紅の姫君


《二律背反》


秋葉の心臓の位置へと滑り込むシエルのナイフ。

「この勢いなら!!」

爆ぜた勢いに乗ったシエルが、身体ごと秋葉に迫った。


ギィィィィン、と、耳を劈く音が廊下に響く。


秋葉の身体がシエルの勢いに壁まで飛ばされた。
何かが秋葉の懐から滑り落ち、キィンと澄んだ音を立てた。

月明かりの中で輝く、飾り気の無いナイフ。

「そ、それは・・・」

シエルにも見覚えがあった。
柄に『七夜』と刻まれたそのナイフを。

二人の瞼に、ある男性の姿が浮かんでいた。
そのナイフの持ち主が『彼』だったころの記憶

所在無げに床で輝いているナイフは、困ったように苦笑しながら喧嘩する二人を見守っていた志貴の姿と重なった。

「遠野君、貴方って人は・・・」
「兄さんが・・・兄さんが助けてくれたんですね」

等しく共有する、懐かしい日々を思い起こす二人の耳に響く声

「何で秋葉と先輩は仲良く出来ないんですか・・・?」

呆れた様な口調で、顔を会わせれば喧嘩している二人を嗜めていた遠野志貴。

七夜のナイフを秋葉が愛しそうにそっと胸に抱きしめた。

「まったく兄さんは、ちっとも変わらないんですね」

温かい気持ちが胸に満たされる。

二人の喧嘩を止めようとする志貴の姿が幻視された。
穏やかな瞳で、苦笑している志貴の幻に、『喧嘩はやめなさい』と、言われた気がした。






「なんて不様な・・・」


無人のはずの闇の中から冷たい声が響いた。


秋葉の身体がビクンと反応した。


カツンカツン

ゆっくり近づいてくる足音が、それが幽霊や幻でないことを証明していた。


秋葉の胸の鼓動がトクトクと早鐘を打つように鼓動している。


蒼く苛烈に輝く瞳。


秋葉を射抜くような、冷酷さと傲然さと殺意とを混ぜ合わせたような瞳。


聞き違えるはずが無い大切な人の声。
でも・・・・・・


闇を従えて、少しづつその姿を月明かりの下に曝す。
シエルと同じ、黒いカソック服にその身を包んだ男性が秋葉の元に姿を現した。


紅葉の舞い落ちるあの別れの日から、夢に見なかったことは無い男性。
遠野秋葉の最愛の人

薄明かりの下に、『遠野志貴』その人がそこに立っていた。



兄が帰ってきたら・・・・・・?

「嬉しい!!」

抱きついて、泣き出してしまうかもしれない

「何処に行ってたんですか?」

寂しかった日々の恨みをぶつけてしまうかもしれない


遠野志貴が帰ってくるのを心待ちにしていた。
帰って来たらどうしようか?
いろいろなことを考えた。

それはひどく幸せなことだった。
それはひどく残酷なことだった。

生きていると信じている
信じていると言い聞かせている。
気持ちは刻々と揺れに揺れる。

期待と不安の螺旋模様。

それでも最後に秋葉は志貴の生存を信じた。
死を認めてしまったら、もはや帰ってこない気がするから。
そんな、信仰ともつかない空虚な幻想ではなく
自分の胸に存在する、確かな温もりを信じていた。












帰って来た
帰って来た
帰って来た
帰って来た
帰って来た
かえってきた
かえってきた
カエッテキタ
カエッテキタ
カエッテキタカエッテキタカエッテキタカエッテキタカエッテキタカエッテキタカエッテキタカエッテキタカエッテキタカエッテキタカエッテキタカカエッテキタカエッテキタカエッテキタカエッテキタカエッテキタカエッテキタエッテキタ



カエッテキタ?

ダレガ?
ニイサンガ
ドコニ?
ホラメノマエニ

目の前に?

優しい瞳/冷たい瞳
微笑/冷笑
好意/敵意
善意/悪意
愛/憎


目の前にいるのが志貴?

本当に?
信じられない
似ている
背格好から顔立ちまでそっくり


本物?/偽者?


だけどこれは違う
この人は違う

こんな人は知らない


この人は私の『志貴』じゃない



呆然とする秋葉
そんな秋葉にそっと手を伸ばす志貴。

その顔に微笑を浮かべ、ゆっくりと優しく秋葉の頬に手を伸ばす。

「・・・・・ようこそ、惨殺空間へ」

綺麗な微笑み
端正な顔に、ぞっとするくらい危麗(キレイ)な微笑で、秋葉に向かって刃を滑らせる。

そっか・・・


この人は

私の

シキ

じゃない


遠野志貴/七夜志貴
遠野/七夜
魔を継ぐもの/魔を狩るもの





な〜〜んだ、そうなんだ

間抜けな私
今頃気がついちゃった


つまり、そういうこと

ひどく簡単なこと

兄さんは・・・
私の志貴は・・・
遠野志貴は・・・



モウ・・・ドコニモ・・・イナインダ・・・

兄さんから預かっていた物
『七夜』は、相変わらず兄さんの肌の温もりを感じさせてくれていた


七夜志貴が静かに振り下ろす刃が、月明かりに輝いて鬼羅危羅(キラキラ)と光る
刃の切っ先が、私の胸に吸い込まれそうになったとき、

「ああ、これを返さなければいけない」

胸に抱いたナイフの存在に思い当たる。
場違いなことを考えたまま、兄さんに良く似た、少しも似ていない人の顔を眺めて、静かに目を閉じた。



・・・・・・・・・

来るべき衝撃がいつまでも来ないのを不思議に思い、秋葉は閉じていた目を開いた。

すると、不思議な光景が眼前に広がっていた。



志貴は、目を瞑る前と同じく、刃を秋葉の胸に宛がったまま微動だにしない。
それは別に不思議は無い、彼らの目的は自分のような存在を消すことにあるのだから。

不思議なのはもう一人の方だった。
志貴の後方で黒鍵を今にも投擲せんと構えている。
傷ついた身体、その傷は秋葉よりもはるかに重症だ。
腕といわず足といわず、体中を当の秋葉によって略奪されたシエルは、それでも黒鍵を構えて立っていた。

「それを向ける相手が違うんじゃないか?」

後ろに目でもあるかのように、振り向かずにシエルに声をかける。

「秋葉さんから・・・ナイ・・・フを離しなさい、第0司祭」

荒く浅い呼吸で、息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。

「なぜ?」

今にも黒鍵を放たんとするシエルに傲然と聞いた。

「邪魔をしないでください、貴方の出る幕ではありません」

感情を殺した乾いた声が無人の廊下に静かに響いた。

「邪魔をするな・・・ね。
元々ルール違反はそっちじゃないかな?
俺の獲物を横取りしようとしたんだから」

チラリと秋葉に向けた視線は、秋葉の心を深く穿った。

『これは私の志貴ではない』

そう思っても、まるで、獲物を値踏みするかのような冷酷で冷然とした志貴の瞳はつらい。
秋葉の顔が僅かに曇った。

「離しなさい!!」

数本の黒鍵が空気を切り裂き、後ろ向きの第0司祭に襲い掛かった。
高速で迫りくる黒鍵を、振り返ることも無くすり抜けた。
少なくとも秋葉にはすり抜けたように見えた。

嘲る様な笑いが第0司祭の口から漏れる。

「そこにいる不様な女と一緒にしてくれるなよ。
この程度の攻撃など、視認するまでも無い」

先ほどの秋葉と違い、空気を切り裂く気配を察知して身を躱す
無論、攻撃を完全に見切ることにより、身体を最小限度動かすだけで、無駄なくすべてをよけた志貴の動き。
黒鍵をよける。
たったこれだけの動きで、志貴と秋葉の戦闘訓練や経験差が如実にあらわされていた。

「ふん、白けちまったな、今夜は見逃してやる」

「兄さん」

すがる様な秋葉の瞳と、志貴の瞳が交叉する。
その瞳の色は・・・嫌悪?侮蔑?
そんな闇色をしていた。

「汚らわしい混血の化物を妹に持った覚えは無いがな・・・」

吐き捨てるような言葉、見下すような瞳。

秋葉にそう呟くと、目もくれずにシエルに歩み寄った。

「あんたも見逃してやるよ、次も邪魔をする気なら、しっかり身体を癒すことをお勧めするぜ」

「貴方にだけは秋葉さんを殺させない・・・
私の命に代えてもそれだけは、それだけは許さない」


志貴が闇に消えた廊下に静寂が広がる。
崩れ落ちるように倒れたシエル。
呆然としたまま虚空を眺めている秋葉。

三日月はそろそろ西の空へと消えようとしていた。
最後まで浮かんでいた空の皮肉な笑みは、まるで志貴のようだった・・・。


魔術師の戯言

とうとう現れた七夜志貴=第0司祭

なんかやりたい方題して去っていったイメージが・・・
物語は次第にクライマックスへ
そして、ようやく秋葉にもスポットライトが(笑

最後の戦い

志貴はどこへ向かっていくのか・・・