第2話《埋葬機関》

 

 

 

新月の闇夜の中で、二つの影が対峙していた。

大柄な男と、小柄な女性。

しかし、奇妙なことに傷付き地面に臥しているのは男の方だった。

 

「ハァー…、ハァー…」

息も絶え絶えな男はキッと女性を睨みつける。

「俺が何をしたと言うのだ!!!!」

激しい敵意と憎しみを込めて男は女性に吐き捨てる。

女はそれに答えずに、懐から長剣を数本取り出した。

 

「くっ!!!!!」

男の瞳が淡いグリーンから金色に変わる。

すると男の身体には眼に見えて変化が起こり始めた。

全身が黄金色の毛に覆われ、犬歯は鋭く延び、爪は全ての物を引き裂かんばかりに鋭さを増した。

そう、男は人間ではない…。

”人狼(ワーウルフ)”…それが男の正体であった。

男は一足飛びに女との距離を詰める。

10メートルは有っただろうか…、その距離を一瞬で詰めその鋭い爪で女を切り裂こうとする。

その凄まじい攻撃を、女は難無く避けていた。

目前から攻撃対象が消え、人狼の爪は空しく傍の大木を引き裂くのみであった。

「くっ!!奴は何処に消えた…?」

人狼は、明らかに焦って居た。

人間の数百倍の五感の鋭さを誇る彼の五感にも全く女の気配が感じられない。

「卑怯だぞ!!!出て来い第七司祭!!!!!」

そんな叫び声も空しく夜の闇に消えていった。

 

突然後方から空気を切り裂き長剣が数本人狼めがけ襲いかかってくる。

それを紙一重で避け長剣が地面に突き刺さる。

ボッ!!!

地面に突き刺さると同時に長剣は凄まじい勢いで炎を放つ。

「こ、これがあの埋葬機関でも最強を誇る第七司祭の「黒鍵」か…」

恐らく自分に刺されば、その炎は骨も残さずに我が身を焼き尽くすだろう威力があることは明白であった。

人狼の額に冷や汗が流れる…。

 

「よく今の攻撃を避けましたね…」

普通の人間にはまるで闇の中から声がかけられた様に思うほどに女の気配は虚ろであった。

しかし、人狼の優れた嗅覚は確かに女の気配が目の前の巨木から発していることを彼に伝えた。

「見つけたぞ!!!第七司祭シエル!!!」

恐らく樹齢300年は越えるであろう大木をまるで薄い紙を引き裂くかのように軽く引き裂いた

人狼の攻撃は凄まじいの一言である。

そしてその巨木が地面にズドーン…と言う音と共に倒され、その影から出てきた女。

蒼い髪をショートにし、黒い法衣を纏っている。

鋭い視線とは裏腹に、その瞳はまるで蒼い宝石のよう…。

かつて、志貴にシエル先輩と呼ばれていた時の暖かさは無い。

かつての第七司祭であった頃の苛烈なまでに激しく冷たい輝きに満ちた瞳の色も無い。

硬質な美しさと、何物も映していない瞳の奥にあるのはただの虚無…。

人狼は場違いにも、その不思議な瞳に魅入られていた。

 

 すっと、シエルは黒鍵をかまえた。

人狼もまた、その鋭い爪をシエルに向ける…。

 

そのまま1分…2分…

 

先に痺れを切らしたのは人狼のほうであった。

大きなモーションから鋭く右の爪をシエルの右側に叩きつけた。

当然その一撃はシエルに避けられる事は人狼も計算している。

先ほどのシエルの動きを見ればその身体能力は新月期の自分を遥かに凌駕している事など百も承知であった。

しかし、それを承知で彼は今ここでシエルを倒す必要があった。

例え、刺し違えてでも…。

そう、人狼の作戦それは…

『俺の攻撃をまたも避け、シエルは黒鍵を俺に投げるだろう…。

しかし、俺がその黒鍵を避けずにそのままあの女に突撃する…。

いくら冷静なあの女でも黒鍵を避けもせずに俺が突撃する事までは計算に入れていないはずだ…。

黒鍵の業火に巻き込まれればいくらあの女でも無事ではすむまい…』

と言う、まさに捨て身の作戦であった。

 

しかし、人狼の予想を大きく上回った動きをシエルは見せた。

あの、巨木をも紙のように切り裂いた爪を左手に持った黒鍵一本で受け止める。

当然いくらシエルと言えども、人狼の全体重を乗せた攻撃を左手一本で防ぎきれる訳も無く、

左腕の肩口から脇腹のあたりまで大きくその爪に抉られる。

肩口からシエルは鮮血を溢れ出して、地面には血の水溜りを作っていた。

それを見ただけでもそのダメージが軽くない事は理解できる…。

しかし人狼にとって驚愕だったのはシエルの行動以上にその瞳であった。

その瞳には相変わらず感情を映してはいなかった。

普通なら気を失ってもおかしくないほどのダメージ…。

我慢しているとか、気にしていないとかそんなレベルではない…。

それはまるで人形のように…。

己が身にも、そして周りにも全く頓着しない、なにも映してはいないガラス玉…。

そんな瞳であった。

 

一方のシエルは人狼のそんな思考などには気が付きもせずに、開いた右手で必殺の武器を叩きこむ。

『第七聖典』…元々幻獣であるユニコーンの角に転生批判を書きこんだ概念武装。

その威力は、無限転生者ロアは元よりあらゆる異端を絶命させる第七司祭シエルの必殺の武器である。

 

第七聖典を打ちこまれ、息も絶え絶えな様子の人狼がシエルに話しかける。

「俺が何をしたと言うんだ…。

俺は、人間を傷付けた事などただの一度だって無い…。

今だって…貴様ら教会の人間が攻撃してこなければ俺は…」

そう言って、人狼は事切れた…。

相変わらずシエルはその瞳に感情を宿さない…。

何処からか女性が走ってきた。

「あなた!!!!!あなた!!!!いや〜〜!!死なないで!!!」

「エ…リザ…か?」

事切れたはずの人狼が最後の力を振り絞ってエリザと呼ばれる女に声をかける。

エリザと呼ばれた女性は人狼の手を握りながら泣きじゃくる。

「死んじゃ駄目よ…ヴォルフ…私を残して死なないで…」

「エ…リ…ザ…。なか…ないで…。俺…が死ん…でも君は…」

そして二度とヴォルフと呼ばれた人狼が言葉を紡ぐ事はなかった…。

エリザがシエルを睨みつける。

苛烈なまでに、激しく燃える憎しみの炎がエリザの瞳に燃えている…。

「彼が…ヴォルフが何をしたと言うの!!!

彼は真面目で優しくて勤勉で…人間よりも遥かに人間らしい人だったのに…」

愛した男の事を過去形で言わなければならない、この冷たい事実がエリザをさらに傷付けた。

もはやその瞳には炎などではなく、ビックバンか、はたまたマグマのように激しい憎しみの熱量を帯びていた。

そんなエリザの瞳とは対極に位置する蒼く美しい、しかし何の感情も映さない熱量の全く感じられない氷のような瞳でシエルは答えた。

「異端は…土へ…それが…神の教えだから…」

それはまるで、あらかじめプログラミングされている答えを読み上げる機械のように、一切の感情もなくただ呟いていた。

そんな態度がさらにエリザの怒りを仰ぐ…

「異端!!!!!彼が異端だと言うの!!!!!?

彼は日曜礼拝も食前の神への感謝も欠かした事の無い敬虔な神の弟子であったのに…!!?」

「異端が…存在する事自体を神(埋葬機関)は認めていない…」

シエルの口調と瞳は何処までも冷たい絶対零度の虚無を感じさせた。

「存在を認めない!!!!?

ならば私はそんな神など信じない!!!

おなかの中の彼の子供と共に死ぬまで神を呪い続けてやるわ!!!!!」

その言葉にシエルの瞳に初めて変化が起こった。

ほんの一瞬だけ哀しそうな色を浮かべた瞳はすぐに元の硬質な絶対零度の宝石に戻り

そして無言でエリザに剣を……………………………………………………………………

……………………………………………………………………………………突き刺した……

「カハッ…」

エリザは一瞬…そして一度だけ血を吐き出し苦しむことなく絶命した…。

最後の瞬間に彼女が愛した男の手を握ろうと手を伸ばしたが……届かずに…

 

冷たい雨が振り出した…

ザッ――――――――――――――――――――――――

雨がシエルの肩の血も、愛し合う二人の遺体も洗い流していく。

「異端と交わり…異端の子を宿した者もまた異端なり…」

どれくらいそうして一人雨に打たれていただろう…。

最後にそう呟きシエルは踵を返し何処かへ去っていった。

 

残された遺体は、それぞれの手を握りまるで眠っているかのような形で横たえられていた。

 

歩みを止めることなく歩き続けるシエルの冷たい瞳からこぼれた一滴の涙は雨に消され他者の目に映る事は無かった…

 

 

 同刻別の場所にて…

 

雨の中で一匹の獣が立っている。

彼の周りには…いや、彼と言って良いのであろうか?

それの周りには、数人の法衣を纏った者たちが倒れている。

獣は空に向かって叫んだ。

「俺は強い!!!!教会の人間が何人束でかかって来ようがこの様だ!!!!!」

 

そこへ、闇の中から現れる様に一人の法衣を纏った若者が出てきた。

眼鏡に隠され顔は見えないが未だ若そうな雰囲気であった。

倒れている教会の者の中で意識がしっかりしている一人がまるで恐ろしい者を見るかのように若者を見て呟いた…。

「あの法衣は…埋葬機関…」

その声を聞いた獣は嬉しそうに叫んだ。

「ほう…、貴様がかの有名な埋葬機関の一人か…。

しかし、誰が来ようがこの俺は…」

獣の言葉はそこで止まった。

若者が眼鏡を外し、懐からナイフを出して獣の横を風のように通り抜けた…。

それで終わり…。

獣は次の瞬間に15の部品に解体されていた。

「信じられない…、われわれが10人がかりで手も足も出なかったあの獣を

奴が喋り終わらない一瞬のうちにバラバラに解体するなんて…」

 

その言葉を背中に受けながら若者は一人また雨に溶ける様に消え去っていた…。