?」

むしろ、薫の目には会話の内容よりも恭也が初めて人前で自分を呼び捨てにした事の方に、軽い驚きと喜びを見出していた。

「フィアッセは、ただ料理を運んできてくれて…

そのままここで食事をして帰っただけだよ…。

しかも、その時は勇吾や月村も一緒に食事をしたし…」

「えええええええ!!?」

薫は、自分の勘違いに呆然とした。

「なんで、そんな勘違いなんて…」

と、疑問を口にしようとした恭也に1枚の紙を薫が見せた。

 

『デリバリーサービス マニュアル

 

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以上 翠屋チーフ フィアッセクリステラ』

と、『相手に食事を食べさせてあげる』から始まって、延々と書いてあるマニュアルであった。

 

恭也の顔に、呆れの色が浮かんだ。

「こんなマニュアルあるわけないじゃないですか…」

薫は顔を赤くしながら

「ウチもそうは思ったんだけど…」

と言いながら黙ってしまった。

何から何までフィアッセとゆうひにはめられた事を恭也は気が付き深い溜息を一つついた。

「でも、恭也君以外の人にこんな事するのはいやだけど……恭也君なら…良いかなって…」

そう言って赤くなる薫の言葉に、恭也も顔を赤くした。

 

「あ…デザート忘れてきた…」

薫が未だに照れくさいためか、恭也から視線を逸らしながらそう言った。

「デザートならここに…」

「え?」

薫が振り向いた瞬間に恭也はその唇を奪った。

 

それを目撃したクラスの女子は、深い悲しみのどん底、マリアナ海峡よりも深くに叩きこまれた事に、無論恭也は全く気が付かない。

 

「ききききききき、恭也君!!!」

薫はもちろん、唇を奪った恭也すらもその行動に照れていた。

しかし、薫も恭也も気恥ずかしさは有ったが、決して不快さは感じていなかった。

今日の薫のいつもと違った仕草が、微妙に恭也を大胆にさせたのかもしれなかった。

そんな恋人達の甘い時間…

 

「高町…何やってるんだ教室で…?」

それは恭也の担任の声で脆くも崩れ様としていた。

「せ、せ、先生?」

「お前は寡黙だが真面目な生徒だと思っていたのに…」

担任は溜息をついた。

「そこの部外者の人…」

明らかに高校生じゃない、恭也との接吻の相手に教師は声をかけた。

「……はい」

そう言って振り向いた顔にも、その教師は見覚えが有った。

「もしかしなくても…神咲君?」

「…はい…。お久しぶりです…」

この時の教師は、まさに驚愕と言う表情の生きた手本だった。

「君は鹿児島に…君ほど真面目な生徒が…第一…高町とは…」

教師の言葉は明らかに支離滅裂だった。

この教師が薫の担任だった時、薫はもてるが、男子生徒との浮ついた噂一つない、実に勤勉で真面目で成績優秀な学生であった…。

それが、卒業してわずか数年後、母校に帰ってきたと思ったら、自分の今の生徒と昼休みに教室で堂々とキスをしていたのだから、その驚きは筆舌に尽くし難かった。

 

「すいません!!すぐに出ていきますから…」

そう言って薫が席から腰を挙げた瞬間に教室のドアが開かれた。

「あれ?薫ちゃん!?」

重く停滞している教室の雰囲気に全く気が付かず、那美が扉の前で、自分の姉の姿を視界に捕らえて手を振っていた。

「あ…もしかして婚約者の日常を見に来たんだ!!

もう、薫ちゃんとお義兄さんたら…ラブラブなんだから!!!」

 

婚約者…?

 

お義兄さん…?

 

「あ、じゃあ、お邪魔したらなんだから、私教室に戻るね。

あ、薫ちゃんに伝言が会ったんだ!!

耕介さんがね、『恭也君の家に泊まるのも良いけど、1日くらいさざなみ寮にも帰ってきなよ』だってさ…。

じゃあね〜!!!」

 

恭也君の家に…泊まる…?

 

数々の問題発言を明るく振りまいて、教室から出ていく妹(義妹)の姿を、薫と恭也は遠い目で見やった…。

 

「なんだって〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 




「あ…良い所でバッテリーが…」

忍がボソリと呟いた。

 

この絶叫の後で恭也と薫がどうなったかは……本人達が頑なに口を閉ざしていたので、わからないままであった。

 

 

 

 

「っち、忍もまだまだだな…」

さざなみ寮で真雪が舌打ちをして、真っ暗になった画面を睨んでいた。

「いや〜、なかなかだと思うよ…」

リスティが真雪に煙草を渡しながらなだめる。

「そうやで〜、真雪さん。

なかなか楽しめたからええやん!!!」

今回の最大の功労者であるゆうひが満足げに頷いた。

「そうだな…、ほらよ、フィアッセと忍に渡してやんな…」

そう言って真雪はたった今ダビングし終わったテープを2本、ゆうひに投げてよこす…。

「そやな〜、忍ちゃんのおかげで良い物が見れたからな〜」

恭也も薫も気が付いてはいなかった。

眠った振りをした忍が、ミニ枕に隠したカメラから、リアルタイムでさざなみ寮に映像を送っていた事を…

 

恭也と薫は、次の日、翠屋で働いている薫と、薫目当ての男子生徒から薫を護る為に翠屋で働いている恭也に

「デザートのキスはいくらなんだ?」

と、真雪が意地悪く質問するまで、その事に気がつく由はなかった。

 

 

――――――翠屋厨房

「うふふふふふ〜〜。薫ちゃん効果に恭也効果でお店の売上大増量!!!」

「桃子、それを見越していたづら黙認したんだ…」

呆れ顔のフィアッセを意に介さずに

「桃子さんてば商売上手!!!」

と、薫目当ての男性客と、恭也目当ての女性客のおかげで、売上がここ数日鰻登りの桃子さんこそが、実は一番の策士だとかそうでないとか…

 

 

 

後書き

 

すいません。最近銀河英雄伝説をまた初めから読み返してるんで文体が…堅いかも…。

しかし、長くなり過ぎですね…

あんまりラブラブさせきれなかったのも痛いですね…

いつか、自分の『人の噂も75日』を越えるラブラブっぷりを書きたいな〜。