御神静香の朝は早い。
朝靄の中、街は未だ微睡に沈み、聞こえる音は小鳥の囀りと木々の囁きだけ。
母や祖母と素振りや型稽古をみっちりつけた後、早朝の稽古の締めにロードワークをする。

それは、御神静香のここ数年の日課だった。

だから、これも同じ。
早朝の爽やかな朝とは不釣合いな微かな風切音が耳を叩く。
丘の上から間断なく、正確なリズムで響く音は、段々はっきりとしてくる。
やがて、その風切音にあわせ、「フッ!フッ!」と、誰かの呼吸が聞こえる。

「おはようございます、耕介さん」

「ああ、おはよう静香ちゃん。
今朝も早いね」

耕介の朝の素振りが、一段落着くのにあわせ、朝の挨拶をかわす。
耕介の振るう素振り用の木刀は特別性で凄く重い。
それを、まるで小枝でも振るように一万回素振りをし、少しも堪えていないように静香に笑いかけてくれる耕介。

「この時間なら、まだ涼しいじゃないですか」

もっともらしい理由をつけて耕介の横に腰掛ける。
勿論、冬には「身を切るような寒いから、気合が入るじゃないですか」と、これまたもっともらしい理由をつけているのだが。

本当の理由は単純で簡単。
この時間には、耕介が必ず素振りをしているから、というのが本音なのだが、勿論そんな事は言えるわけが無かった。

「でも、少しビックリしちゃいました」

汗を拭きながら耕介が、何が?と首を傾げる。
この表情を見ていると、とても目の前の人が、憧れの母すらも凌駕する剣士には見えない。
もっとも、母の美由希自身が、娘の眼から見ても、日常生活はドジ過ぎて、とても剣士には見えないわけだが。

「昨日オジサンとあれだけ激しく打ち合ってたのに、今日もさらっと素振りしてるんですもん。
もしかして、オジサンも・・・?」

「イヤイヤ、さすがに恭也君は無理だよ」

「ですよね」

昨日は息も絶え絶えで、自分と紫苑とで肩を貸して、ようやくさざなみ寮に戻ってこれたくらいの重体だったのだから当然だ。

「ロードワークに行ったから、そろそろ戻ってくると思うけど」

「え!?」

さらっと耕介は言うが、あの重体でどうしてロードワークが出来るというのか。

「耕介さん、おはようございます。
あれ?静香ちゃんも。おはよう」

「静香ちゃん、おはよう。
どうしたの?こんなところまで」

耕介と同じ式服を身に纏い、真剣を片手に、寮に戻ってくる薫と紫苑に、挨拶もそこそこに疑問を投げかける。

「おじさん、本当にロードワークに行ってるの?」

「うん、ママが今日くらいは安静にしてるように、って言ってるのに」

「恭也君にとっては、朝の鍛錬をロードワークだけで済ませるのは、きっと安静にしてるつもりなんだよね」

呆れたような親子の言葉に、耕介が苦笑をする。

「いや、あの・・・?」

十六夜の癒しを知らない静香には、恭也の超回復がどうしても理解できないらしい。
やがて、三人の言うとおり本当に恭也がロードワークから帰ってきて、益々困惑を深めるわけだが。


そんな一連のやり取りを、窓からじっと見ている姿があることなど、誰も気がつかないままで、さざなみ寮の朝は過ぎていった。


神々の黄昏

《闇への誘い》


「お、今朝は早いな、リスティ」

台所からエプロンを着けた耕介が笑いかける。

「そりゃ、誰かさんたちが朝から家の外であれだけ騒いでりゃね」

「すまないリスティ」

「ホントウだよ、薫。
昨日は、真雪と明け方まで飲んでたのに、早起きする羽目になっちゃったじゃないか」

薫の横の席に座り、生真面目な薫の申し訳なさそうな表情に、リスティは悪戯っぽい微笑を見せる。

「おかげで、窓の向こう側は、タイムスリップした世界なのかと思ったよ。
薫と耕介が式服着て素振りしてる姿なんて、ね」

愛も微笑して頷く。

「そうそう、違うのは、汗を流す薫の朝風呂を耕介が覗きに行かない事くらいかな」

「えー、それって、愛さんと耕介さんが結婚する前の話ですか?」

ブッと噴出す薫本人と、相変わらずニコニコと表情が変わらない愛を除く、寮生達が色めき立った。

「まあ、あの頃の耕介は若かったからね。
それが、美女ばっかりのさざなみ寮で仕事をしてれば、それは、ほら、耕介も男だからね」

リスティの出鱈目を、意味ありげな言葉で煽る美緒と、それに乗っかり盛り上がる寮生たち。
メンバーが代わっても、こういう雰囲気は変わらない物らしい。
溜息をつきながらも、リスティの行動を止めない薫も、何処かそんな雰囲気を懐かしんでるのかもしれない。
もっとも、その余裕は、多分に紫苑と恭也は高町家に帰ったからこその物かも知れないが。

「え・・・、リスティさん、それ、ホントじゃないですよね?」

紫苑は、キャーキャーと面白おかしく騒ぐ寮生たちとは明らかに違う表情で、リスティに問いかけた。

「当たり前だろ、家の両親は万年新婚夫婦だよ」

「そうだよね、愛さんと耕介さんは、今でも凄く愛し合ってるもんね」

それを彼にしては珍しく不機嫌そうに否定する真介に、今度は少し寂しそうに静香が頷きを返す。
耕介が朝食を並べて席に着くと、ワッと盛り上がる食卓。
対照的に、言葉をなくした二人の間で、リスティだけが、ヤレヤレなんて溜息をついていた。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


さざなみ寮からやや離れた裏手の林の中で、真介は汗だくになって木刀を振っていた。
それは、鍛錬やましてや素振りとも言えない、ただ、心の靄を晴らすためだけに闇雲に振るっているだけ。
それを、彼はもう数時間休まずに続けている。
少なくとも、彼女が彼を探しに来てからは、もう2時間は経過した。
見つけた時点で、身体はヨレヨレで休息を求めていただろうに、何かに急き立てられるような表情の彼は、未だに剣を振り回していた。

「真介、こんな所で一人で練習かい?」

とうとう見ていられなくなって声をかける。

「・・・姉さん」

弟の自分を見る瞳に、かつての自分を感じて、リスティは自分の危惧が外れていないことを確信した。

「こんな所で一人で練習しなくても、あっちで薫や紫苑達も練習してるみたいだけど?」

「・・・一人で良いよ」

無意識に姉から視線を外すのは、心を読み取られたくないからだろう。

「レベルが違いすぎるからさ。
僕と、父さんや静香ちゃんじゃ・・・」

ははは、なんて、空虚な笑いが静かな世界に吸い込まれて消えていく。
孤独と拒絶と疎外感。
かつての自分と重ね合わせるのは大袈裟かもしれない。
けれど、リスティにはなんとなく弟の気持ちが理解できる気がする。

耕介にしろ恭也にしろ、普通ではない
超能力(ちから)を持つリスティから見てすら、もはや超人としか思えない達人だ。
そして、静香にしろ紫苑にしろ、親からの才能を受け継ぎ、かなりの腕前を誇るはずだ。
剣に関しては素人のリスティですら理解できるのだから、剣を学んでいる真介には、その差はより顕著に理解できるはず。

「姉さん、悪いけど僕の事はしばらくそっとして・・・もがっ!」

「とりあえず、昼飯時だ。
愛もお前を探してたし、一度寮に戻ろうか」

「もがっ、もがっ!
ね、姉さん、窒息させる気!?
突然人の顔にタオルをテレポートさせて、しかも巻きつけないでよ」

「あははは、スマンスマン。
じゃあ、戻るとするか」

微塵も申し訳なさを感じていない顔で、颯爽と踵を返す我が姉に苦笑しながらも着いていく。
不器用ながらも、何だかんだと、誰よりも家族を一番大事にしている姉の背中に呟きをぶつける。

「ありがとう」

「ん?なんだ?」

「姉さん、最近ほんと真雪さんに似てきたなって」

「ほほう・・・、もう一度タオルで窒息したいという事だな」

リスティのその提案に、一目散に走って逃げる弟。
その姿に眼を細めながら、リスティは安堵と不安の入り混じった視線で弟を見送っていた。


真介は愛そっくりの優しく、おっとりとした子だ。
本来なら耕介たちの剣と自分を比して、負の感情に囚われるような性格じゃない。
不運な事に、今回の高町家の来客で、遠い世界のレベルだと思ってたレベルの剣の使い手が、急に自分に近しい人たちから現れたから、強いショックを受けただけだろう。

それ故に安堵したが、同時に根が深い問題でもあった。
最初リスティは、「薫や紫苑達」と、真介に言ったのだ。
にも拘らず、「耕介や静香」と返ってきた。

真介が静香に惚れているのは本人達以外の公然の秘密だ。
もう随分先で揺れている、真介の長い髪を束ねる黄色いリボンを見れば、一目瞭然というわけだ。
一方の静香だが、彼女が耕介に好意を抱いているのも、寮のみんなが知っている。
そう、真介も含めた『みんな』が、だ。

真介は、きちんと自分の事を知っている。
そして、静香の気持ちも成就する事は決してない。
だから、このまま、何も無ければ、時間が解決してくれる。
数年の内に、全てが良い方向に変わっていくはずだ。

父への敬愛と嫉妬、そして父と静香を繋ぐ自分には及ばない世界での剣。
きっと以前から彼の中で燻っていた物が、今回の高町家の来訪でたまたま前面に出てきたのだろう。

「・・・はぁ、根が深い問題だけどさ、耕介。
あんた十年以上経ってもまだ、女の子を泣かせるんだから、ホント罪作りにもほどがあるよ、まったく」

紫煙を燻らせて空を見上げる。
奇しくも、今回と同じく、さざなみ寮に薫が遊びに来ていた夜だった。
まだ、薫が神咲だった頃、真雪と3人で話し合った夜を思い出し苦笑する。
薫が、真雪が、いや、数人の例外を除けば、リスティが寮に来た時に居たメンバー全員が、耕介には泣かされた。
・・・・・・勿論、今は無きシンクレア=クロフォード嬢も、例外ではなく、だ。

「ふふふ、父の事を考えて胸を痛めているようじゃ、残念ながら、春はまだまだ遠いかもね」

今のリスティには許されない。

「昔の事なんか思い出しちゃうとは、僕も年をとったのかな?」

父を思い胸を痛めるなどあってはならない。
リスティ槙原にとって耕介は父なのだ。
だからきっと、これはリスティ=シンクレア=クロフォードの痛み。
そう自分に言い聞かせる。

「僕も
他人(静香)の事言えないね、本当に根が深い大問題だよ」

呟きは、紫煙と共に空に消えていった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






















『ねえ、力が欲しい?』

「・・・何だろう?」

何かに呼ばれた気がして、両親の寝室の扉を開いた。

「・・・気のせい、かな?」

中には、誰も居ない。
机の上に桐の箱があるだけで、誰も居ないのに、何かの気配だけが在る気がする。

『君の本当の実力、知りたくない?』

さっきから感じる気配は、明らかに桐の箱の中から感じる。
それはもう、気のせいなんて思えない程はっきりと自分に何かを訴えてきているような。

『君には本当は凄い実力がある、僕にはわかるよ』

「凄い・・・実力?」

甘い呼びかけに、踵を返しかけていた足が止まる。


『君のお父さんは、本当に凄い人だ。
剣を取っては天才的で・・・』


そう、真介にとっても父は自慢だ。
家事でも、剣でも、他の事でも鼻歌まじりで何でも出来てしまう。


『そのうえ皆にとても愛されている』


そう、真介から見てもわかるくらい父は人から愛されている。
母は言うまでも無く、凄く美人なのに未だに結婚しない真雪さんも、世界の歌姫なんて呼ばれているゆうひさんも父を見る眼は特別だ。
美人で頼れる姉であるリスティも、偶に父ではなく男性を見る眼で父を見ている事も知っている。
かつて寮で暮らしていた人だけでなく、今も寮で暮らす人たちだって憎からず思っているのを知っている。

それに、真介にとって眩しくて、憧れて、恋焦がれているあの少女だって、父の事を・・・

『でもね、君にはそれ以上の実力がある』

「え?」

耳を疑う。
あの父に勝る実力がある。
そんな事、夢にも思ったことはない。
自分は馬鹿じゃない、父や静香が居る頂は、自分如きには1合だって登ることはできない、出来るわけがない。

『だってそうだろう?
君は彼の息子だ。
君には凄い才能がある。
ただ、それが発揮されていないだけ』


それは、彼が望んだ夢であり、同時に諦めていた理想でもあった。

いつの間にか、桐の箱の後ろには、銀髪の少年が立っていた。
式服と言って良いのだろうか?
黒衣の和装と、どう見ても外国人の少年の取り合わせは、少し非現実的すぎて、真介は自分が夢を見ているのかと疑った。
しかし、それに違和感を感じないのは、昨晩同じような組み合わせの人を見たからだろうか。
いや、それすらも夢だったのかもしれない。

「僕なら、それを発揮さして上げられる」


邪気のない笑顔が、誘うように彼に手を差し出す。
現実で叶わない夢ならばせめて夢の中だけでも。
そう、願った彼を誰が責められるだろうか。

そうは言っても、何か良くない予感がして一瞬躊躇する。

「君は、人間じゃない・・・よね?」

その言葉に、目の前の少年は屈託無く頷きを返した。


「霊剣・・・って聞いた事ないかな?」

その言葉には聞き覚えがあった。
ちょっと普通じゃない人が集まるらしい、さざなみ寮で暮らしているだけに、その手の経験は割と豊富なのだ。

「ああ、そういえば昨日紹介してもらったよ。
言われてみれば、色こそ違うけどよく似ているね」

あれは、夢ではなかったのだろうか。
では、これも夢ではないのか、と考える理性は、既に魅力的な誘いと無邪気な笑顔で蕩けてしまっている。
故に安心したように、少年の手をとり微笑みかける。

「似ているって・・・誰に?」

「十六夜さん、っていう金髪の霊剣の人に」

「そう、ここに居たんだ。
なんて、好都合なんだ!
いや、これはもう運命と言っていい。
今宵今晩この場所に、全てのキャスティングが揃うなんて、それ以外に考えられない!!」


狂ったような嘲笑は、真介の脳髄を侵し、やがて意識その物が断線したかのようにプツリと切れる。

「暫くの間だけだけど、とりあえずよろしくね、マイマスター。
僕の名前は・・・」


銀髪の少年は、変わらない屈託の無い微笑で自己紹介をしてくれた。
しかし、もう真介にはそれを理解する事はできない。
理解するための
脳髄(回路)はとっくに断線しているのだから。

最後に見たものは、夜空に浮かぶ切れ長の月。
目の前の少年の笑顔にも似た、酷薄の笑顔を夜空に描く無邪気な三日月だけが、彼の心に焼きついた。


魔術師の後書き


前回の更新、2005年1月上旬です。
・・・いくらなんでも酷すぎるだろ、自分。

待っていてくれた人、本当にお待たせしました。
あなたの感想が、叱咤激励が、次回作を書く燃料となります。
当然、燃料が多いほど、回転は速くなる・・・かな?

諦めずに書け!と言ってくれたあなたが居るから、次回作が誕生したんです。
夢は諦めなければ叶うんだ!!

まあ、人の夢と書いて、儚いって読むんだけどさWW

と言う事で、何とか年内、出来れば3月末までには完成させたい。
最近、あちこちでとらハがらみの話し相手が増えているせいで、なんだかやる気が出てますので。
とりあえず次回は、DVD版のとらハ2の薫シナリオと出来れば十六夜さんのシナリオをクリア後に書きたい。
けど、そんな事言ってると、また数年かかりそうな予感も(汗
通常のとらハ2ならイベントごとにセーブデータ保存してるから確認できるんだけどね。


さ、次回は型月か、もしくはひぐらしかなー。
今年度の目標は、型月ととらハと一個ずつ長編SS完成させることです。

応援よろしくねー。

そーいや、新しいメールアドレスにこっそり変更してから3ヶ月。
一通しかお手紙来ない・・・(涙