修羅の邂逅


《繋がれし想い》

 

「薫さんからどうぞ…」

「いや、恭也君から…」

 

さざなみ寮のリビング

そこには、先ほどから向かい合って座りながら、少しも会話が進まない恭也と薫がいた。

二人とも今日はある決心をしていた。

奇しくも薫も恭也も、相手に対する自分の気持ちに気付き、それを伝えるつもりで席についたのだ。

ところが、いざ席に着いてみると、相手も何故か緊張しているのがわかる。

「今日は実は大切な話がありまして…」

「ウチも話がある…」

「あ…それじゃあ、薫さんの話から…」

「いや、恭也君の話を…」

こうして、お互い譲り合うままに、今まで30分間ずっと同じパターンを繰り返していた。

 

リビングの扉の影から真雪が呆れ顔で

「おいおい、あいつらこのまま日が沈むまで続ける気か?」

同じく扉の影で二人の会話を盗み聞いていたリスティが

「まったく、いまどきの中学生よりも遥かにウブな二人だからね」

「しかし、ありゃ〜どう見ても相思相愛だろ?まったく…」

「薫らしいじゃないか…」

「しかし、薫ちゃんと恭也君ね〜、子供は剣の達人間違いなしやね〜」

「「おお!!」」

「ゆうひ、お前いつの間にここに…?」

「ふふ〜ん、たった今や!」

「相変わらず目ざといな、ゆうひは…」

「そうやろリスティ?」

 

日頃の恭也や薫であれば、扉に潜む3人の気配を見過ごすはずがないが、今は二人はそれどころではないのだろう。

3人の脳天気な会話と同レベルの間抜けさながらも、本人達にとっては大切な話を続けている。

お互いに不毛だとは思いながらも…。

 

間をもたすために、恭也は出された紅茶に手をつけた…が、すでにそれは空であった。

どうやら無意識の間に飲み干していたらしい。

『ふ〜、何を緊張しているんだか…』

と、苦笑する恭也。

「ああ、ウチが新しい紅茶を今入れてくるよ」

「あ、すいません。ところで耕介さんは?」

「ああ、さっき急に何処かに出かけたみたいだよ…」

今日、恭也は昨日ご馳走になったお礼を言いにさざなみ寮を訪れた、

そしてその挨拶を済ました後に、ゆうひが無理に耕介と愛を外出させた事を、当然恭也が知る由もなかった。

 

薫が熱湯を注いだティーポット(真雪のお気に入り)をお盆に載せて歩いてくる。

そこで事件が起こった。

余程緊張していたのだろうか、妹の那美ならともかく、あの薫が急に何も無い所でつんのめる様に転んだのだ。

「きゃ…」

薫に向かって頭上から落ちてくる熱湯…

スローモーションの様に、いやにゆっくりと落ちてくる様に薫には見えた。

逃げようと頭では思いながら体が反応しない…。

それはその場にいる真雪やゆうひ、そしてリスティも同じであった。

ただ一人を除いて…

「危ない!!!薫さん」

『くっ…、間に合うか…』

恭也の脳のスイッチが切替わる。

モノクロームの風景の中を、恭也以外の全てがスローモーションの様にゆっくりと動く。

紙一重で薫を抱き上げ、お湯がかかるのをかばう。

そして恭也はモノクロームの世界から抜け出した。

 

さっきまで薫がいた空間に熱湯とティーポットが落ちてくる。

ガシャ〜ン!!!        

ブチッ

砕けたティーポットと熱湯がシューシューと水蒸気を上げている。

薫は呆然としていた。

『ウチは助かったのか…?』

恭也は自分の腕の中で呆然とする薫に声をかけた

「大丈夫ですか?薫さん」

この声で、薫はようやく自分が恭也に助けられた事に気付いた。

「ああ…大丈夫。けど君はどうやってあそこからウチを…?」

薫の疑問は当然の物だった。

普通なら絶対に間に合わない位置から恭也は薫を助けたのだから。

しかし恭也は薫の質問には答えずに、薫を抱き上げる己の腕に力を入れた。

迂闊にも、薫はようやく自分が今恭也に抱き上げられている事に気が付き、慌てて降りようとした。

偶然にもフッと、恭也と目が合う。

その目は安堵感で一杯だった。

「良かった…、あなたに怪我が無くて…あなたに何か在ったら、俺は…」

薫は、恭也の夜の海の様に美しい瞳を見つめていた。

男性の腕の中に抱かれる安心感、それを教えてくれたのは耕介だった。

しかし耕介が自分に向ける瞳は、家族への優しさだった。

しかし、今の恭也の瞳にはそれとは違う何かがあった。

「恭也君…降ろして…」

恭也から視線を外し、何処か恥ずかしそうな薫の言葉に、恭也はそっと地面に降ろす。

恭也は薫の自分を見る真直ぐな瞳を、それに負けないくらい真直ぐな瞳で見つめ返した。

薫の瞳に映る自分の顔が見える。

恐らく自分の瞳には薫が映っているのだろう。

たったそれだけの事でも、眼球の奥がクラクラするような眩暈を感じる。

ましてやほんの数秒前まで抱き上げていた薫のからだの温もりが、まだ手に残っている。

さらさらで美しい黒髪も、鍛えてあるにも関わらず女性らしさを感じさせる柔らかな体の感触も、ほのかに香る薫の香りも…。

その全てが恭也から理性を奪っていた。

恭也の大きな掌が薫の白皙の頬に触れる。

一瞬ビクッと薫の体が反応する。

しかし、恭也の夜の海のような深さと美しさを湛える瞳から視線を外せずにいた。

やがて、お互いの息がかかるほどの距離まで二人の顔は近づいていた。

そのことを認識すると、ますます恭也の心臓は、浅く早く鼓動を刻み始める。

薫の頬は、まるで雪の中に咲いた一輪の花のように、白い肌の中でそこだけは別物の様に赤く色づいていた。

やがてどちらからとも無くゆっくりと瞳が閉じられ、暗黒の世界の中で唇に感じる暖かくそして柔らかい感触に意識が支配されていった。

どれくらい唇を重ねていたのだろう…、実際の時間にしたら数秒に違いない、

しかしその数秒の時間が、二人には今まで生きてきた時間の全てにも等しいくらい、大切に感じられた。

ゆっくりと目を開けて唇を離す…。

そしてようやく理性を取り戻した恭也は、自分の行動に今更ながら冷や汗を掻いていた。

『父さんなんて目じゃないくらいに情熱的に迫ってしまったな…』

そう、自分が薫をどの様に思っているか伝える前に、行動で示してしまったのだから…。

『薫さん、驚いてるだろうな…怒ってるかな…』

絶望的なまでに、鈍感な恭也は、薫がキスを受け入れてくれた理由などに気付くはずも無かった。

「恭也君…」

薫の声は予想に反して優しかった。

『良かった、どうやら怒ってはいないらしい…』

ほっと胸を撫で下ろす恭也。

一方の薫は、怒るどころか奇妙に満ち足りた気持ちになっていた。

触れられた頬から、そして重ねた唇から、恭也の自分に対する暖かい気持ちが流れてきたような、そんな暖かい気持ちになっていた。

「恭也君、ウチは君の事をもっとよく知りたい…」

「俺の事…ですか?」

「そしてウチの事をもっと知ってもらいたい…」

「えっ…」

ようやく、鈍い恭也にも薫が伝えようとしている事が理解できた。

「うちは、素直じゃないし…堅いし…女らしくも無いけど…」

薫は、やや俯いて恥ずかしそうに…

けれど懸命に、ある言葉を口にしようとしている…。

「ウチは…どうやら…君の事が…」

「待って下さい…!」

恭也が突然薫の言葉を遮った、弾かれる様に恭也に瞳を向ける薫。

恭也は薫の方を見ようともせずに仏頂面をしている。

そして、しばしの静寂

 

ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン

……………………

『まさか…』

……………………

『やっぱりウチみたいな女よりも…』

……………………

ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン

……………………

待たされている薫にとって、拷問に等しい長すぎる数十秒が流れた。

 

「もう…憶えていないかもしれないけど…」

恭也の口から出てきたのは、

「俺は桜吹雪の夜から…」

きっと幼い頃から

「あなたの事が…」

薫が拒み続けてきた

「気になっていて…」

そして、心の何処かで

「その感情は…」

強く求めていた

「消えることなく…」

きっとあの言葉

「今も胸に息づいている…」

 

心を落ち着かせようと深呼吸する恭也…

 

「貴方が好きです…。生涯をともに歩みたい…」

 

薫は泣き出していた、聞きたかった、聞いた事が無かった、聞く資格も無いと思っていた。

自分は人を護るためとは言え、霊を切っているから、幸せになる資格は無いと思っていた。

霊と言えども意思はある。

不慮の死を迎えて哀しくて寂しくて空しくて…

そんな哀しき魂を切り殺すからには、自分だけが暖かい場所を…大切な人を…帰るべき場所を…幸せを…得てはいけないとそう思っていたのに。

でも本当はいつも探してた、そんな場所を…。

そして見つけた…。

初めて帰りたいと思う場所―さざなみ寮―を与えてくれた。

この海鳴の町で本当に欲しい物を手に入れた。

弱い自分をさらせる人、そんな自分を愛してくれる人。

 

恭也は泣いている薫の肩に優しく手を回した。

なんとか元気付けたくて…。

そんな恭也の胸の中に自ら収まると、薫はさらに泣き続けた。

恭也の確かな体の感触が、今ここにある幸せが現実の物だと告げてくれる。

恭也はそんな薫に

「落ち着いたら翠屋で、話をしよう。お互いの事をもっともっとよく知るために…」

とだけ告げると、泣いている薫の背中を優しく撫で始めた。

いつまでもいつまでも…。

 

 

そんな二人の様子を、ゆうひとリスティは満足そうに見ていた。

「良かったな…薫ちゃん。いつも幸せそうに微笑んでいてや…

やっぱしあの子は笑顔が一番可愛いからな…」

「そうだね、あの薫がこんなに可愛い表情を見せるなんて…」

「ウチらもがんばって良い男見つけな〜」

「フフフ…そうだね…」

 

「でも、これでまた泣く子が一杯出るやろうな〜。

耕介君も恭也君も罪な男やで〜ほんまに…。

美人さんばっかり泣かしおる…なあ、リスティ…」

「そうだね…」

複雑そうな、何処か寂しげな目でいつまでも抱き合う薫と恭也を見ながら、リスティは部屋に戻っていった。

そんなリスティの表情に気付かない振りをして、ゆうひもまた二階に戻る。

音を立てないように静かに歩く二人の足元には、何故かロープで縛られ、丁寧にも猿轡まで噛まされている真雪の姿が有った。

それを横目で見ながらゆうひとリスティは苦笑する。

「まあ、あの場合は仕方が無い事だったよね…?」

「そやな…」

 

〜ちょっと前〜


さっきまで薫がいた空間に熱湯とティーポットが落ちてくる。

ガシャ〜ン!!!          

『ブチッ』

砕けたティーポットと熱湯がシューシューと水蒸気を上げる。

 

ほ〜っとため息を上げて、ゆうひとリスティは薫の無事を喜ぶ。

「しかし、恭也君凄いな…瞬間移動みたいやで〜ほんまに…」

「私でさえ、能力を使う余裕も無かったのに…たいしたもんだな御神の剣士も…」

はっとリスティが振りかえる。

ゆうひにさえ感じ取れる圧倒的なまでの殺意の出所。

それは、鬼のような形相をした真雪だった。

「…あの…まゆきさん…どうか…しました…?」

恐怖で顔を引き攣らせながらも、ゆうひが訊ねた所

「薫…殺す…」

と、何処から取り出したのか、愛用の金属バットを取り出して真雪はこたえた。

「え…なんでですか…?」

『さっき聞こえた『ブチッ』は真雪さんがキレタ音やったんか…』

「私の…お気に入りの…ティーポットを…ぶっ壊しやがって…


ゆ〜る〜さ〜ん!!」


と、今にも扉を蹴り破って、リビングに殴り込まんと言う勢いの真雪に、ゆうひは抵抗する術も無かった。

しかし…そんな無力なゆうひにも強い味方がいたのだ…

「サンダ〜ブレイク!!!!!」

ビリビリビリビリッ!!!!!!!!!!!!!

「○×△□×◇○×!!!!!」

真雪は声にならない声をあげて気絶した。

 

「な〜リスティ…、やり過ぎと違う?」

「声をあげられると覗きがばれちゃうから最大出力で、速攻気絶してもらったからね…」

「う〜ん、目覚めた時にまた暴れられても迷惑やし、ロープかなんかで縛ってまうか…」

「Nice!!声をあげられるのも困るし猿轡も噛ましちゃえ!!!」

「『かくして悪は滅びた…、そして町に平和が訪れた…』な〜んてな…」

「「あははははははははは!!!!」」



「しかし、修羅って…恭也じゃなくて自分じゃないのか…」

「リスティなんかゆ〜たか?」

「いや、こっちのことさ…」

 

と言う、理由でした。

 

ちなみにその後目を覚ました真雪に、ゆうひとリスティは散々セクハラされたのは言うまでもないことであった…。

合掌…