MissMoonlight

<月下の別離>

薄暗い部屋で、窓の外には白く輝く月が浮かぶ。

「恭也…」

恭也に声をかける忍の声は、何処か寂しげなメロディを奏でた。

「今までありがとうね…」

忍の腰まである長く美しい髪が月の光を纏い輝いている。

「恭也……」

この一言に愛しさと、寂しさを凝縮させて,、忍は隣でやすらかな寝息を立てている愛しい男性の名前を呟いた。

「明日からは…高町君か…」

かつてまだ忍が恭也のことを高町君と呼んでいる時があった。

「明日になればあなたは全てを忘れてしまうけど、私は…私は絶対忘れないから…」

知り合って、友達になって…そして愛し合って…。
忍はそれらの恭也との思い出を一つ一つ思い出していく。

「私と、生涯供に在る事を誓ってくれたのに、あなたの記憶を消す事になるなんて、皮肉ね…。」

忍の形の良い唇が恭也の唇にそっと触れた。

「あなたは私を守るために傷付いていく」

今日、イレインのコピーが忍を襲った。
しかし、ノエルは未だに目覚めていない。

いくら恭也と言えどもオートマター相手に無傷で済むわけもなく、傷だらけになりながら、なんとかこれを撃退した。

しかし一方の恭也もまた瀕死の重傷に追い込まれた。

「ゴメンね…恭也…」

忍が恭也の体に残る生々しい傷跡を優しく舐めていく。

すると、生々しい傷跡がスッとふさがっていった。

そうしていくつかの傷跡を消すうちに、忍はわき腹に残る大きな傷跡を見つけた、

この傷は今まで忍が消していた今日付いた傷ではなく、

一月ほど前のイレインが月村邸を襲った時に付けられた物だった。

恭也がこの傷を負った時に

『この傷跡は大切な女性(ひと)を守った勲章だから、消さないで欲しい。

例え何処にいても何があってもこの傷を見れば忍を思い出すから…』

と言っていた事を思い出す。

そしてその傷を残して全ての傷跡を舐め終わると

「これで本当にさよならね…」

と言う言葉と共に、今まで幾度も口付けた愛しい男の唇に最後の口付けを交わした。

「明日起きたら全てを忘れられる…、これでもうこれ以上あなたが傷つく事もない…」

パタン、とドアを閉めて忍は部屋を出ていった。

そしてこの日を境に月村忍は恭也の回りから姿を消した。

恭也達の自分に関する記憶と共に…。

 



恭也が風芽丘卒業後しばらく…

 

「いらっしゃいませ〜」

恭也は翠屋のアルバイトをしながら、たまにSPの仕事やリスティの仕事の協

力などをしていた。

別にアルバイトをしなければいけないほど稼ぎが少ないわけではない。

と言うか、未だにSPやその筋の稼業では御神の名の効果は絶大で、

二月に一つ仕事をこなせば楽々生活できるくらいの収入は有った。


では何故バイトをしているか…?

答えは単純、ただ暇だからであった。

恭也の本業はそうたびたび依頼の有る物でもない。

美由希の剣もまたほぼ完成に達し、今は恭也以外の相手との実戦練習にいそし

んでいるので週に一回くらいでしか相手をしていない。

たまに、なのはや晶、レンにくっついて久遠がいる神社に遊びに行くがそう頻繁

に着いて行くわけでもない。

そんなわけで恭也は主に翠屋を手伝いながら暇を潰しているのである。 

「恭也…。あんたお店を手伝ってくれるのは嬉しいけど、他にする事ないの?」

「……ない」

「彼女の一人でも作れば良いじゃない。

あんた親の贔屓目を抜きにしても絶対モテルと思うわよ…。

気になる子いないの…?」

「いないな…」

しかし桃子の言うとうり、恭也は望めば彼女はすぐにでもできるだろう環境にあった、

実際回りには美由希、那美、晶、レン、フィアッセと平均を上回る美(少)女

達が好意を寄せているし、客に告白される事も再三再四に及ぶ。

しかしどの少女を見ても恭也は『この子じゃない』と思うのである。

 

夜、自室にて桃子との会話を思い出しながら


「この子じゃない…か」

『じゃあ、俺はどんな子だったら良いと言うんだろうな?』


眠れずに窓の外を眺めて見る…。


「ほ〜、今夜は満月か…」


美しい月が夜空を照らす。

月の光は美しい、しかし何処か冷たくて人を拒んだ感じがする。

それでいて寂しげで儚さすら感じさせる。

恭也は月を見ていると、胸が締め付けられるような気がしてなぜか、ひどく哀しくなった。

 

だからであろうか……その晩、恭也は、不思議な夢を見た。

美しい顔をしたクラスメイトの女性と出会う。

彼女は何処か冷たくて、しかし寂しそうで何故か気にかかる女性であった。

その子を車の事故から助けた事から親しくなっていく。

親しくなればなるほど、その子の生来の明るさや優しさが感じられる…。

そんな不思議な夢だった。

 

ズキッ…ズキッ…

 

わき腹の古傷が、疼いていた。

「しかし、こんな傷…何時付いたんだろう…」

目覚めた恭也は何故か自分が泣いている事に気付いた。

夢の中の女性の声も顔も思い出せない…、それなのにその涙はその子のための

涙だと言う事だけは何故か理解できた。

窓の外に目をやると月はもはや西の空に消えかかっていた。

その月を見ながら恭也は何故かいつまでも疼く胸の痛みに戸惑いながらも、

淡く輝く月の光の優しさを感じていた。

 


 

「恭也さ〜ん!!お疲れ様です」

店に元気な声が響く。この声の主の名は

 

海路 偲(かいろしのぶ)

現在 海鳴大学文学部1年

卒業は風芽丘で女子剣道部のエース。

強豪校の風芽丘で1年の冬からレギュラーになれたのは史上2人目らしい。

もちろんキャプテンも勤めた。

加えて成績優秀。学年では常にベスト3にはいるほどの頭の良さ。

それだけでも恵まれているのに、かなりの美少女だ。

肩までかかるセミロングの黒髪。きりっとした剣道家らしい意思の強そうな瞳。

桜の花が色づいたような愛らしい唇。正に純日本風の美少女と言える。

性格も明るく、気取らないため誰からも好かれる。

しかも常に自然体でいるためか、春の日差しの様に暖かな気持ちにさせてくれる女性である。

もちろん、かなりの男子生徒が憧れ、思いを告げたが常に答えは決まっていた。

「ずっと、好きな人がいるから…」

風芽丘ではその相手は赤星ではないかと目されていた。

 

とにかくその彼女が現在翠屋でアルバイト中である。

フィアッセが海外公演中。

美由希は修行でそれどころではない、と言う事で急遽アルバイトが募集されたのだった。

結局採用されたのは彼女一人であったが…。

選択した桃子によると

「美由希とフィアッセの変わりなんだから、凄く可愛い子でなおかつ真面目な

子でないと勤まらないんだもん」

らしい。

偲とは、恭也は赤星の親友と言う事で何度か話した事はあるが、同じクラスになったこ

とが無い上に、元々進んで他人と会話する性質ではない為に親しくはしていない。

 

「やあ、海路さん。お疲れ様」

「私の事は偲〔しのぶ〕でいいですってば…」

『…しのぶ……

 何でだろう…胸が…

 痛む…疼く…痛む…疼く…ひどく…息苦しい…

 頭の隅で…何かが…

 ……………警鐘を…鳴らしている…

 ……俺は…………………大切な…事を…』

「恭也さん?大丈夫ですか?」

「ああ…何でもないよ…」

「でも真っ青ですよ…」

「いや、本当に…」


カラ〜ン


ドアベルが客の来訪を告げる。

未だ、恭也を心配げに見つめる偲。

「俺は、本当に平気だから接客を頼むよ…」

「はい…」

ゆっくりと深呼吸をする。一回、二回、三回。

少しづつ収まってきた心臓を締め付けるような激しい痛み。

いや、心臓の痛みと言う表現は正確ではなかった。

それは言うなれば血液の逆流…。

『まるで、俺の体を流れる血液の『半分』が反乱を起こしたような…』

自分の発想に恭也は怪訝な表情をした。

『俺は…何を考えているんだ…。血液の反乱だなんて…。しかも半分って…』

ズキン…ズキン…ズキン…ズキン…

わき腹の痛みが、自分に何かを知らせるメッセージのような…そんな錯覚を覚えた。

「ありがとうございました〜」

偲の声に恭也ははっとした。

いつのまにか翠屋は閉店時間を迎えていた。

その後、店の掃除を偲とすませる。

「偲ちゃん、恭也も…。

もう松雄さんも帰っちゃって私達しかいないから、少しお茶していかない…?

新商品の品評会も兼ねてさ…ね?」

「ホントですか…?やった〜!!

翠屋さんの新商品を誰よりも早くチェックできるなんてラッキー!!」

と、嬉しそうな偲に付き合う形で恭也もテーブルに着いた。

「偲ちゃんは働き者ね〜。

お店にも家の根暗で無愛想な息子にも少しは慣れた?」

桃子は何が楽しいのかにこにこしながらそんな事を言い出した。

「誰が根暗だ…」

「そうです、恭也さんはステキな人です…。

無口だけど優しくて……一緒に居るだけでドキドキさせられるような…ステキな人

です!!!!」

思わず机から立ちあがって力説してくれた。

そんな偲を桃子は満足そうに見ていた。

しかし、偲の方はすぐ横に当の恭也が居る事に気が付いて顔を真っ赤にさせて、

ストンと椅子に座ると

「と…学校でも評判だったんですよ…」

と恥ずかしそうにしながら、ぼそぼそ付け足した。

それっきり、会話が弾まなくなってしまった。

元々無口の恭也はともかく、明るくておしゃべりの偲が横の恭也を意識してか、

あまり喋らなくなったと言うか上の空になってしまったことが原因であろう。

この奇妙な膠着状態を打破したのはやはり桃子であった。

「あら、もうこんな時間…。恭也、あんた偲ちゃんを家まで送ってあげて…」

桃子の言うとうり、時計の短針はもうすぐ11の下を通過しようとしていた。

「そうだな…」

「そそそそそ、そんな…いいですよ…。大丈夫です…一人で帰れます…」

「駄目よ、偲ちゃんくらい可愛い子がこんな時間に一人歩きしてたら、

ナンパなお兄さん達の格好のターゲットになっちゃうわ」

「可愛いだなんて…。そんなことないです。

私なんてちっとも可愛くなんてないです…。

それに恭也さんにも迷惑ですし…」

「そんなことないよ…」

恭也の言葉に偲は表情を輝かした。

「こんな時間に女性を一人で帰すわけには行かない…」

途端に偲の表情は曇る。それを見て桃子は苦笑するしかなかった。

『ああ〜、何で家の子はこんなに鈍感なんだか?可哀想な偲ちゃん』

「偲ちゃん。大丈夫よ、恭也には送り狼になる度胸なんかないわよ…」

その言葉に偲も恭也も、真っ赤になりながら…

「母さん…あんたね…」

「恭也さんは、そんな事するような人じゃないって知ってます…」

と否定した。その後偲が

『恭也さんなら…かまいませんけど…』

と呟いたのは誰の耳に入る事もなかった。

 


 

スッタモンダあったが結局恭也が偲を家まで送る事になった。

「じゃあ、海路さん。後に乗って…」

そう言って自転車に偲を乗せる。

「もっとしっかり捕まらないと危ないですよ。

これマウンテンバイクだから結構スピード出ますし」

「は、は、は、はい…」

照れて真っ赤になりながらも、恭也の腰に、腕を回しピッタリとくっつく。

『あ…実はかなり鍛えてるんだ…結構筋肉質な体してる…』

自分の発想にますます頬を赤らめる偲

『キャ〜私のH!!!』

ドクンドクンドクン…

『あ…でもこうしてると恭也さんの心音が聞こえる…』

「……さん、海路さんてば…」

「ははっはい!スイマセン私ってば少しボーっとしてまして…」

「いあやそれは構わないんだけど、家はここを真直ぐでいいんだっけ?」

「はい、ここを真直ぐで突き当りを左です」

「そっか…」

「ところで、恭也さん。この自転車で良く二人乗りするんですか?」

「いや、ほとんどしないけど…。なんで?」

「え、わざわざマウンテンバイクに二人乗り用のシートをつけてるから…。

あ、家ここです。わざわざ、送ってくれてありがとう。」

「いやいや、気にしないで。おやすみ…」

「おやすみなさい、恭也さん」

 

偲と別れて家に向かって自転車を走らせる。

何か心に引っかかってるのは、さっきの偲の言葉。

『言われて見れば、俺はこの自転車でよく二人乗りをした気がする…』

空は曇っていた。

『誰を乗せていたんだ…?美由希?違う。晶?レン?那美さん?なのは?

………違う…違う…違う……。誰だ、誰を乗せていた?』

雲の切れ間から、一条の月明かりが射す。

その瞬間、閃光のように恭也の脳裏にある情景が浮かぶ。

 

「恭也〜。自転車を直すついでに、私用のシートをつけちゃった。

これで帰りは家まで送ってもらえるね…」

広いどこかの邸で工具を片手に、自分に悪戯っぽい笑顔を見せてくれる少女。

 

『なんだ…この記憶は…』

 

また別の記憶が浮かぶ。

「恭也、行け行け〜!!今日こそDREで最高得点出すんだから〜」

恭也の自転車の後で明るく子供の様にはしゃぐ少女。

「お前は本当にゲーム好きだなぁ」

「まあね…」

 

「なんだよ…この記憶は…」

『この女の子は誰なんだろう?

知っている気がするのに…、大切な気がするのに…。

形にならない…。

霞みの様に掴もうとすると指の間からすり抜けていく…。

大切な記憶のはずなのに…』

 


 

あれから一週間。恭也は毎日偲を、家まで送っていた。

今日も、偲を家まで送って帰宅した所だった。

鍛錬の前に軽く食事でもしようと思い、キッチンに顔を出すと桃子が一人で紅茶

を飲んでいた。

「恭也、少し母さんの話し相手してくれる?」

「ああ、構わないが…」

そう言うと恭也は自らの湯呑に日本茶を注いだ。

「単刀直入に聞くけど、あんた偲ちゃんの事どう思ってるの…」

「海路さんの事を…?可愛いとは思っている」

「それだけ?」

「それだけとは?」

「だから可愛いと思うだけじゃなくて、…お付き合いしたいな〜とか…」

「う〜ん、彼女は凄く風芽丘でも人気があって、男子の間では『風芽丘の華』と

まで呼ばれた人だからな…。俺は身の程を知ってるよ…。」

「なによ〜、あんた少しはお父さんを見習いなさい…。

お父さんはちょっと強引だったけど積極的で情熱的で…カッコ良かったんだか

ら…(ハート)。

って何言わせるのよ!!もう…」

バシッと力いっぱい恭也を叩く。

『母さんが勝手に言ったんだが…。

でも、ややこしくなりそうだから黙っとくか…』

「あんたもそんなお父さんの子供でしょう?」

「俺は、シュークリームとババロアを両手に持って突然厨房に入って行って

『この甘さに一目ぼれしました…』なんて、情熱的と言うよりも変態に近い行

動をする気は無い…」

「あはははは…、さすがにあれには私も慌てた…」

「それに加えて正式に付き合ってくれと言う申し込みの言葉が

『貴方のその美しい指から作られた甘いケーキを独り占めしたい』と言う父の

血は一滴たりとも流れていない事を祈る」

 

「………まあ、お父さんの事は置いておいて。

身の程も何も恭也と偲ちゃんはお似合いだと思うけど…」

「それに彼女は好きな人が居るそうだ…」

「偲ちゃんがそう言ったの?」

「いや、なんでも告白した男子に何時もそう断っていたらしい。

高一の夏くらいからずっとな…。

彼女がずっと思いつづけるに相応しい奴だとわ思うがな…あいつは、少し鈍い

が…」

「『あいつ』?あいつって…恭也誰の事だと思ってるの?」

「赤星じゃないのか?」

事も無げにさらっと言う我が息子を見て

『に…鈍いにもほどがある…。これじゃ偲ちゃんが報われない…。

それにしても『どうしてもここで働きたいんです!!!』って面接で言ってた

のはこの事ね。

こんなにストレートに意思表示してるのに…家の超鈍感男は…。

天国の士郎さん、私の恭也の教育方法は間違ってたんでしょうか?』

と、苦笑する母に呆れながらも恭也は違う話を始めた。

「明日から二週間ほど『仕事』が入ってる。

そう言う事で店の方を留守にしてしまうんだが…すまない」

「気にすること無いわよ。本職の方が大切よ…。当然でしょ!

でも、偲ちゃんにはなんて言えばいいのかしら?」

「…別に適当でいいんじゃないか…?まあ、旅行に行ったとでも言ってくれ」

「………………あっそ…」

桃子がジト眼で自分を見ている理由にまったく思い当たらない恭也は居心地悪

そうに鍛錬に出ていった。