教室にカリカリという、紙とシャーペンの織り成す単調な音楽が響く。
静寂に包まれた教室、誰もが真剣に目の前の問題と対峙していた。
かくいう遠野志貴も御他聞に漏れず、時計の針に追われるように紙にペンを走らせていた。
その無個性で単調なオーケストラの終了を告げるチャイムが、教室に鳴り響いた。
鐘の音と共に止まっていた教室の時間が動き始める。
窓の外に視線を転じれば、いつのまにか春の匂いを感じさせる優しい日差し。
こんな日は黒猫のレンを膝に抱いて日向ぼっこも悪くない。
「ん、ん〜〜…」
声を出して大きく伸びをする。パキパキと小気味良い音をたてた。
ようやく、3学期の中間テストが終わったのだ、今回のテストはかなりがんばった、つもりだ。
妹の秋葉が言う「遠野家の長男に相応しい」成績が取れるかはわからないが、寝る間も惜しんで、いつもより一生懸命勉強したのは確かだ。
ちなみに、元々志貴の成績は決して悪くない。
ただ、超一流の学校である浅上で、常にトップを争う秋葉と比較すれば、問題外だということだ。
「毎度毎度秋葉に小言を貰うのは、兄貴の沽券にかかわるからな」
今まで一度でも沽券が守れたことがあっただろうか?という、哀しい疑問には敢えて耳を塞ぐ。
とにかく、今回、自分はがんばったのだ。
アルクェイドと遊ぶのも一週間我慢したくらいだ。
短いとはいえ明日から数日はテスト休み。
「あいつとも遊んでやらなきゃな」
しばらく遊べないと伝えた時の、不満そうに頬を膨らませるアルクェイドの顔が眼に浮かぶ。
秋葉や翡翠、琥珀を誘って、ゆっくり一日屋敷でお茶を飲むのも良いだろう。
先輩と約束したアーネンエルベにもまだ行ってないし。
もう一度窓の外を見る。
「なんて、良い天気」
二月の空が青く青く澄み渡っていた・・・。
Kinder von Mondlicht
Zwei Nacht
「よお、遠野」
バスン、と、いう衝撃で息が詰まる。
悶える志貴を尻目に叩いた有彦は悪びれない顔で声をかける。
「早く帰ろうぜ、楽しい休みが終わっちまう」
あまつさえ、ニカッっと指を立てて良い笑顔を見せる。
「何すんだよ・・・」そう、声を絞り出そうとするよりも早く
「それに、校門のところで、いつもの美人がお前を待ってるぜ」
そんな、爆弾発言が聞こえた。
窓の外、特に校門のあたりに眼を移す。
「・・・・・・居た」
休みを前にごった返す校門には黒髪の群れ、そこに一人だけ場違いなほどに鮮やかな金の髪をした吸血鬼がいた。
眼があった、嬉しそうに手を振っている。
『見えない、俺は何も見ていない』
無視を決め込む志貴にムッとした表情をする。
「志貴〜〜〜!!!」
大声で名前を呼びながら手を振るアルクェイド。
ただでさえ目立つアルクェイドが、でかい声で名前を呼びながら手を振っているのだ。
校門前の生徒の視線が、アルクェイドの視線を追ってやがて志貴に辿り着く。
『オレ、スゴイメダッテイマセンカ・・・?』
ガバッと鞄を掴み、一気に下駄箱まで飛び降り、アルクェイドの前まで全速力で走りぬける。
「志貴、早いね〜」
なんて、アルクェイドは微笑んでいる。
すぅ〜はぁ〜、と息を整える。
「志貴、大丈夫?」
なんて、アルクェイドの言葉にニコリと笑って頷き、耳を貸すようにジェスチャーで示す。
「なになに?」
好奇心いっぱいの瞳のアルクェイドの耳先で
「こんの馬鹿女ぁぁぁぁ!!!!!」
と叫ぶ。
もう、肺の中の酸素を全て吐き出すかのような勢いで。
「学校には来るなってあれだけ言っただろ」
キーンとする耳を押さえ、涙目のアルクェイド。
「何よ、志貴がテストが終わったら、すぐに遊んでくれるって言ったんじゃない!」
「だから、鞄置いたらお前のところに行く気だったんだけど」
「
「確かに言ったけど・・・」
思わず頭を抑える。
「それにね志貴、できちゃったみたいなの」
すぐに、ってのは言葉のあやって言うか、そもそも、なんでアルクェイドが正確に試験の終了時間まで把握してるのか、なんていくつかの疑問は、この言葉で全部吹っ飛んだ。
「ごめん、俺勉強疲れらしい、もう一度言ってくれないか」
はは、まさかね。なんて乾いた呟きが漏れる。
「だから、できちゃったみたいなの」
アルクェイドは自分のお腹を擦りながら、正確に同じ言葉を繰り返した。
『うん、どうやらさっきの言葉は聞き違いじゃないらしい』
「そうか、できたか」
って、えええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!?
「そんな、バカな!!」
声が思わず上ずる。
ドクンドクンと自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。
春のような暖かい日差しの中で、冷や汗が止め処なく流れおちる。
身に覚えはある。
って言うか、あり過ぎるほどだ。
「志貴、真っ青だし震えてるよ、大丈夫?風邪?」
言葉が出ない志貴の耳に、アルクェイドのノー天気な声が届く。
「ねえ、ところで志貴」
まったく声が出ない。
秋葉に殺されるかもしれない。
テストなんて問題にならないくらい大ピンチだ。
「できちゃった・・・って何?」
「・・・・・・・・・・・・・・・は?」
「琥珀がね、「寂しい思いをさせるなんて志貴さんは悪い人ですね〜。
ちょっとびっくりさせてあげたらいいですよ」って。」
ヘナヘナヘナ、っとその場に尻餅をつく。
わりと普通じゃない人生を送ってきたと自信をもって言える志貴の経験の中でも、今回ほど恐怖を感じたことはほとんどなかった。
自分が殺人鬼なんじゃないか、と怯えていたときと同じか、それ以上の恐怖だった。
クスクス楽しそうに笑う割烹着の悪魔が眼に浮かぶ。
ポンと肩に手を置かれる。
「っていうか遠野、身に覚えはあるんだな」
すっごく意味深な表情の有彦が立っていた。
有彦の言葉に返事をする前に
「あ、有彦だ、やっほー」
「よお、アルクェイドさん」
なんて、親しげな挨拶が聞こえる。
いつの間に二人は知り合いになったんだろう。
「いや、この間街で声かけられてさ」
「志貴から良く話聞いてたし、オレンジの頭なんてめったに居ないから、すぐわかったよ」
「んで、まあお茶しながらいろいろと遠野との逸話を披露したわけよ」
ククク、何て楽しそうに笑う有彦。
絶対に余計なことを話したに違いない、しかも確信犯で。
ついでに言うなら、試験時間を教えたのもこいつか。
ゴン!!
と、鉄拳をその反社会的なオレンジの頭に振り下ろす。
「・・・いってぇ!遠野何すんだよ!!」
「さっきの仕返しだ」
ホントは70%以上八つ当たりだけどな。
「さっきのって・・・遠野、お前ってホント俺には酷いやつだな」
「じゃあな、有彦。いい休みを過ごせよ」
悶える有彦に、爽やかに挨拶をして、そこに置き去りにしてアルクェイドと歩き去ろうとした。
「待て、お前は鬼か。親友を見捨てて行く気か?」
「誰が親友だ!?」
そんな、志貴と有彦のやり取りを見てアルクェイドは笑い出す。
なんて、平穏で、なんて、平凡で、そして・・・・・・幸福な風景。
そのまま、何故か3人で喫茶店に入る。
「そういや、先輩と約束したアーネンエルベ、まだ行ってないな。
この休みの間に行かないか?」
「志貴、シエルの事よりも、連れて行って欲しいところがあるんだ」
たちまちテーブルが、アルクェイドが広げた旅行雑誌に埋まる。
「先輩ならここ最近学校で見てないぜ」
「そうなのか?」
アルクェイドが持ってきたパンフレットに眼を通す。
有名な温泉地だったり、観光名所だったり、いろいろだ。
「ああ、テスト週間なのにな」
有彦は当然知らないが、シエルは本来生徒ではない。
暗示をかけて学園に入り込んでいるだけなので、本来ならテストどころか、授業にだって出席する必要がないのだ。
ただ、シエルが仕事に行ったのはちょうどテストが始まる一週間前だった。
ずいぶんと手間がかかっているのが気になる。
有彦の言葉に適当に相槌を打ち、別のパンフレットを見る。
どうも、人が多い所は疲れるから遠慮したい。
海か山か、そんな風光明媚なロケーションで、なおかつそれほど観光地として有名すぎない場所がいい。
「まあ、そんな都合がいい場所なんてそうそう無いか」
「志貴、私ここがいいな」
アルクェイドの勧めるパンフレットには、眩しい日差しに輝く青い海と、綺麗な砂浜が広がっている。
吸血鬼が過ごすには最も不釣合いな場所のような気がする。
思わず苦笑する。
まったく、こいつほど太陽が似合う吸血鬼なんて、どこにも居ないに違いない。
「お、確かにここはなかなか良いな」
海も山もあり、おまけに交通の便もいい。
ただ、名前は聞いた事ないから、それほど有名な観光地ではないのだろう。
「ああ、海鳴か。そこは良いぜ、気候は穏やかだし、街も都会過ぎず田舎過ぎず、飯も美味い」
放浪癖のある有彦がお薦めするんだから間違いないかな。
「何よりこの街、やたら美人が多いんだよ」
・・・前言撤回、やはり、この男は信用できない。
やっぱ温泉にでも行くか、最近疲労が溜まっているし。
「アルクェイド、ここ却下」
「むうう〜、志貴の意地悪!」
「そう言えば、先輩もここに行くって言ってたな」
有彦の言葉に、温泉のガイドブックを見てた手が止まる。
確かに、先輩はテストを受ける必要はない。
しかし、普通の学園生活を、とても楽しんでいたのを知っている。
まるで、失われた過去を懐かしむように、日常って物をとても大切にする人だ。
仕事に際しての実力に至っては、言うまでもないくらいだ。
その先輩が一週間以上戻ってきていない。
苦労しているのだろうか、もしかしたら苦戦しているのかもしれない。
自分が行っても、さして役に立たない事を志貴は理解している。
もしかしたら、仕事なんてとっくに終わらせて、バカンスを楽しんでいるのかもしれない。
「でも・・・」
無駄足になってもいい、いつもお世話になっている先輩のために何かしら役に立てるなら・・・。
「行ってみるか、その海鳴って街に」
「ホント、志貴!?わ〜い!!
シエルがらみってのがちょっと気に入らないけどね」
有彦と分かれた後、夕飯を食べながら二人は旅行の計画を立てた。
海鳴の一番の売りはその名の通り海だ。
幸い、今はオフシーズンなので、明日からで早速宿も取れた。
全額アルクェイド持ちなのが涙を誘う。
いつか、返す。そんな志貴の言葉に、うん、いつかね。なんて、まったく期待していないリアクションが返ってきたのは忘れたい記憶だろう。
「なあ、アルクェイド。
実際のところ真祖と人間の間に子供が生まれるなんて事はあるのか?」
話し合いも終わり、不意に呟かれた志貴の言葉に、飲んでいたティーカップをテーブルに戻し、アルクェイドも思案するように腕を組んで考え込んでいる。
以前、志貴がシエルに聞いた真祖という存在は、精霊に近い存在であるということ。
その誕生に、そもそも生殖行為自体必要としないはずだ。
「うーん、どうだろ?アルトルージュみたいな例があるからな・・・。ないことはないのかな?」
アルトルージュは、真祖と死徒の混血であるのだが、無論志貴は知らない。
志貴が、突然そんな事を考えたわけ。
決して、今日の琥珀のブラックジョークにびびったわけではない。
いつの日か遠野志貴は死ぬ。
当たり前だ。
それは、恐らく人より長く生きられない、この身体じゃなくても同じ。
少なくとも、どれだけ健康に気をつけても、永劫に近い寿命を持つアルクェイドよりも先に自分が死ぬことに変わりはない。
・・・・・・人間である限り。
志貴が死ねば、またアルクェイドは一人になってしまう。
志貴と共に生きた時間を夢に見ながら、再び永劫にも近い時を一人で眠って過ごすのだろう。
それは、酷く残酷な結末。
志貴が最後を迎えた時、アルクェイドは今度こそ望むのだろうか。
「好きだから、吸わない」
あの時の言葉は、今も胸に焼き付いている。
でも、アルクェイドに血を吸われれば、自分が死徒になれば、アルクェイドは一人にならない。
永遠に近い時間を一緒に居られる。
そんな事を時々考える。
その時が来たら、自分は何を選択し、何を失うのか。
考えはまとまることもなく、思考は常にメビウスの輪のように、堂々巡りを繰り返す。
子供も同じだ。
もし、自分との間に子供が生まれたら、その子はどうなるのか。
真祖になるのか、人間になるのか、死徒になるのか、生まれる事はないのか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それとも、そのどれでもないのだろうか。
答えの出ない疑問は、その日二人が眠りに落ちるまで続いた。
魔術師の戯言
今回は月姫パートです。
月姫キャラ自体書くのが久しぶりです。
まして、アルクェイドがメインに来るなど初めての試みです。
ついでに、有彦に至っては書いたの自体初めてな気がします。
逆に、シエルさんは物凄い登場率です。
使いやすいです、もちろん自分が好きなのもありますが。