天空には真円を描く満月。
月の光を受け、青く青く輝く草原の中で一人空を見上げる。

背まで届く金糸のような金色の髪、白く透き通るような肌。
身にまとうのは、上質な絹で織られた白いドレス。

美しい、その言葉すら陳腐に思えるほどに美しい彼女は、ただ静かに空を、煌々と輝く白い月を仰ぎ見ていた。
まるで故郷を懐かしむように・・・・・・






どれくらいの時をそうしていただろうか。
相変わらず僅かな感情も感じさせない瞳のまま、そうして彼女は佇んでいた。
時折吹き抜ける一陣の風が、緑の海原を波立たせる。
それにあわせ、金色の髪もサラサラと音を発てて風に舞っていた。



一層強い風が、髪と白いドレスの裾をはためかせた。

「好い月夜だね」

風に身を任せていた彼女の表情には、僅かな変化すら現れない。

「隣に座ってもいいかな?」

月を仰ぎ見ていた紅い瞳の端に、一人の少年が映る。
彼女の返答も待たずに草原に座り込み、空を見上げている。

「好い月夜だね」

誰に聞かせるともなく呟くと、そのまま一言も喋ることなく、ただ空を眺めていた。
彼女もまた、その後も奇妙な闖入者に視線を払うこともなく月を眺めていた。

やがて、空が白み始めたころ、「じゃあね」とだけ呟き、少年は何処かに消えていった。
それでも、彼女は返事もせず、いや一瞥もすることもなく、ただじっと沈み行く月を眺めていた。


Kinder von Mondlicht

Prolog

Geschichte von Nacht


次の満月の夜も、その次の満月の夜も彼女はそこで月を見上げていた。
前の満月の夜も、その前の満月の夜もそうだったように。

彼女には些かの変化もない、変わったのは彼女を取り巻く世界の方だった。


「やあ」


少年が今日もこうしてやって来ては、もはや定位置になったとでも言うのだろうか、一言の断りも遠慮も無く、佇む彼女の横に腰を下ろした。

そして、いつものように一言も発さずに月を眺め、空が白むのを合図に少年は立ち上がる。
変わらない一日、変わらない月夜、変わらない彼女、変わらない表情。






のはずだった・・・。






「またね」



いつもと違う言葉。
別れを告げる「じゃあね」ではなく、再会を誓う「またね」という言葉。
その言葉に、彼女は僅かに表情を変えた。

少年に深い考えがあったわけではない。
実際、それは「何となく」の一言で片付けられるような、小さな変化だ。
そして、彼女の顔に浮かんだのも僅かな、本当に僅かな困惑という名の表情。
月から眼を逸らし、歩み去る少年の背中を追う、少年の黒髪が風に揺れた。
振り返った少年の蒼い、澄んだ瞳が彼女の紅い瞳と重なる。
少年の髪の、そして瞳の色を、彼女は初めて識ったのだ、今まで彼女は少年を識らなかった。
彼の存在は、草や虫と同じ、ただそこにあるだけの物、彼女にはまったく関係も興味もないものだった。

少年は笑顔で再び呟いた。

「またね」

彼女の美しい顔に、再び僅かな変化が現れる。
その小さな小さな変化は、しかし昼夜が入れ替わるほどの大きな変化だった。

彼女は常に変わらない表情で月下に佇んでいたのだ。
前の晩も、その前の晩も、そのまた前の晩もずっとずっと・・・・・・。



「また」とは、再会の誓い。
彼女は誰かに再会を望まれ、それを約束をしたことなど、ただの一度も無かった。

彼女は、考えた。
何故、彼が自分と再会を望んだのかを。
考えてもわからない、そもそも他者について考えるという事すら彼女には珍しいことだった。
考えてもわからない、わからないけれど彼女は考え続けた。
細波のような僅かな、でも確かな変化が彼女の中に訪れていた。



次の満月も、その次の満月も少年はやってきた。
満月の夜を迎えるたびに、いや、少年と出会うたびに彼女の変化は大きくなっていく。






















こうして、幾度もの満月の夜が過ぎ去った。






















「名前を教えてくれないか」


そんな言葉を切り出したのは、いつかの少年だった。


「何故?」


僅かに、注意深く見なければわからないほど僅かに、彼女は表情を変えると小さな声で呟いた。
それは、恐らく日頃彼女の周りに居る者にとっては驚きだろう。
彼女が喋ることはめったにない。
誰かが彼女に話しかけること自体、まずないことだからだ。


「だっておかしいだろう」


不思議そうな彼女の表情、いや、それは表情というには微かな変化だった。
しかし、彼にはその表情がわかる。
いや、彼以外にはわからないと言った方が正確だろうか。


「俺の名前は……」


強い風が彼の言葉を掻き消す。
微かに聞こえたその名前を、彼女は心に刻むように小さく呟いた。
なぜか、胸によくわからない感情が去来する。


「ブリュンスタッド」


瞳と瞳が合う。
瞬間、彼は瞳を、いや心までも奪われた。
自らの名前を告げる彼女の顔に刻まれた表情。
風に靡く金色の髪、月の光を受け、透き通るように美しい微笑。


彼は立ち上がった。


初めて出会った、あの夜に見上げた紅い瞳。
彼女の瞳は、今やわずかに彼の瞳より低い位置にあった。















変わらない草原、変わらない月夜。
そして、変わらない彼女。
何も変わらない、変化のない閉じた世界。






ただひとつ変わったこと。














それは……
































いつかの少年は、すでに少年ではなく、青年と呼ばれる年齢になっていた。




























彼女は自分よりも高い位置にある青い瞳の中で小さく微笑んでいた。



彼の指が、そっと彼女の長い髪を梳く。



不思議そうに、でも少しくすぐったそうにする彼の眼の前の彼女。



ゆっくりと近づく彼の青い瞳、やがて静かに閉じられた。



熱い吐息、触れた唇。































真円を描き、煌々と輝く白い月。
月光を受け、小波のように風に揺れる緑の海原。













ゆっくりと彼女から離れ歩み去る青年。
耳元で囁かれた「また・・・な」という呟きがゆっくりと胸に広がる。








変わらない世界、変わり始めた彼女。



次の月夜もその次の月夜も、月が真円を描くたびに、彼は草原で待つ彼女の元に通い続けた。
































そんな変わらない月夜の物語。


魔術師の戯言

えー、大変お久しぶりです。
お久しぶりなのに、他作品待っている人もいるのに、連載止まってる作品もいっぱいあるのに私は何をやってるんでしょう?
しかも、とうとう手を出してしまったクロスオーバー。
前途多難です。
まあ、ぼちぼち更新していくつもりです。無論他作もね。

まずは、忙しい社会人一年生にもかかわらずサイトを復活できたのを喜びたいなぁ〜と思ったり。