中編
カラララン・・・
グラスの中の氷が涼やかな音をたてて、溶け落ちる。
「耕介…、そんなくだらない写真誌をまだ気にしてんのか?」
真雪が、グラスを傾けながら耕介に話しかける。
「・・…・・別にそんな事は・・・」
呟きと共に、グラスの中の液体を一気に飲み干した。
しかし、言葉と裏腹に耕介の言葉は歯切れが悪い。
真雪は、そんな耕介に溜息をつきながら、グラスに取っておきのブランデーを注いでやる。
「耕介…」
「なんですか?」
クーッと、また一息にグラスの中の酒を飲み干す耕介。
熱い液体が、胸を焦す。
「ハァ〜…」
焦すような熱さを冷ますように、肺から熱い吐息が漏れる…。
それはまるで、イギリスに居るゆうひへの想いが切なくて、胸を焦した数年前の焦燥感にも似ていた。
再び空になったそのグラスを眺めて真雪がもう一度耕介に呼びかけて呟いた。
「らしくないな…耕介」
「え?」
「いつものお前はもっと酒を味わって飲んでるぞ…。
そんな飲み方じゃ、この真雪さんの秘蔵のブランデーもその辺にある安酒も大差が無いじゃね〜か」
真雪はちょっぴり恨めしそうにかなり目減りしたボトルに視線を送る。
「あ…すいません」
そんな真雪の仕草に、ほんの少しだけ耕介が顔を綻ばした。
そんな耕介を見て、小さく頷くと
「良し!やっぱりおまえはそのツラが一番だぜ!耕介」
と言って、笑った。
ここ最近の何処か無理をしたような耕介の造り笑顔を、心配してくれていた真雪の優しさに思わず胸が詰まる。
素直に礼の言葉を述べても、照れ屋な真雪はぶっきらぼうに
「全自動雑用マシーンが壊れたら私が困るからな」
とか、言うに決まっている。
だから耕介は、立ち去ろうとしている真雪の後姿に静かに頭を下げた。
万感の想いを詰め込んで…。
そんな真雪がドアノブに手をかけ、不意に止まった。
つけたままのテレビから、突然SEENAの歌声が流れる。
「なあ、耕介…
おまえらは、イギリスと日本と、離れ離れの数年間でもさ。
会えない寂しさを乗り越えて来れたじゃないかよ…。
今は、同じ日本に居るんだぜ…それなのに・・・」
『駄目になってしまうのか?』
その言葉は、口にはせずに真雪は静かにリビングを出ていった。
一人リビングに取り残された耕介は
「あの時とは・・・違うんですよ。真雪さん・・・」
と自嘲気味に呟いた。
そしてグラスに残ったブランデーをゆっくりと口に含み
「苦い・・・な・・・」
と呟いた。
相変らずのテレビにはSEENAの微笑がアップになる。
そんなテレビをoffにして・・・そして、耕介も眠りについた。
――翌日――
trrrr・・・trrrr・・・trrrr・・・
「はい、さざなみ寮ですが…」
『耕介君!!!うちや、うち!!』
電話に出た耕介の鼓膜を叩く天使のソプラノの喜びの声。
「・・・ゆうひか。元気でやってるか?」
対照的な、何処か沈んだ耕介の声。
『耕介君こそどうしたんや?
声に全く元気があらへんで』
こうして話していれば、紛れも無いゆうひなのに・・・
「なあ、ゆうひ・・・」
『なんや、耕介君?』
「これからはさ、俺はお前の1ファンとして応援していくよ…」
その言葉は、ゆうひの耳に届いた。
しかし、頭には届いていない。
突然の言葉に対する驚きと衝撃で理解できない。
『耕介君…どう言う意味や?
うち…ちょう・・・混乱してもうてて・・・』
ゆうひのその声は奮えていた。
ある結論が導き出されることを恐れて…
耕介もまた、言葉にしたくは無かった。
愛していた人…
愛している人…
愛しつづけていける人…
そんな人に、別れのトリガーを引く瞬間の恐怖。
でも、耕介はそれを引く事を決めた。
「俺達の・・・槙原耕介と、椎名ゆうひの個人的な関係に・・・ピリオドを打とう」
一瞬、走馬灯のように今までの日々の記憶が頭を巡る。
楽しかった事
哀しかった事
ケンカした事
そして………愛した事
『どうしてや!?どうしてそんな事言うんや!?耕介君!!
まさか、あの写真週刊誌のせいか!?
あんなのデマや!!うちには耕介君しか居らん!!』
「・・・あれは、一つの切っ掛けかもしれないけれど別にあれを信じたからじゃないよ」
『じゃあなんでや!!
イギリスに行く時だって・・・
イギリスに居る時だって・・・
励ましてくれたやないの!!信じてくれたやないの!!』
すでに涙で、声が出ていないゆうひの声が胸を締めつける。
きっと、あの綺麗な顔を涙でぐしゃぐしゃにしているのだろう…。
そう思うと耕介はやりきれない気持ちになった。
だから、一言だけ・・・
「あの時とは・・・違うんだよ…。
今はもう・・・イギリスよりもSEENAは遠い存在だから・・・」
それだけを言って電話を切った。
『耕介君!!!!!!嫌や!!嫌や!!』
と言う、痛切なゆうひの声を振りきって…
耕介が涙を拭って、リビングに戻った時。
恐らくは録画だったのだろう、お昼の番組の中でSEENAは変わらずに微笑んでいた。
そしてそれから1週間後の12月24日
週刊誌にはこんな見出しが踊った。
『歌姫ことSEENA!引退か!?
連日連夜の仕事のキャンセル』
そして、明日はクリスマスイブ
SEENAのスペシャルコンサートの日であった。