《Identity〜恭也が剣を握る理由》
父、士郎の背中を見て育った。
追い駆けて追い駆けて、遠くなって、そして終に見えなくなって…。
いくら遠くを見ても影も見えない。
恭也は右手に握る八景を強く握り締めた。
「父さん…俺は違う道を選んだのかもしれない…。
だから、もう二度とあなたの背中を追う事は無いかもしれない…。
だけど、後悔はしていない…。
そしてもう迷わない…。
薫さんが笑っていられるように、傍で守っていく事が、俺が剣を握る理由だから…」
「そうだなお前は二度と俺の背中を見る事はできないだろうな」
不意に横から懐かしい声。
優しくて力強い、高町士郎の声だった。
「強くなったな恭也…。剣士としても人間としても…」
嬉しそうに笑う士郎とは対照的に、恭也は哀しそうに顔を曇らせた。
「やはり二度とあなたの背を追いかける事はできませんか?」
いくら覚悟していたとは言え、ずっと追いかけていた目標を、二度と見れなくなった事を、他ならぬ父から宣告されたのはやはり哀しかった。
「当然だろ、恭也…」
今はもういくらか自分よりも高い、息子の頭をクシャクシャと少し強く撫でる。
はじめて『貫』ができたときも、飛針を上手く飛ばせた時もこうして撫でてくれた父。
そう言えば恭也が士郎に御神の剣を習いたいと言った時のことだ。
「恭也、お前ならきっと俺を超えられる…。いつか必ず俺を超えて見せろ。
俺よりも静馬よりも…御神の他の誰よりも強くなれ」
「父さんよりも強く…?僕が…?無理だよそんなの…」
「お前ならきっとなれるよ…。大切な人を全ての哀しみから護れるくらい強くなれるよ。
お前は優しい子だから…。その優しさを無くさない限り、何処までも誰よりも強くなれるよ…」
と言いながら、こうやって髪を撫でてくれたっけ…。
「いいか恭也、お前は俺に追い付いたんだ…。
だから二度と俺の背中は見えないぞ。いくら前を見てもな…」
息子が己に追いついた事を嬉しいと思う父としての心と、追い抜かれたことを悔しいと思わせる剣士としての心が、士郎を複雑な表情にさせた。
「今はまだ俺の横に並んだだけだが、もうすぐお前は俺の前に歩いていく。
だから、きっと二度と背中は見れない。
恭也…ちょっと八景を…」
恭也の右手の八景を受け取り、己の右手に握る。
そして八景を握りながら、すっと恭也に八景を向ける。
「うけとれ…」
恭也は父の言いたい事が解らないが、言われたとうりに八景を受け取った。
「『八景』は、御神の正当伝承者だけが持つことができる『龍燐』の兄弟刀だ。
切れ味も輝きも龍燐に劣らない。
これを代々伝えてきたから、不破は本家と並ぶ力を認められていたのだ」
恭也は、薫との闘いで次々と砕けたほかの小太刀と違い、傷一つ付いていない事に気が付いた。
「そしてお前には、八景に込められた俺の気持ちも受け継いでもらいたい…」
恭也は厳粛な気持ちになった。
これは父が自分を、御神の剣の皆伝者として認めてくれた、そして自分よりも強くなれと、励ましてくれている事が心で理解できたからだ。
「強くなれよ、恭也。俺よりも誰よりも…」
そう言って士郎はどこかへ歩み去ろうとしてそして、何かを思い出したのか急に振り向いて、
「薫さんを大切にしろよ。きちんと紹介してくれ…未来の嫁をさ…」
ニヤッと悪戯っぽく笑う士郎に、顔を赤くした恭也は何も言えずに口をパクパクさせていた。
「じゃあな、恭也」
そう言って今度は立ち止まらずに、どこかへ歩き去ってしまった。
後姿を見送る恭也の眼には、その背中はやはりカッコ良く見えた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
月明かりが眩しい…。
スッと眼を開けると、顔の上には涙を流す薫の姿が…。
「目を…覚ました…の…?」
涙と嗚咽で、途切れ途切れの薫の言葉に、恭也は優しく頷いた。
「良かった…」
そう言うと薫は恭也の頬に優しく手を当てる…そしてその手をそっと引いて…。
パチ〜〜〜〜〜〜ン!!!!
思いっきり引っ叩かれた。
恭也が呆然と薫を見上げると、薫は涙を流しながら恭也を睨み続けた。
「バカ…バカ…バカ……バカだよ君は…」
バカを繰り返す薫に、恭也はそっと口付けをする。
「心配かけちゃったみたいですね…」
「何でウチが自分から無理をして、膝を砕くようなバカの心配せんといかんのじゃ?」
「泣きながら言っても全く説得力がありませんよ…薫」
そう言って十六夜が、恭也の右膝の所から出てきた。
「そうだ…俺は右膝を砕いてしまったんだっけ…」
「その事なら大丈夫です、恭也様。
とりあえず応急処置としてですが、癒しをかけておきましたから。
もちろん胸の傷も治しておきました」
言われて見れば、右膝も胸も麻酔をかけられたかのように、痺れてはいるが痛みは無い。
「ありがとうございます十六夜さん」
「お礼は薫に言ってください。
癒しをかけるために、膨大な霊力を使ってしまって、フラフラになってしまって…。
それなのに恭也様が目覚めるまで、ずっとそうしていたのですよ…」
その言葉に恭也は、初めて自分が頭を乗せているのが薫の膝であった事に気が付いた。
「あああ…、薫さんすいません。どうりで柔らかくて気持ちいいなと…」
混乱している恭也を尻目に、薫は照れて真っ赤になっている。
慌てて頭をどかし、恭也が立ちあがると、薫がポスンと恭也の胸に持たれかかってきた。
「聞かせて欲しい、何のために膝を砕いてまで私と戦ったかを…。
君が膝を砕いて、剣士として死を迎えるまで闘うなんて、剣士の性なんて理由じゃ納得できないな」
「薫さんに勝ちたかったんです。いや、勝たなければならなかったんです」
「膝を砕いて…剣を捨てる事になっても…?」
「はい」
「何故?」
「貴女を守れるだけの強さが…俺にあるのか知りたかったから…。
貴女は本当は優しい人です。
霊を切って祓うことにさえも心を痛めてる。
そんな優しい貴女を、包み込むような包容力で満たせる耕介さんほどに、俺は人として成熟していない。
だから…貴女を取り巻く全ての哀しみや辛い事から、護りぬけるような強さが俺にあるのか知りたかったんです。
だから俺は…貴女より強くありたかった…。
バカですよね?俺って。こんな形でしか、想いを伝えられないんですから…。
ずっと剣ばっかり振るってきたから…こう言う事はからっきしで…」
そう言って少し寂しそうに微笑む恭也を、薫は強く抱きしめた。
「ああ…君は大バカだ…。
ウチは…ウチは君がいてくれるだけで…
剣術バカで不器用かもしれないけど、優しい君がいてくれるだけで…
それだけで哀しみも何も乗り越えていけるのに…」
いつのまにか恭也の胸で薫は泣いていた。
「いつも泣かせてしまうんだな、俺は…。
貴女を笑顔でいさせてあげたいと想ってるのに…」
恭也の朴訥で、文学的でも何でも無い言葉が、それだからこそ余計に薫を感動させた。
「君の傍では安心して涙が見せられるから…。
弱さも脆さも、安心して晒せるから泣くんだよ」
「泣きたいだけ泣いて…また明日会った時には、俺の好きな薫さんの笑顔を見せてくださいね…」
「もういいかげん、ウチの事を薫と呼んでくれると…嬉しい」
「薫…まだ伝えたい事はあるけれど、今はとりあえず一つだけ…
好きだ…」
そう言ってゆっくりと唇を重ねる。
何度も何度も口付けをくり返し抱き合う二人…。
東の空が少しづつ明るくなってきて、朝が近い事を告げていた。
名残惜しそうに最後の口付けを、少しだけ長くそして深く重ねると、二人はそれぞれの帰路につく。
もう…そこには血と剣に迷った哀しき修羅の姿は何処にも無かった…。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
後書き
長かった修羅の邂逅も本編はお仕舞いです。
これは、初めて戦闘シーンを書いた作品でもあるので、今見ると考えさせられる部分があります。
初めてにしては、それなりに納得がいくものが書けたと思った気がします。
あとにも先にも、こんな長い作品書いたのは初めてです。
自分的に、恭也と薫の組み合わせはかなり好きなんで、この続編も結構続きます。
この後『非日常の中の日常』に続きます。
それでは長い作品に付き合って頂いてありがとうございます。
BY 魔術師