Kinder von Mondlicht

Eine Nacht

Vertrag von Blut


空には輝く白い月。
月光に照らされたテラスで、少女は空を見上げていた。
月明かりに照らされたその容姿は、間違いなく多くの異性の目を釘付けにするものだった。

「それで、その後二人はどうなったんだ?」

すぐ傍の椅子に座った少年が、少女に話しかける。

「決まってるじゃない、もちろん二人で幸せに暮らしたのよ」

月から視線を転じ、少年に笑いかけながら少女は答えた。
その笑顔に、思わず頬が熱くなるのを感じ、少年は慌てて空を見上げた。

「忍、恭也君に嘘を教えないの」

恭也の向かいに座る美しい女性の言葉に、忍と呼ばれた少女がペロッと舌を出す。

「嘘なんですか、さくらさん?」

「正確にはね、そのお伽噺には、その後についての話は何もないのよ。
ただね、それじゃあ何だか寂しいでしょ、だからどんどん物語に尾ひれがついていったの。」

「良いじゃない、私は絶対ハッピーエンドだって信じてるんだから」

何だか途端に子供じみた表情になる忍に、さくらが微笑を向ける。

「忍は昔からこの話が好きだったものね」

笑いを含んだ視線を恭也に向ける。

「さくら、ひどいよぉ〜笑うことないじゃない」

「何だ、忍にもずいぶんと可愛いところもあったんだな」

「何よ〜!恭也まで!!もう、こんな話しなきゃ良かった」

口では怒った振りをしているが、忍もずいぶんと楽しそうに笑っている。

そんな忍を見てさくらも自然に笑みになる。

「どうかしましたか、さくらさん?」

不思議そうな恭也に何でもないと表情で伝える。
寡黙で無骨で無愛想だが、恭也は他人のことを思いやれる優しい男だとさくらも実感する。
もっとも、自分に対する好意には、ひどく鈍感であるところは玉に瑕だが。

今こうして居られることが、些細な偶然の積み重ねと、大きな勇気と決意の結果であることを、ここに居る誰もが知っていた。
目の前で幸せそうに微笑む月村忍と、その叔母である綺堂桜。
彼女たちには秘密があった。



『夜の一族』



彼女たちは自らをそう呼称する、人間とは一線を画す存在。
それ故に彼女たちの祖先は、かつて大陸で迫害され、虐げられ、謂れの無い痛苦を味わった。
一族の多くは無残にも倒れ、僅かな生き残りだけが、やがて東の果ての島国に逃げ延びて、一族だけを頼りにひっそりと寄り添って生きていた。
無論、さくらたちには迫害された経験はない、しかし、苦い記憶はその身に流れる血液に刻まれていた。
だからこそ彼女たちもまた、正体を隠し、出来るだけ他者と交わらないように、静かに、そして孤独に生きてきたのだ。

自分達の正体を伝える事は禁忌。
どれだけ繕っても自分達は人間とは違う。
ならば、誰にも心を開くことはできない。
誰も本当の自分達を受け止めてくれはしないのだから。



しかし、この海鳴の町で、さくらは奇跡的に優しい人たちと出会った。
彼女の正体を知っても離れていかない、変わらずに接してくれる友人たち。
かわいい姪である忍にも、そんな経験をして欲しい、その一心で自分と同じ風芽丘学園を薦めたのだ。

そして彼女はそこで恭也に出会った。

名前すらうろ覚えのクラスメートだった二人、それが妙に馬が合ったのか、アクシデントのような出会いから親しく付き合うようになっていった。
そして、月村家の財産分配が元で起こったある事件、腕に覚えのある恭也は、忍のボディガードを勤める中で彼女が人でない事を知ってしまった。




秘密の共有。
それは、血の契約とも言える、夜の一族にとっては究極の選択を突きつける事を意味する。



それが友情でも愛情でも良い、共に永久を過ごすか・・・
何もかも忘れる、それは彼女との想い出すらもすべてを消し去る忘却か・・・




過ごした時間は僅かな期間、しかし、その時間を忘れ去るのは耐え難く、そして、忍を失うこともまた耐え難いことだった。
彼女が人ではない、そんな事は少しも気にならなかった。

日頃の明るい彼女には似つかわしくなく、目の前で儚げに微笑む忍。
この選択の如何によっては、恭也は永遠に彼女を失うだけではない、彼女の繊細な心をもガラスのように粉々に打ち砕くだろう。
答えを待つ忍の身体は細かく震えていた。
本当は耳を塞ぎ、目を閉じたいぐらい怯えているのだろう。
私を忘れないで、離さないで。そう叫び、泣きつきたいに違いない。

にもかかわらず、儚く微笑む彼女の心情は推して余りある。


恭也の唇が何かを紡ぐ様に動いた。
それだけのことで、忍の心は砂のように崩れてしまいそうになる。

恭也を信じている。
恭也を愛している。

死の あぎと が二人を別つその日まで共に在りたい。

そう強く願ったからこそ、彼女は彼に全てを話したのだ。

しかし、その思いはもしかしたら一方通行なのかもしれない。
愛しているのは彼女だけで、彼は彼女を友人としか見ていないかもしれない。
・・・・・・・・・それでも良かった


『永遠』

その選択の起因が、愛情じゃなくてもいい。
友情でも同情でも憐憫でも、例え性欲であったとしても、彼女は恭也と在りたかった。

















永遠とも思える数秒間。
























突き付けられた選択を前に、息を呑んだ。
それは逡巡ではなく、純粋な驚き。
月の光を背にした、目の前の少女の初めて見せた表情。
息を呑むほどに美しく微笑みは、今にも消えてしまいそうなほど儚く、僅かでも言葉を発したら、その瞬間に月光と共に消えてしまいそうに思えた。



恭也の指先が静かに、忍の髪に触れる。
ビクリと、身体を大きく震わして、迫りくる答えを前に身を硬くする忍。
背中に腕を回し、力強く抱きしめた。
彼女がどこかに消えてしまわないように。
彼女の震えが止まるように。

忍のきらきらと輝く双眸から涙が溢れる。
腕に回された確かな感触から、彼の気持ちが伝わった。

家族にまで鈍感と揶揄される程に色恋に疎い恭也だったが、この時ばかりは感じることができた。
目の前の少女の涙が喜びの涙であることを。
そして、それほどまでに彼女が自分を想っていてくれていることを。


「恭也・・・。ありがとう、私を、私なんかと居ることを選んでくれて。
恭也が選んでくれた理由が、一時の同情だとしても私は・・・」

その言葉を遮る様に、胸の中の少女の唇を自らの唇で塞ぐ。

「馬鹿者」

初めから恭也には選択の余地など無かったのだ。

深夜に呼び出され、片腕を失い青白い顔をした忍を見た時痛感していた。
高町恭也にとって、彼女がどれだけ大切な存在であるのかを。
だから、『血を提供しろ』というノエルの意味不明な言葉にも何も言わず従った。
奇跡でも魔術でも悪魔でも・・・忍を助けてくれるのなら、そのためになら、自らの血液の全てだろうと提供しようと思った。

数刻後、再び目を覚ました彼女の腕が元通りになっていた。
そして、彼女が自らを人ではないと、夜の一族と呼ばれる人とは違う生命体だと告白した。

その秘密を共有すること。

それが、彼女と共に在るために必要ならば、そんな事は考えるまでも無かった。
人だとか、夜の一族だとか、そんな事は何でもない。











・・・・・・高町恭也が惹かれたのは、他の誰でもない、『月村忍』その人だったのだから。















それから、二人はいくつかの季節を共に過ごした。



その間に、いろいろなことがあった。

忍にとって大切な存在、自動人形のノエルが、その身と引き換えに忍と恭也を守ってくれたこと。
今は、ただ静かに彼女が再び目覚めるその日を待っていた。
彼女が守ろうとした少女を、その幸せを、笑顔を守ると自らの腕を鍛えながら。


























「ところで忍、貴女、急にどうかしたの、夜の一族の御伽話をするなんて」

「なんとなく、かな」

忍は、月を仰ぎ見たまま応えた。
月明かりの下、長い髪を靡かせて満月を仰ぎ見る忍。
その姿は、たった今聞いた、彼女達に伝わる御伽噺の少女を思わせる。

恭也は何となく忍の意図がわかった。

二人が血の契約を果たした夜、こんな黄金の月が二人を見守っていた。
永久に離れない、変わらずに想い続ける、不変の誓い。

かつて、誰にも心を開かなかった自分を女に、そして変わらずに少女の下に通い続ける男の姿に恭也を重ねていたのだろう。

「なんとなく、ね」

それをさくらも察したのか、優しく、でも心なしかからかうような悪戯っぽい表情を見せる。
好きな御伽話に自らを重ねる、子供のような忍の純粋さが、さくらには少し羨ましくもあった。



「じゃあ、私は今日は帰るわね。
くれぐれもさっき言った事忘れないでね」

微笑を引き締め、真剣な顔になる。

「人前では血を吸うな、でしょ。わかってるよ。
もともと人前で吸う事なんかないし」

「違うわ。例え人気がない場所でもしばらくは止めなさい」

「ええ〜!!」

素っ頓狂な声を出す忍を、さくらは真剣な眼で見竦めた。

「何かあったんですか」

さくらの様子に恭也が真剣な瞳で応じる。
忍の周りに何かが起こっているなら自分が守る。
そんな決意が瞳には現れていた。

「何かあったわけじゃないの・・・。むしろ何も無いから気になって・・・」

「何も無いから?」

「ここ最近、時々ほんの僅かな気配や視線を感じることがあって」

「でも、何にも無いんでしょ?さくらの気のせいじゃないの。」

「それにしては、回数が多過ぎるのよ。
気のせいだとは思うけど、少し注意した方が良いと思うの」

気のせいだと思うけど。
そう繰り返しながらさくらは帰っていった。
特異な力を持つ夜の一族の中でも、さくらは特に特異な存在だった。
気配を察する能力に関しては、恐らく超一流の剣士である恭也すら凌駕しているはずだ。

そのさくらですら、ほとんど感知できない相手。
もし、それが気のせいで無いとしたら、相手は只者であるはずが無い。

服に隠した小太刀を、無意識に強く握った。
「忍を守る」
ただ敵を討つためだけに積み重ねられてきた技術。
それが、自分が学ぶ剣術の本質。
極めた先に何かを見出す「剣道」とは、本質を異にするその技術で、誰かを守るというのは甘い夢想だろうか。
そうかもしれない。
それでも思い出さずには居られない。
矛盾だと、偽善だと知りながら、なお、その夢想を追い続けた、御神の誰よりも強かった父、士郎の姿を。


「恭也?」

真剣な顔で佇む恭也を、案ずるように覗き込む忍。

「俺が、お前を守ってみせる」

照れくさいのか返答をせず、傍らの恭也に寄りかかり、そのまま風に身を任した。
長い睫毛が風に揺れている。
空には真円を描く白銀の月。
恭也も忍の細い肩を抱き、眼を閉じて物語に思いを馳せる。







どれくらい、そうして風に吹かれていただろうか。
忍が、キュッと恭也の身体を引っ張る。

「寒いのか?」

長い間風に吹かれていたせいか、触れ合う忍の身体は冷たくなっていた。
その身体を温めるように忍を包み込んだ。

「恭也、あったかいね」

「忍もあったかいぞ」

そのまましばし無言で、お互いの温もりだけを感じていた。

「なあ、忍」

視線だけを恭也に向けた。

「俺は、満月の夜以外にもお前の傍に居るから」

きょとんとした表情。
しかし、自分の言葉に照れたのか、真っ赤になっている恭也の顔を見て、思わず笑ってしまった。

「む、笑うことはないだろう」

「ごめんごめん」

笑いながら謝る忍に、恭也もいつもの仏頂面に戻る。

「恭也」

まだ少し不機嫌なのか、返事はせず、顔だけを忍に向けなおす。

「ありがとう」

その微笑みは、いつかの儚げなものとは違い、まるで向日葵のように力強く明るい笑みだった。

「ハッピーエンドで終わらなきゃならないからな」

「うん!!」




二人の視線が重なる。



忍の腕が恭也の首に回され、静かに瞳を閉じた。



恭也も応じるように瞳を閉じる。




「恭也・・・」





艶やかな声に、柔らかい感触を期待する。












「いただきます♪」

「は?」


疑問の声よりも早く、首筋に軽い痛み、開いた瞳にはコクッコクッと嚥下する白い首筋が視界の端で踊る。


「ふ〜、ご馳走様」


ペロっと首筋をなめ、いつものように痕を癒す。
キスを期待し、それを肩透かしくった自分に対してか、忠告も忘れて血を吸っている忍に対してか、恐らくはその両方だろうが、恭也は盛大に溜息をついた。





そんな二人に、心なしか月も呆れたかのように、雲間に姿を隠してしまった。














月明かりなど届かない、ネオンと喧騒に溢れた繁華街。
そこに似つかわしくない少女が一人ポツンと立っていた。
青い髪、青い瞳、そして、夜の闇に紛れるような黒い服は、ネオンの洪水のような繁華街では却って目立つ。
さらに、少女はこのネオン街に居る他のどの女性よりもはるかに美人だった。
にもかかわらず誰も彼女に声をかけようとしない。
目の前では、何人もの男が、彼女より数段劣る女性に声をかけているにもかかわらず、だ。


誰も彼女に注意を払うものも居ない。
・・・まるで、彼女がそこに居ないかのように・・・


魔術師の戯言

早くも1話目完成。
できるだけとらハが知らない人が呼んでもわかるように書いているつもりです。
でも、知らない人が果たして読むんだろうか?と、ちょっと疑問。
まだ、月姫ととらハのキャラがなかなか掛け合いませんね。
まあ、序盤だし仕方ないのかな。