MissMoonlight


she is MissMoonlight

 

いつの間にか雲は完全に消えて、空には星が瞬き、月が銀色にあたりを照らしていた。

偲が帰ってから、いくらかの時が過ぎた。

しかし、恭也は帰ろうとしない。

誰かが来るのを待っているかのように。

 

ガサ…

 

背後で、僅かに気配がした。

恭也は驚くでもなく振り向くと、僅かに椅子の座り位置をずらした。

 

「座らないのか?」

 

恭也は、振り向かずに訪ねた。

その声は、平静と変わらない様に聞こえる。

 

「座れば良いじゃないか。何時間も立ったままだったんだから…」

 

その言葉に、ピクリと反応し、そして溜息をついた。

 

「……気が付いてたんだ?」

 

恭也は自分が偲と居た時から僅かに気配を感じていた。

 

「まあな」

 

相変らず恭也は振り向かない。

 

 

忍は泣きそうだった・・・

 

愛しい人が自分に向けて喋る声はなんて冷たいんだろう

 

1年ぶりに自分、『月村忍』に対して言葉を向ける恭也の背中は、手を伸ばせば届く距離にありながらひどく遠く感じられた。

 

 

忍が恭也の座るベンチに静かに腰を下ろした。

そして、恭也はその瞬間立ちあがった。

 

『私の横に座るのも嫌なのか…、当然だよね。私が勝手に離れたんだもん』

 

頭ではそう理解している。

しかし、感情はそれを受け入れてくれない。

 

忍の瞳には今も自分に向けて、ほんの少し、照れながら僅かに微笑む恭也の姿が焼き付いて離れない。

 

忍の耳には今も自分に向けて囁きかける恭也の優しい声が鼓膜から離れない。

 

忍の鼻には今も自分と交わった夜の恭也の体臭が、今も薫っている気がした。

 

忍の唇には今も恭也の不器用だけど力強い口付の感触が消えない。

 

忍の本能の全ては今も高町恭也を強く激しく求めていた。

 

 

「一つだけ聞いても良いかな?」

 

忍はひどく遠慮がちに恭也に声をかけた。

勝手に恭也の記憶を奪った自分が、恭也と名前を呼ぶ事すら憚れた。

だからといって、出会ったころのように高町君と呼ぶのは寂しすぎた。

 

「ああ」

 

忍の言葉に対する恭也の返答は相変らずそっけない。

 

「どうして・・・どうして私の事思い出せたの?」

 

 

その答えは聞かなくてもわかっていた。

 

『きっと、翠屋で出会ったときだ』

 

忍はそう思った。

 

近づくべきではなかった。

いくら恭也が居ないからと言って、彼の生活空間に近づくべきではなかったのだ。

わかっていた、そんな事

 

本来は海鳴からも引っ越すべきだったのかもしれない。

そんな事百も承知だった。

 

 

でも、できなかった。

 

 

あの日、翠屋を訪れた理由。

僅かでも良いから『恭也を感じたかった』。

恭也が、裏の仕事で2週間店を明ける事を知った時、居ても立っても居られなかった。

 

それが間違いの元だった。

 

自分と会った事によって、恭也に掛けた封印に綻びが生じてしまった。

 

忍はそう思っていた。

 

 

だけど・・・

 

「月がな…」

 

「え?」

 

「月を見ていると、胸が苦しくなった」

 

恭也は相変らず忍の方を向かずに独り言の様に喋っていた。

しかし、その声は暖かさに溢れているように忍には聞こえた。

 

「誰を見ても、誰に望まれても違うと思ったんだ。

じゃあ、自分は誰を望んでいるのか?

心の奥底に誰かが住み付いているのに、それは明確な記憶になってくれなかった」

 

『………恭…也…?』

 

「始めは朧げだった。

夢に見たりはしたが…朝にはほとんど忘れてしまうくらいに朧な記憶だった」

 

「…恭……也…」

 

忍は恭也とそっと呟いた。

別れの夜から1年ぶりに呟いたその言葉は、胸の奥にそっと暖めていた大切な宝物のように、何か暖かな気持が広がっていった。

 

「時に朧げに時に鮮やかに・・・、

まるで月のようにお前の記憶が頭をめぐって…

始めはなんの記憶かわからないままに、ただ胸を掻き毟るような痛みがこの胸に広がっていくだけだった」

 

「恭也…奮えてるの?」

 

恭也の体が小刻みに震えている気がする。

一歩近づいて、確かめようとする忍に

 

「近づくな!!」

 

激しい拒絶の言葉。

伸ばした指先を、辛そうに忍は引き戻した。

いや、引き伸ばそうとした。

しかし、まるで指が、腕が、それを拒否するように恭也に向かって行ってしまう。

恭也の今までの独白があまりにも暖かくて、そして優しかったから、思わず昔に戻れた気がしたからかもしれない。

 

「ある晩、この傷がついた日のことが夢に出てきた」

 

恭也はその傷がどの傷だか、言葉にしない。

忍もまた説明を必要とはしなかった。

 

その傷とは恭也にとっては『勲章』

忍を守れた事を証明してくれる傷だったから・・・

 

しかし、忍にとっては……

 

「この傷が俺に少しづつ記憶を与えてくれていた。

そして、少しづつ取り戻していくお前の記憶に俺は戸惑った。

・・・そんな時だったんだ。忍が翠屋に来たのは」

 

忍は息を飲んだ。

自分が掛けた記憶の封印は柔な物では無い。

本来は有り得ないことなのだ。

夢に見ることすらも…。

万が一夢で見たとしても、その記憶は深層心理の奥深くに留まり、決して表面には出てこない。

 

 

それなのに・・・

 

それなのに恭也は…

 

「思い出してくれたの…私のことを・・・

もう二度と、思い出せないくらいに深く堅く閉じたんだよ、私の記憶は…」

 

忍の声は、震えていた。

その瞳から溢れる涙で恭也の背中が滲んで見える。

 

「……忘れ…られる…わけがない…だろう…」

 

恭也の声も震えていた。

 

「俺が!!

お前の事を忘れるわけがないじゃないか!!!」

 

「恭也…泣いてるの?」

 

忍は再び恭也に近づこうと一歩前に出た。

 

「近づくな!!!

頼むから…近づかないでくれ…」

 

先ほどと同じ言葉。

しかし今度は忍は止まらなかった。

躊躇もしなかった。

真直ぐ、恭也の背中に手を伸ばし……そして、抱きしめた、後から。

 

忍の手に暖かい雫がこぼれる。

 

ポタ・・・ポタ・・・ポタ・・・

 

「ありがとう恭也…。

泣いてしまうほどに・・・貴方が泣いてしまうほどに私を想ってくれていた事が嬉しい…」

 

恭也は、肩を震わせて呟いた。

 

「俺の体にはお前の血が半分流れているから…。

あの『誓いの夜』から、俺にとってお前は『生涯を供に歩む者』だから」

 

『ありがとう恭也…』

 

恭也の言葉は、恭也に出会うまでほとんどの人を拒絶して生きてきた忍にとって、ずっと夢見てきた言葉だった。

 

『誰かに供に歩む事を望まれたい』

 

本当は心の奥でずっとそう願っていた。

でも、それを諦めていた、自分は『ひと』とは違うから・・・

 

忍は涙を流した。

 

「ありがとう、恭也。

私なんかをそんなふうに想ってくれて…」

 

そうやって何度も何度も呟きながら涙を流し続けた。

恭也の背中をキュッと抱きしめて、その広い背中に顔を埋めて何度も何度も・・・

 

 

 

落ち着いた二人は、元のベンチに戻り並んで座っていた。

言葉はなかった。

恭也は空の月を眺めながら、横に居る少女の事に想いを馳せた。

 

「ここだったよね…全ての始まりは…」

 

忍もまた空の月を眺めながら、誰にでもなくポツリと呟いた。

 

そう、このベンチから二人は始まったのだ。

階段から、落ちてきた忍に恭也が下敷きにされて…

 

「あの時、恭也ったら人のこと『月城さんだっけ?』なんて・・・

失礼よね。ずっと同じクラスだったのに…」

 

そう昨年の4月に会った時は恭也にとって、忍はその程度の存在でしかなかったのだ。

 

それが、今は…記憶を消されても…、例え何があっても…離れ難い女性(ひと)

生涯を供に歩むべき女性になっている

 

相変らず空を見上げる忍は、月の光りを前身に纏い、例えようがなく美しかった。

 

「私ね、恭也が私のタメに傷ついていくのが辛かったの」

 

突然、忍が恭也を真直ぐ見詰めながら話始めた。

 

「恭也は私を守るために自分の身を危険に曝して、時には盾の様に私を庇ってくれたけど…」

 

忍の指がいつかの『勲章』に伸びる。

 

「恭也はその傷を勲章と言ったけど・・・

愛しい人が自分が原因で傷ついていくのは・・・私には辛すぎたの…」

 

そう、恭也にとって『勲章』であるその傷は、忍にとっては『罪の証』

この世でたった一人、自分の傍に居る事を望んでくれた男性(ひと)が、傷を負うのは自分のせいだと攻めたてる、沈黙の刃だったのだ。

 

「私は、私のために恭也が傷ついていくのを見たくなかったの。

だから……・私から解放してあげようと思って……・」

 

「記憶を消したのか…?」

 

恭也の言葉に忍がコクンと頷いた。

 

 

恭也も忍も再び空を仰いだ。

 

互いを強く想うエゴとエゴが今回のことを引き起こした。

強すぎる想い、ひたむき過ぎる愛情、それこそが互いを縛る無形の鎖となったのだ。

 

忍が恭也を見つめる真直ぐな瞳は、恭也にどうしてもこのベンチで先刻語らったもう一人の『しのぶ』を思い起こさせた。

 

「思えば俺達は、さっきの彼女の様に…

真直ぐにお互いを見つめて気持を伝え合うなんて事は無かったな…忍…」

 

恭也は、傍らの忍にそう言葉を投げかけ、そのまま強く忍を抱きしめた。

 

 

 

 

互いを強く想い合った

 

Feel for you ,under the moon

 

深すぎる想い、それ故に二人に別れをもたらせた

 

Lost for you ,under the moon

 

それでも互いを強く激しく求め続けた、他の誰かなんて有り得なかった。

 

Cry for the moon 

 

そして、再び忍は恭也の横で微笑んでいる、

 

月の光を全身に浴びて

 

さながら月の女神のように…

 

she is MissMoonlight

 

 


 

「よかったわね、忍」

 

二人の様子を物影から眺めて涙を見せるさくら。

 

「私は・・・駄目だったから、貴女達はきっと幸せになって欲しかったの。

いくらか、お節介もしちゃったけど、貴女と恭也君なら・・・種族も時間も超えられるって信じさせて」

 

失った過去と、途切れてしまった未来

 

それを二人に重ねて涙を見せるさくら…

 

「先輩…あの時に私にもあの子達ほどに勇気があれば…」

 

そしてさくらは一人静かにこの場所を離れた。

 

月下に残されたのは銀色の光りを浴びて抱き合う、二人の恋人たちだけ………