過去と未来の狭間で・・・
《18話》
一日の授業が終わった事を知らせる鐘が校舎に響く。
いつもなら部活に、放課後の遊びにと、抑え切れない生徒たちの活気で
ざわつきのまま終わるHRだが、今日からは少し違った趣がある。
教師が黒板に書き出す試験の日程を黙って書き写す生徒たち。
そう、今日から試験前の準備期間ということで、部活は全面禁止。
一部の強豪である部活は、試験3日前までは朝練は続ける場合があるが、それも成績に余裕がある一部の生徒たちだけで、
大半の生徒はまず目の前の試験という山を越えるために、熱意を傾ける事となる。
「真一郎、ゲーセン行かね?」
「大輔、お前さ、試験勉強はいいのかよ」
「今更・・・なぁ」
悟りを開いたか、爽やかに笑う親友に苦笑を返す真一郎は、その誘いを謹んでお断りして、図書室に向かった。
別に真一郎が急に勉強に目覚めたわけではない。
入学当初は兎も角、立派な不良(?)になった昨今は、試験勉強に真剣に励んでいた記憶は無い。
「さくらと約束したからな・・・」
さくらと過ごす放課後に心躍らせながら、廊下を歩く足取りは弾む。
ほんの少しの気まずさはあったが、やはりさくらは大切で、一緒に過ごす時間は貴重なものに思う心に嘘は無かった。
試験前だからだろうか、それなりに込み合った図書館にさくらの姿は見当たらない。
とりあえずいつも彼女が座っている、比較的太陽が当たらない一角に陣取り、2人分の席を確保し教科書を開く。
「・・・さくら、未だかな」
5分もしないうちに、上の空になりながら机の上のバスケットを見て思わずにやりと笑ってしまう。
それは勿論お手製のお弁当で、勉強しながら食べられるようにと、サンドウィッチを作ってきた。
自分で言うのもなんだが、小鳥のお墨付きの快心の出来だ、きっとさくらも喜んでくれるはず。
さくらの喜ぶ顔を思うと、頬がさっきから緩みっぱなしだ。
「・・・クスッ」
小鳥の囀りのように小さな笑いが耳を叩き、振り向いた拍子に眼が合った。
自分がにやけていた事を自覚していたので、気恥ずかしさから頬をかきながら笑顔を向ける。
「あ・・・」
微笑を返してくれたのは、いつかの上級生で、その微笑はやっぱり待ち人に似ていた。
「こんにちは」
「こんにちは」
何となく声をかけると、向うも言葉を返してくれた。
「テスト勉強ですか?」
「ええ、やっとテストが終わってゲーセンに通えると思ってたのに、またテストだなんて・・・」
ついてないわね、なんて呟いた口調は、いつかの寂しそうな横顔が嘘だったみたいに明るかった。
こんな美人がゲーセンでゲームする姿がシュールな気がして、思わず笑ってしまう。
釣られて笑った彼女に、妙に親近感が湧いてしまったのか、ゲームの事、最近転校してきた事、他愛ない話を続けてしまう。
「国語が苦手なんですか?」
彼女の机の上は国語の参考書や問題集ばかりだ。
ええ、なんて頷く彼女、そんなところまで待ち人と同じで、苦笑してしまう。
「良ければサンドウィッチ食べますか?」
見れば見るほどさくらにそっくりな彼女と話すのが楽しかった。
だから、かもしれない。
彼女のために作ってきたサンドウィッチを、思わず勧めてしまったのは。
「気持ちは嬉しいけど・・・」
後で思えば、これが、捩れてしまった日常の切欠だった。
「それは、その子の為に作ってきたんでしょ?
申し訳ないから、今日は気持ちだけ戴いておくわね」
その言葉で視線を転じれば、図書室の入り口に立ち尽くすさくらが見えた。
哀しそうな瞳。
怒るのではなく、責めるのでもない、ただじっと耐えるように掌を握り締めた彼女。
何も言えない自分と、何も言わないさくら。
時間の流れから切り取られてしまったようだった。
さくらは塩で出来た彫像のように蒼白で、自分は鉛で出来たように唇一つ動かせない。
「じゃあ、またね真一郎君」
自分にそんな言葉を、そしてさくらに会釈をして彼女は図書室を出て行った。
自分は彼女に自己紹介をしただろうか?
そんな疑念は、すぐに何処かへ飛び去った。
「すいません、先輩、HRが長引いてしまいまして」
皮肉にも、彼女のその行動が自分とさくらの切れていた螺子を巻いたからだ。
「構わないさ、それよりお腹すいただろ桜?サンドウィッチ作ってきたんだ」
「嬉しいです」
何処か、ブリキの人形染みたギクシャクした会話。
さくらは何も触れない、さくらが触れない以上自分から彼女の話をするのも余計おかしい。
快心の出来だったはずのサンドウィッチは、まるで砂のように味気なかった。
どうして、さくらは何も言わないんだろう。
どうしても解けないこの疑念は、目の前の公式では解き明かせない。
さくらの哀しそうな瞳が頭から離れない。
気がつけば真一郎はここ数日以上に、真直ぐ彼女の瞳を見れなくなっていた。
いっそ怒ってくれれば、責めてくれれば良い。
自分は潔白で何もしていないのだ。
あの人がさくらに似ていたから気になった、ただそれだけなんだ。
そう主張できるから。
でも彼女は何も行ってくれない。
まるで全ての非は自分にあるとでも言うように、哀しみを秘めて、取り繕うように笑うだけ。
だから、捩れていく。
全ての会話が、何処か裏を秘めていそうな気がしてしまう。
一瞬、お互いの探るような瞳が重なる。
同時に視線を外し、無意識の自分の行動にショックを受け、慌てて微笑みを交わす。
ボタンの掛け違いは、焦燥感となって真一郎を焼いていった。
一方、さくらにも焦燥感がある。
「あの人は誰ですか?」
本当は今すぐ問質したかった。
真一郎を信じている。
そんな簡単に裏切る人じゃないってわかっている。
だからきっと問質せばあっさりと蟠りは氷解するはずなのだ。
それが出来ないのは自分が臆病だから。
万が一を恐れているから。
その根本にあるのは自分が『人とは違う』という事実。
そして、それを隠しているという現実。
そして彼女の思考は最後には自分を責めることに帰結する。
私は先輩を信じ切れていない、私には先輩を責める資格はない。
隠し事をしているのは私自身だから・・・・・・。
自分の感情すら、正確に把握できていない真一郎との違い。
彼女の場合、真一郎と比較してその感情はより単純で、その心情は複雑だった。
そのさくらよりさらに複雑な心情を胸に忍はぼんやりと歩いていた。
胸にちらつくのはさくらの表情。
元々処女雪のように白い彼女の肌が、先程は蒼白に見えた。
大好きなさくら、彼女のあんな顔見たくない。
なのに、それをさせているのは自分。
今日の出会いは、そして真一郎との遣り取りは偶然だった。
けれど、本当に彼を振り向かせるなら今後は計画的に真一郎と親しくならなければならない。
それは、翻れば今日以上に、それも計画的に、自らの手でさくらにあんな哀しい顔をさせる事を意味する。
ならば辞めれば良い、ただそれだけの事だ。
忍の美しい顔が歪む。
苦笑と言うよりも冷笑に近い表情。
そんな表情すら彼女は美しかったが、それは何の救いにもなりはしない。
「諦められるのなら、とっくの昔に忘れているわね」
結局自分に選択肢などありはしない。
覚悟は決めたはずだった。
けれど・・・
「彼女はあんなに魅力的に笑ったのにね」
踊り場に映る自分の表情は、童話の雪の女王のように冷たく見えた。
何があったのかはわからない。
けれど、5時間目の授業をサボった後に戻ってきた千堂瞳は、朝の表情が嘘みたいに優しかった。
授業中も恭也に視線を向けるのは同じでも、眼が合うと微笑を返していた。
「どうかした?」
突然の声は、自分の思考に没頭していた忍を驚かせた。
「ゴメン、驚かせる気は無かったんだけど」
振り向くとそこには神咲薫が立っていた。
「気にしないで、考え事していただけだから」
曖昧に微笑を返す。
那美の姉であり、憧れの人だと聞いた事がある。
なるほど、柔らかい桜の花のようなイメージの那美と違い、凛とした百合のような人だと思った。
こっちに来てからは、何かと気を使ってくれている千堂瞳の親友でもあるが、二人で話すのは初めてではないだろうか。
悪い人ではないのは間違いないが、恭也ほどではないが忍も警戒されているらしく、それほど親しく話した事は無い。
「高町君は、悪か人ではないみたいだね」
だから、安心したように告げられた時には、正直意外さに眼を見開いてしまった。
「5時間目に千堂が彼と帰ってきた時に、明るく笑っとったからね」
そう言って笑いながら、生真面目にも「だからといって怪しかことには、かわりはないけど」と、続けた。
そんな一面が朴訥で、妙に可愛らしく見えて、思わず笑みがこぼれる。
その笑顔に、不思議そうな視線で応じる彼女に、笑顔を向ける。
「神咲さん、いつもと表情だけでなく口調も違うから可愛らしく見えて」
「あ、うち、また鹿児島弁でとった?」
ますます焦ってしまったのか、一人称がとうとう「私」から「うち」になってしまっている。
「うん、でもその方が可愛いと思うよ」
忍の言葉に赤面して、困ったような表情になってしまった。
「あれ、忍さんも今帰りですか?」
「あれ、那美も今帰り?」
階段の上から那美の声がして、忍が笑いの残った表情で振り向いた。
『那美?』
振り向いた忍には、先程までとは一転して、鋭い表情を向ける薫は当然視界に入らない。
「あ・・・え?」
ただ、薫を見た那美の表情を見て、しまったと心で呟いた。
「じゃあ、お先に。神咲さん」
これ以上ややこしくなる前に帰ろうとする忍の思惑は、一緒に降りてきた二人に潰される事となる。
「神咲先輩、お疲れ様で〜す」
スローテンポな少女が薫に笑顔を向ける。
「鷹城さん、その子は?」
唯子に挨拶を返し、自然さを装って階段で眼を見開いている少女に視線を向ける。
「この子はですね、新しいお友達で〜、神咲那美ちゃんです。
あ、あれ〜?神咲先輩と同じ苗字ですね」
「あ、本当ですね、那美ちゃんも鹿児島生まれって言ってたし、向うでは割と多い苗字なんですね」
小鳥も納得したように頷く。
「ああ、割と多い苗字みたいだね。
さて、私は申し訳ないけど帰って勉強する事にするね」
様子がおかしい那美と、階段を降りていく薫を交互に見ながら、唯子と小鳥は首を傾げていた。
艦長の戯言
前の更新は07年の2月でした。
1年と半年振りの更新でした。
本当に申し訳ないと思っております。
反省だけはいつもしているんですが・・・
期待して待っててくれた人お待たせいたしました。
久々に書くと薫の方言と言うか喋り方がいつも困る。
久々の更新は、恭也と同時進行で進む忍とさくらと真一郎の物語。
裏では、恭也と瞳といづみの話が行われておりましす。
物凄く更新速度が遅いこの作品ですが、見捨てずに待っててくれた人期待してくれた人どうもありがとうごいました。