修羅の邂逅


《いくつもの想い》

 

 

テーブルの上には、湯気と共に芳しい香りを発している琥珀色の紅茶と、翠屋特製のシュークリーム。

向かい合っている男女は美男美女。

それはまるで映画のワンシーンのような状態。

店内の客は、溜息をついてウットリとその男女を見ていた。

男はさっきから何も言わず、時々紅茶を飲んでいる。

恐らく未だ二十歳になっていもいないような若さだが、年に似合わない落ち着きで、恋人をじっと見つめている。

『男は黙って視線で語る』、まさにそんな感じの渋さを自然と醸し出していた。

一方の女も、流れるような美しい髪、楚々とした雰囲気、『大和撫子』のイメージがそのまま現れたような感じだった。

 

ここ翠屋で、注目を浴びている男女の正体……もちろんそれは恭也と薫であった。

二人を見ている客の思惑とは違って、二人は別に話さないのではない、話せないのだ。

恭也も薫も元々口下手、ましては好きな人の前では一層口が重くなる。

心の中では『何を話せば良いんだ〜?黙ったままでは気まずいし…何か話さないと…』と、困り果てていたのが本音である。

その上、何故か店中から視線を感じる。それがますます二人の口を重くさせた。

それでもお互いにちらりちらりと相手の顔に視線を送る。

先ほどお互いの気持ちを交換し合い、もっと良く知り合うために翠屋に来てすでに30分。

ほとんど会話も無いまま向かい合っている二人であった。

そんな様子が回りにどう映っているかも知らないで…。

 

 ガチャ…。


緊張のためであろうか、薫がティーカップを倒してしまった。

琥珀色の液体が恭也の方に流れてくる…。

それを慌てて拭こうと薫が恭也の方に手を伸ばす。

恭也もまたそれを拭こうと手を伸ばす。

偶然に恭也の手が薫の手に触れた。

二人とも驚いたのかビクッと一瞬身体を強張らせる。

薫は顔にカッと血が昇ったのを感じた。

慌てて手を離そうとした薫の手に、不意に恭也の手が重ねられた。

恭也は耳まで紅く染まった顔で、薫を真直ぐ見ていた。

「出会いは…」

言葉を選ぶ様にゆっくりと恭也が喋り始めた。

「あなたとの出会いは、この手でしたね…」

 

あの日、恭也は不思議な女の子に会うために、熱で重い身体を引きずって約束の場所に向かった。

女の子は居なかった。

…代わりにそこに居たのは彼女の姉と名乗る女性。

長い髪を風になびかせ、舞い散る桜の花の中で慄然と佇むその姿は、桜の花の精を思わせた。

厳しい言葉や態度とは裏腹にその手は暖かくて、でも少し堅くて父の掌を思いおこさした。

不意に交わった眼差しが何故か父親と重なる。

ただそれだけの思い出……それでも恭也は桜の花が咲く頃になると何故かあの女性を思い出した。

「何時の間にかあの夜の事は夢だったのかもしれないとも思ってた。

でもきっと魅せられていたんだと思う…貴方という桜の精に…」

薫は、何も言わないで重ねられていた恭也の手を強く握る。

「あの夜、倒れた那美がしきりに気にするので代わりに恭也君に会いに行ったんだっけ…」

約束の場所に来た少年は、強い意志を秘めた瞳をしていた。

握り締めた掌には、年齢には似つかわしくないほどの剣による豆。

身のこなしを見てもわかる…年端も行かない少年とは思えないほどの実力。

それだけに哀れだった。

膝を砕いた彼は剣を捨てるかもしれないから…。

でも、この子の瞳は強いから。

…ウチと違ってとても強い心を持っているから安心した。

それなのに………――――――――――――――――――――――――――――――――

少年は

「少しだけ…少しだけだけど父さんに、死んだ父さんに似てるんだ…」

と、呟いた瞬間に、その瞳は脆く儚く…

触れただけで崩れてしまいそうな、ガラス細工の様に弱くなってしまって。

この少年の内側には、分かちがたい二律背反――強い意志と優しすぎるが故に壊れやすい心―を内に秘めている事を察した。

でも、ウチにはどうすることもできないから

…ただ少年の手を強く握り締めた。

そして今、薫の目の前にはその手がある。

あの夜と違いその手は大きくなっているけれど。

「大きくなったね、あの時はウチの手よりも小さかったのに…」

しばし、手を握ったまま見つめあう二人であった。

「でも、薫さんやっぱり那美さんのお姉さんですよね…」

「どして?」

「さっきからティーカップやらポットやら、こぼしてばっかりだし…」

苦笑して見せる薫だったが、我慢しきれず恭也と二人で思わず笑ってしまっていた。

 

そんな二人の様子を、感慨深げに厨房から見守る桃子。

「う〜ん、綺麗な子ね。お母さんは嬉しいわ。恭也もやっと女の子と付き合う気になって。

でもあのこ面食いだったのね…。凄い美人」

「そうだね、恭也といい雰囲気だね♪」

何時の間にか横に居たフィアッセが嬉しそうに相槌を打つ。

きっと誰が見ても可愛い弟に、美人な彼女ができたことを喜んでいる姉の姿に見えるだろう。

桃子以外の人間にならば…。

何故なら桃子は、フィアッセが恭也を弟以上の目で見ていた事をよく知っている。

美由希もレンも晶も…家に居るなのはを除く全員が恭也に想いを寄せていた事も…。

「あの恭也と話している子ね、薫さんて言うの。昔さざなみ寮に住んでたんだって。

ゆうひに聞いた話しに良く出て来てたもん」

無理して明るく振舞うフィアッセを意地らしく想っても、それを態度に出すわけにはいかない。

フィアッセが恭也への想いを隠していたいと思っているのだから、桃子は結局気が付かないでいる振りをするしかないのだった。

「そうそう、あの薫さんは那美ちゃんの兄弟よね?この間一緒に来てたものね」

「うん。しかも剣の達人なんだって…」

「へえ〜、あんなに綺麗な子なのに凄いわね。」

「何言ってるの桃子ったら。すぐ傍に美由希って言う可愛くて剣の達人がいるのに…」

「あら〜、あの子はこの桃子さんの娘だもの…当然でしょ?」

おどけた口調の桃子に、思わず苦笑を浮かべたフィアッセであった。

カラ〜ン

「あ…ドアベルがなってる。お客さんかな?注文とって来るね」

「うん、よろしくねフィアッセ」

にっこり笑って頷くフィアッセの後姿を見ながら

「恭也…家の自慢の娘達を泣かしたんだからね…必ず幸せにならなきゃ駄目よ…」

誰にも聞こえない小さな声で呟いたのだった。

 

一方、恭也と薫は多少緊張も解けたのか談笑をしていた。

「昨日の赤星君もかなり強かったな…相変わらず風芽丘には強者が集まるのかな?」

「さあ、俺に赤星、月村と…那美さんは微妙かな?あと、美由希くらいかな。それに海中も入れていいなら…」

「ちょっと待って美由希ちゃんと恭也君に赤星君はわかるけど月村って子は?」

「月村は…とくに何をやっているってわけじゃないし、理由は説明できないですけど強いですよ」

「海中って言うのは風芽丘と合併した所だよね?」

「はい、そこの生徒ではレン、晶それに鷹城先生も強いな…」

「鷹城先生…もしかして護身道家の?」

「はい、なんでも風校出身で凄く強いのに、一つ上の代にさらに強い人がいたせいで、無冠の女王と呼ばれたとか…」

「唯子ちゃんが先生ね…」

「知ってるんですか?」

「ああ、ウチの一年後輩でその一代上の凄く強い人って言うのはウチの親友だよ」

「そうなんですか…」

「で、レンと晶って言う子は?」

「家にいますよ…」

「はっ?その子も恭也君の妹なの?」

「いや違いますけど…丁度いいですねそろそろ俺のことでも話し始めましょう…」

 

自分の家の事や、晶やレンなどと一緒に暮らしている理由。

剣の修行で一年留年していたこと、

美由希との本当の関係

リスティと知り合った経緯など…

「最後になりましたが俺の使う剣について…。俺が振るう剣は御神流。

正式名称は永全不動八門一派・御神真刀流、小太刀二刀流です。小太刀のほかに飛針、

鋼糸等の暗器も用います。

あなたなら察していると思いますが剣道でなく剣術です」

「つまり、その主目的は剣を通じて何かを悟る事でなく、ただ純粋に人を倒す事にあると…」

恭也は無言で頷き説明を続けた。

「しかし、おれの父は御神の剣を人を護るために用いました。敵すらもなるべく殺さずに…。

そして、再びその命を救った敵に攻撃される事もざらでした。

それでも俺はそんな父を尊敬していた。

何度助けた敵が再び攻撃してこようとも父さんが負ける筈は無い…。そう信じていました…。

しかし、父は死にました。かつて、命を助けた敵に容赦なく殺されたんです」

一瞬恭也の瞳に、真雪と闘った後に見せた無機質な冷たさが宿った。

「俺は我武者羅に修行を重ねました。

ずっと目標にしていた父が死に、その背中を見失う事が不安だったから。

そしてその非効率な修行の果てに、俺は膝を壊しました。

そんな頃です…那美さんと薫さんに会ったのは…」

『父さんと似ている』、あの夜の恭也の言葉が薫の頭を翳めた。

「そして、俺は再び剣を握れる様になり…そして美由希に剣を教えながらずっと考えてた事があるんです。それは…」

恭也はその端正な顔を屈辱で歪めた。

続く言葉を口にする事が、恭也にとってどれだけ辛い事なのか、その表情からも哀しいほどに伝わってきた。

「恭也君。無理はしなくても良い…」

そんな恭也を見ているのが辛すぎて、薫は見ていられなかった。

例えどれだけ無駄だと知っていても、止めずには居られなかった。

「いえ、あなたにだけは聞いて欲しい。

女性としてのあなたには俺の思いを知っていて欲しい。

剣士としてのあなたに意見を聞かせてもらいたい。

そして…、もしかしたらあなたは、俺のこの疑問に答える事ができるかもしれない人だから…」

そう言ってじっと薫の瞳を見つめる。

初めて会った夜から変わらない瞳には、強い意思と哀しみが満ちていた。

「俺はずっと悩んでいました。もしかしたら父さんは間違っていたんじゃないかって…」

「どうしてそう思うの?」

恭也がどれだけ父親を敬愛しているかは、僅かな付き合いしかない薫にも痛いほどにわかっている。

そんな父を否定するような言葉を、きっと恭也は血を吐く思いで口にしたのだろう事も想像に難くない。

だからこそ全てを聞いていてあげたいと思った。

一言一句聞き漏らさずに聞いていてあげたいと思った。

「剣は所詮人を殺すために生まれたものです。

太古より、それは誰にも否定する事のできない真理だと思います」

薫には頷くことしかできなかった。

ずっと人を護るために剣を振るって生きてきた薫でさえも、それを否定する事などできようはずも無い。

「そして、御神の剣は殺人の剣です。前にも後にも道なんて無い。

そんな剣を人を護るために使うなんて…嘘と欺瞞でしかないんじゃないかって…。

いくら、綺麗ごとを並べても所詮現実の前では理想なんて無力だった。

だから父さんの死は自業自得なんじゃないかって…」

薫には俯く恭也が泣いているように見えた。。

恭也の震える指先を薫は優しく握り締めた。

七年の歳月は少年を成長させた。

あの時薫の掌にすっぽり収まった少年の手は、今はもう薫よりも大きくて…。

そして薫はそっと恭也を抱きしめた。

少年は手だけでなく身長も伸び、今はもう薫よりもはるかに大きい。

そう、少年はもはや青年になっていた。

それなのに、目の前の恭也は少年のころよりも遥かに弱々しげなのが薫には哀しかった。

薫は優しく背中を撫でながら、自分の胸の中で泣き続ける恭也に話しかけた。

「次はウチの話も聞いて欲しい。

ウチは生まれた時から一灯流の後継者となるべく育てられてきた。

厳しい修行も辛かったが、それ以上に辛い事があった。

霊障の多くは、無念の思いや、悲しみに縛られ自分が死んだことが認められない人達の魂だ。

言いたい事も、やりたい事も、夢見た事も有った人達を祓うのが退魔師の仕事だ。

説得に応じ安らかに眠ってくれる人なんてほとんど居ない…。

多くの悲しい魂をウチはこの手で切り祓ってきたんだ。

だからかな、ウチは自分は幸せになっちゃいけないと思ってた。

せめてもの贖罪に…。

でも、ある日言われたんだ…。耕介さんに…。

『泣いたって良い、弱くたって良い。
薫は薫にしかできないことを、自分を傷付けてまでやっているんだから…、幸せにならなければいけない…。
俺達にだけは弱音を吐いてくれ。
みんな…この寮の住人はみんな、薫が大好きだから…』

って。その言葉でウチは救われた。

人を護るために人であったものを祓う矛盾を、ウチは心を閉ざす事で、自分を犠牲にしていくことで誤魔化していたけれど…、

『この寮のみんなが、耕介さんが…大好きだって言ってくれるのなら私は生きていける』

そう思った。

耕介さんに想いは届かなかったけど…、今でもあの言葉はこの胸に生きてる…」

じっと、薫の言葉に耳を傾けていた恭也が突然薫の身体から離れると

「もう…出よう」

とだけ言ってさっさと歩き出してしまった。

『恭也君…怒ったの?耕介さんの事をあんな風に言ったから…』

薫は慌てて恭也の後を追い掛ける。

「フィアッセ、すまないが会計は家に帰ってから払う」

それだけ言うとさっさとドアを開けて出ていってしまった。

「待って…恭也君…待って?」

「なんですか?」

振り向いた恭也の顔は、何かに耐えるような…そんな顔だった。

「怒った…?」

「何が…?」

まさか、耕介さんの事…と言う訳にもいかず薫は『何でもない…』としか言えずに恭也の後にしたがった。

恭也が向かったのは海鳴臨海公園だった。

スッと、恭也がベンチの一つに腰を下ろした。

その横に腰を掛け、薫は恭也の表情を伺った。

フッと視線が恭也とぶつかる。

恭也は透き通るような笑みを浮かべていた。

「あの時、父さんと薫さんが似ていると思った訳が少しわかった気がしました…」

「え…?」

「薫さんも父さんも、自分の身を削って他人のために戦っている人だから…、

矛盾を抱えてもなお闘っていける強さを持った人だからだったんですね」

「ありがとう…。でもウチと君のお父さんは違うよ。きっと…」

「どういうことですか?」

「君のお父さんは、剣の真理も、御神の理も、己の行動の矛盾もきっと全て承知で…、

でも敢えて敵も味方もひっくるめた『護るための剣』を振るったんじゃないかな…。

ウチと違い誤魔化す事も逃げる事もなくね…。」

薫は一回深呼吸をして、一語一語噛み締める様に恭也に語りかけた。

「ウチは君のお父さんに合ったことは無いけど…そう思うよ。

恭也君が憧れて追いかけ続けた人なんだから…。

ウチの好きな…大好きな恭也君の目標の人なんだから…」

「薫さん……………」

恭也は薫の肩を抱きそっと眼を閉じて顔を近づけた。

「待って!!」

キスをしようと薫まで後5センチのところまで近づいていた恭也は、突然の「待って」にビックリして目をパチクリさせている。

「恭也君怒ってたんじゃなかと?」

「は…?」

「だって翠屋から一言も口をきかずにプイッと歩き出しちゃったから…」

「いやそれは…」

ゴニョゴニョと言い淀む恭也を見て

「恭也君!!確かに耕介さんの言葉は嬉しかったし…今でも大切にしてるけどそう言うんじゃ無くて…」

恭也は無言だ。

「もう今は好きじゃないわけじゃないけど…。

いや、もちろん今も好きだけどそれは家族って言うかなんて言うか…」

薫は混乱して自分が何を言ってるのか良くわからなくなっていた。

「あの好きは好きでも、恭也君にたいする…気持ちとは違って…ほら、あの…なんて言うか」

ふっと恭也を見ると顔に大きくクエッションマークが浮かんでいる。

「あの、薫さん耕介さんがどうかしたんですか…?」

「はっ?」

ここに来て薫は自分が激しく勘違いして居ることに気がついた。

恭也が翠屋を出てきた理由は、昔の耕介への想いを話したからではなかったらしい…。

すると自分の今の言い訳があまりに恥ずかしくなって、薫は穴が有ったら入りたい気分になっていた。

「じゃあ、何であんなに慌てて店を出て来たの?」

「視線が痛くって…」

「????」

「店の客の視線も気になるんですがそれ以上に、母さんがじっとこっちを見ていた事に、迂闊にもなかなか気が付かなくって…」

「あ…そう言えばあそこの店長は恭也君のお母さんだもんね…」

口にして初めて気が付いた…。

「じゃあ、ウチは公衆の面前で恭也君の手を握り抱きしめてたって事で…」

ウンウンと頷く恭也。

「なおかつ恭也君のお母さんの前で息子さんにあんな事を…」

「さらには我が家の長女的な女性フィアッセも居ましたね…」

「ウア〜〜〜〜〜〜!!!!」

照れて真っ赤に赤面する薫、実は家に帰ればからかわれること当確の恭也の方が一層恥ずかしいのだが、あまりの薫の照れっぷりに気にならなくなっていた。

「照れてる薫さんは可愛いな…」

そう呟きますます顔を赤らめる薫に、やや強引にキスをして薫を落ち着かせる。

「薫さんの言い訳を聞きました…」

実は薫の耕介に対する発現はしっかリ聞いていた恭也。

「今の俺が耕介さんほどの包容力が無いのはわかってます…でもいつかきっとあなたを支えられる男になって見せますから…」

そう言って微笑むと薫に手紙を手渡す。

「それに書いてある場所に今日深夜一時に着て下さい」

恋文…、それに深夜のデート…。

一瞬そんな言葉が薫の頭を翳めたが、恭也の顔がそれを否定していた。

秋の空のように爽やかで、深い湖の水の様に澄みきっている純粋な「闘気」を発している。

薫に向けている顔は、一介の剣士としての物であった。

「今日…約束の手合わせをするって事?」

「違います…今日するのは『死会い』です」

「恭也君…。いくら闘いを重ねても答えには辿り着けない…。

君が少しづつ血に狂っていくだけだと思う」

『今の恭也は闘えば闘うほどに理由がわからなくなって、やがて完全に修羅になる』

昨晩の真雪の言葉が現実味を帯びてきそうな事が哀しかった。

そんな彼女の危惧を感じたのか、恭也は薫の髪に口付けをしてにこやかに笑った。

「大丈夫です、今日の薫さんの話と昨日の夢で答えが見つかった気がします。

後は俺にそれを口にするだけの資格があるのかテストするだけですから…」

「テスト?」

「ええ…きっと答えが見つかったのは貴方のおかげです。

薫さんに会えて本当に良かった」

『今日の死合いで薫さんに勝てば俺は刀を振るい続ける

負ければ刀を置く。最後の相手が薫さんならば、それはそれでいい…悔いは無い』

「それじゃあ、俺行く所があるので帰ります。さよなら」

 

そう言って恭也が去って行った事にもしばらく気が付かずに薫は一人ベンチに座っていた。

『薫さんに会えて良かった』

この一言が薫の中で何度も反芻されていた…。

 

 

「いいですか、恭也さん。あなたの膝は無理を重ねすぎてとっくに限界なんです」

病室で、幼い表情をした女性が恭也に言い聞かせる様に話しかけている。

「それなのに『全力で戦いたい…』なんて医者として認める訳には行きません!!!」

最後は少し語尾を荒げて言い放つ女性。

彼女の名前はフィリス・矢沢。

少し幼さを感じさせる顔立ちとは裏腹に、医者としての優秀さを恭也は信頼していた。

「認めてもらえなくても…今夜は闘いに行きます」

恭也の顔には、一点の迷いも無い。

「…薫さんが相手だからですか?」

フィリスの声に哀しみの音が混ざっている事など、鈍い恭也が気付くはずも無かった。

「何故…薫さんが相手だと思ったのですか?」

「女の勘です…」

気付いてしまった自分がフィリスは悲しかった。

ずっと見ていたから…高町恭也と言う男性を…。

今の彼の顔には今まで見た事も無いような表情が浮かんでいた。

上手く言葉にできないが…

『ロミオが危険を犯してまで、ジュリエットのバルコニーに忍び込んだ時は、もしかしたらこんな表情だったのかも知れない』

そんな事を場違いにもフィリスは考えていた。

「マッサージします、ベットに横になってください」

「フィリス先生!!!」

嬉しそうに恭也が声を上げる

『そんな顔を見せないで…ますます忘れられなくなるから…。

そんな顔をしないで…他の女性のために…』

恭也に気付かれない様にそっと涙を拭いマッサージを施す。

いつもは大好きな恭也の身体を触れるのに、少し胸をときめかせながらするマッサージだが、今日はただの患者の一人だと思ってやらないとその場で声をあげて泣いてしまいそうであった。

マッサージをして、テーピングを済ませ『医者』として患者にアドバイスを送る。

「全力で闘えるのは三十分…。神速は三回が限度です」

「ありがとうございました…フィリス先生」

 

恭屋が帰った後に静かに扉を開けてリスティが入ってきた。

「恭也は行っちまったのかい?」

「うん…。薫さんの所に…これから戦う相手の所に行くのに嬉しそうに…」

「そうか…」

リスティは優しくフィリスの頭を撫でてやりながら言葉を続けた。

「悲しい時は泣きなよ…」

「うん…でも昨日リスティが泣いてくれたから…」

「!!!…知ってたのかい」

「なんとなくね…。嬉しかったよ、私の事を思って泣いてくれる貴女が居てくれた事が…」

「まあね…姉妹だからさ…」

「うん…お姉ちゃん…」

「お姉ちゃんか…、懐かしいね。

七年前にフィリスやセルフィから手紙が来るたびに書いてくれる『お姉ちゃん』て言葉が、僕は一人じゃないんだって行ってくれてるみたいで…

凄く嬉しかった」

「でもさ…姉妹そろって気持ちにも気が付いてもらえないまま振られなくても良いのにね…」

「耕介も、恭也も見る目がないって事さ…すぐ傍にこんな美人が居るのにね…」

「うん…お姉ちゃん。今日は泊まりに行っても良い?」

「ああ…おいで。煙草臭い部屋だけどね…」

少しおどけて見せるリスティに、フィリスは少しだけ微笑むと帰り支度をはじめた。

 

 

 

すでに太陽が月に空を譲ってからかなりの時間がたっていた。

月明かりを頼りに恭也は、薫の元に急いだ。

かつて胸がこれほどときめいた事は無かったかもしれない。

何と言っても今向かっている場所には愛しい恋人が待っているのだから…。

薫と会うために着ていく服も持っていく物も取っておきを選んだ。

 

 

そう今恭也が目指している場所では薫が待っている…、二人が待ち合わせている場所は

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――《決戦場》

 

これから薫と戦う…。

そう思うとワクワクしてしまう恭也であった。

もちろんこの闘いには、恭也が自ら剣を振るう理由を問う大切な一戦であり、なおかつ薫を愛しく思う気持ちにはいささかも嘘は無い。

それとは別の、剣士としての自分が強者との闘いに歓喜の声をあげているのだった。

それは恐らく他者を傷付ける事を嫌う薫さえも同様だろう。

それだけ剣士にとって、もしかしたら自分を倒すかも知れない強者との闘いは喜ばしい物なのだ。

その意味では、恐らく全ての剣士は剣鬼になりうる素養を持っているとも言えるかもしれない。

かつて真雪に言われた言葉が頭の中で木魂する。

「剣士なんて、悲しいものだ…。

敵も味方も無い。

常に強者を求めてる。

強い者を見れば剣を交えたいと思う。

相手が例え親友だろうが、己の…愛しい人でも…。」

 

待ち合わせ場所に先にきていた薫が夜風に髪を靡かせている。

「薫さん、すいません俺遅れましたか?」

まるで駅でデートの待ち合わせに遅れてきたかのように軽く声をかける。

「そんなことなかよ、時間ピッタリ…」

薫も日常の一コマのような顔で会話に応じる。

「よかった…」

初夏の爽やかな風に負けないほどの涼やかな笑顔で薫に微笑みかける恭也は、薫の目にとても魅力的に映った。

「さてと…薫さん今から本気で闘いましょう。それこそ殺すくらいの気持ちで…」

無言で霊剣十六夜を抜刀して構えを取る薫。

八景を逆手に握り、薫と対峙する恭也。




七年前にここで薫に握られた手の温もりが、剣士としての恭也の今を作った。

 

そんな諸々の事が頭の中で巡りやがて消えていく…。



輝く月明かりが二人の闘志を高めそれが一つに収束する。



恭也が悩み続けた、剣を握る答え。



その答えを明らかにするために…二匹の修羅が輝ける月の光の下に邂逅する…。