≪月の欠片≫
――――――翌日
恭也は、今日も今日とて翠屋での仕事に励んでいた。
キョロキョロキョロ
相変らず盛況の翠屋の中で、昨日あの客を探すもやはり居ない。
「恭也くん。どうしたの?キョロキョロしてさ…」
偲が恭也に話しかける。
「いや…何でも無いんだ…」
『嘘吐き…』
偲は恭也の言葉にボソリと、否定的な意見を口にした。
「ん?なんだい、海路さん」
「……何でも無いよ…」
そう言って、偲はまた客の仲に戻っていった。
ズキンズキンズキン
偲の別れぎわの哀しそうな瞳が何処か昨日の少女と重なって…
恭也はまたも脇腹の痛みに苛まれた。
「ここは…昨日夢で怪我をしたところ…か?」
夢の世界で負った怪我が、現実の古傷とリンクする…。
馬鹿げた想像だと思った。
でも、その想像を肯定する様に全身の血が…ざわめく…。
ドクンドクンドクンドクン
「すいませ〜ん、スペシャルハーブティーとイチゴタルトを下さい」
「……はい。ただいま…」
スーッと嘘のように動悸が収まっていく。
しかし、頭に浮かびかかったあるビジョンもまた同時にもやがかかった様に霧散してぼんやりとしていく。
『あと少しで…何かを思い出せそうだったのに…』
忙しい1日…
掴みかけた真実を、完全に霧散させてしまうほどに忙しい戦場の様な今日の翠屋であった。
「おつかれ〜、偲ちゃん!!」
1日が終わり桃子が偲に笑いかける。
「お疲れ様です…。店長…今日はここ十何日間でもっとも忙しかったですね…」
くたくたになっている偲を椅子に座らせると、桃子は翠屋特性のミルクティーを二人分用意して持ってきた。
「あ…すいません。店長…」
「良いの良いの…。何で今日忙しかったかわかる?」
「いえ…まったく…」
偲の答えに桃子は悪戯っぽく微笑む。
「恭也がいたからね…」
「え?」
思わず間抜けな返答をしてしまった自分に苦笑した。
「ほら…、恭也って凄く無愛想でしょ?
でも、お店ではお客から注文取ったりするときに普通に喋らなきゃ行けないじゃない」
コクコクと偲が頷く。
「でも、恭也ってお愛想笑いができない子だから…。
無表情に、でも、てきぱきと仕事をこなすじゃない…。
だから「クールでカッコイイ!!」って勘違いしちゃう娘が多いのよ…」
その話を聞いて、偲の顔がム〜〜ッとする。
それを見て、焚き付けた桃子は満足げに頷くと、
「でもね、恭也の母親としてはね…、そんな表面しか見ていない子じゃなくて…
不器用だけど…恭也が本当は優しい良い子だって知ってる子に、お嫁に来て欲しい訳よ」
明らかに目の前の偲を意識して言っているのが偲にも伝わった。
『不器用だけど…優しい』
それこそが、偲が恭也に惹かれた最初の一歩だった。
今も、疲れ切った偲を休ませ、一人でフロアーを掃除してくれている。
『そんな不器用な恭也君が…』
「終わったよ掃除…。遅くなってすまなかった…。
海路さん家まで送るよ…」
そこへ、恭也がやってきた。
「偲ちゃん、よく働いてくれるから…ボーナスあげる」
桃子が突然言い出した。
「はあ?」
いまいち桃子の話の飛び具合について行けない偲。
桃子の何か企んでそうな顔にうんざりする恭也…。
「こんどね、家の家族でお花見に行くんだけど、偲ちゃんもご招待するわ…」
「あの…でも家族の中に私が混ざったら迷惑じゃないでしょうか?」
偲も困惑している。
「大丈夫よ〜!!勇吾君や那美ちゃんも来るし…」
「赤星君や、神咲さんも来るんですか?」
恭也に、訊ねる。心なしか『神咲さん』を強調して…。
「まあ、あの二人は家族ぐるみと言うか…家の妹達とも親しいからね…。
でも、良く神咲さんの事知ってましたね…」
「ええ、神咲さんのお姉さんは風高では有名な選手でしたし、お兄さんも全日本大会三連覇をしている有名な方ですから…私もスカウトした事があるんです」
「那美さんをですか?」
心なしか恭也が苦笑している。
「はい、でも断られました…。
私は剣は全然駄目ですから〜と謙遜されてしまって…」
「あはははははははは」
突然桃子が笑い出し、恭也も笑いを懸命に噛み殺している。
「どうかしたんですか?」
「それ、謙遜じゃないわよ!!!
那美ちゃんは…何も無い所で転んじゃうほどに運動音痴だから…」
いつまでも笑い続ける桃子を尻目に恭也は
「第一、かーさん。花見なんて何処でやる気なんだ?」
桃子はいんだに僅かに笑いながら
「去年の所で良いんじゃない?」
「九台桜隅・・・だっけ?」
「そうそう…、あそこの桜はすばらしかったもんね〜」
桃子は今度は途端にウットリした顔をする。
『良くそんなに顔がクルクル変わるもんだ…』
無愛想と家族にすら言われ続けている恭也は、半ば感心した顔で桃子の百面相を見ていた。
「でも、あそこ別荘地だろ?なんで俺らが去年使えたんだ?」
「え?それは……何でだっけ?」
そんな桃子に呆れながらも恭也はまたも目眩を覚えていた。
…九台桜隅…花見…
「まただ…、何かが引っかかる…。
去年の花見にいたのは…。
俺、かーさん、美由希、なのは、晶、レンそれに赤星…と言ったお馴染みのメンバーに
去年から神咲さんと…久遠と…あと、一人いたはずだ…
あれは…誰だ…」
『昔、飛行機が墜落した時に…』
何だ!!この記憶…
『この傷は私と高町君の友情の…』
誰だ?お前は…
「きゃ〜〜〜!!!!本当?ありがとう偲ちゃん」
恭也の思考は桃子の嬌声によって吹っ飛ばされた。
「別にかまいませんよ…。
あそこの別荘は綺麗な桜が咲いてますし…」
「どうしたんだ、かーさん?」
「恭也、偲ちゃんちが偶然九台桜隅に別荘を持ってるから場所をつかわしてくれるって…」
それから桃子と偲が、日取りや何かの事を話し合っているうちに時間が経っていた。
「あ!!もうこんな時間ね。
恭也、偲ちゃんを送ってあげて!!」
と言う事で、今恭也は例によって後に偲を載せていた。
「ねえ、恭也君」
「ん・・・」
「恭也君てさ…、あのお客さんの事知ってるの…?」
偲がポツリと…でもずっと気にかかっていた事を恭也に訊ねた。
「あの、お客とは…?」
こんな時でも恭也は鈍い。
「昨日、恭也君が倒れた時のお客様…」
「ああ…」
「今日も…捜してたでしょ…?」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
しばらく沈黙の楽の音が夜の空を流れて、恭也が踏みこむペダルの音だけが響いていた。
「知っている…気もするんだが…」
恭也がポツリと答えた。
誤魔化している訳では無いのだろう…。
そんな人では無いのは偲も承知している。
「誰…なの。あの人…。綺麗な人よね…」
「わからないんだ…、何処の誰なのかはさっぱり…」
「そう…なんだ…」
そして、再び時の流れが止まった様に沈黙の楽曲が奏でられる。
「…ありがとう…送ってくれて…」
いつもと違い、微笑を映してくれない偲の顔が何故か痛々しかった。
「……………………………………しのぶ…」
ビックリして、振り向いたしのぶに恭也が続ける。
「だった気がするんだ…。あの客…
夢の中では……おれは、彼女をそう呼んでいた…」
「…そう………なんだ…」
彼女は振り向かずにそのまま家に戻っていった。
ポツリと一言呟いて……
「私の事も…夢の中だけでも良いから…しのぶと呼んで…欲しいな」
そして、扉は閉じられた…。
恭也の胸を、ここ最近の痛みとは違う…
掻き毟りたくなるような焦燥感を伴なった痛みが、じわりと浸食していくのを何処か他人事の様に感じていた。