キィ――――。

 

闇に堕ちている筈の意識の中に扉の開く音が響き、鳥の囀りが聞こえてくる。

それと共に白みがかる真っ暗な視界。

 現れた人の気配が、後ろから横に移動する。

 

「――――先輩、朝ですよ」

 

その中で聞こえた声は妙に覚えがあって。

 九割以上が眠った頭で、何も理解できていないまま目を開ける。

 最初に目にしたのは自分の足。

 

…………………………?

 

 自分の現状を把握しようと脳の覚醒速度が増す。

 ジャージをはき、胡座をかいた足。

 顔を上げればそこかしこにガラクタと工具。なるほどここは、土蔵の中だ。

 だとすれば、昨夜もここで眠ってしまったというわけか。

 

「起きましたか? 先輩」

 

 状況判断が可能になったところで再びかけられる声。

 その穏やかな、聞いた人になんとも言えない温かさをくれる声の主が頭をよぎり、

 

「ああ、おはよう、桜」

「はい、おはようございます、先輩」

 

 これももういつもどおりに横に座っている後輩に朝の挨拶をした。

 

 

 

「では、先に朝食の用意をしてますね」

「ああ」

 

 俺を起こせば次の仕事だ、と言わんばかりに土蔵を出ていく桜を見送り、立ち上がる。

 ずっと同じ姿勢で寝ていたため、身体のあちこちからぐき、とかごき、とか異様な音がするのも日常茶飯事なので、気にしない。

 

『あーーーーーっ! サクラ、また抜け駆けーーー!』

『早い者勝ちです』

 

 なんて庭で桜とイリヤが言い争うのも日常。うん。

 さあ俺も、今日という一日を始めよう。

 少し動いて固まった身体を解し、土蔵を出る。

 

一抹の寂しさを残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢の続き 〜それは日常から日常へ〜

 

            前編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四月も半ばになり、もう随分と暖かくなっている。朝の陽射しが気持ちよく、このまま日向ぼっこでもして眠りたくなってくる。暑くなく、寒くなく、人が一番快適に過ごせるこの季節。

 こんな陽気に当てられては誰だって眠くて仕方ないだろう。そういう俺もいつもどおりの生活をしているのに、起きたときから眠くて仕方が無い。家を出るまでに何度、欠伸をしたことか。

学生としてはいささか不謹慎かもしれないが――――っていうかいつものことだが、授業中は寝ることに決定した。

眠気に急かされ、足を速める。

 

実は今、俺こと衛宮士郎は登校中なのだ。

 

「それにしても……」

 

途中の街並を見渡せば、二ヶ月前の傷跡など何一つ無くなっている。あの聖杯戦争から、よくもこれだけ修復できたものだと感心してしまう。

 

 

 

 

 

 聖杯戦争。

 七人の魔術師(マスター)と七騎の使い魔(サーヴァント)の間で行われる、聖杯をめぐる戦い。

 

 この冬木町において約二ヶ月前に起こったそれは、町に、そして人に深い傷跡を残した。人工物の倒壊、大量昏睡事件、半分のマスターの死、そして、俺の――――衛宮士郎の心に穿たれた一つの穴。戦争の終結に伴いぽっかりと開いたその穴を埋めていたのは、ただ彼女の存在。未熟ながらもマスターとなった俺のサーヴァントとして、最後まで共に戦った一人の少女騎士。この衛宮士郎が女性として愛した騎士王。

半人前の俺が戦い続けていけたのも、彼女がいたから。

聖杯によって呼び出された彼女は、戦いが終われば消える。それは他のサーヴァントも同じで、充分な魔力供給さえあればその後でも現界していられるらしいが、魔力量の少ない俺には無理な話だった。その上、彼女が自らの意思でもって聖杯を破壊したのなら、もう英霊となることもなく自分の世界に戻ってその生涯を終え、二度と会うことはない。

それでも、それが分かっていても戦い抜き、黄金の朝陽を背にこの世界から消えていった。

 

 

 

『シロウ――――貴方を、愛している』

 

 

 

 最後に、俺にその想いを伝えて。

 

 それからの日々は、平凡な毎日だった。胸に詰まっていた何かが抜け落ちた感じ。それが彼女を失ったことによるものだということは最初から分かっていた事。

 しかし、これまでそれを傷と思うことは一度も無く、そしてこれからも無い。

 傷と思ってしまえば、それは自分と彼女の生きてきた誓いと誇りを傷つけてしまうことだから。

 だから心の穴を認め、彼女との思い出を大切にしていく。

 彼女に恥じる事のないように。

 

 

 

 

 

住宅地の中心にある交差点に差しかかる。

そのちょうど反対方向から、赤い服が歩いてくるのが見えた。既に見慣れたそれを待つ。

 

「おはよう士郎、奇遇ね」

 

 邂逅一番にそんなことを言い放ちやがるこの女、遠坂凛。

 その奇遇が毎日続けば奇遇じゃなくなるっていうのに、遠坂はいつも決まってこう言ってくる。

 

「ああ、おはよう遠坂。ここんところ毎日だけど奇遇だな」

 

 朝のサイクルをわざわざ俺に合わせていることを知っているので深くは突っ込まない。

 四月七日、三年に学年が上がって最初の日から、ここで遠坂と会うようになった。朝に弱い遠坂が何でさ、と聞いてみたところ、それまでより三十分早起きしているとのこと。理由は分からないけれど、俺に会うためらしい。それを聞いたときは、「なんでもいいでしょ、馬鹿!」と打ち切られてしまった。なんでさ。

 

 そして遠坂と一緒に登校する。これも既に衛宮士郎の日常の一コマ。

 道中に交わす会話は、世間話、桜の話、藤ねぇの話、イリヤの話、遠坂の話、俺の話――――ていうか、俺を取り巻く環境について。そして、魔術の話。

 あれから一週間毎日のように続けられた、そしてこれからも続くであろうもう他愛のない話。

 

 いつもならそのまま学校に着いてしまうのだが、今日は違った。

 遠坂が話題を変えてきたのだ。

 

「そういえば、今日はイギリスから留学生が来るんですって」

「え? そうなのか?」

「ええ。学年は一つ下で、今日は最終的な手続きだけで実際には明日かららしいんだけど」

「ふ〜ん……」

 

 イギリス、か。彼女の故郷もイギリス――――いや、当時はブリテンだったか。

 あれから彼女はどうしたのだろう。やはり剣を振り続けた末に、変えようのない運命を受け入れたのか。ならば、せめてその魂だけでも報われて欲しい。そう願う自分がいる。

未練はなくても、ときどきそう彼女に想いを馳せることがある。

 

「――――士郎

 

 

 

一目で心を奪われた。

――――その輝く黄金の髪を。

――――その澄んだ碧眼を。

 

 

「――――士郎

 

 

傷ついて戦う姿ですら、美しいと思った。

――――その手に持つ聖なる剣を。

――――その身に纏う蒼の服と白銀の鎧を。

 

 

「――――士郎」

 

 

そして彼女のこれだけは、何者も汚せない領域だった。

――――その、穢れ無き小さな身に背負う、不釣合いなほどに気高き誓いを。

 

 

 

それを、ほんの僅かも色褪せることなく鮮明に思い浮かべる。

 

 

「――――士郎ってば!」

「おわっ!?」

 

呼ばれて気付く。どうやら、また物思いに耽っていたらしい。

遠坂が、もう、といった表情でこちらを見ている。

 

「――――ああ、どうした遠坂」

「どうした、じゃないでしょ。いい加減その妄想癖直しなさいよ」

「む、妄想なんかじゃないぞ」

「――――へぇ、現実に無いことを想像するのが妄想じゃなければ何なんでしょ」

 

 遠坂が半目になって、口元に何やら笑みが浮かんで――――ってヤバイ、これはあのあかいあくまが目覚める時の顔だ。

 

「――――ふん」

 

 戦略的撤退を開始。歩く速度を少し速め、遠坂の前に出る。ククク、とあくまの笑いを噛み殺した声が聞こえるが無視。さっさと先を行く。

 

「あ、待ちなさいよ」

 

 慌てて後を追ってきても抗議は却下だ。

 と、再び俺の隣に並んだ遠坂は、

 

「――――ねえ、士郎……」

 

それまでとは違った真剣な口調で口を開いた。

 

「……この前はああ言ってたけど、やっぱりアンタ――――」

「――――いや、前に言ったとおりだよ、遠坂。未練なんて無い」

 

 大体の予測がついた俺は、遠坂の言葉を遮って自分の気持ちを再び口にする。

 

 ああ――――そうだ、きっと無い。今の俺に残っているのは、思い出とは呼べないくらい最近の思い出。

 たった二週間あまりの、彼女との思い出。

 

されど、もう過去の思い出。

 

「…………そう」

 

 遠坂はそれきり黙ってしまい、静寂と共に少し沈んだ空気が俺たちを包む。

 聖杯戦争の僅かな期間とはいえ、同じマスターとして協力関係にあった遠坂も彼女を気に入り、自身のサーヴァントを失った後も俺や彼女に色々と尽くしてくれた。だから、遠坂にも何か思うところがあるのだろう。

 

 眠気を誘う陽気も、優しいそよ風も、今この時だけはその効果を発揮できていない。

 しばらく無言のまま歩き、お互い顔を見る事は無かった。

 

 

 

 だからだろうか。

校門を目前にして、あかいあくまが一人何やら考え事をしてニヤリとしていたのに気付かなかったのは。

 

「――――それにしても留学生、可愛い子だといいわね」

「――――なんでさ?」

「女の子って聞いているから。ぽっかりと空いた心の隙間が温もりと人肌を求めてまだ何も知らない転校生に手を出しちゃったり……」

「するか! お前、俺を何だと――――!」

 

振り向けば、そこにはいつもと変わらない笑顔の遠坂凛がいた。

 

「ふふ――――はい、辛気臭いのは終わり。行きましょう」

「――――あ、ああ……」

 

それに毒気を抜かれて怒る気も失せた。

 

――――ああ、そうか。

 

共に校門をくぐる。

 

「じゃあ、私は弓道場に寄っていくから」

「ああ、またな」

 

 手を振りながら遠坂はグラウンドを弓道場に向かって歩いていく。

 

 さっきのは、遠坂なりの激励だったのだ。

 

「……サンキュ、遠坂」

 

 暗くなりかけていた心が引き揚げられ、重くなっていた雰囲気を払拭する。確かに沈んだ気持ちのままいては、一成や美綴あたりにまた気を使わせてしまうだろう。

 

なんだかんだいって、俺のことを気にかけてくれる遠坂凛に今は感謝していた。

 

「さて、一成のところにでも行くか」

 

 ホームルームが始まるまで三十分以上もある。

 

 あちこちで運動部の掛声が響く中、目下の課題である暇つぶしのために俺は校舎へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 校門で士郎と別れ、弓道場に向かう。

弓道部主将の美綴綾子とは親友と書いてライバルと呼ぶ関係で、たまにおしゃべりをしにここに行く。

 専らの目的は違うところにあるけど。

 

 ま、今日も士郎を元気付けることはできた。まずはそれで良し。

 

 

 

聖杯戦争が終わった頃の士郎は、それはもう酷かった。怪我をしているとか、身だしなみがきちんとしてないとかじゃなく、その存在そのものが。

希薄すぎたのだ。人はこうもなれるものなのか、と疑問を感じた程に。少しなりとも彼を知っている人にとってそれはすぐに分かったらしく、綾子や不快ながらも柳洞君にまでそのことを聞かれた。表面上は上手く取り繕っていても、どこか危なげで、どこか儚げで。ちょっとでも目を離してしまったら、次の瞬間にはいなくなってしまうのではないか。そんな幻想すら、抱きそうになった。

 生きる気力を無くした、とでもいうのか。とにかく危うかった。

 せっかく聖杯戦争を生き抜いたのに、ほんの些細な事であっけなくいなくなられては彼女に申し訳がたたないし、私だって――――いや、私たちだって黙ってはいない。

 だから毎日、激励し続けたのだ。早く立ち直って一緒に日常を過ごしていこう、って。桜には桜の、イリヤにはイリヤの、藤村先生には藤村先生の、それぞれのやりかたがあるけれど私にとってのそれは、唯、からかってあげる事。

士郎いじりが楽しいっていうのもあるけれど、私が士郎をからかう一番の理由は、不覚にもこの朴念仁に惚れてしまった私の、精一杯の愛情表現。

素直になれない自分の性格を時折恨めしく思うけど、衛宮士郎の心にはもう他の誰も入る事はできない。それは、おそらく一番長く士郎と接してきた藤村先生だって例外じゃない。

 その心の隙間に入り込もうとする、彼女以外の全てが拒絶されるだろう。

 

 アイツの心には、すでに唯一振りの剣が存在しているから。それは、決して折れる事の無い、気高き黄金の聖剣。

 

 士郎は彼女の鞘だった。彼女が戦う剣。士郎が戦いを終えた剣が帰って来る場所()。あるべくして寄り添った(マスター)奴隷(サーヴァント)。アイツの性格のせいも多分にあっただろうが、主従関係を超えた互いの立ち位置。不器用ではあったが、それでも微笑ましくもあった。そしてそれ故の、なんともいえないぎこちなさ。

 

 さすがに同衾してやがったときは驚き、彼女に嫉妬したけど、二人が幸せを感じているのならそれでいいと思った。だって、二人の事が好きだから。

だから、祝福してあげた。徹底的にからかって。遠坂凛が好意を寄せていた男を奪っていったのだ、それくらいはかまわないだろう。

 

 そして二人で最終決戦に挑み、結局最後に彼女の代わりにイリヤと戻ってきた士郎。

『独り』。アイツにこの表現が似合うときが来るなんて思ってもいなかった。

ボロボロのくせに、笑っていた。

 彼女の誇りを護った、と呆れるくらいに清々しい顔で語っていた。

 

 

 

それからの生活は平凡なものだった。いや、それが本来の日常で、元に戻っただけの話。

 士郎がいて、藤村先生がいて、兄の慎二が行方不明になったことで一時塞ぎ込んでいた桜も今では通い妻に戻って。ただ、遠坂凛と、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンいう二つの存在がちょっと割り込んだだけ。

 そして皆で、士郎を立ち直らせるのに必死になった。

 あたりまえの日常を送りつつ、誰もが士郎の事を気にかけて。

 

「やっぱり私って甘いのかな」

 

 本来魔術師にとって切り捨てるべき余計なものに労力を割く自分。

 分かっている、それが時に欠点となるということも。

頭ではどんなに理解していても最後の最後で非情になりきれない。

 聖杯戦争中、なんだかんだ言って結局士郎とは戦わなかった。むしろ、士郎の不利を埋める手助けまでした。

 

「でも、これが無くなったら『私』じゃなくなっちゃうから」

 

 そう、これでいいのだ。

 誰がなんと言おうと自分自身の信念がある。ならば、それでいいじゃないか。

 

「そうよね、そうでなきゃ私じゃないわ」

 

 そう、今のまま在ればいい。

 それこそが遠坂凛の、遠坂凛たる証になる。

 

 そしてそのうち気付かせてやるんだから。

 あの朴念仁に、こんなにも近くに『私たち』が在るんだって。

 

「さ、桜の顔でも見に行こう。ついでに綾子も」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆   ◇   ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キーン コーン カーン コーン

 

 

 

 もうお決まりのチャイムが鳴る。

 

「………ふぁ〜……」

 

 四時限の終了と共に盛大な欠伸をし、同じ姿勢を続けて固まった身体を解してまどろむ意識を覚醒させる。

 午前中の大半を見事に睡眠に費やしてしまい、授業の内容は分からないが――――ま、何とかなるだろう。

 

「――――ほんと、よく寝てたわね」

 

 皆が昼飯の事でバタバタし始めている中、俺の席のちょうど右斜め前から呆れたような声が聞こえた。

 まだぼやけている視界にどこか妙に覚えのあるシルエットが映る。

 

ええ――――と、ああ、遠坂だ。

 

「そういう遠坂は、よく眠くならないな」

 

 俺とは違い、しっかり授業を受けている遠坂。優等生の肩書きは伊達じゃないということか。

成績優秀、運動神経抜群、容姿端麗と、自他共に認める模範生というのが一般の遠坂に対する認識だ。

 入学した時から既に学園のアイドル的存在だったらしい。

 

 

 

ただ単に、遠坂が被っている猫を皆知らないだけとも言うが。

 

 

 

「別にそういうわけじゃないけど、授業を大切にしているだけだから」

 

 だからそれが凄いっていうんだ。窓際の席とこの陽気で眠らないっていう方がおかしいぞ。

 

「うむ。女狐と同じというのは嫌ではあるが、同意見だな、衛宮」

 

 遠坂の言葉に同調したのは柳洞一成。腐れ縁とでもいうのか、去年、今年と同クラスだ。実家がお寺であるせいか、本人も真面目優等生で去年は生徒会長をしていた。あと、何故か分からないけど遠坂の擬態(猫被り)を一目で見抜いた強者で、ことあるごとに衝突している。遠坂と同じクラスになったおかげでそれは激化をたどる一方だ。

 だっていうのに何助け舟なんか出してるんだ一成。

 お前ら、仲悪いはずじゃないのか。

 

「あら柳洞君、意見が合うなんて珍しいことね」

「こればかりはな。授業を疎かにしていいわけがない」

 

 ぐはっ。

あくまと元生徒会長が協力体制を作ってしまった。いやこれはもうあくむだ。

 この二人に対抗する術はあるのか。むしろ、俺の平穏はあるのか。

 

 とかなんとか嘆いていると、

 

「でもまあ、衛宮君の居眠りは昨日今日に始まった事じゃないし」

「うむ、言っても聞かないしな」

 

 どうやら、諦めるのにも協力するらしい。

 二人してうんうんなどと頷いてやがる。お前ら、実は仲いいだろ。

 

「これで進級できているんだから不思議なものよね」

「同感だ。裏で何かしているとしか思えん」

 

いいや、もうほっとこう。

カバンから弁当を取り出して立ち上がる。

 

「ん、衛宮、昼飯か」

「ああ、いつもの所だ」

「了解した」

「遠坂はどうする?」

「私はパンでも買って食べるわ」

「そうか、じゃな」

「ええ」

 

遠坂と別れ、俺と一成はいつもの生徒会室に向かった。

 

 

 

 

生徒会室はしんとしていて、余計な雑音がない。何の用もなく来ようとする生徒がいないので当たり前といえば当たり前なのだが。だけどそのおかげで俺は静かに弁当を食べる事ができる。

教室で広げた日にはもう、ありとあらゆるおかずが他人に食されていってしまうのだ。

 

――――飢えとは、こんなにも恐ろしいものだったのか。

 

そんなことを認識させてくれるほど、獲物(べんとう)を狙うクラスメイトたちの血走った目。

それを避けるために、一成に頼んで弁当の日は生徒会室で昼飯をとっている。昼休みにはここは俺にとって聖地となるのだ。

まあ、一成の弁当との物々交換はあるけれど、そのくらいは別に構わないし。ていうか、備え付けのお茶もあるし。

 

「では、頂くぞ」

「おう」

 

 一成は俺からいくらかの肉料理を。俺は一成から自分の弁当には無い精進料理を、それぞれ交換する。一成の弁当は、実家がお寺であるからか全くと言っていいほど肉関係が無い。初めて見たときはベジタリアンかと勘違いしたし。でも実際はそうではなく、一成も肉を食べたいらしい。

だから、実家で全く肉を食べる事ができない一成に肉分を提供する。それが生徒会室を使う条件だったりする。

 

 

 

 食後の一服。お茶を啜り、まったりとする。

 ふと、朝に遠坂が言っていた事が思い浮かぶ。

 

「そういえば一成、留学生が来るんだって?」

「ああ、正式な転入は明日。今日は午前中に最終手続きをして帰っていると思うが」

 

 ああ、なるほど。留学のために外国からわざわざ引っ越してくるんだ、荷物の整理とかしているんだろう。

 

「それがどうかしたのか?」

「ああ、いや。朝に遠坂から聞いたからちょっと気になっただけだ」

「む、お前はまだあの女狐と……」

「一成はそう言うけどさ、俺もあいつの性格はよく知っているし、それでもいいやつだと思うから」

「そんなはずは無い、絶対に最あ――――」

「それに、猫被らなくてもいい相手ってのも必要かななんて思ってたり」

「…………」

 

 言いかけていた一成がそれっきり黙りこんでしまった。そんなに考え込むような事言ったか?

うん、学校で優等生してる分、他で地を出せる所が必要なわけだし。…………まあ、あくまの相手というのも疲れる気がしないでもないけど。

 

 湯飲みに残っているお茶を堪能すること数分。一成が自分の世界から無事帰還してきた。

 

「……お前はそういうやつだったな」

 

 呆れたような、諦めたようなため息をついて。

 

「そういうことだ」

 

 何に臆する事もなく、俺は言い切る。

 それに、一成は更なるため息をついた。

 

「仕方ないな。だが、お前には何かあってからのほうがいいのかもしれん。その時に、今一度あの女狐の醜悪さというものを叩き込んでやろう」

 

 どうやら諦めてはいないらしい。

 

「ああ、その時はよろしく頼む」

 

 そして、お茶も飲み終わる。

 

「一成、先に行くぞ」

「ああ、ではな」

 

 空になった弁当箱を持って、教室に向かう。

 相変わらず、ほんのりとした陽気が校舎内を包んでいる。

 

 

 

ああ、これは午後も睡眠時間かな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                    ◆    ◇    ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝と同じようなぽかぽか陽気の中、両の手に買い物袋をぶら下げながら家路を行く。

 

放課後、睡眠授業の件で藤ねぇに呼び出されてそのまま弓道場まで連行されそうになったけど、

 

「このままだと買い物に行けなくて食事が質素になるけどいい? 俺は食費がかからないから大歓迎だけど」

 

と言ったら即座に開放された。さすが、花より団子の藤ねぇ。そのうち、雷画爺さんに言って藤ねぇの小遣いから食費を差し引いてもらおう。

そして他に用も無く時間もあるから、今のうちに少し買い溜めしておこうと商店街に足を運んだ。その帰り、というわけだ。

食材の他に、おやつにイリヤと一緒に食べようと思ってたいやきも買った。イリヤは最近これがお気に入りらしいから、喜んでくれるだろう。

 

最近は家族が増えたせいで食費がかさむようになっているが、まだ俺のバイトで何とかなる範囲なので問題は無い。

桜が来て、イリヤが来て、藤ねぇが来て、時々遠坂も来て、結構、賑やかになった衛宮家の食卓。

家族が増える、というのは金銭面では少し大変になるものの、賑やかになって笑える事も増えていくから、いい事だと思う。

 

 

 

 

 

何より――――ひとり足りないという現実を、紛らわせてくれる。

 

 

 

 

 

「む――――いかんいかん」

 

また頭をもたげるどうにもならない気持ちを抑える。

 

「まだまだ、だな」

 

 一成あたりなら、喝っ、とか言うのだろう。

 

後悔はしない、と決めた。――――ああ、確かに後悔は無い。

でも、もやもやしたこの気持ちを整理するのはもう少し時間が必要なようだ。

 

 

 

我が衛宮家がある一画に入ったところで、家の方から一台のコンテナトラックが走ってきた。

すれ違いざまにちらりと見たトラックの横に、どこかの配達会社のロゴが入っていた。

俺は何も頼んだ覚えはないし、桜や遠坂、イリヤなら届け先は自宅にするだろう。藤ねぇだって、自宅の藤村組にする…………はずだ。

いや、何気に可能性があるってところが何とも言えないのだけど。

 

「――――っと、たいやきが覚めちまう」

 

やはりこれは温かいうちが美味い。

 

――――はずなのだが、藤村組寄ったらイリヤは衛宮家だという。まぁ、合鍵は渡してあるので構わないといえば構わないのだが。

 

 

 

半日ぶりの我が家。門戸を開け、玄関を開け、

 

「ただいま――――って、あれ?」

 

 そこにイリヤの靴の他に見慣れない靴が一足あるのに気付く。

 

「誰か来てるのか?」

 

 だったら、イリヤは買い物で帰りが遅れた俺の代わりにその客人へ応対するためにここにいるということだ。

 

「やべっ」

 

 靴を脱ぎ、買い物袋を持ったままで居間に向かう。

客人を待たせてしまったことと、代わりにイリヤが応対してくれたということから、知らずと早歩きになる。

 この家を訪ねてくる客はてんで分からないが、わざわざ訪ねてきてくれたのをこれ以上待たせるわけにもいかない。

 

「シロウ、帰ってきたよ」

「ええ、声が聞こえましたから」

 

 居間からイリヤと客人の会話がなんとなく聞こえてくる。

 

 

 

「ごめんイリヤ、ちょっと買い物してたら遅く――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 障子を開けて目に入った客に、思考が停止した。

 

 

 

「な――――て――――」

 

 

 

 だってその人は――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほんと、遅いよシロウ」

 

「む、どうかしましたか、シロウ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――その金髪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、もしかしてそれたいやき? やったぁ!」

 

「何を呆けているのです?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――その碧眼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これ美味しいんだ〜」

 

「黙っていては何も分かりませんが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――凛とした雰囲気の中に少女の面影

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――シロウ、どしたの?」

 

「分かりません、突然黙ってしまって――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――この手に抱いた、華奢な身体

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ああ、そういうことね」

 

「何か分かったんですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――忘れる、なんて、できる、わけが、無い――――

 

 

 

 

 

「セイ――――、バー――――」

 

「それ以外に、私が何に見えるというのですか、シロウ」

 

 

 

 

 

 この時、衛宮士郎の日常が、本来の姿に戻った瞬間だった。









魔術師のコメント


投稿ありがとうございます
いや、Fate初投稿でした!
王道のセイバーエンド後のセイバー帰還物、ここからどうなるのかすっごい楽しみです

皆様も読後の感想をぜひぜひ送って続きを書くように急かして上げましょう

いや、私が速く続きが読みたいのですけれど・・・

私はFateの全EDの中でセイバーが一番好きなんで本当に楽しみです

やっぱり、帰還したセイバーを見て驚く士郎、水戸黄門的なお約束ですが、それだけにやっぱり良いんですよね〜
書く人の個性の見せ所と言うか、味付けがそれぞれ違うのでそそられます
あけすけさんの作品は、イリヤが顔を出してるのとセイバーの対応が日常の延長って感じで、最後の一文

『この時、衛宮士郎の日常が、本来の姿に戻った瞬間だった

との対応がすっごい好きです

それではマジで続き楽しみにしてますね〜

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