目の前に広がるのは荒涼たる大地。
それはまるで、いつか本で見た月世界のような風景で、見渡す限りの不毛な、生命の欠片すら見いだせない世界。
アーチャーの声に応えて、廊下に向かって扉を開け放ったはずの凛は,、自らの目を疑い思わず瞬いた。
そして、瞬き後の視界に、彼女は今度こそ息を呑んだ。
今しがたまで自分が居た教室すら消え去り、開け放った扉にかけられていた自らの指は、不安気に虚空を掴んでいた。

「ありえない・・・」

戦慄が思わず溢れる。
生命の存在すら感じられない荒涼とした大地、にも拘らず、それらはたしかに居る。
視界に入らずともわかる、人とは異なる獰猛な息遣い。
そして、何よりも肌を刺すようにピリピリと感じる桁外れの魔力。
神獣や幻獣クラスの獣の存在を感じて、魔力回路が、魔術刻印が悲鳴をあげている。

日常の象徴たる学び舎が、一転して幻想種の跋扈する異界に。
それは、世界を異なる異界にて塗りつぶす異常。
術者の心象の世界を現実に上書きする禁忌。
最も魔法に近い大魔術『固有結界』。
士郎とセイバーが学校に来た理由が恐らくこれだろう。

「ライダーのサーヴァント!」

相手は、あの馬鹿げた強さを誇る、カミュやデスマスクですら慄くほど強大な敵だ、士郎たちだけで戦って勝てるとは思えない。
早く駆けつけてやらなければいけないのに。
周囲は見渡す限りの不毛な荒野。
迂闊に動けば何が起こるか分からない。

「アーチャー!!」

同じく校内にいるはずの己のサーヴァントからの返事はない。
まさか、彼の元にも敵の魔の手が迫っているのかもしれないと最悪の状況が思い浮かぶ。
手の甲で輝く3画の奇跡。
サーヴァントとの合意の上なら、魔法に近い奇跡すら可能とする令呪。
そう、空間を超えて、今この場に彼を呼び寄せることすらも可能とする切り札中の切り札。
そして本来「人」よりも高位に属する、英霊たるサーヴァントを御するマスターの唯一絶対の手段だ、これを失った瞬間己のサーヴァントに殺されるマスターも少なくない。

ゴクリと息を飲み込む。
使うべきか使わないべきか、それは戦局をも左右しかねない一手だ。

―――――Anfang

遠坂凛は迷わない。
一瞬の逡巡ですべてを失いかねないこの聖杯戦争で、迷うなんて馬鹿げている。
何よりも、アーチャーと自分の絆は令呪よりなお深いと信じているから。

輝く令呪の光が不意に鈍る。

「待て」

短い呟きが荒野に響く。
冷静な、怜悧な、何処か冷ややかな言霊が世界を侵食していく。
不毛の大地が、闇よりも暗い曇天が、乾ききった大気が、幻想種の咆哮が、令呪の光の粒子すらも凍りつき、ひび割れ、まるでガラスのように音を立てて崩れていく。
崩れる世界の向こう、凛の視界の先には、輝く金の甲冑と女性とも見紛うばかりの容姿の赤毛の男が立っていた。

「大丈夫か、遠坂凛」

何処までもクールに凛を見遣るこの男の前では、世界すらも凍結して崩れ落ちる。

「キャスター!」

そう、此度の聖杯戦争で魔術師のクラスとして召喚された、『水と氷の魔術師』水瓶座〔アクエリアス〕のカミュだった。

テレパシーに応じないアーチャーと合流するために、カミュとともに異界から日常に戻った廊下を進む。

「助かったけどずいぶん早かったわね」

アーチャーに柳洞寺の二人に連絡するよう指示してから数分しかたっていない。

「さすがは光速の動きを持つサーヴァントと言ったところかしら」

そんな凛の言葉に、カミュは何の事だと首を傾げる。

「え?アーチャーの要請に応じて助けに来てくれたんじゃないの?
じゃあ、あんた、何しに学校に?」

「宗一郎殿にお弁当を届けに来たら、校舎全域を覆う恐ろしい小宇宙を感じて、もしやと思ったのだ」

完全武装でお弁当を届けにくるな!!
そもそも
愛妻弁当届けにくるな!!!
ていうか、
お弁当を作るな!!!
そもそも・・・」

「あ、あれは!!!!?」

凛の魂のツッコミにもクールに動じず、カミュのピンクの巾着に入ったお弁当を持つ手が指さす方向には、何時の間にやら学校の時計塔に灯る12の炎。
いや、正確には既に2つの炎が消えているが、確かに火時計に灯る炎が揺れていた。

「恐らくあの火時計が全て消えるまでに、ライダーの元に辿り着け無ければ・・・アテナは死ぬ!」

あまりの事態に、クールなカミュの頬にも一筋の汗が流れる。

「ア、アテナが死ぬ!?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・って、アテナって誰よ!?

「恐らくライダーは屋上にいる。
一刻も早くアイオロスと合流し、屋上に向かうぞ」

相変わらずクールに凛のツッコミは無視するキャスター。
凛のさらなるツッコミを妨げるように、始業を告げる鐘の音が校舎に響く。

『凛・・・凛、無事か?』

そして、その鐘を待っていたかのように、アイオロスからのテレパシーが不意に二人の脳裏に響いた。

「アイオロス、あんた今までどうしてたの!?」

「凛、アイオロス、話は後だ。早く合流せねば、アテナのお命が危ない

いや、そもそもアテナなんて居ない・・・

な、何ぃ!?アテナのお命が!?
本当か、カミュ!!」

凜はすでに諦めの溜息をついていた。

「本当だ。今すぐ合流するぞアイオロス」

「それで、凛よ。きみにちょっと助けてもらいたいのだ。
じつはある意味、時空の間の、ねじまがったすごく面倒なことになってしまったのだ」

「わたしや凜に助けを求めなくても、アイオロスなら、いかなる時空からも戻ってこられはずだが」

やはり、アイオロスもあの幻想種の跋扈する、固有結界の攻撃を受けていたのかと息を呑む。
それも、カミュが言うとおりあのアイオロスが自力で戻ってこれないとは、もしや神獣と戦っているのか。
戦慄し、廊下に佇む二人の眼前の扉が開かれ中から見知った顔が覗く。

「おい、遠坂、授業いかなくていいのか?」

「あら、綾子こそもうチャイムが鳴ってるのにどうかしたの?」

「ん、それが更衣室から変な物音というか気配がするのよ、気になって着替えるの遅くなっちゃった」

少し離れて佇むカミュを見て綾子の目が点になる。

「って、あれ誰よ!?」

「・・・えーと」

さすがの凛も返答に窮する。
アイオロスが気に掛かる、この学園は既に異界となっている。
はっきり言って雑談している余裕なんかないのだ。
それ以上に横に立っている突っ込みどころ満載の男をなんと説明したらいいやら

「宗一郎殿の妻です」

ニコリとで挨拶したカミュに目を疑う凛と綾子。
あまりの綺麗さとその珍妙な格好は「向こうのファッションかな?」と去っていく綾子と、今まで見たこもないくらい満面の笑みで『妻』宣言するカミュに戸惑う凛が残された。

「あんた、妻って・・・」

「凛、そんな問答している場合ではないようだ」

本当だよ!!と突っ込みたいが、ツッコミ役の凛が未だに呆けているのでツッコミ不在である。
視線の先では、既に蟹座の炎も消えようとしていた。
屋上で誰かの魔術の気配を感じる、考えられるのは士郎かライダーのマスターか、どちらにしても緊迫した状況であるのは間違いない。

「キャスター、アイオロスはこっちのはずよ、着いてきて」

「えっ!?」

あのカミュですら一瞬戸惑ったが、仕方なく凛に続いて、先程綾子が出てきた扉をくぐる。

「アーチャー、無事!?」

「・・・凛、周囲に人はいないか?」

「ええ、誰もいないわ。それより貴方は無事なの!?」

凛の返答を聞き、一つのロッカーが音を立てて開き、中から鮮血を流すアイオロスが現れる。

「あんたが負傷なんて、一体何と戦っていたの?それに時空が捩れた面倒な空間て・・・」

心配故か一気に捲し立てる凜を制し、カミュがティッシュを渡してやる。

「遠坂凜、何故こんな所にアイオロスを留めた?」

「な、何故って・・・教室まで宝具を持っていくわけにはいかないでしょう?」

冷やかな視線に僅かに戸惑いながら答える凜も、アイオロスの鮮血を止血する様を見て、カミュの言わんとしていることに気がついた。

「アンタ、もしかして・・・」

アイオロスが気まずそうに視線を外す。

「凜、許せ。君のピンチを察し、すぐに出て行こうとしたのだが・・・」

「あんた、
マスターのピンチに覗きしてたわけ!!!?」

「それは、誤解だ。
決して覗いたりなどしていない、硬く眼を閉じて己の小宇宙と向き合っていた」

両目に熱い涙を浮かべるアイオロスの言葉に嘘はないのだろう、だが
鼻に詰まった真っ赤なティッシュが著しく説得力を欠いていた。

「凜、アイオロスは智、仁、勇全て兼ね揃えた聖闘士の鑑となる男。
間違いなく、覗きなどしていない、蟹なら兎も角
それに、君も悪いんだぞ。こんな所に彼を待機させるなんて。
察してやってくれ。彼はこう見えてもまだ14歳なんだ。
年上の女性が、目の前で着替え始めれば硬直してしまっても仕方ないだろう。
ましてや彼は、聖闘士の生活環境と当時の状況から察するに、生涯でまともに接した女性は赤子であるアテナのみ!!

クールなカミュが珍しく熱弁しているが、内容が内容だけに笑えばいいやら突っ込めばいいやら、言葉のない凜だった。

「・・・わかったわ、それよりも士郎が心配だから屋上に向かいましょう」

扉を開け放った瞬間、再び学び舎は異界に変わる。
骨と皮まで痩せ細っているのに、腹だけはぼっこり飛び出した化け物。
そう所謂餓鬼である。

「ハッ!!!」

凜を守るように前に立つアイオロスが、気合一閃、光速の煌きが凜の前に立ちはだかる餓鬼を蹴散らす。

「有り得ない、固有結界は術者の心象風景の具現化。
さっきの異界とこの異界はどう見ても異なる世界・・・。術者は2種の心象風景を使い分けているとでも言うの?」

「2種ではない、6種だ」

「え?」

「これは、シャカの六道輪廻だ。
単純にいえば、この技を受けた相手は地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界の何処かに叩き落される」

心象風景ではなく、彼が任意で創った世界に叩き落す。
それは、もはや『固有結界』なんてレベルではない。

「空想具現化!!あ、有り得ないなんてものじゃないじゃない!
世界の触媒たる精霊や真祖だけが持つ能力よ!
そんなのもう英霊のレベルですらないじゃない!!」

取り乱す凜に、冷酷なまでに冷静なまま、目の前の魔術師は告げる。

「故に皆、シャカのことをこう称するのだ、「最も神に近い男」とな」

カミュの言葉を受け、呆然とする凜の背後で、光が幾重にも走り、世界がずたずたに引き裂かれる。

「だからこそ、急ごう、リン」

世界ごと引き裂いた拳を、ぐっと握り、笑いかけるサーヴァントに、静かに頷く。
惜しむらくは、鼻にまだ
ティッシュを詰めたままな点だろうか。

「行くわよ!!二人とも!!」

窓の外の火時計では、何かを暗示するように乙女座が力強く燃え盛っていた。


聖闘士Fate

磨羯宮篇


火時計はすでに、蟹座が今にも消えようとしていた。
静かに、だが確実に、桜の命が失われようとしている。
焦れる様な時間、士郎の視線は刻一刻と灯火を失っていく火時計と、泰然と瞑想をしているライダーの間を行ったり来たりしていた。
いや、正確には士郎が見ようとしているのは、ライダーの後ろに横たわっているであろう桜の姿だったが。

「ふむ、君は本当に落ち着きがない」

自らに突き刺さる視線が煩わしいのか、ライダーは突然立ち上がり体をずらす。

「桜!!」

痛々しくも、黄金の矢が突き刺さった桜の姿に逆上する。

「落ち着け、士郎」

今にも走り出しそうなマスターの体を、羽交い絞めにしてシュラが止めた。

「そんなに、この少女が大切かね?
この少女は世界を滅ぼす鍵となる少女でもかね?」

「・・・お前、何を言ってるんだ、桜はそんな奴じゃない!!」

ちらりと桜に視線を遣り、ライダーが優美な笑みを浮かべる。

「ふむ、ただ、ここで座していても退屈だろう。
どうだね、セイバーのマスターよ、一つ私と遊ばないかね」

敵意を込めた視線を侮蔑したような笑みで受け止める、この青年はそんな表情すら美しく見えた。

「なに、簡単なゲームだよ、私はここから一歩も動かない。
君が独力で彼女の所まで辿り着けたら、特別に彼女を解放しようじゃないか」

「・・・何を企んでいる?」

間違いなく同情や哀れみではない、そんな物は持ち合わせていないと、自ら言ったこの男の提案をいぶかしむのは当然だ。

「だから、暇潰しだよ。
君が参加しないのなら、それはそれでいい。
ほかのサーヴァントが来るまで大人しく待つがいい」

本当にどうでも良いと言いたげな口調が癪に障る。

「お前は人の命を、桜の命を何だと思っている!!」

「フッ、で、君は参加するのかね、しないのかね?」

冷淡な返答が、言葉よりも雄弁に語っていた。
本当に、こいつは、桜の命など、どうでもいいのだ、と。

「やってやるさ!」

意思表示よりも前に既に体は桜の元へ走っていた。
魔力で肉体を強化し、ここ数日のシュラの教えを思い出す。
音速とは言わないまでも、人の常識をはるかに超えた速度で桜へ迫る。

「シロウ!!!」

「カーン」

シュラの言葉で、一瞬だけ早く身を翻した士郎だったが、次の瞬間フェンス際まで吹っ飛ばされる。

「士郎、無茶だ」

シュラが受け止めてくれたおかげで、フェンスに直撃こそ避けたが、掠っただけのダメージで脳が揺らされた。

「反則だな」

そんな、ライダーの言葉が、グワングワンと揺れていた胡乱な頭に響く。

「私は独力で、と言った筈だ。シュラに受け止めてもらうのは反則だな」

す、と桜の細い首筋に手刀を添える。

「いくかね?ポトリと」

「止めろ!!」

「良かろう、きちんと定義しなかった私の落ち度もある。今回は大目に見よう、だが、次に反則を犯したら・・・」

「止めろと行っている!」

「シロウ!!」

心は前へと叫ぶのに、身体は先ほどのダメージが尾を引いている。
明らかに先ほどよりも動きが鈍い士郎にシュラが叫ぶ。

「ふむ、手出しは認めないが口出しは認めようか」

「屈め!」

先ほどと同じく吹き飛ばされ、今度は体を強かにフェンスに強打する。
だが、痛みを意に介する暇はなく、ただ愚直に前へと進む。

「もう止めろ、シロウ、このままじゃお前が先に死ぬぞ」

セイバーの言葉に返事をすることもなく、前へと出る。そして、また吹き飛ばされた。
一歩も動かないシャカ相手に、もう何度吹き飛ばされただろう。
正確にはわからない、何度も意識が飛んでいるし、十度を越えた後は数えるのを止めた。

身体を預ける様にしていた木刀がとうとう砕けた。
強化していたとはいえ、何度もシャカの攻撃を受け止めたのだから当然といえた。

「唯一の武器も費えた。諦めるかね?」

そんな愚問に、愚直な前進をもって答える。

『現実で勝てないのなら、勝てる物を生み出すしかない』

そんな天啓のような言葉が脳裏に響く。

「・・・そう、だ。勝てないのなら、勝てるものを・・・」

極限の精神状態だからか、瞼の裏側に、剣が突き刺さる荒野を幻視した。
何かを掴む様に手を突き出す。
まるで、瞼の裏側の剣の丘に存在する、二本一対の陰陽の夫婦剣を引き抜くように。

『貴方、ナニを言ってるんです?』

『え!?』

今、まさにこの手に掴めそうだった剣が霧散する。

『ですから言ってるじゃないですか、想像だけで勝てるのなら、誰も苦労しません

『え、ちょっと、アンタ』

『いいですか、聖闘士同士の戦いは、小宇宙をよりセブンセンシズに近づけた人が勝つんです』

瞼の裏が遠ざかる。

『じゃあ、がんばってくださいね。
あ、でもここらで一度
BAD ENDもありですよ、あの二人が出番がなくて拗ねてますし』

今の言葉が完全に止めだった。
瞼の裏の赤い世界は、何故かブルマを穿いた泣き黒子の男に取って代わり、確かにこの手に掴んだ夫婦剣が霧散していく。

『待て!桜を救ってないんだ!
俺はここでまだ死ぬわけには行かない!!』

消えそうな剣を必死で掴むようにして、眼を開く。
己の手の中にある、確かな鋼の感触。
先ほどまで間違いなく空手だったにもかかわらず、両手に何かをしっかり握り締めていた。

「シ、シロウ、それは!!」

その手に掴むは鎖、先には刃が付いている。
無銘の短剣、宝具ではないそれでは目の前の男には通じない。
それでも、徒手空拳よりはマシだと挑みかかる。
踊りかかる短剣が中空でピタリと止まる。

「君、私を馬鹿にしているのかね?」

ライダーに強く睨まれただけで、短剣は音もなく崩れ去る。

「今のは、・・・俺の、練成が、甘かったか」

当然の結果を受け止めもう一度自己に没頭する。
衛宮士郎は創造者だ、そして奴を打破できるのは宝具だけだ。

奴を打破できるものを生み出せ。
――基本骨子を解明し
――構成物質を解明し

『小宇宙を高め』

――そう、コスモを高め

「って、え!?」

また、邪魔が入る。
都合が良い妄想だろうと、桜を取り戻すためには、目の前のあの『神に近い男』を打破しなければならないんだ。

迷いを振り切り、神を打破できるものを作り出せ!

再び開かれた瞳に映るのは、己の手の中にある、鎖。
先ほどのように短剣が付いている訳でもない、ただの鎖。
けれど、その圧倒的な存在感は何だ。

天の鎖〔エルキドゥ〕

マスターになったときに身に着けた、視覚情報をデータ化するスキルが教えてくれた。
古代メソポタミアにおいて、神の使いである牡牛ですら拘束した対神宝具。

目の前の男を倒すことはできなくても、拘束できれば桜を救うことはできるかもしれない。

「くらえ、天の鎖!!」

迷いを振り切り、天の鎖をライダーに放つ。
鎖は彼を縛り付けるように巻きつき、拘束する。

「・・・これが何だというんだね」

「ただの、鎖と侮るな!!それは、かつて神の使いたる聖なる牡牛すら封じた宝具だ」

「ハハハハ、この程度の鎖に縛られるとはな。牛はどこの世界でもそんな扱いか!!」

哄笑とともに、ばらばらに砕かれる宝具。

「神性が高ければ高い程拘束力が高まるはずなのに」

「なに!?」

「・・・よくシャカを見てみろ」

訝しがる士郎がシュラの言うとおりシャカのステータスを見る。

「・・・
神性E−!!!?最も神に近い男なのに?」

「まあ、悟りきれていないのを自認している男だしな」

微妙な空気が屋上に流れる。

「・・・えっと、その、なんだ、うん。
投影開始」

気を取り直すように三度自己に耽溺する。
今度こそ、この手に鋼の剣を。
脳裏に浮かぶのは、大陸に伝わる雌雄一対の剣。
名工の妻が、夫のためにその身を犠牲にして鍛えた鋼。
見たことがないはずなのに、容易に想像が付く。
そして、何故か確信していた。

その剣こそ、エミヤシロウに最も馴染む得物だと。

両腕に、均等な重み、左右対称な鋼の鎖。
そう、干將・莫耶がこの手に・・・って、鎖?

『また鎖・・・』

自己の最も深い部分まで潜って、3連続で鎖が出てくるって、深層心理で鎖を求めているのかと
冷や汗が出る。

「右のチェーンだ、士郎!!

内なる性癖に怯えていた士郎は、無意識にシュラのアドバイス通りに右のチェーンに力をこめる。

「ローリングディフェンス!!」

己を守るようにチェーンが動き、初めてシャカの攻撃を弾いた。

「次は左のチェーンだ!」

シュラの言葉に応えるように、確信を持って左のチェーンを握りしめる。

「サンダーウェイブ!!」

「やはり、そうだ、あれは・・・サークルチェーンとスクェアチェーン!
乙女が己の身を捧げたアンドロメダの聖衣のチェーンだ。
士郎お前は、やはり聖闘士の資質が・・・」

シュラの呟きに軽く肯定の意を示し、初めてライダーが半跏を解き立ち上がった。

「小宇宙に目覚めたかね?なかなかやるが、これで最後だ!!
天魔降伏!!」

今までの遊びの攻撃とは比にならない、物凄い魔力が篭った攻撃であるのが明白の一撃。
しかし、それはどういうわけだが、士郎ではなく校舎とつながる階段に向けて放たれていた。

「・・・まさか、シャカ、貴様!!」

シュラの叫びに重なるように、遠坂凜が扉を蹴破り、屋上に飛び出してきた。

「シロウ、無事!!?」

「リン、お前こそ避けろ!!」

シュラの叫びと小宇宙の奔流に、慌てて凜の前に出ようとするアイオロスも間に合わない。

「遠坂!!」

両手のチェーンでは防げない、この鎖ではあの攻撃は防げない。
ならばどうする。
答えは簡単だ。

彼女を守る盾を用意すれば良い。

普通ならばそれは不可能。
そう、エミヤシロウ以外にはそれは不可能なのだ。
エミヤシロウだけがそれを成し得る。

瞼の裏に、ある男の背中が浮かぶ。
鋼の背中、そして麻呂。

「うぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」

獣じみた咆哮、そして彼女の前に守るように立ち塞がった、エミヤシロウが構築できる、最高の盾。


















「クリスタル・ウォール!!!!!」

「そっち、行っちゃった!!!」

思わず、突っ込む凜の目の前で水晶の壁に皹が入る。
激しい光の奔流に、無意識に凜は眼を閉じた、その耳に響くのは力強い士郎の言葉。

「燃えろ、俺の魔力〔コスモ〕よ!!黄金の位まで!!」

屋上に一筋の風が吹く。
凜の眼前に聳える水晶の壁は音を立てて崩れ去ったが、同時にシャカの放った天魔降伏の余波もまた掻き消えていた。

「遠坂、大丈夫か」

明るさに慣れてきた凜の目に映るのは、思わずへたり込んでいた自分に伸ばされた力強い掌。
そして、守れたことが嬉しいのか、輝くような、そしてどこか照れくさそうにはにかむ口元。

あと、いつのまにか
麻呂になっていた眉毛だった。

「・・・あんたも、そっちに行っちゃったのね」

凜の両目に涙が伝う。

「ふむ、衛宮士郎、聖闘士として目覚めたかね」

パチパチと熱の籠もらない拍手が屋上に響く。

「そんなことより、約束どおり桜を返してもらおうか、ライダー!!」

「さ、桜!!?士郎、どういうことよ、なんで桜が!?」

この場にいるはずのない少女、マスターですらない桜が、何故ライダーに抱きかかえられているのか。
あまつさえ、その胸には深々と黄金の弓が刺さっていた。

「あんた、桜を返しなさいよ!!」

激情に駆られた凜は、懐からサファイアを取り出し魔力を篭める。
それは、A級に相当する魔力を溜め込んだ、暴風の塊。
放たれれば、この屋上を半壊させるのも容易いほどの魔力。

「落ち着け、凜」

自分の手を抑えるシュラを睨みつける。

「落ち着けるわけないでしょ、あんなに深く矢が刺さってるのに。
はやく治療しなければあの子が・・・」

「大丈夫だ、あの火時計が消えるまでに君たちがこの場に到着すれば、彼女を救う、そういう約束になっている」

「その通りだとも、君たちはタイムリミット迄にこの場に着いた。
だから、彼女からこの矢を取り除いた」

ライダーの言葉通り、あれほど深く桜の胸を穿っていた黄金の矢は、傷跡すら残さずライダーの手に握られていた。

「フフフ、君が激情に駆られてその魔力を解き放てば、恐らくせっかく矢から開放された彼女の命もなかったぞ」

「・・・あんた、何が目的なのよ」

先ほどまでの激情が嘘のように、氷のような視線でライダーを睨みつける。

「ふむ、セイバーのマスターにしろ、君にしろ、余程この少女が大事だと見える」

「アンタには関係ないわ」

揶揄するような言葉も、冷静に切って捨てる。
これが、生粋の魔術師である遠坂凜の姿。
故に際立って異常なのは、何故『ただの後輩』〔まどうさくら〕のために現状を忘れるほど激昂したのかということ。

「桜を放せよ!」

ズイッと一歩前に出て、衛宮士郎が前に出る。

「約束通りこの矢を抜いてやった。
しかし、君は結局この少女の許に辿り着けなかったはずだが。
ふむ、変わりにそこの少女にこの矢を突き刺してもかまわないのなら、開放してもいいが。」

「シャカ、お前も聖闘士なら人質を取るなど、恥を知れ!」

凜を守るように前に出るアイオロスに、そして彼の左右に立つカミュとシュラにいつかの既視感を覚える。

「ふふふ、怖いな。なんといっても、左右の二人は一度アテナの聖闘士の名も捨てて『アテナ・エクスクラメーション』を放った過去があるからな」

触れられたくない過去を嘲弄され、あのカミュすらも怒りと不快感を露にしていた。

「冗談だ、許せよ。これでも、私は誇り高きアテナの聖闘士だからな、人質など初めから不要だったのだ」

その言葉通り、彼には桜は不要だったのだろう。




無造作に、まるで紙飛行機を飛ばすように自然に、彼は桜を空へ投げ捨てた。







そして、少女の身体は、力尽きて落ちていく蝶のように、風に浚われる花のように、ただ無抵抗に空に吸い込まれるように落ちていった。


魔術師の戯言


お久しぶりです。
全然更新してなくても感想を下さる人がいて嬉しいです。
ということで、久々に更新しました。
一番要望が多いのはエルメロイ先生なんですがあれは結構時間がかかるので
また次回。