「古来よりこのような言葉がある……押してダメなら引いてみろ、とな」
そう男は言った。
言われたまた別の男が、目で先を促す。
「攻めてばかりでは相手は防御を固めるだけだろう。時には退くも勇なり、だ」
「……なるほど、何て含蓄のある言葉だ。今ほどお前を頼りに思ったことはないぞ」
「ふっ、悩める友よ、俺はいつでもお前の味方だ」
握手を交わす彼らの友情は厚く、
夏の終わりを感じさせない暑さの中、
胸に灯る情熱の炎は静かだがさらに熱い。
折りしも土用の丑の日――燃える夜が始まろうとしていた。
<Triangle Heart Another Story>
Saturday? Night Fever
「ふぅ……」
知らず、溜息が漏れた。
色で言うと桃色だ。
憂いの表情に落ちるまつげが儚げだったり切なげだったりする、夏の夜。
夏はもうすぐ終わると言うのに、相変わらず暑い日だった。
太陽が沈もうが、そんなのお構いなしで上ったままの温度計。
クーラーはがーがー、風鈴はりんりん――だけど実のところ、ボクにはそんなの聞こえちゃいなかった。
つい先月の出来事だ。
ボクは毛布に包まりながら告白の練習を繰り返した。
朝が来るまで一人二役のアイラブユー。
上達度は声が遅れて聞こえてくるぐらい。
夜を徹してのシミュレーションとファッションショー。
そうして臨んだ決戦の日……告白されたのはボクの方だった。
あの日の愛と勇気とスペクタクルでファンタジーなドラマは、きっとハンカチなしでは語れない。
まぁ、誰にも語る気はないんだけど。
あれからボクらは、どうにもおかしな関係になってしまった。
牽制しあい、隙あらば攻撃を仕掛ける。
お互いに自分の魅力を駆使して相手を手に入れる。
どちらが相手をダメにしてイニシアティブを手に入れるか――これはそういうゲームだ。
また溜息が唇をすり抜けていく。
沈みぎみな気持ちは多分、アイツのせいだ。
そうアイツ、高町恭也と名乗る、このゲームの対戦相手。
実はこのゲーム、ボクは劣勢に立たされてる。
勢いで勝負を挑んだものの、初めから不利な勝負だった。
だって、先に好きになったのはボクの方なんだから。
だいたい恭也にしても、まさかあんな奴だったなんて思いもしなかった。
天才なんだか天然なんだか、ここぞと言うシーンで恥ずかしいセリフをさらっと言ってしまうのだ。
その度に嬉しくて死んでしまいそうになる。
もうどうにでもしてくれ――て、軽く壊れてしまうのだ。
ボクらのこのゲームはまだ続いてる。
初めからコテンパンなボクが、それでも素直になれなかったから。
ボクがこんなにお子様だったなんて、それこそ思いもしなかった。
慌てて入り口を間違えてしまって、それで出口につけないでいるのかもしれない。
クールでカッコいい大人の女のつもりだったけど、これなら恭也の方がよっぽど大人だ。
「もしかして、いいかげん愛想が尽きたとかだったらどうしよう……」
何度目か数えてないけど、また溜息が漏れた。
そう、憂鬱の種はもちろん恭也。
あのハンサムボーイの、昼間の態度が原因だった。
◇ ◇ ◇
「よぅぼーず、ちょっと小耳に挟んだんだけどよー……」
夕食を食べ終わり暫くして、真雪がそう話しかけてきた。
リビングでぼんやりとTVを見ていたボクは、とてつもない悪寒に襲われた。
振り向くと目はいつもより細くて、口元は片側だけ釣りあがってて――
間違いなく、ロクでもないことを考えてる顔だった。
「あの高町さんちの少年が、誰かさんに告ったんだって?」
「……ほわっつ?」
身構えてたつもりだけど、役に立たなかった。
何だかおかしな言葉を聞いた気がする。
全身の細胞は気のせいだって言ってる。
オーケー、まずは落ち着こう。
大きく息を吸って、大きく息を吐く。
ワンツーワンツー。
「ヘイ、真雪、ボクの聞き間違えかな? 恭也が子供を食ったって?」
「あぁ、そりゃ確かに聞き間違えだ」
「ふぅ、よかった。恭也にカニバリズムの趣味があったら流石にボクも引くよ」
ほっと胸を撫で下ろす。
そんなボクの様子を見て、真雪は息がかかるくらい耳元に口を近づけた。
「こ、く、は、く、って言ったんだよ」
…………オーケー、まず落ち着こう。
大きく息を吸って、大きく息を吐く。
ワンツーワンツー。
「あはは、誰だろうなぁ、あの朴念仁を仕留めた奴ってのは」
Cool、Cool、Cool……ムリ。
「はぁ!? 何それ!?」
「だから言葉どおりだろーが」
「ハッ、そうかっ、他に好きな女ができたから、それでボクにはもう興味がないって……」
「へ? あぁいや、だから告られたのはお前じゃ……いや、これはこれで面白いな」
真雪が何か言ってるけど、もう聞こえちゃいなかった。
思い当たるところならある。
だから今日、恭也の態度があんなに余所余所しかったのか、と。
血の気が引いた。
一生追いかけてくれるって言ったけど、人の感情は変わるものだから。
変わること自体は悪いことじゃない。
昔のボクは今のボクに変わることができた。
だけど、恭也に会って、好きだって言われて、それが変わることが恐くなった。
一歩踏み出せないでいたボクに、恭也は呆れてしまったのかもしれない。
「リスティ……」
落ち込むボクの肩に、静かに手が触れた。
珍しく名前で呼びかける真雪の顔は、とても優しかった。
「辛いだろう? 悲しいだろう? お前は捨てられたんだもんな……」
「う゛っ……」
泣きたくなった。
いや、もう目元は涙がにじんでたかもしれない。
「だから、お前には復讐する権利がある。女心を踏みにじったあの少年を、好きなようにしていいんだ」
「ふく…しゅう……?」
「あぁ、お前の力で奴を懲らしめてやればいい。……そうだ、お前は正義だ! 天罰だ! 立ち上がれっ、お前の力はそのためにこそあるんだ!!」
心が晴れていくようだった。
目からウロコだ。
師匠と呼んでもいい。
ソファーから立ち上がったボクに、もう、迷いはなかった。
「加油! 加油!」
どこぞの言葉を叫ぶ真雪に、ボクは背中の翼を光らせながら言った。
「あのサムライボーイにハラキリさせてやる!!!」
◇ ◇ ◇
「たのもー!」
「あ、リスティさんこんばんわ。今日はどうした――」
「妹っ、邪魔!」
出てきた美由希を押しのけて、高町家に進攻する。
恭也はどこだ。
乙女を弄んだ鬼畜はどこだ。
ふっふっふ、サンダー食らわせてやるぞ、サンダー。
「リ、リスティさん!?」
「うるさい、サンダー食らわせるぞ、サンダー! ビリビリ!」
「うわぁ、リスティさん壊れちゃってるよ……」
呟く美由希を無視して進む。
どこに隠れたってボクにはわかるのだ。
「はっはっは、わるいごはいねがー!!」
リビングのドアを思いきり蹴り飛ばした。
ぽかんと口を開いたまま固まってる中に、目標を発見する。
「サンダーブレイク!!!」
……燃えた。
……そして焦げた。
物言わぬそれに腰掛ける。
座り心地はなかなか悪くない。
ボクは指を顎に置き、足を組んでポーズを取った。
斜め四五度のカメラ目線。
「やあやあ、お嬢さん方、女の敵はこの通りやっつけました。安心して団欒をお楽しみください」
実に清々しい気分だ。
やはり真雪の言うことは正しかったのだ。
尊敬だ、尊敬できる人だ、今度から真雪さまと呼ぼう。
草薙まゆこの作品をコレクションしてサインして貰おう。
清々しさと充実感と、その椅子っぽいものの座り心地を堪能し、うふふと笑う。
そんなボクに、逸早く我を取り戻したらしい桃子が頭を下げた。
申しわけなさそうに言う。
「ごめんなさいね、うちの子が大変な失礼をしたみたいで……」
「はっはっは、かまいませんよ桃子さん。ボクは正義の使者なのです。神の代行者で代弁者なのです。男と言う不貞の輩を斬って捨てるのが使命なのですよ」
そうだ、男なんてダメだ。
これからは女の女による女のための社会なのだ――そんなことを考えていたら、突然桃子がニッコリと笑った。
「いやー、あの子もあれで男の子だから、狼になってしまったのね。責任を持って責任を取らせますよー。あのねあのね、桃子さんってば、三十代でおばあちゃんって呼ばれるのが夢だったのよー」
「…………はぁ?」
「で、式はいつにします?」
その週の週末、土曜日、改めて高町家の夕食に呼ばれた。
桃子がやたらウナギをボクと恭也に進めてきたのは何かのメッセージだろうか。
クーラーはがーがーで風鈴はりんりんだけど、暑い夜。
熱い夜になるかは秘密の話
―― fin ――
■あとがき
どうも、また懲りずにお目を汚しにやって参りました。
ある意味、押してダメなら〜作戦は成功したのでしょう。
本人の意思を無視して進んでいく話が書きたかったのですけど、力不足でオチにしか使えませんでした。
ついでに言うと、私は土用を土曜と勘違いしていた人です。
本当のサタデー・ナイト・フィーバーが起こるかどうかはご想像にお任せいたします。
ちょっとでも面白いと思ってくれたなら、リスティさんに一票入れて上げてくださいませ。