「千堂先輩、ちょっとお時間いただいてもよろしいですか?」
食事を終え、予鈴に急き立てられて屋上から戻ってきた薫と瞳を待ち構えるように、踊り場に佇むいづみ。
控えめな、でも真剣な口調から、当事者ではない薫にも、訳ありであることが伝わる。
「今から?」
「はい、出来れば」
逡巡するように歯切れが悪い瞳と、斬りつけるように鋭いいづみ。
「でも、すぐに授業が始まってしまうわよ・・・」
「千堂、行ってきたら良い」
思わぬ薫の発言に、一瞬瞳が驚いたような表情を見せる。
「先生には私から上手く言っておくから」
「上手く言っておくって薫、あなた・・・」
「案ずるより産むが易し、何を迷っているかはわからないけどね」
薫の言葉を受けていづみは瞳の返事を待たず歩き出していた。
「御剣・・・」
何かを伝えるような薫に向け、無言でペコリと頭を下げ謝意を示す。
歩き去る二人に合わせるように、昼休みの終了を告げるチャイムが響いた。
過去と未来の狭間で…
《第十七話》
チャイムの音に追われるように教室に戻る生徒達。
その流れに逆らうように歩くいづみと瞳。
いづみは一度も後ろを振り向かずに、ゆっくりと、だが真っ直ぐにここまで歩いてきた。
場所は、旧校舎の傍。
そう、昨日瞳が二人に出会った場所だった。
「それで御剣さん、話って何かしら?」
わざわざこんな所まで連れ回して。
言葉にはしないが、落ち着かなそうに周囲を見る瞳の表情は、明確にそう告げていた。
「千堂先輩でもそんな顔するんですね」
明確な悪意を持った嘲弄するような表情からは、日ごろいつみが瞳に見せる憧憬は、欠片も感じられなかった。
「いつも落ち着いていて冷静、優しくて美人で成績も優秀。
そのうえ、秒殺の女王とまで呼ばれている先輩は何処に行ってしまったんですか?」
喋りながら投げて寄越したのは、瞳自身愛用の棍だった。
いづみも懐から模造の忍者刀を出し構える。
「御剣さん!?」
「何を逡巡してるかは存じません。
けれど、今のあなたには負ける気がしません」
懐に飛び込んでくるいづみから、逃れるように距離を取る。
それでも強引に距離を詰めるいづみを、払うように棍を振るう。
苦し紛れの大振りな一撃は、あっさりと避けられ、がら空きの懐に飛び込まれた。
「どういうつもりなの」
忍者のいづみが、投げ技が主体の護身道家の懐をとりに行く狙いが理解できない。
そもそも、いづみが正面切って挑んでくること自体理解できなかった。
いつものいづみなら、奇襲という手段を取ってくるはずなのに。
「別に・・・。今の千堂先輩になら、わざわざ奇襲しなくても勝てると踏んだからです」
日頃のいづみはともかく、『忍者』である御剣いづみは、酷く冷静で合理的だ。
彼我の実力差から、場所や武器の所有や戦闘方法に至るまで、徹底的に比較検討してくる。
いくつかあるプランの物から、少しでも勝率が高まる物を選択していた。
冷静で合理的、時に冷徹でなければ、プロの忍者は勤まらないからだ。
「どうしました?」
こと投げ技に関して、いづみは瞳に適わない。
はずなのに、今日はまったく決まらない。
懐に入ったまま、瞳に攻撃をしてこないいづみに対し、矢継ぎ早に技を出す瞳だった。
「心と身体がバラバラだからですよ」
あろうことか、瞳の不用意な投げ技に、いづみの返し技が決まってしまった。
呆然とする。
投げられたことが、じゃない。
今の自分が悩んでいることが、いづみに筒抜けだったからだ。
「逡巡なんかじゃないですよね、本当は不安・・・いや、懼れですか」
カッと顔に血が上るのがわかる。
「昨日の先輩は全然らしくなかった。
そして、今日の先輩はもっとらしくありません」
見上げる瞳と見下ろすいづみ、それはいつもとは反対の構図。
でも、瞳を見るいづみの表情は、さっきまでとは別の顔。
いつもの瞳を見る、憧れと信頼の表情だった。
「一昨日、私が気絶している間何があったのか、私には正直わかりません。
でも・・・」
いづみの差し出した手を掴み、瞳が立ち上がる。
すっきりとした顔は、彼女が何かを吹っ切った事を表していた。
「ありがとう、御剣さん」
「すいません、生意気なことを言って。
でも、先輩が凄く苦しそうだったので」
「ううん、本当に感謝してます。
気持ちよく投げられたお陰で、胸につかえてたモヤモヤした物が、全部飛んでいったみたい」
「恭也さんは、凄く千堂先輩のことを気にしてました」
「・・・そう」
哀しそうな彼の瞳を思い出す。
無表情で寡黙だからだろうか、彼の感情は瞳に表れる。
「無条件に彼を信じろって言ってるんじゃないですよ。
確かに彼には、不可思議なところがありますから。
でも、自分すらも騙せない嘘で、無理やり納得するなんて、千堂先輩らしくないと思います」
何処までも真っ直ぐで、己の心に素直なこの後輩が、瞳には羨ましい。
気持ちのまま、素直に振舞うには、瞳は賢すぎた。
それは、周りの視線や彼女自身のイメージなど、まるで素顔の彼女を覆う鎧のような物。
傷つかないようにと、自らを守るために覆った鎧が、結局今回も彼女を苦しめていたのかもしれない。
「もう一度彼の口から説明を聞いてみます、それで納得できるかはわからないけど・・・」
「ですって、恭也さん」
突然、校舎の裏に話を振る。
「居るんでしょ?立ち聞きなんて男らしくないですよ」
申し訳なさそうに、校舎の裏から出てきたのは、渦中の男高町恭也だった。
「何してるんですか?」
からかいの粒子を含んだ微笑と口調。
「いや、その、二人がここに移動するのが見えたんで、何かあったら大変だと思い・・・」
クスクスと堪えきれない笑いが二人の口の端から漏れる。
恭也らしくないない、歯切れの悪い、罰が悪そうな口調が可笑しかった。
「ご心配をかけてしまいましたね」
数日振りに恭也の瞳を真直ぐ見つめて、瞳は微笑んだ。
「・・・いいえ、俺こそ、貴女を混乱させてしまい申し訳ありませんでした」
恭也は少しだけ目を見張り、安堵の瞳で目の前で微笑を浮かべる瞳に笑いかけた。
「あ、恭也さん、何で照れてるんです?」
瞳の微笑の美しさに、僅かに頬が熱くなった恭也を見逃さずに、目敏くいづみが指摘する。
益々照れて、仏頂面になる恭也が可愛くて、可笑しくていづみと瞳が声を上げて笑う。
釣られて苦笑する恭也。
それだけで良かった。
それだけで、ここ数日の蟠りがストンと落ちていくのを感じた。
私はまだ、ほとんど彼について何も知らない。
彼は、不思議な言動をすることがある。
彼と特別な関係だと思われる、月村忍という美少女が居る。
自分といづみと、腕に覚えが有る人間から見ても舌を巻くほどの強さがある。
何か理由ありである。
ちょっと、考えただけでも、彼という人間を疑う理由は溢れるほどだ。
『自分すらも騙せない嘘』
切欠を作ってくれた後輩が言った言葉に深く頷く。
自分は彼が悪い人ではないと感じた。
何故か彼が気になってしかたがない。
彼の寂しそうな悲しそうな瞳が胸を刺した。
そう、疑う理由が数え切れないなんて理性で、胸を貫いた感情を否定しようと自分に嘘をついた。
『きっと・・・、千堂瞳にとって、彼は他の男の子とは違って見えている』
この感情が恋なのか、それとも未だ好奇心なのか。
それはわからない。
けれど、彼のことを知りたいと思っているのは間違いない。
「私こそ、何だか取り乱してしまってごめんなさい」
恭也にペコリと頭を下げる。
「私、これ以上貴方を疑いたくはありません、だから、私にも教えてくれませんか。
貴方が何者で、何処から来た、何処の誰かを・・・」
「そうですね、俺も、貴女といづみさんにはお話した方が良いと思っています。
俺一人のことではないし、そもそも俺自身も今の現状が良くわからない。
そんな継ぎ接ぎだらけで、あやふやな話ですが、今お話できることは、全てお話しますよ」
その言葉にいづみと供に強く頷く。
瞳の心は今は風の無い湖の湖面のように落ち着いていた。
昨日、ここで恭也といづみを見た時とは、正反対。
あの時は、嵐が逆巻く夜の海のように、気持ちが荒れてしまった。
ふと、瞳が気がついたことがあった。
そういえば、誰かに対してあそこまで感情的になったのは何時以来だろうか。
「しかし、振り返ってみると・・・」
恭也の呟きに、何となく自己の記憶に埋没してた瞳の関心が、恭也に戻る。
何がですか?
目でそう語りかけた瞳に、この男にしては珍しい口調と表情で返す。
「恐ろしかった、と思いまして」
瞳だけでなく、いづみもただ静かに恭也を見つめる。
謎めいていた、この高町恭也という男の一端が語られる。
何処か緊張している自分に苦笑する。
「浮気なんかしたら、殺されてしまいそうで」
「「は?」」
浮気?すると、彼はやっぱり月村さんと何処かから逃げてきてるのかしら。
そんな事を考えた瞳に対し、恭也の背景を全く知らないいづみは、目を丸くするしかない。
「いや、昨日の千堂さんの様子だと、浮気なんかしたら殺されそうだな、って思いまして・・・」
シーーンと、辺りが静寂に包まれる。
校舎裏で今は授業中だから、もともと静かだったわけだが、それとは別のプレッシャー染みた静けさが辺りを包んだ。
「あははは。それじゃ、私が浮気相手ですか?」
光栄ですね、なんて笑顔のいづみが同意して頷く。
「千堂先輩は、美人だからかな、怒ると物凄い迫力がありましたからね」
二人の笑い声は意識の外に。
恭也の発言が、かつての情景を呼び覚ます。
妙に仲の良かった姉と耕ちゃん。
まだ、幼かった中学生の頃の自分。
嫉妬した。
姉も、耕ちゃんも大好きなのに、何故か二人が楽しそうにしてると、胸の中に何か熱い物がこみ上げてくるような焦燥感があった。
「耕ちゃん、私のこと好き?」
「何言ってんだ、今更。
好きに決まってんだろ・・・」
姉の前で、照れながらぶっきら棒に、でもはっきりと答えてくれた耕ちゃんが嬉しくて、安心して思わず呟いた言葉。
「耕ちゃん・・・」
「あん?」
まだ、恥ずかしがったままで、振り向きもせずに相槌を打った耕介が、思わず振り向かずには居られなかった言葉。
「あははははははははは」
突然、火がついたように笑い出す瞳をいづみと恭也はビックリしてみていた。
そうだ、ここ数日の感情はあの時に似ていた。
誰かに、あんなにも感情を剥き出しにしたのもあの時以来だ。
「そんなに面白かったですか?」
ちょっと驚いている二人に、正確には、瞳の気持ちをかき乱す高町恭也と言う男に、ニコリと極上の笑みを向ける。
「恭也君・・・」
甘く優しく、あくまでも壊れ物を扱うかのような繊細さで、彼の名を告げ言葉を紡ぐ。
「浮気したら・・・殺すわよ」
あの時の耕介と同じ顔で、恭也も固まってしまった。
「なんて、感じかしらね?もし、昨日のが、浮気現場だったとしたら」
何ともいえない静寂。
恭也も珍しい事をした物だが、瞳もまた珍しい行動を見せていた。
「冗談よ、冗談」
静寂を切り裂くように鳴り響くチャイムに救われたかのように、アハハハハ・・・、と乾いた笑いを浮かべる恭也といづみであった。
「放課後、護身道の道場でいいかしら?」
さすがに、次の授業までサボるわけにも行かず、教室に戻る途中の瞳の提案にいづみもうなづいた。
「ちょうど、テスト期間ですからね。
誰も来ないだろうし、密談にはもってこいかもしれませんね」
そう、頷いて2年生の教室で別れた。
「千堂さん・・・」
「なにかしら、恭也君」
いつのまにか、呼び名が自然に『恭也君』になっている。
「いや、何といっていいか・・・」
最後の冗談はともかく、得体の知れない自分のことを、再び信じてくれたことが嬉しかった。
「なら、何も言わなくていいわ」
ピシャリと、恭也の口を塞ぐ。
恭也も、それに頷く。
そうだ、自分はまだ何も話していない。
だから、『ありがとう』も『ゴメン』も違う気がする。
教室の扉を開ける前に、もう一度お互い笑顔を浮かべ、何かを確認するように頷く。
今の状態は『保留』。
けれど、それでも、何かが吹っ切れた二人は、昼休み前と別人のように見えた。
そんな二人を、それぞれの表情で見守る忍と薫。
後になって省みれば
――――――――――――――――――この日の放課後が、過去と未来の狭間で翻弄される、嵐の日々の始まりだったに違いなかった・・・・・・・。
魔術師の戯言
さて、お久しぶりの更新です。
最近、妙にシリアスに傾いてたんで少しほのぼのに揺り戻しをかけてみたんですが、なんか違和感が。
書いてる本人に違和感があるですよね。
恭也に違和感があるというか、動いてくれません。
なんだろう?
高町恭也が把握できてないというか、何と言うか。
短編だとあんまり気にならないんですが、やっぱブランクがあるというか、リハビリが必要なのかなぁ・・・。
内容も、もう少し話を進めたかったんですが、当たり障りの無い話しになっちゃいましたしね。
楽しみにしてくれてた人、申し訳ありません。
やっぱり、しばらくとらハは短編でリハビリしてくことにします。
目標は出来れば『一月に一度』、少なくとも『二月に一回はとらハ物を書く』ということで。